第35話 ~輪島さんと背徳感の組み合わせはマズい~

「勉強会をします」


「勉強会……?」


 テストまであと3日。

 そんな日の休み、ボクシング部のメンバーは全員練習場に集められた。


 招集をかけたのはソフィ。

 俺、輪島さん、長谷川さん、五十嵐がソフィの前で一列に並んでいた。


「ソフィ……いきなりなんだよ」

「オーハシ、とエセギャルはわたしが大ピンチであることを知ってるはず」

「そりゃまあ知ってるけどさ……」


 険しい表情のソフィが俺たちを一瞥する。

 輪島さんと長谷川さんに至っては「何で私たちが……?」とでも言いたげな顔である。


「おいチビ~、ウチは大橋の世話で手一杯なんだよ」

「五十嵐お前……」


 否定はできなかった。

 カラオケの一件以来、本当にみっちり教えてもらっていた。


「ソフィちゃん……勉強会っていうかそれって……」


 輪島さんが気まずそうに言葉を詰まらせながら呟く。

 ソフィの顔が険しい表情から悲痛の表情へと変わっていく。そして。


「助けてください! お願いします! なんでもしますから!!」


 かつてない勢いで土下座をした。


 二つ結いの銀髪が床に散らばる。

 ソフィは何度も床に頭を打ち付け叫びながら土下座を続けていた。


「もうあとがないんです! 助けてください!」

「…………」


 ソフィがこんなに声を張り上げているのはケツをぶっ叩いた時以来である。

 全員がいたいけな少女の土下座を無言で眺めているこの光景は、色々な誤解を招きかねない。


「ソフィちゃん、お願いだから頭あげて」

「汗臭……いや輪島様」

「仕方ありませんわね~、わたくしにできることでしたら」

「爆乳くるんくる……いや、長谷川様」

「チビお前必死すぎんだろ……しゃーねーな」

「エセギャル……いがら……エセギャル」

「結局エセギャルで着地すんなコラ!?」


 ソフィがやっと顔を上げた。

 涙を流しながら輪島さんの足にしがみついている。本当に追い込まれてるんだな。


 だったらなんで……。


「部活禁止週間が始まってからの数日は何してたんだ?」

「オナニーしかしてないです」

「中学生の夏休み?」


 だめだこいつ。やる気がまるでない。


「暇だとついやっちゃうよね~」

「輪島さん、ここぞとばかりに同意するのやめてもらえません?」

「とりあえず、ソフィ。今日から勉強会はやらなきゃならないから、どうしようか」

「わたしの家は親がきっと……」


 うーん、たしかにソフィの家はまずい。

 メンバーの中で1番遠いし、なんといってもソフィの親に合わせる顔はない。最愛の娘のケツをぶっ叩いた男が現れたら俺が親でもぶん殴ると思う。


「私のうち来る~?」


 輪島さんが手を挙げた。

 たしかに、輪島さんは弟たちもいるしできるだけ家を空けない方がいい。その場合、みんなで輪島さん家にお邪魔する方が何かと都合がいいかもしれない。


「お、部長の家行ってみたいっす! じゃあ決定だな!」

「わたくしもひかりんのお家は久々ですわ~」

「汚いけど許してね!」

「…………」


 特に異論もなく輪島さん宅での勉強会が決定した。

 輪島さんの部屋といえば、あの事件を思い出す。


「…………」


 自分を卑下して泣いている輪島さんを抱きしめた。

 子供みたいに泣きじゃくって甘える輪島さんは、なんだか愛くるしくて先輩っていうより女の子として見てしまった。


 あのハグ以降、輪島さんと何かが起きたわけでもなく、むしろ他の部員の方が……。


「って、何考えてんだ俺」

「大橋くん、どうしたの?」

「いえ、なんでも……じゃあ放課後みんなで行きましょう」

「らじゃー!」


「ってかよぉ、明日って祝日だろ?」


 五十嵐が割って入る。

 そうか……明日は祝日か、すっかり忘れていた。


「てことはみんなで朝まで突っ走るってこと!?」

「え、まじで言ってます?」


 輪島さんがとんでもない提案をしてきた。

 え、なに? お泊り会の流れ?


「たしかに、わたしはいくら時間があっても足りないからその方が助かるかも」

「ソフィ、お前……!」

「いいですわね~みんなで勉強会兼お泊り会っていうのも!」

「みんな賛同なの……?」


 合宿の悪夢を思い出す。

 本当にコイツらと一晩過ごすの危ないんだって!!


「じゃあけって~いっ!」

「マジですか」


「皆様ありがとうございます……!」


 今まで見たことのない謙遜モードのソフィが何度も頭を下げた。

 そして、嫌な予感しかしない勉強会兼お泊り会というイベントが発生することとなってしまったのだ。







「ちげぇよチビ! なにをしたらその答えになんだよ!?」

「ひぃ……」

「ミス・ソフィ! 先ほど教えました公式をもうお忘れ!?」

「ひぃ……」

「…………」


 いつか来た輪島さんの部屋。

 俺はお泊り勉強会というのは、もっと和やかで女子会のような雰囲気で行われるものだと思っていた。


「チビ! おい! もうだめだ、中学数学からやり直せ!」

「ぐすん……」


 これは、そんな甘いものではなく「特訓」に近いものだった。

 五十嵐と長谷川さんがソフィを囲みひたすら叱咤しながら勉強を教える。ソフィは元々小さい体をさらに竦ませてカリカリと問題を解いている。そして涙目である。


「…………」


 ただ一人、学習机で黙々と問題集に打ち込む人間がいた。


「輪島さん、すごい集中力ですね」

「…………」

「あの、輪島さん――」


 俺は彼女を真面目な人間だと思っている。だから、勝手にイメージをしていたのだ。

 きっと、勉強はそれなりにできるタイプなんだろうと。


「え……」


 白紙の問題集を見るまでは。


「あの、輪島さん、もしかしてあなた」

「うぅ……」


 ああ、この人勉強できないのか。

 長谷川さんは教えている様子を見る限り優秀なのが伺える。たしか学年順位も1ケタだと聞いたことがある。


「くっ……無念」


 輪島さんの持つシャーペンの芯がパキッと折れる。

 そのまま、頭を抱えて机に突っ伏してしまった。


「わからにゃい……大橋くんタスケテ」

「1年の範囲ですら平均以下の俺が2年の範囲を教えることは……」


 俺も輪島さんもソフィも、中学時代はきっと勉強ができなかったわけじゃない。

 相楽高校は県内でもなかなか上位の進学校なんだ。この高校内で底辺なだけで、入学できた時点で世の中全体で考えれば俺たちはそれなりに……。


 自分で言ってて悲しくなってきた。

 そんな負け惜しみを言ってもテストは必ずやってくるんだ。


「長谷川さん! 輪島さんを助けてあげてください! 五十嵐! 俺を教えろ!」


 試合さながらのテンションで謎の指示を飛ばしながら、俺は教科書を広げ座り込んだ。

 俺だって五十嵐に教えてもらわなきゃ何もできないんだ。


「大橋、チビ、まとめて最初からいくぞ」

「かしこまりました!!」

「ひかりん、どこが分からないのですか?」

「何が分からないのか分からない!!」

「…………」


 勉強会というより、五十嵐と長谷川さんを講師として救済イベントが始まった――。






「さすがに狭いね……おやすみなさい」

「「おやすみなさい~」」


 パチン、と電気が消え部屋が真っ暗になる。

 5人で1つの部屋にいるため、輪島さんと長谷川さんがベッドにて2人。床で俺と五十嵐とソフィが雑魚寝をすることになった。


 これまたいつかの合宿を彷彿とさせる。

 今回は全員真面目に勉強していたこともあり、トラブルもなく安全に就寝まで時を過ごすことができた。


 横で寝ている五十嵐はもう既にイビキを掻き始めていた。のび太かよ。


「…………」


 時刻は既に深夜2時を過ぎていた。

 明日起きたらまたみんなで勉強をして、昼になったら輪島さんがご馳走してくれるらしい。あの時食べたカレーめちゃくちゃ美味しかったし、明日は何が出るのかなぁ。


 そうこう考えているうちに、全員寝息を立て始める。

 俺も寝てしまおう……。


「…………」


 瞳を閉じると、疲れからかすぐに意識が遠のいていった――。






「やべ……トイレ……」


 尿意で目が覚める。

 真っ暗であり今が何時かも分からない。


「…………みえねぇな」


 とりあえず誰にもぶつからないように慎重に体を起こし上げる。

 全員寝てるようだ。起こさないように静か立ち上がり、すり足で部屋を出る。


「ふぅ……」


 幸いトイレは部屋を出てすぐだったため、無事用を足せた。

 最近は尿意で目が覚めていかんな……俺まだ高校生だぞ?


 まだ目が慣れず、暗い部屋を恐る恐る歩く。


「うおっと……!」


 やべ、何かに躓いた。

 つま先に痺れるような痛みを感じながら俺は前方向に倒れてしまう。


「うっ……!?」


 幸い、倒れた先はベッドだった。

 あぶねぇ……。


 あれ、ベッドには2人が寝ているはずでは――


「…………ッ!?」


 倒れたまま、顔を上げると鼻が触れ合うほどの距離に輪島さんの顔があった。

 あれ? 長谷川さんは?


 ベッドの下を見ると、長谷川さんらしき金髪が下にうつ伏せで寝転がっていた。さては落ちたな。


「すぅ……ん?」

「やっべ……」


 急接近した状態のまま、輪島さんの目が開く。

 目の前に俺の顔があることに驚き、目を丸くして口をポカーンと開けている。


「ちょ、ちょちょちょ……大橋くん何!?」

「ちちち違うんです! 転んじゃって……」

「なによ……夜這いでもしに来たの~?」


 バカにするようににやにやしながら俺の額をツン、と突く。

 寝起きだからか、声が少し枯れているようだ。


「す、すぐどくんで……」


 新しい寝床を探そうと、みんなが雑魚寝しているところに目を向ける。しかし、全員豪快な寝相でぐっすり寝ており俺の入る余地はなくなっていた。


「嘘だろ……ここで寝るしかないのか」

「私は別にいいけど……変なことしちゃだめだよ~?」

「しませんよ……」


 輪島さんのベッドはシングルベッドである。

 ほぼ抱き着きあうような形でしか寝ることはできない。俺は輪島さんに背中を向けて寝転がった。


「なんでそっち向くの」

「朝起きた時に誰かに見られたらやばいからです」

「ふーん」

「…………」


 手を軽く握られる。輪島さんは俺の体に後ろから密着している。体温とわずかな吐息を首筋に感じるのだ。

 輪島さんは黙っていれば本当にアイドル級のルックスを持っているので、こんなことをされたら俺とて襲ってしまおうかと一瞬血迷うこともある。


「ヤリチンのくせに」

「うるさいですね……」

「そういう時だけ真面目なんだから」

「…………」


 消え入るような小さな声で会話を続ける。小さな溜息のあと、彼女が俺の体から離れる。

 んん、なんでそんなこと言われなきゃならないんだ。むかつくな。


「じゃあ、こうすればいいんですか」

「…………っ!?」


 俺は寝返りをうち、輪島さんを包み込んだ。ぎゅっと腕の中に押し込められた輪島さんの頭は小刻みに震えている。

 ほれみろ、いざこうしたら固まってしまうだろう。


「痛い……」

「す、すいません」


 力強く抱き締め過ぎた。輪島さんの髪からは汗臭さではなくシャンプーのほのかな香りがした。

 腕の中からヌンッと顔を出す輪島さん。


 少し乱れた髪と、大きくて丸い目が俺を上目遣いで覗く。


「…………」

「んっ……」

「!?」


 輪島さんはムッとした表情で俺に抱き着き返す。強く体が密着し、彼女の柔らかい感触や肌の滑らかな感触が伝わってくる。


「年上で遊ぶとか、生意気」

「輪島さんって、意外と二人きりの時は天邪鬼ですよね」

「うるさい……ひゃっ!?」

「ぷぷ……!」


 俺を睨む輪島さんの耳に触れる。すると、彼女は険しい表情から恍惚の表情へと変わり、ピクンと肩を震わせた。

 その変わりように思わず吹き出してしまう。


 やべ、可愛い。これはいじめたい。


「耳弱いんですか?」

「よ、弱い……から、んっ……ひゃんっ……やだ……」

「そんなにくすぐったいですか?」

「くすぐったいっていうか……あんっ、んぁっ……だめだよ大橋くんっ」


 反応の可愛らしさと、感じる表情の妖艶さに見とれ、思わず夢中で耳を触ってしまう。

 ぴくん、ぴくん、と彼女の体が小刻みに震え、俺の肩を掴む手は強くなる。


「ね、ねぇ……! も、もうだめだって――あっ、んぅ……!」


 吐息と体温が徐々に高まる。俺も脳が次第に熱を持っていくような感覚に――


「ねえ、これなに?」

「…………ッ!」


 俺としたことが、完全にスカイツリーを建設してしまったようだ。

 輪島さんが、彼女の膝に当たっているそそり立つソレを指差す。


「…………」

「大橋くん……興奮しちゃったの?」

「別に……」

「じゃあこれなに?」

「…………」


 にやり、と笑った輪島さんが膝で俺の股間をグイグイと擦るように押し付けてきた。

 ま、まずい……! 何で変なところだけ積極的なんだ! このままだと……!


「わ、輪島さん……だめですよ……!」

「大橋くんすごい汗かいてるよぉ……ぺろっ」

「うぐっ!?」


 俺の首筋をツー、と舐め上げる。

 この人本当に処女か!? 覚醒しすぎじゃないか!?


 首筋に伝うくすぐったくも温かい感触と、火照っていく体。

 悔しくなり、輪島さんの丸みを帯びたメリハリのある尻を撫でる。


「んっ……お尻はだめっ……」

「自分から責めてきたんでしょ?」

「でも、声でちゃう……みんないるから……っ!」


 普段の明るいリーダーな輪島さんの、本気で甘える姿や妖艶に感じる姿は俺の理性をぶっ飛ばすのには十分であった。

 そして、みんなが一緒の部屋で寝ているということに対する背徳感も、俺を熱くさせている理由であった。


「輪島さん……」

「しちゃうの……?」

「…………」


 膝を押し付けられ高まる快感と、何かをねだるように荒い吐息で見つめる輪島さん。

 我慢ならず俺は輪島さんの上に覆い被さり、頬に手を添えた。


「はぁ……はぁ……大橋くん、私……」


 俺はもう……。


「んにゃ……」

「「…………!?」」


 ベッドの下から声がして、俺たちは咄嗟に元の位置に戻り掛布団を被る。


「…………ソフィか」

「…………」


 ソフィが一瞬目を覚まし、立ち上がる。

 これはバレたのか!? 最初から聞いてたとか!?


「んにゃ…………」


 しかし彼女は目の焦点が合わないまま、部屋の外へと出ていきドアを開けっぱなしでトイレへ向かっていった。


「寝ぼけてるだけか」

「危なかったねぇ……」


 訪れる沈黙。

 真っ暗な部屋で、俺たちは呆然とした。


「寝ますか」

「……そうだね」


 俺たちは一瞬にして自分たちがいかに危ないことをしていたか実感し、何事もなかったかのように俺はベッドを降りた。


「大橋くんの、ばか」

「なっ……」


 それだけを言い残すと、輪島さんは布団を被ってシャットアウトしてしまった。


「…………」


 俺ものそのそと床に寝転がり、溜息を付いたあと瞼を閉じるのであった。

 なんという不貞イベント。


「疲れた……」


 更に疲れた俺が瞼を閉じた瞬間に、意識が遠のいていくのも無理はなかった――。






「おはようございます」


 時刻は10時。

 セットしたアラームが鳴り響き、俺たちは眠気眼で体を起こし始める。


「ウチまだねみぃよ……おやすみ」

「まだ寝んのかよ」

「あら、ひかりんがいませんわね」

「え?」


 ベッドに目を向けると、既に輪島さんの姿はなかった。

 床で寝転がったままの五十嵐とソフィ。そして、目をゴシゴシと擦りながら立ち上がる長谷川さん。

 朝勃ちをバレないように体育座りをしている俺。


「ん……?」


 耳を澄ますと、部屋の外から何やら物音がしている。金属と金属がぶつかるような音であったり、小刻みに何かが叩かれるような音。


 これは……。


「みんな~! ご飯できたよ~!!」


 部屋の外から輪島さんの元気のよい声が聞こえてくる。


「おお、先に起きて作ってくれてたのか」

「汗臭……なかなかの良妻スペック……」

「ほら、ひかりんが作ってくれたんだから早くリビングいきますわよ!」

「はーい」


 ぞろぞろとリビングへ向かうと、エプロンを付けて皿をテーブルに並べる輪島さんがいた。


 昨日の妖艶で淫らな姿とは180度違う、爽やかな姿で。


「はい座って~、どんどん食べちゃってね」

「輪島さん、ありがとうございます」

「……全然。大橋くんはいっぱいおかわりするんだよ~」

「そんなに食べれるか分かりませんが……」


 それぞれ席に付き、輪島さんに礼を伝えて朝食にありつき始める。

 目玉焼き、サラダ、しじみの味噌汁、生姜焼き、白米。どう考えても完璧な朝食である。


「うめぇ……」

「ふふっ、うまいもんでしょ」

「いや、輪島さんホントにすごいです……」

「まーね!」


 屈託のない笑顔。

 本当にエプロンが似合う人だな。


「…………」



 この後、めちゃくちゃおかわりした。



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