第15話 五十嵐編② ~もっと、可愛いって言って?~
――ちくしょう。
俺もアイツも悪い。
わかってる。お互い謝って終わり。
それが正しい。
なのに、あのことを思い出すとアイツにも俺自身にも苛立ちが積もって……
何もできないんだ。
「えー、今までは名簿順で座ってもらっていたが、今日からは一定周期で席替えを行う」
朝のHR。
竹原先生が教壇から言い放った。
十人十色の反応が教室中に響き渡る。
席替え、ね。
まあ正直どこでもいいんだが。
あ、でもできれば後ろの方の席がいいな。
最前列はやっぱプレッシャーがかかるし。
「先生、もうくじ引きはしておいたんだ。配置表を貼るので1限目までに席替えをしておくように」
「以上、よろしく頼むな!」
先生が、黒板にA3の紙を張り付ける。
生徒が次々と黒板の前に押し寄せた。
「えーと、俺は……」
窓際最後列……!
これは教室の中のグリーン席である。
「よし」
黒板の前で小さくガッツポーズをした瞬間。
隣に例の女はいた。
「…………」
五十嵐風音。あれから1度も会話をしていない。
一瞬だけ、目が合う。
しかし、すぐに下を俯いてしまった。
「…………ん?」
俺も気まずくなり、もう1度配置表に目を向ける。
隣の席、五十嵐かよ。
最悪だ。
1限目終わり、席替えの感想を言い合っているクラスメイトたち。
俺の隣には、いまだ曇った表情の五十嵐が座っていた。
「…………」
「…………」
ただただ、沈黙だけがその場を支配していた。
窓際で聞こえる、小鳥の囀りが煩わしくさえ感じた。
「っと……」
俺は耐え切れなくなり、思わずその場を立つ。
休み時間は教室から離れるようにしよう。
「はーっ!ほんっとうに呆れますわ!!」
「…………」
昼休み、俺は中庭で長谷川さんと遭遇した。
中庭にいた理由は無論、教室にいる時間をできるだけ短くしたいからだ。
パンを片手にあのベンチで昼を過ごそうと思ったら、そこには先約の爆乳がいた。
相変わらず大きく髪をカールさせた長谷川麗である。
彼女は俺を見るなりズンズンと近寄ってきた。
そして、怪訝な顔で俺に言い放ってきたのだ。
「……そんなこと言われても」
「あなた、それでも非童貞ですの!?」
「ミス風音が退部してしまったら、女子ボクシング部はなくなりますのよ?」
「わ、わかってます」
長谷川さんは大きな溜息を付くと、勢いよくベンチにドカンと座った。
俺も倣って、彼女の隣に腰を掛けた。
「わたくし、本気で怒っておりますのよ?」
頬を膨らませながら、大きな弁当場を開ける。
「はぁ……すいません」
「じゃなくて!わたくしもあの時なにもできなかったのは悪いと思っておりますが……」
「いえ、長谷川さんは悪くないです」
「童貞みたいになってしまっているミスター拳弥に、わたくしが筆下ろしをしてあげないといけませんわね」
「何言ってるんですか」
長谷川さんが、セーラー服がパツンパツンに張っているその胸を叩く。
大きく揺れた乳に思わず目が行ったが、すぐに顔へと視線を戻す。
「任せなさい」
「あの……何か良い方法があるんですか?」
「ありますとも」
何とも自信ありげである。
しかし、その表情はすぐに苦笑に変わってしまった。
「まあ……荒療治ではございますが……」
「あ、荒療治……?」
長谷川さんは苦笑を浮かべたまま、俺に"あるモノ"を2つ、手渡した――。
――海辺から吹き込む風が、5月にしては冷たく感じた。
空に轟く鳥の鳴き声と、雲一つない空から照り付ける日差し。
「…………」
俺は、江ノ島にいた。
そして、多くのファミリーやカップルが並ぶ"水族館"の前。
「…………」
俺は1人ではない。
隣には、唖然とする五十嵐風音が立っていた。
「ここ、みたいだ……」
「お、おう……」
何とも歯切れの悪いキャッチボールの後、俺は大きな水族館を見上げた。
長谷川さん。あんた悪い人だ。
長谷川さんの父親は、この水族館の運営者と古い繋がりがあるらしい。
そして、あの時手渡されたのは水族館のペアチケットであった。
この件はスタッフにも伝えてあるため、俺と五十嵐がもし来なかった場合、
長谷川さんに連絡がいくようになっているらしい。
なんという狡猾な作戦。
荒療治ってレベルじゃないだろう。
……俺も男だ。
ここまで来てしまったからには、やるしかない。
「五十嵐、いくぞ」
「お、おう……」
お前今日「お、おう」しか言わんやん。
汗まみれの手でペアチケットを握りしめ、俺らは受付へと向かった。
「か、かわいい」
大きなウミガメが、プールを滑らかに泳いでいる。
五十嵐が初めて「お、おう」以外の言語を話した瞬間である。
「へぇ、ウミガメも見れるんだな」
「お、大橋……あっちも凄そうだぞ」
「お、いいね。行くか」
五十嵐も、段々と会話をしてくれるようになった。
まだ、目はこのウミガメみたいに泳いでいるが。
「にしても、人多いんだな」
「……そうだな」
今日は日曜日ということもあり、ファミリーやカップルでなかなかごった返している。
水族館ってこんなに混むものなのか。
「よし、次いくぞ」
「うん」
言葉数こそ少ないものの、お互い来たからにはという意識はあるのだろう。
水族館自体はなかなか楽しめているのではないかと思う。
「なあ、大橋……」
「どうした?」
場所を変え、薄暗く鮮やかなブルーにライトアップされた空間を歩いていた。
名前は分からないが、大きな魚や小さな魚、エイやサメも辺り一面を泳いでいる。
綺麗だな……。
「ウチさ……大橋にあんなこと言ったの、悪いと思ってるよ」
俺の少し後ろを歩きながら、ポツリと呟いた。
「俺こそごめん」
「…………」
再び、沈黙。
謝るだけでは何も解決しないような気がしていた。
謝ったって、こんなことが起きた原因を解決しなきゃ意味がない。
「なあ、五十嵐――」
あれ?
後ろを振り返ると、五十嵐の姿がなかった。
「おい!五十嵐!」
「こ、ここだよ……ッ!」
少し後ろから、人混みを掻き分けて五十嵐の金髪頭がひょっこり覗いた。
「お前なにしてんだよ」
「人多くてよ……うまく歩けねぇ」
「ったく、ほら」
俺は、五十嵐の手を握った。
「えっ……?」
彼女の頬が赤く染まった。
俺も、もしかしたら顔が赤くなっている、かもしれない。
「消えられると困る。迷子センターで名前呼ばれたいのか?」
「い、いや……じゃあ繋ぐ」
五十嵐も、手を握り返す。
少しの沈黙のあと、俺らは再び前へ歩き出した。
「俺は……謝るのもそうなんだが……それだけがしたかったわけじゃないんだ」
「…………?」
ゆっくりとした歩幅で歩く俺らの右側を、大きなサメが通り過ぎていく。
「お前のことをもっと教えてくれ、五十嵐」
「う、うん……」
「ウチはさ、やっぱ大橋に嫉妬してたんだ。ウチは中学の時に2年、3年と決勝で負けてんだ」
「そうか……」
「これでも、ボクシングは真剣にやってたんだよ。ボクシングだけじゃない、勉強とかも全部」
そういえば、五十嵐は首席で入学したという噂を以前聞いたな。
「志望校に落ちて、後期受験でここに来たんだ。ボクシングでも2番、勉強でも2番」
「…………」
「ごめん、ウチ……言い訳ばっかなんだ」
「志望校落ちたのはボクシングと両立してたせいとも言ったし、ボクシングでは1番になれなかったからこれからは勉強をメインでやっていくとも言った」
こいつは、「本気でやって1番になれなかったこと」を恥じている。
だから、こんなに根が真面目なのにヤンチャな格好をしているのだろうか。
すべて仮面なんだ。
だから勉強してなさそうなキャラクターを演じるし、ボクシングにはもう愛がないフリをする。
怖いんだ。本気というものが実績を生み出さなかった瞬間のことが。
「大橋に、お前が1番強いんだからって言われた時も、プレッシャーで怖かった」
「…………!」
インターハイ出場を目標に掲げたミーティングで、たしかに俺はそう言った。
何気ない会話のはずだったが、それでも彼女にとっては怖かった。
「ごめん……俺はお前のこと、勘違いしていた」
「勘違い?」
「ああ、俺は理想を押し付けていた。強いヤツは、みんな怖いもの知らずなんだって」
立ち止まる。
目の前には、大量の小さな魚が大群で泳ぐ中、端っこでゆっくりと泳ぐ一尾のサメ。
「強いからって、臆病な気持ちがないわけじゃない」
「大橋……?」
俺は、隣で手を繋ぐ五十嵐を見つめた。
彼女もまた、俺の目をじっと見つめていた。
鮮やかなブルーライトが俺らの体を静かに照らしていた。
「五十嵐風音、お前は真面目で臆病者な、1人の"可愛い女の子"だ」
「――ッ!?」
キュッと、手が強く握られる。
頬を赤く染め、目を見開いている彼女は、間違いなく可憐でしおらしい女の子だった。
「真面目すぎるが故に、お前はできないと言い訳を作っちまう」
「だから、これからは――」
言いかけたところで思わず言葉を止める。
五十嵐は、俺の腕に抱き着いた。
「か、可愛いとか言われたら……照れんだろ、ばか」
「ぬっ……!?」
上目遣いで、目を潤ませていた。
心臓が大きく跳ねた、気がした。
俺は言葉が出てこなくなっていた。
刻々と過ぎる時間。
まずい。
「五十嵐、場所を変えよう」
「う、うん……」
耐え切れず、俺は手を繋いだまま歩き出した。
――空に浮かぶ夕暮れが、海を橙色に焦がしていた。
俺らは水族館を出て、海辺を歩いていた。
あのままでは何も言葉が出ず、俺は思わず館内を出てしまったのだ。
砂浜が、足を重くする。砂を踏む音と、波の音がこだまする。
館内と打って変わって、夕暮れの海辺は人がまったくいなかった。
「1番を目指そうとは、俺は言わない」
「え……?」
「目標を作って、そこに向かってみんなで頑張るのはそうなんだが……」
「あくまで自分のペースで、ボクシングを楽しもう」
インターハイは勿論目指す。
だが、俺は日本で1番になれなんて言っていない。
好きなようにやればいい。言い訳も好き放題すればいい。
けど、1度負けただけのことを「失敗」なんて言うな。
「リングは、もっと自分が楽しむ場所でいい」
「って、手繋ぎっぱなしだったな。すまない」
「あ……」
俺は慌てて手を離す。
しかし、その手はすぐにまた繋がれた。
「…………?」
「まだ、繋いでてよ……」
再び、心臓が大きく跳ねあがった。
「あの、お願いがあって……」
「お願い?」
なんだ?
「ああ、アイドルの曲歌って踊ってたことは言わないでおくよ」
「ち、ちげーよ!バカ!お前最低だなホント!」
「…………」
多分、真面目すぎるが故に、
ああいう性癖やそういう趣味が息抜きになってしまったのではないだろうか。
まあ、そこはどうでもいいけど。
「で、お願いってなんだ?」
「え、えっと……あの……」
俺の顔を見つめながら、モジモジしている。
「どうしたんだよ、早く――」
「もっと、可愛いって……言って?」
「え?」
身体が固まった。
え、なにこれ。
「だからぁ! も、もっと……可愛いって言ってよ!」
「う、嬉しかったから……」
「…………」
「か……かわいい……」
「~~~~~~ッ!!」
握る手が、さらにギュッと強く、強く握られる。
「可愛い」
「もっと……もっと……!」
俺と五十嵐の顔は、もう鼻を掠めるほどの距離まで近づいていた。
「お、大橋……」
彼女が目を瞑る。
そして俺は。
「…………」
「五十嵐」
「ん……」
「喧嘩をしたことも、今日のことも、全部」
「忘れよう」
今にも壊れてしまいそうなガラス細工に触れるように。
線香花火に付いた火が、静かに消えゆくように。
そっと、唇を塞いだ――。
――朝のHR。
「大橋、おはよう」
「ああ、おはよう……」
ああ、そうか席替えしたんだった。
隣に五十嵐が座る。
「…………」
あの日の空と違って、今日は雲がかった空から小雨が降り注いでいた。
「なあ、大橋」
「なんだ?」
「ウチ、もう逃げない」
「ありがとうな」
小雨なのに晴れやかな彼女の笑顔が、
俺の目には映っていた――。
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