第16話アメリカンスピリッツ・禁酒法時代アメリカ
ふう、ヒトラーさんの名演説のおかげでわたしの実家の酒造業も絶好調ね。ビールがヘンリーさんの工場でじゃんじゃん売り上げを伸ばしてるんだから。
「酒はなくせ! アルコールは人を堕落させる! こんなものはこの世からなくしてしまえ!」
むむ、聞き捨てならないことを言ってくる人間がいる。禁酒運動家だな。とうとうわたしの店にもやってきたか。
「あなたがルーシーさんね。キャリーよ。キャリー・ネイション。初めまして」
キャリー・ネイション。聞いたことがあるわ。禁酒運動家でも過激派の一番の急先鋒。うわさではでっかい高身長のグラマラスボディーなんて言われていたけれど、実物はロリと言うか何と言うか……実物は正反対ね。うわさに尾ひれはひれがつきについたってところかしら。
「ルーシーさんのブロージット飲ませてもらったわよ。塩分補給のための水分ですって。なかなかいいアイデアじゃない。どうかしら。このさい酒造りなんてやめてブロージット一本にしぼったら」
「冗談じゃないわ。お酒造りは誇り高きわたしの家業よ」
「おおいやだ。酔っぱらいがどれだけ世間に迷惑かけているか知らないの。公衆の面前でぐでんぐでんになってバーでくだをまく。思い出しただけで虫唾が走るわ」
そんなのは一部の非常識なアル中よ。多くのお酒好きの人間は節度を守ってプライベートな場所で楽しくお酒を飲んでいるのに。
「だいたい、『このワインはわたしの血でありこのパンはわたしの肉である』というイエス様のお言葉を知らないの。ワインを飲むことは聖書でも認められている崇高な行いなのよ」
「ワインが主の血ならそれこそ飲むなんて恐れ多いわ。神聖なるイエス様の御血液をがぶがぶ飲むことが不信心なのよ。祭礼用のワインづくりは認めてあげるから、大量生産なんて諦めることね」
むむむ、そう来たか。こんなときにアドルフさんがいたらあの弁舌でこの小娘を負かしてくれるのに。アドルフさんは今もデトロイトの自動車工場で演説してるからなあ……
「だいたい、ワインを飲用にするからうるさいウンチクをたれる評論家が出てくるのよ。あいつらと来たら、やれ『このワインのかぐわしい香りは生娘の吐息のようだ』だのなんだのもって回った表現をして」
それはこの小娘のキャリーの言うとおりね。大体評論家って言うのは、自分じゃなにも作り出さないくせに偉そうな講釈だけは長ったらしく言いあげるんだから。あいつら、わたしたちがお酒を造らなかったら自分たちは何もできないってことがわかっているのかしら……じゃなかった。
「キャリーさん。あなたワインはお嫌いなのかしら」
「ワインについてごちゃごちゃ言う人間は嫌いよ。なによビンテージワインって。たかがワインに何万ドルも! 馬鹿じゃないの」
それはそうなのよねえ。最近はワインを投機目的に買いあさっている人間が多くて嫌になるわ。とくにユダヤとか。あいつら、結局は金しか見てないんだから。
「じゃ、じゃあ、キャリーさん。ビールは?」
「嫌い。苦いもん」
おやあ。これは……
「苦いから嫌いって……キャリーさんの味覚がお子様なだけなんじゃ」
「だ、だれが子供だ。キャリーは断じて子供ではない! ニンジンもピーマンも食べられる。そんなキャリーは絶対に子供じゃないんだ!」
やっぱりか。まったく、わたしみたいなドイツ系だと子供のころからビールを水代わりに飲んでいるからちっともそんなことは思わないのだけれど……ビールを飲み慣れていない子供はビールを苦いなんて敬遠しちゃうのよねえ。
そんなお子様にはオレンジジュースやグレープフルーツジュースで甘く仕上げたカクテルでとにもかくにも酔っぱらせちゃえばいいんだけれど……今ここにはビールしかないからなあ。
「まったく、『苦いからビールは嫌い。だから禁酒だ』なんて短絡的もいいところねキャリーさん。そんなお子様は生水を飲んでお腹をピーピーにするといいわ。ママに言われなかったかしら? 『生水を飲んじゃいけませんよ。お腹を壊しちゃうからね』なんて」
「うるさい、黙れ。あんな苦いもの誰が飲むもんか」
「だめですよ、キャリーちゃん。好き嫌いしちゃあ。大きくなれませんよ。わたしなんて、お母さまのミルク代わりにビールを飲んでいたから……この通り! 見事なダイナマイトボディ! キャリーちゃんもこんなふうにビールをじゃんじゃん飲むのよ」
それくいっと。働いた後のビールも格別だけれど、労働中のビールもこたえられないわねえ……あら……酔っ払ってきちゃったわ。いつもならこのくらい飲んだだけじゃあちっとも酔っ払わないんだけれど……
この感じ。ああまたあの夢を見そうになる。アルちゃんだったかしら。元気でやっているかしら。そういえば、あの子はお酒を飲むのかしら。ちんちくりんだけれど……中国じゃあお酒ってどういうふうに飲まれているのかしらね。
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