第5章 インターハイ開幕

第22話 ~予選編① お前ら、性欲以外もちゃんと強くなってるじゃねぇか~

「いいか、チビ。緊張すると思うけど、焦るんじゃねーぞ」

「わ、わかった……」


 殺風景な控室にて、五十嵐がソフィのヘッドギアをきつく締めた。


「ソフィ、ラッキーなことに相手も1年生だ。俺の調べだとキャリアはソフィと変わらない」

「そ、そうなんだ」


 まもなくソフィのデビュー戦が始まる。

 こいつは陸上という瞬間的な一発勝負の世界でそれなりのところまで行っている。


 プレッシャーには強いタイプ、だと信じたい。


「五十嵐も、たのんだぞ」

「ああ、任せろ! まあチビに勝って貰わなきゃ意味ねーけどな!」

「チビ言うな……エセギャル」


 シードの長谷川さんと除いて、今日は3人全員試合がある。

 ソフィの時のみ、勉強のためにもセコンドは五十嵐が付いてくれることになった。


 そのあとの五十嵐と輪島さんの試合は俺がセコンドに付く。


「ソフィちゃん、ふぁいとだよ!」

「あ、ありがとうございます」


 控室の脇には、早くもウォーミングアップを始めている輪島さん。

 長谷川さんは会場で進行状況を見てくれている。


 刹那、俺の携帯電話が振動する。


「もしもし、ミスター拳弥……もうスタンバイした方がよろしいですわよ」

「了解です、ありがとうございます」


 座って深呼吸するソフィと目を合わせる。


「オーハシ……」

「ソフィ、試合の直前からは五十嵐の指示に従ってくれ。いま俺から言えることは……」


「ボディブローを喜んで喰らえるのはお前だけだ。楽しんでこい」






「…………」


 会場の観覧ゾーンから、リング脇に立つソフィと五十嵐を見つめる。

 五十嵐が何やらソフィに語り掛けている。


 ソフィも思ったより落ち着いた様子だ。

 五十嵐なんて「かませよチビ!!」とか言って背中を叩きそうだが、意外と冷静にアドバイスをしているようだ。


「かませよチビ!!」

「うっ」


 前言撤回。背中叩きましたあの人。


「ピン級1回戦第1試合を行います……赤コーナー、兵南高校、原田選手~……」


 応援の声と共に、赤いグローブを付けた選手がロープを潜る。

 ソフィよりひと回り大きい。というよりソフィが小さすぎるだけなんだが。

 相手も緊張しているが気は強そうな面をしている。


「青コーナー、相楽高校……星野選手~」

「きたぞ」


 笑顔の五十嵐に再度背中を叩かれて、ソフィが青いグローブを付けてロープを潜る。

 互いがリング中央にて向き合う。


 原田、と呼ばれた選手がソフィを見下ろす。

 ソフィは相変わらずの無表情で見上げている。


 レフェリーの声と共に、グローブを合わせ礼をする。

 すぐにお互いニュートラルコーナーへ戻り肩を回す。


「ファイッ!」


 会場内にゴングが鳴り響いた。


 ゴングと同時に、原田が一目散にソフィへ襲い掛かる。

 開始早々、物凄い勢いでパンチを連打し始める。


 ソフィはガードを固め、後ろに下がりつつもパンチを受ける。


「すごい勢いですわね……!」

「こりゃ、典型的なブンブン丸だ……」


 隣に座る長谷川さんが拳を握る。


 相手も緊張しているのか、とにかくガムシャラに大振りのパンチを繰り出す。

 初心者同士の試合ならブンブン丸の応酬になるのはよくあることだ。


「チビ!お前は落ち着け!足使えよ、足!!」


 五十嵐の声が響く。

 一瞬、ソフィもたじろいだが、何とかちょこちょこと動き回り大振りパンチを回避し始める。


 いいぞ、ソフィ。

 相手がリーチもガタイもひと周り大きい時は、絶対に中途半端な距離を取るな。

 自分は届かないのに相手が届くという最悪の距離感だけは取るなよ。


 離れるか、中に入って連打するか。小さい選手の戦い方はこれが有効だ。






 ――試合が最終の3ラウンド目に入ると、相手のスタミナは明らかに消耗していた。


 まだ避ける技術は未熟ゆえ、なんとかガードを固めて上から振り下ろされるパンチを耐えしのぐ。

 相手が連打を繰り返し消耗する反面、ソフィにはまだ余裕があった。


「陸上で鍛えたスタミナと、ドMで培った打たれ強さ……逸材だな」

「ソフィちゃん、あれで体格に恵まれてたら最恐だったよね」


 俺の言葉につられて、輪島さんがポツリと呟く。


「チビ!今を逃すな!いっけぇぇぇぇぇっ!!」

「…………ッ!」


 五十嵐のドでかい声にソフィが反応した。

 大振りのパンチをかわし、相手の体制が一瞬ぐらついた。


「ふっ……!!」


 リングに汗を垂らすソフィが、一気に間合いを詰め、左アッパーを繰り出す。


「ぐっ!?」


 ヒット。顎が上がった。

 今しかない!


「チビ!止まるな!」


 顎が浮いた瞬間、ソフィの右ストレートが浮いた顎へと下から直撃する。

 隙を狙って潜り込む、できてるじゃねぇか。


「シッ!シッ……シッ!!」


 まだ細かい打ち分けはできていないが、がむしゃらに左、右、と顔面にパンチを連打し続ける。

 本来はボディへの攻撃も散らしてほしいところだが、きっと今はそこまで冷静じゃないはずだ。


「チビ!いけぇぇぇぇぇぇッ!!」


 相手は腕が下がりパンチをもろに受けている。

 後ずさりガードもまともにできていない、ということは。


 よし、これは――


「よっしゃあああああ!!」


 大きく腕を振って両者の間に入り込むレフェリー、響き渡るゴング、そして五十嵐の大声。


 思わず小さくガッツポーズを取るソフィ。

 さすがに消耗したのか、大きく肩を揺らしている。


 すぐに五十嵐がリング上へ駆け上り、ソフィの頭をわしゃわしゃと撫でる。

 それを無視して五十嵐の片手に持たれていた水を奪い取りガブ飲みした。


「ソフィ……勝っちまった」

「すごい!すごいよ!ソフィちゃんまだ初めてすぐなのに!」

「まさかTKOで勝つとは驚愕ですわね……」


 バタバタと騒がしく喜ぶ輪島さんの隣で長谷川さんが唖然としていた。

 あんなに小さい子がTKO勝利とは…観覧やリング脇の人々も拍手を送っていた。


「会場、沸いてるな……1回戦なのに」


 リング脇では、満面の笑みでソフィを抱きしめながら頭を撫で続ける五十嵐がいた。

 相変わらずソフィはジト目で無表情だが。


 あいつ、本当はソフィ大好きだろ。


 ソフィと五十嵐がリングを離れたことを確認し、俺たちも急いで控室へと向かった――。







 ――鳴り響くゴングの音。

 3ラウンド目が終わり、判定結果が発表される。


「10対8、五十嵐選手……判定の結果、相楽高校、五十嵐選手の勝利です」


 レフェリーに手を掲げられている五十嵐が、余裕の表情で立っていた。


「さすが、上手いな」

「あったりめーだろ!舐めんな!」


 セコンドとして付いていた俺は彼女に水とタオルを差し出す。

 特に疲れを見せるわけでもなく颯爽とリングから降りて行った。


「なあ大橋、このあとすぐ部長だろ~?」

「ああ、次の次だね」

「そっか。ウチはチビや部長の試合のが緊張するぜ」


 やれやれ、と手を広げて五十嵐が苦笑を浮かべる。


「ほら、マウスピース」

「あ、さんきゅ……んっ」


 五十嵐の口からマウスピースを取り出す。

 白いマウスピースが唾液の糸を引いてタオルの中へと納められる。


 今はこいつに聞かなきゃならないことがある。


「なあ、五十嵐」

「あん?」

「お前……動き悪くねぇか?」

「…………?」


 確かにこいつはテクニカルなボクシングを披露して、判定では圧倒的な勝利を収めた。

 だが、今回は相手がそもそも弱い。


 欲を言えば、コイツの能力ならもっと圧倒できた気がするが。

 なにかと凡ミスがちらほた見受けられた気がする。


「んだよ、勝ったんだからおめでとうくらい言えよ」

「ああ、ごめん。おめでとう……だが、何か気にしてることでもあるのか?」

「っせーな、何もねーよ……ただちょっと油断しただけだよ」

「そ、そうか」


 しばらくの沈黙の後、五十嵐が笑顔で口を開いた。


「ほら、控室戻るぞ! 部長のアップ手伝おうぜ」

「あ、ああ……」


 何かがおかしい、そんな気がした。







「青コーナー、相楽高校……輪島選手」


「輪島さん、相手は去年のベスト8です。身長は輪島さんより低いですが、なかなか強いパンチを打ちます」

「インファイトで戦ってくると思いますが、落ち着いて弾いてください」


「うん……頑張るね、大橋くん」

「ファイトです……!」


 大きく深呼吸した輪島さんの肩を叩き、リング中央へと送り出す。

 3年生の目つきが鋭いパワータイプだ。対して輪島さんはスラリとしていて相変わらず格闘家らしくない。


 ニュートラルコーナーに戻ると、すぐにゴングが鳴り響く。

 一瞬にして緊迫感が場を支配した。


「ひかりん! ファイトですわよ~!!」


 後ろの方から甲高い声が聞こえた。


 お互いまだ距離を置いている。

 輪島さんはジャブで距離を測りつつけん制をする。


 相手もなかなか落ち着いた立ち上がりだ。

 これは少し不安だな……。




 3ラウンド目。

 輪島さんの成長を実感できたのは、昨年ベスト8の相手に対してここまで全く互角の戦いを繰り広げていたからだ。


 判定決着を見越して、互いの手数が次第に増えていく。

 本来のスタンスではない接近戦を強いられ始めた。


「輪島さん!頭は決して下げずガードを固めて前に出ましょう!」


 ここはポイントを稼ぎ始めないと負ける可能性がある。

 攻撃的であるというポイントにおいて相手に軍配が上がる可能性があるからだ。


 相手は中に潜り込みコンパクトにアッパーフックボディとコンビネーションを展開する。

 輪島さんの負けじとカウンターをヒットさせる。


 五十嵐とのスパーリング時にも思ったが、やはりカウンターのヒット率はなかなか高い。

 ちょっとした乱打戦になっているが、輪島さんの軸はブレていない。


「――うぅっ!?」


 時折、鋭いボディが命中し彼女の目が見開く。

 パワーの面では劣るが……そのあと必ず相手にも返す戦意は評価されるはず。


 次第にパンチの応酬は激しくなり――


「終了か」


 ゴングが鳴った。

 激しく息切れする互いがグローブを合わせ、レフェリーの横へと並んだ。


「判定に移ります……10対9……相楽高校、輪島選手」

「やったぁ!」


 輪島さんが汗を散らしながらピョンと小さく跳ねる。

 俺も思わず汗だらけの手を握る。


「危なかった……」


 正直、僅差中の僅差だ。

 ここまでくると、運で勝敗が決まるレベルだった。


 リング脇の俺の元へパタパタと駆け寄ってくる。


「大橋くん!私、少し強くなれたかも!」


 その勢いのまま、俺に強く抱き着いてきた。


「――ッ!?」

「ギリギリだったけどね、はは……次も絶対勝つよ」

「ええ、頑張りましょう」


 めっちゃヌルヌルしてる。


 汗くさ。






「次はみんなの2回戦と、シード長谷川さんの初戦がある」

「とりあえず、みんな頑張りました……おめでとう」


 控室にて、俺は部員の前に立っていた。

 荷物をまとめながら、全員安堵の表情を浮かべる。


「ソフィ、お前今日1番会場を沸かしてたぞ」

「わたしのことバカにしてるだけ……」


 ムッとしたソフィが呟いた。

 五十嵐がそれを聞いて大きく笑い飛ばした。


「だっはははは!アリンコが大番狂わせ~ってな!」

「五十嵐、お前ソフィが勝ったとき1番喜んでただろ」

「殺すぞ!」


 次も。

 次も、みんなで勝ち上がろう。絶対。


 ソフィの劇的TKO勝利。

 五十嵐の安定したボクシング、少し気になる点はあるが。

 輪島さんも苦戦したが何とか突破した。



「……お前ら」



「性欲以外もちゃんと強くなってるじゃねぇか」



 これは序章だ。

 本当の闘いはここから――。



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