第36話 ~俺はてっきり学祭の存在を忘れていた~
「え……? 学祭……?」
いまだ眠気がふわふわと頭を過る1限目。
あれ? 今日は授業やらないのか? と教師の来ない教室に戸惑っていた。
「それでは、文化祭実行委員をクラスから選出します」
眼鏡を掛けた真面目そうなクラス委員長の女子の言葉で俺は目が覚めた。
突然始まった「学祭」についてのクラス会議。
「俺は……」
てっきり、学祭の存在を忘れていたのだ。
あと1か月後には当日が迫っているらしい。存在に気付いたとて、俺らボクシング部にはどちらにせよ関係――
「まず、女子の実行委員は五十嵐さんでいかがでしょうか?」
「は……?」
俺と五十嵐が同時に声を漏らす。
ここで何故五十嵐の名前が?
「お、おい! なんでウチが!」
「五十嵐さんはとても文武両道で、コミュニケーション能力も優れていますので、私と先生で是非推薦したいという話をしていたんです」
「は、はぁ!? ウチそういう柄じゃねーから!」
「いえ、五十嵐さんはそういう柄ですよ」
「…………」
クラス委員長、意外と強かった。
五十嵐はリアルに「ぐぬぬ……」という声を漏らしながら席に座りなおした。
案外ここで折れてしまうのが五十嵐がヤンキーになりきれない所以である。
大きな溜息をつくものの、委員長が黒板に彼女の名前を書くことには抵抗しなかった。
「じゃあ男子の実行委員は――」
「大橋くんがいいと思います!!」
「やりやがったな」
先ほどとは打って変わった全力笑顔の五十嵐が俺の名前を叫んだ。
五十嵐風音、一生恨みます。
「五十嵐、俺は部活が忙しいから」
「同じやんけ」
「だからだよ、五十嵐も断れー―」
言いかけて止まった。
これ以上拒否をするとクラスメイトたちの目が怖い。別に好かれたいわけではないものの、嫌われたくはない。もうここまで来たら受け入れるしかないのか。
「わかった、やるよ」
「大橋くん、ありがとうございます。それでは実行委員のお二人は今後本部の動きに移行してください」
「了解」
すぐに五十嵐を睨む。彼女も動揺に俺を睨んでいた。
とはいっても数か月前の席替えから隣になったので向き合ってるだけの2人という構図だが。
「おい、五十嵐なに考えてんだお前」
「うるせーな、ウチだって自分がやると思ってなかったよ」
「人を巻き込むんじゃねぇ」
「同じ動きにした方が練習のスケジュールとか合わせやすいだろうが!」
「それはそうだけど、新人戦もあるんだぞ」
「わーってるよ」
新人戦は学祭の1か月後。
猶予はあるものの、まさか学祭に時間を取られることになるとは思っていなかったため、計画が狂わされた気分だ。
大体、実行委員って何すんだよ……。
「それでは、クラスの出し物を話し合いましょう」
釣り目が少し威圧感を与える委員長の淡々とした喋りに全員が頷いた。
昼休み。
俺は特に理由もなく練習場に訪れていた。
「シッ……シッ……!」
軽めにサンドバッグを打つ。
たまには自分もパンチを打たないと感覚が失われてしまう。
力の伝わらない軽いパンチがサンドバッグをわずかに揺らした。
「…………」
毎月病院には行っているものの、回復まではまだまだ遠そうだな。
一生というわけではないらしいが、リハビリに本腰を入れれば回復は多少早まるそうだ。
今更、躍起になってリハビリして選手に戻っても、試合に出れるレベルになるまではどれくらいかかるんだろう。1、2年とかで済む話ではないんだろうな。
汗を拭い、グローブを脱ぎ捨てる。
「ふぅ……」
「あ、大橋く~ん!」
「…………!?」
ベンチで呼吸を整えていると、鉄扉の鈍い開閉音と共に輪島さんの高い声が響いた。
振り向くと、満面の笑みを浮かべた彼女がパタパタとこちらに走っていた。
「ああ、輪島さん」
「昼休みに練習なんて珍しいね~」
「たまにはやらないと教える側としても感覚狂っちゃいますから」
「そ、そうだよね……私もちょっとだけ体動かしに来たんだ~」
既に体操服に着替えていた輪島さんが棚から取り出したグローブを装着する。
体を大きく回して準備運動をしている彼女のシャツから、くびれのある細い腰がチラッと覗いた。
本当、ボクサーとは思えない綺麗な体してるな。
「あ、そうそう。大橋くんのクラスは何やるの?」
「学祭の話ですか。なんだっけな……お化け屋敷とか言ってました」
「お~、準備大変そうだね! ていうか、その感じだとあまり会議に参加してなかったんだね」
「ご名答です。何の因果か五十嵐と一緒に実行委員になってしまったので手一杯です」
「え!? 大橋くんも!?」
「も……?」
輪島さんがシャドーをする手をピタリと止めた。
これはまさか。
「もしかして、輪島さん」
「そう! 私も実行委員だよっ!」
「輪島さん、なんかそういうのやってそうですもんね」
「いや~……やりたがる人がいなくて……」
「やっぱそういう感じか」
絶対ダルいじゃん! 五十嵐の罪は更に重くなった。学祭自体そんなに興味ないし更に面倒事を押し付けられたとなると思わず大きな溜息も出てしまう。
「大橋くん、やる気なさすぎ~」
「ないですよ……てか、長谷川さんと同じクラスですよね? あの人はやらないんですか?」
あの人はなかなかの気遣い人だ。こういう時に遠慮がちに手を挙げてそうな気もするが。
「や、麗ちゃんは決めるタイミングでお花を摘みに行くとか言って消えたよ」
あ、あの人シンプルに卑怯者だ。
ちゃんと逃げるんだね。
「お互い大変ですね、本部会でよろしくお願いします」
「今年は大変らしいよ~、なんでも他校と提携したりもするみたいだからね」
「え? 他校と?」
「そうそう。今年は実行委員長さんが……なんていうかね、意識高い系? みたいな感じの人で、外との繋がりをもっと増やそうってことになったみたい」
「ひぇ……更に面倒な展開に」
他校と提携って……合同開催でもするつもりか?
なんのメリットがあるっていうんだ。スケールが大きくなればなるほど俺らがヒィヒィ言うことになるぞ。
「まあ、外部からのお客さんを増やしたいっていうのがあるんじゃないかな。私もよくわかんないけど」
「そうですか……」
輪島さんがシャドーを再開する。
「シッ、シッ」
「…………」
フォーム、めちゃくちゃ良くなってるやん。
思えば、この人も随分と成長した。
夏の時点で成長は見られたが、悔しい思いをしたあの試合以降、気持ちの部分も強くなったしテクニックを吸収しようという貪欲さが増した。
「ねえ、大橋くん」
「はい」
シャドーを続行しながら輪島さんが俺を見ることなく言葉を投げかける。
「お泊り会した時のことって、覚えてるの?」
「酔っ払ってたわけじゃないんですから、記憶あるに決まってるじゃないですか」
「そ、そっか……」
「なんですか……」
その話題は墓場まで持っていくつもりだったのに。
屈辱である。膝でぐりぐり押され、あと1歩で襲うところまで持っていかれたのだ。
「べ、別に……大橋くん、私でも興奮するんだーって思って……」
チラッと俺の顔を遠慮がちに見る。
なんだよ……。
興奮するに決まってるだろ。
そういう時のアンタは結構破壊力あるんだよ……。
「ちょっぴり、嬉しかったかなー、なんて……私も実はさ、すごく――」
「さて、話を学祭に戻しましょうか」
「あんなに興味なさそうだったのに!?」
この話題は続けたくない。
俺が素直に反応してしまったことは恥ずかしいのでできれば掘り返されたくないんだ。
「…………」
「まあいいけど……ウチの学祭わりと盛り上がるから頑張ろうね」
「そうですね……」
「やっぱ興味ないんじゃん!? ねぇさっきのエロい話しようよ~」
「いやそれは絶対におかしい、どういう駄々のこね方?」
「いいじゃんいいじゃん!」
「シャドーしながらムラついてんじゃねぇ」
「…………」
明日から実行委員として会議などにも顔を出さなければいけないらしい。
五十嵐も輪島さんもいるし、アウェイ感は薄れるから少し安心だが……まあ何とか乗り切ろう。
いまだ解せぬものの、しばらくは練習もしつつ学祭の準備にも追われることとなった。
数時間前まで俺はてっきり学祭の存在を忘れていたレベルなのだが――。
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