第2部

第1章 女子ボクシング部、再始動。

第31話 ~秋の空は性欲よりもナントカって言いますけど~

「ハァッ……ハッ……シッ! シッ!」

「おい! 夏の悔しさ忘れたのか!? なあ! なあ!?」

「すいませんッ……シッ、シッシッ……!」

「輪島ァ! 夏の悔しさ思い出せよ! おい! おいィッ!?」


「大橋くん、本当にうざい」

「…………」


俺と輪島ひかりは、リング上にいた。

汗で湿るキャンバスットと、熱気で曇る窓。


ミットを構えた俺が、輪島さんの必死のパンチを受け止める。そのたびに、練習場内に快音が轟く。


「あと私、一応先輩なんだけど。苗字呼び捨てはちょっとムカついた」

「すいません……つい勢いで……」

「名前呼びならいいけど……」

「え? ひかり……?」

「キャッ」


輪島さんがグローブで顔を覆った。

細長い足をモジモジと動かす。よく見るとついでにグローブの臭いを嗅いでいるようだ。本当にぬかりないね、君は。


あと早く俺の靴下返してね。

その正統派清楚系なビジュアル台無しになるから。


リング上の静寂に、練習場脇のサンドバッグを叩く音が入り込む。


「大橋ィ! つぎウチのミット持ってくれや!」

「了解だ」


サンドバッグを叩く五十嵐風音が振り返り叫ぶ。夏より少し髪が伸びていた。相変わらずのムチムチボディである。

ちなみに、夏休み中に1度だけリング上オナニーを発見してしまった。


「大橋ィ……」と目を潤ませてオナニーをしていたが俺はその記憶を頭の奥底に置くことにした。


「よし、輪島さんは終了です。ソフィのマススパーに付き合ってあげてください」

「了解だよ~」


「ソフィ! リングに上がって輪島さんとマススパーを3Rやろう!」

「……承知」


サンドバッグを叩いていた星野ソフィが手を止め、こちらへ歩いてくる。

相変わらず色白且つコンパクトな体でリングへと上がる。


青い瞳がキッと俺を見つめた。


「オーハシ……頑張ったらご褒美は?」

「は? ご褒美? まあ、いいけど……」

「ボディブロー100発と、スパンキング2時間……」

「その活力はボクシングに使ってほしいなぁ!?」


なんで照れながら目を逸らすんだよ。恥ずかしいこと言ってる自覚あるのかよ。


そういえばこの前、昼休み突然教室に来て「ケツを叩いてほしすぎて発作が起きそう」などと意味不明な供述をしており自分の教室に追い返したことがあった。


俺は絶対にもう叩かない。


「輪島さんとソフィはマススパーをしてる間、長谷川さんは筋トレですね」

「承知ですわ!」


休憩していた長谷川麗が、文字通り重い腰を上げた。

大きめの肉付きのよいお尻が床から離れた。


立ち上がると、相変わらず大きくカールした金髪と爆乳が揺れた。今日もありがとうね。


「合宿の時に柴田さんから教えてもらったメニューをやっていきましょう」

「あれ、とてもきついのですけれど……」

「これは命令です」

「わ、わかりましたわ……」


なぜか顔を赤らめていた。

多分。多分なんだけど、最近気づいたのはこの人もM疑惑があるということだ。


何かをごねた時、さっきのように強めに言い返すとモジモジしながら承諾する。

童貞筆下ろししたいんだよね? Sの心強く持てよ! そこはSであれよ!


「長谷川さんのパワーをさらに爆発的にするためです!」

「や、やりますって!」


渋々と腕を床に付いて腕立てを始める。

かんしゃ【感謝】:腕を下げ切ったところで、床に乳がスライムのように広がっていくさま。


「…………さてと、じゃあ五十嵐のミットを始めるか」

「っしゃ! いくぜ!」

「こい! ジャブ!」

「シッ……!」


――10月。


夏が完全に終わって、もう紛うことなき秋になっていた。


最初の夏が終わってから、相変わらずボクシング部はこの汗臭い練習場で汗を流していた。

そして、入部してから半年が経った。


テレビでは紅葉の様子が日々報じられていた。

なんというか、秋は世間的にも気持ち的にも少しクールダウンするような感覚になる。


しかし、次はもう新人戦が待っている。

悠長にはしていられない。


そして、俺の足と目は、微々たるものではあるが少しずつ回復へ向かっていた。


「…………」


まだ、本気でボクシングをするには気が遠くなる期間が必要だが。








「おいおい、五十嵐コーラ何杯目だよ?」

「大橋~、練習終わりの飯の時くらい見逃せよ~」

「あ、何か飲む人いる? 私ドリンクバー取ってくるよ」

「それでは、ホットティーをお願いしますわ」

「わたし、メロンソーダ」

「了解だよ~」


俺たちは練習終わり、特に理由はないもののファミレスで夜飯を食べていた。


目の前にあるチキンステーキを口に入れる。

隣に座る五十嵐はコーラをガブ飲みしながらフライドポテトを一気に10本咥えた。恐ろしい女である。


そして驚くべきはソフィであった。


「お前……大食いの人だったの……?」


普通プレートは1つでは?

大葉ハンバーグ、カルボナーラ、そしてマルゲリータピザ。


これは、シェアではなくソフィが1人で食している分である。


「なぜこれで太らない……」


長谷川さんが唇を噛み目に涙を浮かべながらソフィを睨んでいた。


「わたし、中1からずっと体重変わらない」

「ですわ……ですわ……」


謎の鳴き声を上げて長谷川さんがテーブルに突っ伏した。

ソフィ! やめてあげて! 言葉のボクシングやめて!


「はい、持ってきたよ~」

「ありがとうですわ」

「汗臭……ありがとうございます」


席に戻った輪島さんが、長くて黒い髪を耳に掛けてホットコーヒーを口に流し込む。

まだ熱いのか、唇を尖らせて少しずつコーヒーを啜る。


普段は本当に可愛い先輩なんだけどな。


「夜にコーヒー飲んだら寝れなくなるっすよ、部長」

「あー、そうだよねぇ……」


ポテトを無限に頬張りながら五十嵐が苦笑を浮かべる。

フライドポテトの皿増えてね? まだ食うの?


「でも、眠れない時はアロマ炊いてるから!」

「へー、部長なかなか女子力っすね。なんのアロマっすか?」

「へへへ……パンツをエアコンの目の前に設置して送風で匂いが舞うようにしてあるからね」

「アロマの概念とは?」


ねえ、それ誰のパンツ?

前言撤回、この人やっぱ頭おかしいわ。


「ちょっと汗臭の言うこと分かるかも……わたしも眠れない時はこんにゃくで自分の尻叩く」

「全然関連してねぇんだよ。何が分かるんだよ」

「あー、でもわたくしもちょっと分かりますわ!」

「だから何が分かるんだよ」


あ、俺も1杯目コーヒー飲んじゃったな。

最近寝付きが悪いし拍車を掛けてしまう……夕方以降のカフェインは控えよう。


「で、ミスター拳弥は眠れない時はナニをするんですの?」

「なんかイントネーションおかしいけど、別に何もしないですよ」

「オーハシは、絶対寝る前シコってる」

「いたいけな女の子がシコってるとか言うな、あのイカついパパが悲しむよ」


全員の視線が俺に集中する。そして謎なことに全員目がキラキラと輝いている。

なんなんだ一体。


「大橋くん、寝る前はシコったりするの?」

「なあ、せめてオナニーって言ってくれた方が可愛いんだが」

「じゃあオナニーするの?」

「え、なんでみんな俺を見るんですか……」


興味津々すぎるだろ。

女子高生の性への関心、恐るべし。


「いや……しますけど……」

「するってー!!」

「わーい!!」


全員が眩いばかりの笑顔でハイタッチを繰り広げている。


「昨日のオカズ発表~~~!」

「五十嵐、結果発表のテンション感やめろ。あと男同士がする話題だからねそれ」

「早く言えよ~! 誰にも言わねぇからさ!」

「好きな人カミングアウトするみたいなノリやめろ。別に普通だよ」

「え~大橋くん、普通が分からないから私たちは聞いてるんだよー?」

「……素人ナンパモノ」


最悪だ。

この高校に入学して最大の屈辱の日である。


先輩や同級生の女子に囲まれて、昨日のオカズを発表すると共に性癖が露呈する。

ああ、最悪だ。


「うっわ、大橋てめーナンパものかよ! クラスメイトから、お前が女遊び激しいって噂聞いてたけどリアルでもAVでもナンパしてんのかよ~!」

「いや、女遊びは入学当初だけでの気の迷いで……」

「最低! 大橋くん最低!」

「だからいきなりあんな距離を詰めてきたのですね……」

「オーハシはSMを見ると信じてた……失望」


ああ、最悪だ。

1人だけなんか失望の仕方が違う気がしたけど、最悪だ。


「「「「で、どの女オカズにしたの?」」」」


全員の声が揃う。そして俺を鋭く睨んでいた。


「もう、勘弁してください……」


女心と秋の空、とは言いますけど。

みんなの性欲は、秋の空よりも移り気が激しいみたいですね。


ソフィ、SMもたまに見るよ。








「そんじゃ、明日の土曜練も頑張りましょ~」


ファミレスの外で、輪島さんが元気よく拳を突き上げた。


「おー……」


俺しか返事をしていなかった。

なんでコイツらは性癖だけはベラベラ話すのに、こういうノリは気恥ずかしそうに無視するんだよ。


金曜日の21時。

飲み歩くサラリーマンや遊び歩く若者で喧騒としている。


「五十嵐、お前食いすぎだから明日はフィジカルトレーニングがっつりいくぞ」

「はぁ!? ふざけんなよ!」

「てことで、食事制限とジュース禁止な」

「じゃあコーラ!!」

「さっき死ぬほど飲んでただろうが」


五十嵐がカバンを俺の背中にスパーキングした。痛い。


「家遠いから、オーハシの家泊まっていい?」

「ダメだよ。お前ケツ出すもん」


呆れた俺は駅へと先に歩き出した。


「さっさと帰りましょう。明日はがっつり練習しますよー」

「ふぇぇぇ」


全員がうなだれるのを横目で確認して、俺は思わず笑みがこぼれる。


「…………」


嫌がりながらも、あの夏の大会以降、みんなボクシングに本当の意味で向き合い始めたと思う。


悔しさや、本気になることや、色んな感情をあの大会で知った。

それは、俺含めてだ。


新人戦もあるし、それが終わったら来年、輪島さんと長谷川さんは最後の夏を迎える。


「俺も、もっと勉強しないとな……」



俺は。



この変態共と、今度こそ日本一になってやる――。



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