第1章 タイムリープは可能なのだろうか?
文藝部の日常 1
教室の窓から、初夏の日差しが差し込む。
トワは身体を伸ばし、大きな欠伸をした。体内のナノマシンが活性化し、ゆっくりと彼の身体を目覚めさせていく。大きな欠伸をし、トワはあたりを見渡した。
天井からぶら下がった蛍光灯が明滅する小さな空間。ステンレスの書棚が並ぶ空間に無理やり生み出した小さな空間。空き教室から持ち寄った机を6つ並べただけ簡素な長机。書棚にはそれを埋め尽くすように紙書籍が並べられていた。その多くが、どこかの図書館の寄贈物なのか、元の蔵書場所を示す紋様が描かれたシールが貼られていた。草で縁取られた輪の中を飛ぶ鳥の紋様、そのシールが貼られた書籍が全体の過半数を占める。
古い紙の香りがトワの鼻をくすぐり、ハッと思い出す。
そこは彼のよく知った場所だった。
とても懐かしく、いまでも時折思い出す場所——高校のときの文藝部の部室。いつも彼が退屈な刻を潰すのに使っていた場所。陽当たりが悪く、夕暮れ時のこの時間にしか陽が差さない。だから、下校時刻までの昼寝には丁度良いのだ。
本の廃れたこの時代に、文藝部の活動は大したものはない。書籍は各自で読めばよい。部誌を作成するにしても、わざわざ集まる必要などない。電脳越しにデータをやり取りすれば済む。だから、部室ですることは、寝るか、寝るか、無駄話に花を咲かせるか。その程度のもの。
頭が冴えていき、トワは首を傾げる。
——どうして、ここに?
確かにトワはこの学校に通い、文藝部で高校3年間を過ごした。しかし、それは数年前までのこと。トワはとっくに高校を卒業し、今は大学院で研究に励みつつもモラトリアムを満喫していた。
まだ、寝ているのか、と自分を疑った。しかし、夢にしては繊細な感覚、何より、彼の体内をめぐるナノマシンは確かに起床状態にあった。それらは、これが夢でないとトワに悟らせるには十分過ぎた。
トワはナノマシンに働きかけ、現在の時刻と場所を問い合わせた。数刻の後、ナノマシンは、5年前の刻と彼がかつて通っていた高校の名と場所を指し示した。更新プログラムを走らせ、何度も試してみるがナノマシンの応答に変化はなかった。
——タイムリープ?
そんな、フィクションのようなことはあるのだろうか。しかし、トワの身に起きた現象を説明できるものはそれ以外になかった。そのとき、部室のドアが静かに開いた。背の高い女子生徒が部室に入ってきた。
「やぁ、少年。ようやく目を覚ましたかな」
耳慣れた声であった。トワは、自身のことを“少年”と呼ぶ人物にひとりだけ心当たりがあった。彼女の姿を見、トワの直感は確信へと変わった。
背が高く、身体つきもしっかりとしている。黒く長い髪をひとつに束ねている彼女は、トワの先輩で、文藝部の部長を務めるアヤであった。アヤの姿はトワの記憶にあるのと同じ、5年前の頃と何一つ変わらない。
「先輩、いまっていつですか?」考えるよりも前に尋ねていた。トワの問いにアヤが不思議そうに首を傾げた。「6月22日だろう?そのくらい、私に聞かずとも自分に問えばよいじゃないか」
彼女の指摘は尤もだ。日付程度、人に聞くようなものでもない。しかし、トワの混乱は収まってはいない。
「そういうわけではなくて、年は?」と、続けて問いかけた。流石のアヤも笑い、「2***年だ。どうやら、本当に寝ぼけているようだな」と言った。
彼女は手に下げた袋から購買で買ってきたのだろう麦茶のペットボトルを取り出し、トワへ放り投げた。彼の体が自然と動き、ペットボトルを掴んだ。
「それでも飲んで頭を冷やせ」アヤも同じモノを持ってトワの対面に座る。
トワは蓋を開け、乾いた喉へ麦茶を流し込んだ。冷たく身体にその染み渡る味は確かに現実のモノだった。「やっぱり、夢じゃないのか」トワは小さく呟いた。
「それで? 少年は何をそんなに混乱しているのかな? 折角だからお姉さんが相談に乗ってあげよう」
向いに座る彼女もペットボトルの蓋を開け、麦茶を口にする。優しく微笑み、トワの顔を覗き込む。
「大した悩みじゃないですよ」そう言って、トワは麦茶を再び口にする。実際、いまの自分が置かれている状況をどう説明すれば良いのか、トワには分からなかった。
仮に、未来からやってきた、と言って彼女は信じるだろうか? アヤの性格を考えれば信じることはないだろう、そして、確実にトワのことを揶揄う。
正直、率直なことを彼女に言いたくない。
「先輩……」どう言おうか、言葉を慎重に探す。「もし、過去に戻れるのだとしたら、やってみたいことはありますか?」
アヤは首を捻り、少しばかり考える。「今のところはないかな。でも、半年後の入試に失敗したら、戻って入試をやり直したいと思うかな」
「先輩なら大丈夫ですよ」と、根拠のないことを言う。実際にはあるのだが、今のトワに説明できるものではない。
「少年は何か、やり直したいことでもあるのか?」アヤが首を傾げた。
もし、これが本当にタイムリープだとしたら、多分それは自分にやり直したい何かがあったからだろう。では、そのやり直したいこととは何か。
「……正直、分かりません——」しばらく考え込んだ末、トワが出した答えがそれだった。「でも、本当にタイムリープなんてものをしたのなら、何かしら未練があったのだと思います」
神妙な面持ちを浮かべるトワに、ふふとアヤが笑う。「少年が思い悩むところを初めてみたよ」と、どこか嬉しそうにアヤは言った。
「僕だって悩むときは悩みますよ」そう言うと、トワはペットボトルを口にした。
「でも——」と、アヤが口を開いた。「少年はこの場で問うべきことを間違えている」
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