第21話 ~夏合宿編④ 禁欲の効果は諸説あります~

 ――3日目の練習が終わった。


 これで、合宿における練習の全日程が終了した。

 あとは1泊して、明日の昼に横浜へ帰還する。


 今日は暑いな……青森も夏が近づいてるのか。


 これまでは肌寒かったものの、最終日に至っては太陽が眩しく空気も暖かい。


 最終日は昼過ぎに練習が終わった。

 テクニック的な練習が主だったし、前日までのハードさに比べれば疲労も少ない。


 と、いうことで。



「ひゃっほーい!涼しーっ!」

「風音ちゃん、そんな暴れたらケガしちゃうよー?」

「海なんて久々ですわ」

「外……ニガテ……」


「…………」


 俺らは心をリフレッシュするために、海へと繰り出していた。


 まだ人も少なく、天気も良いということで海でリフレッシュするには絶好の機会。


「なんでみんな水着持ってるの……?」

「海が近くにあるって、くるんくるん爆乳が合宿前言ってたから」

「へぇ、てかソフィお前……長谷川さんのことそんなアダ名で呼んでんの?」


 海の中ではしゃぐ3人の傍ら、俺とソフィは浜辺で体育座り。

 俺は水着を持ってきていないし、ソフィは海が苦手らしい。


「でもお前も一応水着なんだな」

「一応……ね」


 隣にちょこんと座るソフィはフリルの付いた黒いビキニを着ている。

 溜息を付いてジト目で海を眺める割には気合入った水着じゃねぇかよ。


「あいつら……元気だな」


 たった3人しかいないのに騒がしい海へと目を向ける。


 輪島さんはシンプルな白地のビキニ。

 案外攻めている面積小さめの布から、スラリと手足が伸びている。

 スタイルはモデル顔負けだよなぁこの人。


 五十嵐は水色ベースのフリル付きビキニ。

 ちゃんと可愛いの着るんだ。褐色の肌だからか一番海が似合う。

 ちょっとヒモに肉が食い込んでるけどね。言わないけど。


 長谷川さんはもう言うことないです本当にありがとうござ――

 海であんな爆乳美人がおっぱい振り回してたら、勃起しない男いるのかな?

 アメリカンフラッグ柄のビキニから、莫大なる肉塊がはみ出している。


 まあ、海で遊ぶのも良い運動だ。

 言い訳にはなるだろう。


「ソフィ、ずっとそこで座ってるのか?」

「うん……水、怖いから」

「そうか」


 小さな白い尻に砂が付着している。

 砂浜、熱いな……ずっと座ってたらケツが火傷しそ――


「ソフィ!」

「…………?」


 砂浜に、黒い物体がカサカサと。

 謎の虫が!?


 その物体はソフィの尻の下へと吸い込まれていく。


「いやぁっ!?」

「俺が捕まえる!」


 ソフィの悲痛の叫びと共に、虫は水着の中へ。

 俺は咄嗟にソフィのケツを持ち上げ、虫を探した。


「どこだ!?」


 もし危ない虫だったら……!

 どこだ、どこに潜ったんだ。


「ちょ、ちょっとオーハシ……!」

「すぐ捕まえるから!」

「ちがっ、中に手入れたらっ」

「お、いたぞ!」

「ちが、そこはっ、そんなに触ったら……あっ、んぅっ……!」


 虫が、水着内から顔を出し太ももを移動していく。

 出てきた!咄嗟にその虫を摘み取り、砂浜へと投げ捨てる。


「よし、いなくなったぞ」

「ん?どうした?」


「ば、ばかぁ……」

「あれ……うわ!すまん!」


 脱げかけた水着を押さえながら四つん這いで涙目のソフィ。

 あ、こんなことになってたの?


「さっき触ってたの、虫じゃなくて……っ!」

「なん……だと……?」


 目に涙を溜めて俺を睨むと、尻の砂埃を落とし体育座りに戻る。

 俺も気まずさから顔を背けて座りなおした。


「…………」

「…………」


 ソフィの腕が、ちょん、と触れる。

 思わず顔を見てしまう。


 え、なんで顔赤くして息遣い荒くなってるの?

 なんか目とろけてない?


「オーハシ」

「はい……?」

「わたし、3日間ずっと我慢してるんだよ。相部屋だから」

「え、なにを……?」


 切なげな表情で俺をじっと見つめる。

 なんでこれからおっぱじまりますみたいな雰囲気だすの?


「だって、隣で寝てたら思い出しちゃって……」


 配置上、俺はもちろん端っこで寝ていたんだが、隣にはソフィが存在していた。

 たまに目が覚めると俺の肩に頭を乗っけてると思ったら、やはり故意か。


「シたくなっちゃうよ……?」

「!?」


 水着でそれ言うのやめて。

 合宿3日間、俺ずっと耐えてたんだから。

 違う部分の強化合宿してたんだから。


 禁欲の効果のおかげか、俺が色んな意味で元気が漲っていた。

 禁欲の効果は諸説あるが、今の俺は危険だ。


 ソフィの顔がだんだんと近づいてくる。


「オーハシ、んっ……」


 そして、その薄い唇が――


「ぷぎゃっ!?」


 ソフィは謎の声を上げて後ろに倒れる。

 何が起きた!?


「わりぃわりぃ! なんか殺したくなってな!」


 少し遠くから五十嵐の声が響いた。

 倒れたソフィの横にはビーチボールが転がっていた。


 俺も我に返る。

 何しようとしてたんだ、俺は。

 合宿って怖いね。


「い、五十嵐――ぷぎゃっ!?」


 刹那、視界が暗転する。

 目を開けると大空が視界いっぱいに広がっていた。


 視界の隅に、もう1つのビーチボールが転がっていた。


「ごめーん! なんか殺したくなっちゃって!」


 遠くから輪島さんの明るい声が響いた。

 アンタだけは……アンタだけは清純を貫いてくれると信じてたよ……。







 窓から、立ち並ぶビルの街並みが、左から右へと流れていた。


 4日目。俺たちは新幹線で横浜へと向かっていた。


「あとは予選まで、教わったことを徹底的に習得していこう」


 この合宿での収穫は本当に大きかった。

 輪島さんはアウトボクシングをする上での足の使い方や防御のテクニックを習得した。

 それに、気持ちの強さもあってか、厳しい練習の中で基礎はハイレベルまで伸びたはずだ。


 五十嵐はこの部にはいない「自分より強い選手」とどう戦うか、瞬間的に判断したり考えたりする力が身に付いたはずだ。より高校生離れしたスキルを得られたと思う。


 長谷川さんも、日々のフィジカルトレーニングと今回のテクニック習得を踏まえて、バズーカのような左をより命中できるようなスタイルを磨いた。本当に、当たれば高校生は倒れる。


 ソフィはまだまだ実践で力を発揮できるレベルではないが、早い段階でレベルの高い教育を受けられたことは大きい。余計なクセが付く前に、適切なテクニックやスタンスを学んだ。


「…………」


 全員でインハイ、と自信を持てるレベルではない。

 だが、明らかに4月とは違う。


 輪島さんが強くなりたいと泣いていた、あの日。

 五十嵐が言い訳をして逃げて喧嘩をした、あの日。

 ソフィがボクシングをやりたいと気持ちを伝えてくれた、あの日。

 長谷川さんが自分を脇役とはもう言わないと誓ってくれた、あの日。


 大丈夫。絶対に俺たちは強くなった。


 このたった2か月間で、5人こうして揃っているじゃないか。


「輪島さん」

「どうしたのー?」


「やっぱり、あなたは弱くないです」

「……ど、どうしたのいきなり!」


 対面に座る輪島さんが顔を赤らめて手をパタパタと振る。

 手を下ろし、流れる景色を見つめながら彼女はそっと微笑んだ。


「予選、頑張るからね」


「はい……俺も全力で支えます」


 俺たちにとって最初の夏が、ついに始まる――。







「この大会を勝ち抜くと、インカレ本選が待っています……選手たちは、日頃の成果を発揮して出場権を得られるように頑張ってください。以上です」


 荘厳とした大きな会場のステージで、背広姿の男が頭を下げる。

 周りの選手たちも、小さく頷いた。


 ――あれから1か月。


 ついにこの日が来た。

 神奈川県予選。ここを勝ち抜いた選手だけが全国への切符を手にする。


 先頭に並ぶ輪島さんの髪が、少し揺れた。


 相楽高校の文字を背負って、俺たちは大群の中に立っている。

 俺は列の1番後ろで彼女たちを見守っていた。


「――以上を持ちまして、開会式を閉会いたします」


 マイク越しの低い声が、会場内に響き渡る。

 その言葉と同時に、周りの選手たちの顔つきが険しくなる。


「……始まるのか」


 輪島さん、あんまキョロキョロするなよ。

 顔は見えないが明らかに緊張している。完全なる挙動不審である。


 他のメンバーは大丈夫そうだな。

 って、五十嵐にやにやすんな。ったく。


「試合開始は11時からとなります。ピン級からスタートいたしまして、第一試合は……相楽高校、星野選手と兵南高校、原田選手の試合となります」


 閉会宣言後、場内アナウンスが流れる。


「1回戦、しかも第1試合がソフィ……」



 落ち着いている時間なんかない。

 そして、もう彼女たちはチームではなく個々で戦うボクサーだ。



 それぞれの戦いの火蓋が切られた――。



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