第11話おしゃれな喪服・禁酒法時代アメリカ
いやあ、あっという間だったなあ。ヘンリーさんの自動車会社で戦車の生産ラインが出来上がったのは。このラインでの戦車づくりのノウハウをマフィアに売りつけるのか。モノだけでなくノウハウも売るかあ。参考になるなあ。
「あ、ルーシーさん。助けてくださいよ。工場の労働者たちに演説を頼まれるんですよ『アドルフさんは俺たちの心の中でもやもやしていることをはっきりと言葉にしてくれる』って。自分はそんな柄じゃないって言うのに……」
「あらいいじゃない、アドルフさん。アメリカの女の子たちは、今まで『女に仕事なんてできるか』なんて言われていたけれど、『大変だ。戦争でヨーロッパ戦線に男が行ってしまった。しょうがない。あたしたち女が働こう……なんだ、女も働けるじゃん』ってことに気づいたんだから。そんな女の子工員がアドルフさんの演説を聞きたがるもの無理はないわ。それにしても、アドルフさんったらさすがね。女性差別問題をユダヤ人排斥に展開させるなんて」
「勘弁してくださいよ、ルーシーさん。あれは酒に酔ったうえでの座興みたいなもので……」
「その座興に女の子工員が熱狂するんだからわからないものよねえ。いまわたしの目の前でこんなにうろたえているしらふのアドルフさんと、たくさんの女の子工員をきゃあきゃあ言わせている酔っ払ったアドルフさんが同一人物だなんて。まあ、いっぱいどうぞ。わたし特製の戦車も動かせる高純度エタノールを」
「やめてください、ルーシーさん! そんな、むりやり……余のために集まってくれたレディーのみなさん。まずは礼を言おう。そして余は宣言する。これだけの働きをする女性のみなさんを家庭に縛り付けるとんでもない邪宗がある。それはユダヤ教である」
アドルフさんったら。一口あたし特製のエタノールを飲んだだけでこれだけ弁舌が達者になるんだからひとってわからないものね。
「諸君! 知っているか? バスで同席したご婦人に『こんな雌とは席を一緒にすることはできない』なんていう失礼な雄豚がいる。それはユダヤ人である。ユダヤ教では聖地エルサレムにすら男女は同じ場所で礼拝するべきでないと女性を隔離しているのだ!」
まあ、信じられない。ユダヤの豚がそんなことをしているなんて。ユダヤ人ってとんだ差別主義者じゃない。
「いいか諸君! ユダヤ人はいつも声高く主張している。『自分たちは古来より迫害されてきた民族だ』と。しかし、当のユダヤ人がなにより女性をないがしろにしているのだ。この一点に置いてユダヤ人は薄汚いと言える」
アドルフさんの言う通りよ。ユダヤ人ったら被害者ヅラしておいて、自分たちが一番の差別主義者なんじゃない。
「余は知っている。諸君たち女性が男性に何一つ劣っていないことを。むしろ、諸君たち女性のほうが丁寧な仕事をするとさえ思っている。諸君らの作る戦車がかならずやアメリカのためになるであろう」
まあそんな、アドルフさん。わたしのような女の子のほうが男よりもいい仕事をするだなんて。そんなに褒めないでくださいまし。
「余は確信する。諸君の戦車が殺すのは海の向こうのヨーロッパで誇り高く戦っている諸君の夫ではない。戦時中でありながら、金融と言う何も生み出さない虚業で諸君たち女性が働く現場のうわまえをはねるここアメリカのユダヤ人であると」
わたしの特製エタノールで動く戦車がユダヤ人を殺すですって。ぞくぞくしてきちゃう。
「諸君は知っているか! 恥知らずのユダヤ人が金融などと言う虚業の次に何に手を出したと思う? それは石油事業だ。諸君らは石油を見たことがあるか? あれほど汚い油を余は見たことがない。あんな汚い油を燃やしていてはいずれこの世界は滅んでしまう。そのユダヤ人の陰謀を我々は何としても阻止しなければならない。その力強い味方がルーシー嬢である」
え、わたしですの、アドルフさん。
「こちらにいらっしゃるルーシー嬢は造り酒屋のお嬢さんだ。そのルーシー嬢が素晴らしいものを作っている。それが諸君らが作っている戦車の燃料となるエタノールである。このエタノール。余も飲んだがじつに美味である。まさにこれこそ戦車の燃料としてふさわしい。断じてユダヤに騙されて石油なんてものを燃料とするわけにはいかない」
いやですわ、アドルフさん。なにもそこまで褒めちぎらなさらくてもよろしいのに。
「さあ、ルーシー嬢もいっぱいやってください。この命の水を。世間では禁酒運動なんてものがはびこっているようだが。なに、そんなものはユダヤの陰謀だ。酒を禁じると言う無法が通る道理がない。ささ、どうぞ」
アドルフさん。そんなに言われましたらわたしは自分で作った高純度エタノールを飲まないわけにはいかないではありませんか。そして、そのエタノールで酔っ払ってしまったら、わたしはまたあの夢かうつつか幻かわからない世界に行ってしまうではありませんか。
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