第6話戦車乗りの少女・禁酒法時代アメリカ

「おおい、今帰ったぞ……なんだ、やけに繁盛しているじゃないか。戦地ではアメリカで禁酒運動がさかんになっているなんて聞いて心配していたんだが……」


「お父様! ご無事でしたのね! 本当にクリスマスまでに帰ってこられたんですね!」


「おおかわいいわが娘ルーシー。もっとその顔を見せておくれ」


 お父様が帰ってきた! ヨーロッパに行ったと思っていたお父様が帰ってきた!


「お父様、これを飲んでちょうだい!」


「ルーシー、これはなんだ? 戦地から帰ってきたんだぞ。まずは我が家の家業のビールを一杯させてほしいんだが……」


「まあ、とりあえず、駆け付けいっぱい、お父様」


「ルーシーがそこまで言うのなら……これは、変な味だなあ。甘いでもなくしょっぱいでもなく……しかし、不思議と乾いた体にしみわたる気がする」


 お父様もこの好反応。やっぱりわたしのブロージットはいけるわ。


「お父様、肉体労働の時に岩塩をなめた経験はおあり?」


「当たり前だ。お父さんをなんだと思ってる。裸一貫でここアメリカに渡米して財を成したんだぞ。若いころは何でもやった。蒸気機関車の石炭くべも炭鉱での石炭掘りも。その時に岩塩をペロペロなめたものだ」


「このブロージットは、そんなときの塩分と水分補給を同時にできる特製ドリンクなんですわ。すでに、ここシカゴの地元野球チームのシカゴホエールズとスポンサー契約を結んでおります。おかげでシカゴホエールズも連戦連勝。そのイメージでブロージットの売り上げも見てのとおりですわ」


「おお、父さんがいない間に家業をそんなに発展させるだなんて。お前はなんて立派な娘なんだ、ルーシー」


 そうでしょう、もっと褒めてくださいまし、お父様……


「お父様、そちらはどなたですの? すてきなちょび髭ね」


「おおそうだ、すっかり紹介するのを忘れていた。こちらはアドルフ。お父さんの命の恩人なんだよ、ルーシー」


「お父様の命の恩人! それはどういうことですの、詳しく聞かせてくださいまし」


「それはだな、ルーシー。お父さんはヨーロッパ戦線で塹壕に隠れていた。ルーシーと母さんの写真を見ながらな。そこにいたずらな風が吹いて写真を飛ばしてしまった。その写真を取ろうと体を塹壕から出したその瞬間、このアドルフ君がわたしを突き飛ばしたんだ。いや、アドルフ君がいなかったら父さんは敵の銃で撃たれていただろうな。その銃弾はアドルフ君をかすめたんだが」


「まあまあそんなことが!」


 お父様の命の恩人! なんて素敵な方なの、アドルフさん。なんだかもじもじして照れ臭そうにしているけれど、そのシャイなところも高得点よ。


「そんなわけで父さんをかばってケガをしたアドルフ君を野戦病院に運んで行って介抱していたんだがね……ルーシー、アドルフ君は絵を描くんだよ。それが素敵な絵でね」


「いえそんな、自分美大落ちですから。自分の絵なんてたいしたことないです」


 あら、絵描きさん。わたしも絵は好きなのよ。


「そして、ルーシー。ヨーロッパ戦線で凄いものが発明されたんだぞ。タンクだ!」


「タンク……水槽ですの? それがすごい発明ですの、お父様。水槽ならうちの酒蔵にいくらでもありますが……」


「いや、ルーシー。タンクはタンクでも水槽でなくてな……」


「お父様、そんな説明は後々。なによりもまずお父様の命の恩人であるアドルフさんを歓迎しなくては」


「おおそうだ、アドルフ君。我が家のビールを存分にやってくれ。ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世陛下の定められたビール純粋令にのっとったドイツビールなんだ」


「いや、自分は」


「アドルフさん、そんなことをおっしゃらずに。ぜひ我が家の歓迎のしるしとしてビールを思う存分堪能してくださいな」


 ……


「くそったれのユダこうが! われわれ誇り高きアーリア人が最前線で血を流しているのにあいつらときたらなんだ! 金融業なんて虚業であくどく儲けやがって」


 あら以外。アドルフさんったら無口で寡黙なイメージだったけれどお酒を飲むと豹変しちゃってこんなに饒舌になっちゃった。でも不思議ね。なんだかアドルフさんの言葉には不思議な説得力があるわ。


「そうなのよ、アドルフさん。ユダヤ人ったらね、テキサスで石油が出たのをいいことに、禁酒運動なんて始めたのよ。きっと、いままで自動車をお酒のエタノールで走らせていたところにガソリンで割って入る気なのよ。ガソリンのライバルになるエタノールを禁酒運動でつぶすつもりなのよ」


「それは許せませんな、ルーシーお嬢さん。なに、万事このアドルフにお任せください。ルーシーお嬢さんのお酒ビジネスをこのアドルフが全力で支援します。なにくそったれのユダヤ人の石油産業なんかルーシーお嬢様のアルコールにかかればひとひねりですよ」


 むうう、アドルフさんに言われるとどうもその気になってきちゃうわね。これはわたしのアルコール事業にとってとんでもない有能ビジネスマンを拾ったかもしれないわ。

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