文藝部の日常 2

 途端に真面目な口調になったアヤを前に、トワは思い出す。そう言えば、彼女はそういう人であった。意味のあるようでない、議論をひたすら繰り返し、その議論の結果を創作作品へと変える。

 彼女はそういう人物なのだ。

「つまり、僕はどう問えば良かったのですか?」あの頃と同じように、彼女のノリに付き合う。

 アヤは袋からチョコレート菓子を取り出した。彼女は棒状のチョコレート菓子をつまみ、それを杖のように振りながら言った。

「現実にタイムリープは可能なのだろうか?」

差し出された袋からトワは自身の分を取り、それを咥える。「普通に考えたら無理でしょうね」と応える。

「だろうな」アヤもチョコレート菓子を食べながら答えた。「だが、インプラントを利用すれば、擬似的にタイムリープが可能になるのではないか?」

 トワは机にペットボトルを置き、アヤの目を見た。「無理ですよ。インプラントに記憶を保存する機能はありませんし、アクセスすることも許されていません」

「違法な物を使えば?」

「社会インプラントをまともに投与された人なら無理でしょうね。社会インプラントには、追加投与されたナノマシンの監視も機能のひとつですから」

 トワ達は生まれたときに、社会インプラントと呼ばれるナノマシンを投与される。主な目的は、社会保障と健康管理、そして電脳へのアクセス。

 電脳とは政府が管理するネットワークの総称。社会インプラントから直接アクセスし、情報を閲覧、自身のナノマシンへ記録することができる。社会インプラント普及以前は、電子端末を利用していたが、いちいち端末を操作、読み出すよりナノマシンに働きかける方がずっと楽だ。

 便利なインプラントだが、法律上の制約もある。そのひとつに記憶の投入は禁じられている。インプラント技術黎明期、擬似体験型インプラントが流行した。それは一種の薬物のような物で、一定期間だけハイになったり、自分自身を有名な誰かと同じような言動をさせたり、と。娯楽の一種であったが、悪質な物も当然存在した。例えば、片想いの人が相手にずっと一緒にいた記憶をインストールさせ、婚姻関係を結んだり、ありもしない記憶を植え付け、多額の賠償金を請求したりなど。

 書き込みが出来なければ、読み込みも出来ない。これは人の本質が記憶に宿るという思想の下、確立された法律だ。見た目は違えど、全く同じ記憶を有する人物が現れると、それは混乱の元である。そのため、記憶の読み取りも禁じられた。

 他にもインプラント関連のいほうこういはあるが、それらも含めて、インプラントの動作やどのようなインプラントを後天的に摂取したのかを監視することも社会インプラントの重要な役割である。

「記憶への刺激を与えることは、違法だったか? 読み書きをするのではなく、強引に想起させる」

「詳しいことは知りませんが、おそらくダメでしょうね。それこそ、刺激の方法で偽りの記憶を作れそうですし」実際にそんなことが出来るかは分からない。しかし、トワには、なんとなく出来るように感じられた。

 ふむ。と、アヤが唸った。「擬似的になら体験できると思ったのだが……」

「正直、先輩の意見には同意します」トワは麦茶を口にした。「仮に、先輩の言うように擬似的に出来たとしても、それは本物ではない。タイムリープ出来たとは言えないんじゃないですか?」

「確かに、少年の言うとおりだな」アヤが言った。「記憶を想起させてその中で自由に動き回れたとしても、それは夢の延長線上でしかない。夢から醒めれば待っているのは、現実だけだ」

他愛のない議論のひとつのはずなのに、トワは何故だか自分が諭されているような気がした。


 実際、彼女の言うとおりなのかもしれない。


 トワ達はナノマシンが創り出した夢の一片を見せられているのだろう。そうすれば納得がいく、トワの身に起きていることも。

 しかし、と。トワはふと疑問に思った。「どちらが現実なんて、どうやって決めるのでしょうか」

自分がこれまでに体験してきたことを、何故現実と断言できたのだろう? むしろ、そちらが夢だったのではないだろうか。

 僅か数十分のうちに、5年分の人生を体験した。

 夢なら、そのくらいできてもおかしくないはずだ。

「つまり、少年は現実も夢の一部だと言いたいのかい?」

「そんなところです」トワが言った。「仮にナノマシンに見せられたのだとしても、それが精巧に作られた世界で、現実と違わないのであれば、人はそれを現実と思えそうです。それに、少しくらい齟齬があっても意外と気が付かないものじゃないですか?」

 アヤはペットボトルを咥え、何かを考えている。「ナノマシンで自分だけの世界を創り出す」それは独り言なのか、それとも彼女なりに考え出した結論なのか。

「だが、現実である程度の活動……例えば、食事とかをしなければいけない。ずっと、夢の中という訳にはいかない。現実の感覚を人は覚えているんじゃないかな」

「味覚くらい、ナノマシンで誤魔化せますよ。正直、そっちの方が記憶より容易い」トワはチョコレート菓子を掴みながら答えた。

「なるほど」唸りつつ、アヤもチョコレート菓子をつまむ。

 少しの間、2人の間に沈黙が流れた。

 正直、トワには何が現実で何が夢なのか定かではない。眠る前までの、あの世界は夢だったのだろうか。

 こちらの——こうして、アヤと話しているのが現実というのだろうか。

「そもそも」と、アヤが切り出した。「ナノマシンに頼らずとも、人は初めからいくつもの現実をシミュレートしているのではないか?」

「それだと、人と話が合わなくなりませんか?」トワが言い返した。

 しかし、アヤは首を振った。「独りよがりな世界が無数にあり、最終的に都合の良いものを現実と捉えている。いま、こうして少年と話している世界も、私にとって都合の良かったものなのだろう」

 アヤの話は掴みどころない、それこそフィクションのようなものであった。まるで、現実は初めからフィクションだった、と言われているようなものだ。

 それなら、ナノマシンを利用して工学的に複数の世界を体感していると言われた方がマシだ。

 ナノマシンを酷使し、複数の世界をシミュレートする。

 それが現実的なタイムリープの手法だろう。しかし、それを実現するためには、肉体を維持する、現実に生きる自分が居なければ出来ることではない。

ならば……初めから、日常の全てをナノマシンに任せてしまえば良いのではないだろうか?

「人が現実世界を生きる理由はあるのでしょうか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る