第29話 ~本選編③ ウチ、もう言い訳しないよ~

「今日はよろしくね~、贅肉ギャル女ちゃん」

「チッ……」


 準決勝の日。

 五十嵐VS八重樫の準決勝まであと何試合かというところだった。


 会場でスタンバイし、試合を見つつこれからのことを話し合っていた。しかし、例の女は自ら姿を現したのだ。


「え、まって好き。やっぱ今日見てもかっこいいです。付き合ってください」

「あの……からかってます?」


 五十嵐から目を逸らし、俺に熱烈な視線を送ってくる。

 目がハートマークだよ! こんな古典的なのってある!?


 フフン、と不敵な笑みを浮かべるとそのピンクがかった赤髪を指で回した。

 こいつ、本当に高校1年だよな? どっかの飲み屋さんの女の子とかじゃないよね?


「おい八重樫てめぇ、マジでぶっ殺すぞ!」

「あらあら、スポーツマンシップが欠如してるわね。癇癪贅肉セットさん」

「セット売りしてんじゃねぇよビッチ! くそ、気分わりぃ!」

「はーん……なるほどなるほど」


 何かを悟ったように、八重樫が鼻で笑った。そして、再び俺を妖艶な目つきで舐めるように見ていた。


「贅肉ギャル女って、大橋きゅんのこと好きなんでしょ」

「えっ……!」


 五十嵐の肩が大きく跳ね、その直後、硬直した。瞳孔開いてるよ。瞳孔が。

 次第にその顔は赤く染めあがっていく。


「はぁっ!? 八重樫てめー適当なこと言ってんじゃねぇよ!」

「へー、あんたも男にケツ振ってメスの顔するもんなのね~」

「は? してねーし! 別に何でもねーし!」


 なんだろう。

 五十嵐の言い訳ひとつひとつが、思春期の中学生男子の声で脳内再生される。


 みるみるうちにゆでだこのように顔が真っ赤になる五十嵐と、にやけながら俺と五十嵐を交互に見る八重樫。

 何だこの空間は……早く試合始まってくれよ。


「な、なあ大橋。ウチらってさ、別にそういうのじゃないもんな……?」


 なんだよその上目遣いは。メスの顔しちゃってるよ!

 しかし、ここで「実は1回、そういうことがありまして……」とか口走ったら面倒なことになる。ここは、記憶を押し殺して場を落ち着けよう。


「ああ、全然違う」

「そ、そうだよね……うん、わかってる……」


 めっちゃ落ち込んでる!?

 何が正解なの?


「…………」


「ねえ、大橋きゅん?」

「は、はい……」

「大橋きゅんってどこの宿に泊まってるの?」

「あ、宿はちょっと遠くてな。説明するのは面倒だな」

「え! じゃあさ、あたしのとこ個室だから……」


 八重樫の細くて長い指が、俺の唇に触れた。


「今日の夜……お・い・で……?」

「なぬっ!?」

「おい大橋! なんですぐに断れらねーんだよ!?」

「別にワンナイトでもいいのよ……? そのあと多分、逆にあたしを求めちゃうことになるけど……」

「新しい人種が到来したな」

「ぐぬぬ……!!」


 リアルな「ぐぬぬ」を俺は初めて聞いた。グローブを涙目で噛んでいる。対する八重樫は相変わらず含みのある笑みを浮かべていた。


「さてと、あたしもアップしなきゃだから……挨拶はこれくらいにしておくわね」

「さっさと去れや!」

「負け犬はよく吠えるわね。あ、大橋きゅん」

「今度はなんですか」

「言い忘れてたことがあったんだけど……」

「…………?」


 八重樫の手が、俺の頬に触れた。

 え?


 しかし、すぐにその手を引き、彼女は深く頭を下げた。


「付き合ってください!!」

「いや初っ端で聞いたわ!」


 五十嵐のことを見ることもなく、踵を返しどこかへと消えてしまった。

 嵐のような女だな。


「ねえ、大橋……」

「ん?」


 珍しく震えた小さな声だった。


「大橋は……八重樫と付き合ったり、しないよね……?」


 どうしたお前。目に涙を溜めるな。


「付き合うわけねぇだろ……勘弁してくれ」

「だ、だよな」


「ウチ、今日絶対勝つからよ。あんなビッチに負けっぱなしじゃいられねぇよ」

「ああ、絶対にここを突破しよう」


 五十嵐の目に、炎が宿った――。





「赤コーナー、神奈川、相楽高校……五十嵐選手」


「大暴れしてやれ」

「言われなくても、ぶっとばしてやんよ」


 自らの頬をパシンを強く叩き、五十嵐がリングインした。準決勝ともなると、両校の応援以外にも観衆がズラリと押し寄せていた。


「青コーナー、東京、聖ヴェントリック学院……八重樫選手」


「2度あることは、3度あるわよ」


 逆サイドから八重樫がリングイン。何度かジャンプをしたあと、笑みを浮かべながら五十嵐を見つめた。レフェリーが2人を中央に向かい合わせる。


「…………」

「ねえねえ、あんた大橋きゅんに告白したことある?」

「あ? ねーよ」

「はぁ……恋愛もボクシングも、詰めが甘いのよ。正直、全部中途半端」

「っせぇな……やれば分かんだろうが……!」

「あんたの決め手に欠けるボクシングじゃ、あたしには一生勝てないわよ」


「ちょっと、君たち会話するのをやめなさい。注意事項を説明するよ」

「…………」


 実は、その会話は聞こえていた。

 決めてに欠ける、か。


 たしかに五十嵐のボクシングはハイレベルだが、良い意味でも悪い意味でも「アマチュアボクシングにおける高ポイント獲得マニュアル」を具現化したようなボクシングだ。

 元が真面目な性格だから、インファイトではあれど大きな賭けに出たりは基本しない。それが正しいといえば正しいのだが。実際にそのスタンスでここまできているし。


 そうこう考えているうちに、注意事項説明が終わり2人がニュートラルコーナーでグローブを構えた。

 山場だぞ……五十嵐……。


「ファイッ!」


 ゴングと同時に、会場が騒然とした。


「早い……ッ!」


 先手は八重樫だった。

 ゴングが鳴るなり、一気に前へと踏み出した。


「シッ……シッシッ!!」


 今大会見た中で最もスピードのあるジャブを3、4発と五十嵐もグローブ上を叩いた。これは意味のない弱攻撃ではない。八重樫はジャブを打ちながら素早いステップで五十嵐を回り込み既に死角へと潜り込んでいた。


「うっ……!」


 潜り込みながらの鋭いボディストレート。腹部を真っすぐに、力強く刺される。そして、ボディストレートを放ったという認識をした時には五十嵐の顎を左アッパーが捉えていた。


「まずい、五十嵐! 中で勝負しろ!」


 身長は断然八重樫の方が高い。しかもスピードも想像以上、潜り込んで中からダメージを負わせるしかない。


「…………ッ!」


 ガードを固める五十嵐、再度降り注ぐコンビネーションを喰らいつつも、なんとか近距離に持ち込み数発を打ち込む。

 ジャブ、右フック、左ボディ、と散らしてパンチは打てている。


 一度、距離が生まれる。すぐに八重樫が一歩踏み出し、ジャブを――。


「ボディジャブか……!」


 ボディへとジャブを放つ。咄嗟に五十嵐が膝を落とし、右ひじでそのボディジャブを弾いた。

 ジャブが弾かれると、八重樫はまたすぐに距離を取る。


 ボディジャブの目的は攻撃ではない。

 フェイントのつもりでもあったのだろうが、恐らく五十嵐のディフェンスのスタイルを再確認したのだろう。ボディにジャブを打つのは相手へのダメージがない割に恐怖感やリスクを伴う。推測ではあるが意味のある動作のはずだ。


 五十嵐はコンパクトな動きができる。また、ボディに対しては最小限の動きで対処できる。八重樫、お前も見た目に反してなかなか考えながらボクシングしてるじゃねぇか。


「シッ!」

「…………ッ!」


 スピード感のある八重樫に、五十嵐が喰らいついていた。劣勢というほどではない、ただ、少し八重樫が押しているというだけだ。


「…………」


 にしても、変わった構え方だな。

 どこかで見覚えのあるような……ガードも低いし、特に右手の位置はボクシングにしては非常に低い。


 そしてパンチというよりは力強い「突き」と言い表した方がしっくりくる。何かベースがあるのか?


 1ラウンド目は、ほぼ互角の争いだった。

 五十嵐もレパートリーは豊富だ。予選の時や1回戦~準々決勝のようなスムーズな進みではないがポイントはそれほど不利というわけではないだろう。


 しかし、見る分には、八重樫のスピードが速すぎて「攻撃をしている感」は軍配が上がりそうだ。


「五十嵐! 新しいものをどんどん出していけ!」


 2度、負けている。これまでと同じやり方が敵わないはず。





「ファイッ!」


 状況が変わらないまま、1ラウンド、2ラウンドと経過し、ついに最終ラウンドのゴングが鳴った。


「…………」


 1~2ラウンドと圧倒的に違うのは、八重樫の様子である。


「はぁっ……はぁっ……!」


 肩が大きく揺れている。

 こいつ……。


「スタミナは無いってタチか……!」


 光が見えた。

 消耗した体に、ガゼルパンチなど鋭く刺さるパンチが決まれば動きを止めることができる。


「シッ……!」


 しかし、八重樫の反射神経はなかなかのものだ。ガードは低いものの、回避とカウンターはぬかりなく素早い対処。あんなに着飾った見た目をしている割には、サルのようというか、野性的というか。


 再び、素早いジャブが連続で打ち込まれた。初っ端と同じ攻撃だ。

 最後に、またボディストレートか? いや、違う――


「五十嵐!」

「シッ!」


 顔面へストレートが突き進む。五十嵐は身を大きく屈め、鋭くガゼルパンチを八重樫に浴びせた。


「よし! ナイスだ!」

「――ッ!」


 さすがに八重樫も顎が上がった。隙を狙って、五十嵐が連打を叩きこむ。


「えっ……?」


 しかし、連打でこれから決めに行こうという時。

 俺は思わず驚愕の声を漏らした。


「…………っ」


 八重樫の右足がフワッと浮いた。

 いや、左足ももはや少し浮いていた、と思う。


 宙に浮いた八重樫は、前方にジャンプしながらその右拳を大きく振り下ろした。


「ぐっ――!?」


 五十嵐の額を捉える。動揺とダメージが押し寄せてガードの腕がダラリと下がる。


 ――スーパーマン・パンチ。


 大きく勢いを付けて、踏ん張るはずの後ろ足を浮かせた状態でパンチを叩きつける。

 しかし、ボクシングでこれをやるやつはなかなか見たことがないぞ……。


 隙を突いて連打を浴びせられ、コーナーに追い詰められる。

 これは突然出されたらダメージより驚きで動きが止まってしまうそうな必殺技だ。


 こんなリスクの高い攻撃を最終ラウンドで出せるこいつのメンタルはどうなってやがるんだ。


「五十嵐! 落ち着け! 意表を突いただけだ!」

「…………!」


 ガードを固め防戦に走った五十嵐が我に返る。ジャブで距離を取り、なんとか回り込んだ。


 よし、今度は八重樫をコーナーに追い詰めた。肩で息をしている八重樫の口は既に開いていた。


「いけ! 浴びせろ!」


 チャンスだ。ローブにバウンドした八重樫にお構いなくパンチを打ち込んでいく。スタミナでは五十嵐が有利だ。回避も少し遅くなった八重樫は有効打を何度も喰らう。


「五十嵐! 残り10秒だッ!」

「負けっぱなしで……いられっかよ……ッ!!」


 イケる……!


 殴る。殴る。殴る。

 八重樫も何とかカウンターを打って凌ぐが、五十嵐の気迫に、もう前へは出れずにいた。


「これは……!」


 五十嵐が右ストレートを大きく振りかぶったところで、ゴングが鳴り響いた。


「ふっ……少しは強くなったんじゃない」

「…………」


 八重樫がガードを下ろして口角を上げた。五十嵐は無言でリング中央へと歩き出す。


「…………」


 レフェリーが二人の腕を掴む。


「判定の結果をお知らせします……10対9」



「青、聖ヴェントリック学院……八重樫選手」

「は……?」


 レフェリーは、八重樫の腕を勢いよく掲げた。相手校の嬉々とした声が響き渡った。


 負けた……?


「…………」


 五十嵐が下を俯いたまま、こちらへと帰ってくる。


「五十嵐、あれはお前の勝ちでもおかしくない……正直判定には少し疑問だ!」


 五十嵐のグローブとヘッドギアを外し、マウスピースを取り出す。頭にタオルを被せ、リングから降りた五十嵐の肩を掴んだ。


「なあ、五十嵐……お前は自信を持っていい! 判定は残念だが、内容としては……!」

「…………」


 判定にダラダラ文句を垂れるなんてダサいに決まっている。

 たしかに僅差だった。しかし、判定は取ったと思った。


「五十嵐――」

「大橋、大丈夫だよ」

「…………?」


 五十嵐が頭に乗ったタオルを取った。

 そして、顔を上げる。


「…………!」


 彼女の顔は、眉を顰めて文句を垂れる俺なんかより。


「ウチ、もう言い訳しないよ」


 誰よりも、凛としてて。

 整然としてて。


「五十嵐……!」


「はは……しゃーねーよな」


 大きな何かを得られたような。


 そんな。


 晴れやかで清々とした顔だった――。






「よし、宿に帰ろう」


 会場の入り口に、相楽高校女子ボクシング部の面々は立っていた。

 全員が、会場に佇むリングを見つめていた。


「…………」


 思えば。


 ソフィも、初心者で1回戦勝っちゃったりして会場を沸かせてくれたな。2回戦は仕方ないが、こいつの打たれ強さはボクサーとして成長の余地しかない。

 親を、あんなやり方ではあるが説得してボクシングをやってよかった、と思って貰えてるかな。


 長谷川さんは、よくぞインハイ出場まで漕ぎつけた。あのブンブン丸っぷりは、まだ改善の余地はあるがパワーは全国でも通用する。

 あとは、気持ちと戦い方を覚えればきっと、来年またここに……。絶対に、もう1度主役になろう。


 輪島さんはの予選決勝で見せた意地を絶対に忘れない。あの試合は、俺にサポーターとして大事なことを教えてくれた。憧れだった五十嵐と、あそこまで戦えたんだ。

 きっと、輪島さんはもう立派な強いお姉ちゃんだ。来年は必ずここで戦おう。


 五十嵐は、プレッシャーと戦って、自分が挫折したその原因に、思い切りぶつかることができた。間違いなくトップクラスの実力だ。大丈夫だ、まだ2年ある。

 こいつは、絶対に最後は全国制覇で締め括る。八重樫を絶対に倒そうな。


「…………」


 入口の外から差す夕日の橙色が、俺たちの肌をくすませていた。


「……なんだかんだ、八重樫も負けちまったなぁ」

「そうだな……壁がまだあるってことだな」


 あのあと、八重樫は決勝戦で1ラウンドTKO負けを喫した。

 あれだけハイレベルなボクシングを見せた彼女が、一瞬にして崩れ落ちた。インハイには、思いもよらぬバケモノがいる。


「ねえねえ、焼き肉いこうよ~!」

汗臭あせしゅう……それはあり」

「ソフィちゃん私のこと汗臭あせしゅうって呼んでたの!?」


「たしかにウチも腹が減り続けてるわ~、死ぬほど焼き肉食おーぜ!」

「もしかして、ミスター拳弥の奢りですの?」

「あんたがそれを言うか」

「やったー! おいみんな、大橋の奢りだってよ!」

「人の金で食う焼き肉……至高……」


 笑い飛ばしながら、その会場を後にする。

 夕日がさらに橙色の光を俺たちに浴びせた。


「大橋くん!」

「どうしました?」

「来年は、全員でまたここにこようねっ!」

「…………」


 この変態共と出会って、ボクシングにもう1度向き合って。


 思えば、一瞬の出来事のようだった。


「もちろんです――」




 ――俺たちにとって、初めての夏が終わる。



 天才ボクサーと呼ばれた俺が、変態しかいないボクシング部でこんな青春をすることになるとは。


 分からないもんだ。



 人生、変わっちまったな。



 俺らの間を通り抜けた涼しい風が、夏の終わりを告げるように吹き込んだ――。


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