「諸君！　諸君はコレラの予防に最も効果的なものは何かを知っているか！　そればビールを飲むことである。イギリスでコレラが大流行したさいにコレラ感染者がでなかった箇所がある。それはビール工場である。賢明な諸君なら知っているだろう。怪我をした箇所にはウイスキーをかけるべきであると言うことを。それはなぜか。酒には病を治癒する効果があるのだ。昔から言うではないか。『酒は百薬の長である』と」

　ふむ。あいかわらず酔っ払ったアドルフさんは名演説だな。聴衆もココさんの黒ずくめ服に身を包んで黒旗をたなびかせている。アドルフさんったらすっかりカリスマになっちゃったわね。

「労働者諸君。労働の後に飲むべきものはなにか？　それはビールである。世間では禁酒運動なんて馬鹿げた運動が起こっているらしいが、それはすべてユダヤの陰謀である。諸君は聞いたことがないか。薄汚いユダヤ人が移住してきたとたんにペストが流行したという伝承を。現在アメリカは金融などと言う虚業で肥え太ったユダヤの豚に支配されている。そのユダヤが禁酒法なんてものを定めてどうするつもりなのか。それはわかりきっている。ふたたびペストをはやらせて我々を病死させる腹積もりなのだ」

　むむむ。そう言えば聞いたことがある。定住していた農耕民の集落が流浪のユダヤ人がやってきたと単にはやり病で壊滅したと。ユダヤ人、許せない。

「われわれの主は天にまします父である。その主を殺したのは誰か。ユダヤ人に他ならない。主を官憲に突き出したのもユダヤ人である。たったの銀貨３０枚で主を売り渡したものユダヤ人である裏切り者のユダだ。ユダヤ人はわけのわからないユダヤ教なんてものを信仰している。そんな異教徒と共存できるはずがない。われわれクリスチャンが生き残るためにはユダヤ人を殲滅するしかないのだ」

　ユダヤ人！　父なるイエスキリストを殺した奴ら！　

「キリスト教会はペストを神の怒りとしてユダヤ人を虐殺した。ユダヤ人迫害は協会が認めた正当な行為なのだ。諸君！　ユダヤの陰謀にはめられてはいけない！　禁酒法なんてものをユダヤに踊らされて国法とするなどという愚かな行為はなんとしても阻止しなければならないのだ」

　その通りよ、アドルフさん。金融なんて虚業で財を成したユダヤ人の陰謀に、なんでわたしたちのような額に汗して働いている労働者が巻き込まれなければならないのよ。ユダヤ人ども！　肉体労働の後のビールのおいしさを知れば禁酒法なんてものは愚かしいことだって簡単にわかるのに。これだから現場の上前をはねることしか頭にない連中は。

「諸君らは知らないであろう。ヨーロッパ戦線の実態がどのようなものであるかを。余もアメリカでヨーロッパ戦線がどのように報道されているか、渡米するまでまるで知らなかった。そしてここアメリカでヨーロッパ戦線がどのようにアメリカ国民に伝えられているかを知った。諸君らには知ってほしい。マスメディアが報じるヨーロッパ戦線についてはまるっきりのでたらめであると」

　えええ、そんな。新聞やラジオでわたしたちに伝えられるヨーロッパ戦線の様子がでたらめだったなんて。

「諸君らアメリカ国民はヨーロッパ戦線で同盟国であるイギリスやフランス軍が連戦連勝していると教えられていただろう。しかしそれはまるっきりのプロパガンダである。これは余がドイツ人だからそう言っているのではない。余はけしてドイツ軍が英米軍を叩きのめしていたと主張するのではないのだ。ヨーロッパ戦線の実情は、ただひたすらに両軍が疲弊するだけのものである」

　あたしが映画で見たヨーロッパ戦線は、アメリカ軍が格好良く描かれているだけだったけれど……

「戦場とは地獄である。鳴り響く砲弾音。極寒の塹壕。はびこるはやり病。余はその地獄を現実に体験してきた。そのような実情がここアメリカではなにひとつ理解されていない。それはなぜか？　事実を知られては困る連中がいるからだ。それは誰か。言うまでもないだろう。ユダヤ人である。戦争には金がかかる。その金を両陣営に貸し付けて利子をふんだくっていたのがユダヤ人である。ヨーロッパ戦線はユダヤ人が己の利益のために起こしたものだったのだ」

　なんですって！　そいうだったんですか、アドルフさん！

「諸君らは知っているだろうか。ヨーロッパ戦線のきっかけはたった一発の銃弾であったことを。ある青年がオーストリア皇太子を暗殺したことがそもそもの始まりである。だが考えてほしい。たった一人の青年がオーストリア皇太子暗殺という大事を成し遂げられるものだろうか。裏でなにかあったと考えるほうが自然である。ではその裏で手を引いた勢力とは何か。賢明な諸君ならもうおわかりであろう。ヨーロッパ戦線でもっとも得をしている連中。すなわち両陣営に金を貸し付けているユダヤ人である」

　もう絶対ユダヤ人許せない。絶対禁酒法を制定させないんだから。