第4章 インターハイ予選に向けて

第18話 ~夏合宿編① 格闘技はテストステロンを分泌し、性欲を増強する~


「今日から3泊4日で、お前らの根性を叩きなおしてやる」


「…………」


 俺は、全員を1列に並べて言い放った。


 場所は青森県三沢市。

 青森の東部、太平洋に隣するエリアである。


「おいおい! めっちゃさみーな!」


 五十嵐が両腕で肩を抱きながら震える。肌を突き刺すような冷風が吹き込んだ。

 6月というものの、全員が「相楽高校女子ボクシング部」の文字が記されたウィンドブレーカーを着ていた。


 え?オリジナルのウィンブレ?


「え、みんなそのウィンブレどこで手に入れたの?」


 黒を基調として黄色のラインがデザインされ、背には白文字で「相楽高校女子ボクシング部」。

 いや見たことないって。


「これ、元々ウチの部にあるやつなんだよね! せっかくだからみんなに分け与えたの!」


 輪島さんが笑顔で答える。

 周りのメンバーは満足げに、うんうんと頷く。


「部活って感じがするぜ! な、大橋?」

「いや俺それ貰ってない」


 なんか最近みんな俺に冷たくない?

 誰が見ても可哀相だよね?俺って。


「お前ら……本当に今日から根性叩きなおしてやる」

「大橋くん……ごめんね……」


 さて、こんな雑談をしている場合ではない。

 本当に悲しかったけど。


「ええと、まずは長谷川さんありがとうございます」

「とんでもないですわ」


 今回泊まる旅館は、一言で言ってしまえば長谷川さんのツテだ。

 青森で長く旅館を運営している人を割安で紹介してもらった。


 そして。


「前にも軽く説明したが、今日から練習する場所はここだ」

「…………」


 目の前の建物に指を差した。

 ボクシングジム、ではなく、大学のキャンパス。


「俺がラスベガス時代にお世話になった人が今、この大学のボクシング部でコーチをしている」


 そうだ。

 今回の合宿は、北の強豪大学ボクシング部で修行を行うということが目的である。


「お世話になった人……?」


 ソフィが首を傾げる。

 てかウィンブレぶかぶかだなお前。


「そう。あっちのジムに日本人は数人しかいなかったが、よく俺の面倒を見てくれてた日本人のプロボクサーがいたんだ」

「今は引退して、この大学でコーチ業に専念していると聞いてな」


 英語も分からず渡米した俺としては、生活でもボクシングでも面倒を見てくれた恩人だ。

 慣れた今でこそ英語で苦労することはないが、渡米してすぐの頃はその人に引っ付いてばかりいた。


「わお……緊張するね~」

「大学はけっこーガチなイメージだからなぁ」


 輪島さんと五十嵐が目を合わせる。

 長谷川さんは何故か上機嫌そうに笑顔を浮かべている。


「年上の童貞も萌えますわね!」

「あ、そうですか」


 深掘りはしない。


「で、ここが北蘭学園大学ほくらんがくえんだいがくだ。日中の練習はここにお邪魔する」


 広々としたキャンパスに木々が立ち並ぶ自然豊かなロケーション。

 敷地内にボクシング部の練習場が併設されているらしい。


「さて、それじゃ行きましょうか!」

「おー!」


 輪島さんだけが元気よく答え、俺たちはぞろぞろとキャンパスの門を潜ったのであった――。







「オラァ!そこで踏ん張れねぇヤツは勝てねーぞ!」

「あと1分!もっと動けぇぇっ!」

「ファイトファイトォ!気持ち見せろよーッ!」


 正直、ウチの練習場の熱気と汗臭さを遥かに上回っていた。

 内観はウチよりもボロボロで、30人ほどいるにしては広さも変わらない。


「…………」


 入口で練習場を見渡す俺の後ろに、メンバーたちが唖然として立ち尽くしていた。


「こ、こわい」


 早くもソフィは元々白い顔を更に蒼白とさせている。


「女子部員も多いんだな」


 五十嵐が呟く。

 たしかに、見渡す限り30人中の10人ほどは女子部員である。


 怒号や鼓舞する声、ミットの甲高い破裂音やシューズが摩擦する音。

 閑散とした肌寒い北の地でも、練習場内は活気に満ちていた。


「おー! 拳弥!」

「あ、柴田さん!お久しぶりです!」


 リング上でミットを構えていた筋骨隆々角刈りの男が、俺に気付いて笑顔で手を振る。


「わざわざ横浜から……遠かったろう」

「いえ、むしろこんな機会ありがとうございます」


 入口まで駆け寄ってきた男――柴田さんが俺の肩に手を添える。

 相変わらずボディビルダー顔負けの色黒さと仕上がったボディである。


 その黒光りした大きな手でガッチリと握手を交わされる。


「どうだ?足は大丈夫か?」

「まだ回復の見込みはなくて……なので今回は」


 後ろを振り返る。

 少し怯えた様子の部員たちを柴田さんにお披露目する。


「俺がマネージャーをしてる女子ボクシング部を鍛えていただきたいです!」

「ほう……」


 柴田さんがその鋭い眼光で輪島さんたちを見据える。

 輪島さんの肩がガタッと揺れるのが見えた。


「よし、俺がこの3日間で人相変わるぐらいシゴいてやろう……!」

「ひっ……」


 無表情なソフィの顔が青ざめた。

 五十嵐は臆していないようでずっと笑顔を浮かべている。


「お前ドMなんだからイケるだろ~?」

「物理的な痛みと疲労的な痛みは別……あと誰でもいいわけじゃないから」


 後ろで何やら五十嵐とソフィが小突きあっている。


 こいつら、厳しすぎて泣いたりしないか心配だな……。

 でも、夏まで時間がない。これぐらいしないと強豪との差は埋まらない。


「それでは、よろしくお願いします」

「「よろしくお願いします!」」


 俺に倣って、部員たちが元気よく挨拶をする。

 柴田さんはニッと白い歯を出し、俺に耳打ちする。


「なあ、拳弥」

「……どうしましたか?」

「お前……こんな可愛い子たちに囲まれてボクシングやってるのか?」

「え、まあ、はい……」

「拳弥、お前も叩きなおしてやらねばいかんようだな」

「ヒッ!?」


 鬼の形相が、俺の視界いっぱいに広がっていた――。







「ありがとうございましたッ!」

「「したッ!!」」


 揃った大きな挨拶の声が轟く。

 窓が真っ白で外は見えない。酸欠になりそうな熱気の籠った空気の中で、練習の終わりを告げられた。


「ぜーっ、ぜーっ……!」

「拳弥、スタミナがなくなったんじゃないのか?」

「ま、まさか俺もやらされるなんてっ……ぜぇっ……!」


 俺はというと、普段のように見守り役やサポート役なんかではなかった。

 あのあと、柴田さんに筋力トレーニングのメニューを言い渡され、この5時間の間ずっと永遠に耐え忍んでいたのだ。端っこで。


 5時間ぶっ通しで筋トレって……本当に相変わらず鬼だな!

 久しぶりに味わった腕や背中の筋肉が破壊され尽くす感覚。

 ごめん明日動けないや、多分。


「あいつらは……ん?」


 大勢の部員がいる中央に目を向ける。

 大量の汗を流しながら座り込む部員や、すぐに更衣室へと吸い込まれる部員など様々である。


 そして、ウチのメンバーはというと。


「………………」

「………………」

「………………」

「………………」


 誰一人、生きていなかった。


 大量の汗でできた水たまりの上にて、光のない目で床にひれ伏していた。

 こういう目、聞いたことあるよ俺。レイプ目って言うんだよね?合ってる?


 殺人現場のごとくピクリとも動かず倒れているメンバーの傍ら、自主練を始める大学生部員もチラホラ見受けられる。


 レベルちげぇな……。

 五十嵐ですらあんなことになってるもんな。


 俺たちの普段の練習時間は平日で2~3時間。休日は土曜だけで4時間程度。

 俺自身の目的としては、ここで得たスパルタの練習法を、より凝縮して量より質のスタンスを生み出すためでもあった。


 痺れる腕で床を押し、俺も何とか立ち上がる。

 いまだに死んでいる部員たちの元へと歩み寄った。


「おい、お前ら」

「お、大橋くん……ぐすんぐすん」


 輪島さんが俺の足にしがみ付き、スネで涙を拭い始めた。


 なにこの光景?


「ぐすん……あ、いい匂い……」

「感情が忙しいな」


「さすがにきちぃなこれは……ウチも立てねぇ……」


 五十嵐も俺の足にしがみ付く。

 そして、長谷川さんとソフィもうつ伏せのまますり寄って足に――


「お前ら俺に甘えてんじゃねぇ!まだ序の口だぞ!立て!立つんだジョー!」

「これ言ってみたかったんだよ、ほら立ってシャワー浴びて来いよ!」


「…………」


 全員がジト目で俺を見上げていた。

 なんか、ごめんなさい――。








「わー!すっごくいい感じ!」


 輪島さんが浴衣姿でパタパタと和室内を駆け回る。


「…………」


 厳しい練習が終わり夕飯にがっついた後、俺たちは3泊する旅館に訪れていた。


 香ばしい匂いのする畳。12畳ほどの広さだろうか。

 テーブルとチェアが設置された広縁からは、長閑な街の景色が広がっている。


「なかなかよい部屋ですね、長谷川さんに感謝です」

「いえいえ! 疲れた分、安らげる部屋をご用意するべきですわ」

「旅行みたいですね」


 ハハッ、と微笑んで部屋を見渡す。


 さてと。

 女子たちもゆっくりしたいだろうし、俺も荷物を置きに行こう。


「長谷川さん、じゃあ俺の部屋の鍵を貰ってもいいですか?」

「ありませんわよ」

「え?」


 脳に電流が走った。


 ありませんわよ?は?


「ありませんわよ」

「2回言わなくてもいいから」

「わたくし、実はそれについてまったく考えずに1部屋しか取らずに来てしまいましたの」

「マジで?」


 え、今日から3泊だよ?

 こいつらと同じ部屋で寝るの?お兄さん壊れちゃうよ?


「…………」

「ミスター拳弥。ま、前みたいに変なことしようとしたら怒りますからね」

「え、いや……はい……」


 長谷川さんが頬を膨らませながら小声で囁いた。

 あれはもう忘れてくれよ……。


 輪島さん、五十嵐、ソフィは荷物を部屋に置いて広縁から外を眺めている。

 ソフィもはしゃぐタイプなんだ、意外と。


 現実を受け入れた俺は、その部屋にリュックを置き座り込む。


「ああ……ある意味地獄の合宿が始まる」


 俺は前に聞いたことがある。


 格闘技のような、スリリングで活発なスポーツは「テストステロン」という成分を分泌させる。

 テストステロンとは、男性ホルモンの一種である。


 緊迫感溢れるあの環境で、激しく戦うことで、テストステロンは多量分泌される。

 そしてその成分とは、性欲とも大きく関係がある。


 アスリートは性欲が強いと言われることもあるが、それが所以らしい。

 そう、単純に今の俺たちの環境は"性欲が爆上がり"するわけだ。


 前提として、こいつらは元々で「ド変態」である。


 俺たち、どうなっちゃうんだろう。


「今日の人たちみんないい匂いしたなぁ……あ、みんな後で一緒にお風呂いこーよー!」

「お、いいっすね部長! おいチビ、テメーの貧乳揉んでやるよ!」

「しね……エセギャル、本当にしね……」

「ところで、この旅館で童貞の素敵な殿方と運命の出会いは……」



「…………」



 脳内にゴングが鳴り響いた――。



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