第23話 ~予選編② 相楽高校女子ボクシング部、ダークホースとなる~

「ぐっ、はぁっ……はぁっ……うぅっ……!!」


 2回戦2ラウンド目。

 ソフィの相手は昨年準優勝者。


 いや、ここまで持ったことがむしろ十分だ。

 ソフィの攻撃はほとんど当たっていない。上背のある細身の相手に上から振り下ろすパンチが命中する。


 ガードする頭が思わずガクッと下がる。


「チビ! 周り込め、立ち止まるな!」


 五十嵐が拳を握って声を張り上げる。

 俺も固唾を飲んで見守る。


「シッ!」

「ぐっ!?」


 強烈な右フックがソフィの頬を突き刺す。

 顔が横に逸れ、相手のプレッシャーに思わず後ずさる。


 しかし、その背後はロープ。

 ロープにバウンドした体はパンチの挟み撃ちになる。


 1発、2発――


「…………ッ!!」


 刹那、ソフィと相手の間にタオルが投げ込まれた。

 タオルがリングに落ちる前に、投げた五十嵐がリング上に駆け上がっていた。


 咄嗟に間に入るレフェリーと、響き渡るゴング。


 そのままキャンバスマットにへたり込むソフィ。

 相手は余裕の表情でリング中央へと歩いた。


 2ラウンドTKO負け。

 これは圧倒的敗北だ。


「…………痛い」


 ゆっくりと起き上がろうとするソフィを、五十嵐が強く抱き締めた。


「チビィ、チビィ……ッ!」

「お前はよくやったよ……!」

「え、泣いてる」


 無表情で立ち上がるソフィの足にしがみ付いて嗚咽を漏らす五十嵐がいた。


「なにやってんだあいつ……」

「風音ちゃん、自分よりソフィちゃんの方が熱入ってるよね」

「あれは典型的ジャイアンの法則ですわ……」


 謎の光景を眺めて俺たちはそれぞれ呟いた。

 汗を拭ってグローブを外しながらリングを降りていくソフィと涙を拭いながら肩を支える五十嵐。


 どっちが試合してたんだか分かんねーな、こりゃ。


 ソフィはよくやった、と思う。

 本来、1対1で殴り合う上で相手が自分より強いと分かっているのは絶対的恐怖だ。


 1ラウンド目から滅多打ちにされて、2ラウンド目まで何とか凌いだコイツはやはり打たれ強い。

 しかし……。


「怪我してないか、心配だな」


 俺も急いで控室へと走った――。







「赤コーナー……相楽高校、長谷川選手」


 ここにきてようやく、ライトウェルター級の2回戦が始まった。

 前回はシードで試合がなかったため、長谷川さんにとってこれが初戦となる。


「長谷川さん、焦って大振りで振り回すとせっかくの一撃必殺が早々にバレてしまいます」

「もし、相手が序盤から押してくるようなら出し惜しみはできませんが……」

「承知ですわ」

「落ち着いてますね、去年の新人戦はどこまでいったんですか?」

「ベスト8ですわ」

「え?」


 この人、もしかして試合強いタイプ?


 インハイに出たのは3年生が1人と聞いていたが、長谷川さんもなかなか良い戦績じゃないか。


 ――ゴングが鳴り響いた。

 体格は、相手が少し小さいくらい。


 長谷川さんの爆乳、じゃなくてサイズ感は十分プレッシャーを与える。

 てかユニフォーム、パツパツだ……グローブ4つあるのか?


「……ッ!」


 相手が距離を置きつつ、パシパシとジャブを当てていく。

 開始早々は相手の方が動き回っていて手数が多いイメージだ。


「長谷川さん!自分からも手を出して!」


 狙いすぎもよくない。

 サウスポーはやりづらいだろうから、軽い攻撃でけん制していくべきだ。


 長谷川さんが大きな動きで回避をするたびに乳も大きく揺れる。

 これ背負ってボクシングするのも大変だな。


 長谷川さんが前に出て、相手が下がりつつ軽い攻撃を当てる。

 そんな構図が1ラウンド中盤まで続いた。


「長谷川さん! このままだとポイントが――え?」


 相手の右フックは長谷川さんの頭上を通過した。

 潜り抜け、彼女の左拳は相手のこめかみへと突き刺さる。


 鈍い音を上げ、相手選手が振りぬかれた方向に一直線に倒れていく。


 力強く振り切った左腕が空を切る。

 キャンバスマットに頭が叩きつけられ、急ぐようにゴングが鳴り響く。


「嘘だろ……!?」

「やりましたわっ!」


 満面の笑みで振り返った彼女が唖然とする俺にウインクをする。

 刹那、相手高校のセコンドが急ぎ足で倒れた選手に駆け寄る。


 会場がどよめく。


 ――失神KOだ。


「麗ちゃんすごーい!!」

「魅せてくれるぜ!」


 後ろの方から2人の声が聞こえる。

 レフェリーに腕を掲げられ、笑顔のまま彼女がリングサイドに戻ってくる。


「長谷川さん……あんた……」

「さすがにたまたまですわね」


 ヘッドギアを外してあげると、髪が汗で肌に張り付いた彼女が苦笑を浮かべた。

 口から取り出されたマウスピースが糸を引いた。


「1ラウンドKOは初めてですわ」

「いや、すげぇわ……」


 長谷川さんは胸をドン、と叩いた。

 湿った胸が上下に揺れ動く。


 ――プロみたいな戦い方だ。


 この人は、上手さ以前に魅せるボクシングができるプロ向けのボクサーだ。

 大したもんだよ……。







「くるんくるん爆乳、KO量産……すごい」


 控室のマットで横になっているソフィが小さな声で呟いた。


「たまたまですわ……」


 ふふ、と静かに笑う。


 数日後。

 インハイ予選が中盤に差し掛かった。


 ソフィ以外はまだ生き残っている。

 控室でそれぞれ弁当を貪っていた。


 あの長谷川さんの初戦から数日が経ち、彼女はKO勝利で3回戦を突破していた。

 ここまですべてKO勝利という異例な勝ち進み方だ。


「トーナメントを確認しましょうか」


 俺がテーブルの上にトーナメント表を叩き出す。

 全員が頬を膨らませながら紙に顔を近づけた。


「まず、輪島さん。準決勝の相手は今までより明らかに強いです、インハイ常連校の選手なので」

「うん……!」


 輪島さんは、奇跡が起きたのかあの1回戦から勝ち進み、次が準決勝というところまで上り詰めていた。

 ギリギリの判定勝利を繰り返し、火事場の馬鹿力でなんとか生き残っていた。


 たしかに負けることを考えるわけはないが、正直ここまで来れるとは思っていなかった。

 おそらく、この期間で最も成長したのは彼女で間違いないだろう。


「準決勝は明日ですね。五十嵐の準決勝の次になります」


 そして、五十嵐も難なく勝ち進み準決勝まで駒を進めていた。

 時折、危ない場面も見受けられたが、1年生でここまで強さを見せつけていることは彼女がこの大会で目立ちつつある理由である。


「五十嵐も油断はするな。次の相手は無名校だが個人的にはインハイ出場経験がある」

「おうよ」


 白米を口に放り入れて、頬を膨らませながら答える。

 手は抜いてないと思うんだが、なんとなく緊張感が伝わらないな。


「五十嵐、やっぱ何か気になることがあるのか?」

「あ? ねーってば、その質問この前もそうだけど何なんだ?」

「エセギャル、合宿でオーハシにちゅーしようとしたこと後悔してるんじゃない」

「――ッ!?」


 横からソフィの抑揚のない声が聞こえた。

 俺も思わず声が出たが、それよりも五十嵐が目を見開いて固まっていた。


「は? ちちちちちちちゅー? 何のことだよ?」


 すっごい早口。


「合宿中、酔っ払ってオーハシにキスせがんでた。覚えてないの?」

「はぁっ!? ウチそんなことしてねーよ!!」

「いや、してましたわよ。あの時みたいにちゅーして? と仰っておりましたが」

「はぇ……?」


 目を見開いた五十嵐の顔が、徐々に真っ赤に染まっていく。

 こいつ、やっぱ覚えてなかったのかよ。


「あの時……みたいに……」


 放心状態でブツブツと呟いていた。

 なんで今その話出すんだよ!ソフィと長谷川さんワルいやつらだな!


「ななななんもしてねーから! ざけんなよ! な、なんなんだよ……」


 下を俯くも、唇と結びながらチラッと俺のことを見る。

 見ても何も助けられねーよ。


「コホン、じゃあ本題に戻るぞ」


 五十嵐すまん、お前は置いていく。


「ソフィは俺と一緒にサポートを手伝ってほしい。長谷川さんは明日の準々決勝を何とか勝ちましょう」

「頑張りますわ」


 ソフィは2回戦敗退だが、

 輪島さん、五十嵐は準決勝。

 長谷川さんは準々決勝。


 俺たちの夏は成功の予感に期待が膨らんでいた。

 偶然かもしれない、が。


 明らかに相楽高校はダークホースと呼ばれ始めていた。



「輪島さん」

「ん~?」

「合宿で練習した、あのスタイルを次からはやってみましょう」

「う、うん……わかったよ」


 輪島さんの顔が強張る。

 ここまで来ると、相手も自陣の情報をある程度集めてくるはずだ。


 超無名校のウチはまだ情報が知られていない方だが、この大会中の勝ち方や戦法は把握されている。

 それに、正直いって輪島さんが準決勝まで駒を進めるのはとんだ大番狂わせだ。

 ここからは単純にボクシングのテクニック的に抜け目のない相手が襲い掛かってくる。


「ここからは、一筋縄じゃいきませんよ」

「絶対、決勝まで行ってみせるよ」

「…………」


 大丈夫! リラックスしていけよ! と声を掛けられないのは俺の幼稚さだろうか。

 どうしても勝ちたいという執念が、俺にも輪島さんにもあったと思う。


 俺たちの会話を、五十嵐が浮かない表情で聞いていた。


「ウチも……次を勝ったら決勝だ」

「ああ、そうだな。五十嵐はオーソドックスな戦い方で弱点が少ないから、情報が漏れてもある程度戦えると思う」

「おう、任せろ」


 グローブを見つめながら、静かに笑った。



 徐々に、このボクシング部に緊張感が走り始めていた――。



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