第14話 五十嵐編① ~テメーにウチの気持ちがわかるかよ~

「うっ……うう……! 判定ぜってー俺が勝ってたもん!」

「拳弥、強くなるためには強い相手を認めることも大切だ」

「だって……! だって……うあぁああん!」


 小5の夏。

 俺は全日本の決勝戦で1つ上の相手に判定負けを喫した。


 今思えば、ここで負けた悔しさが翌年の全日本優勝の原動力になっていた……と思う。


 控室で泣き喚いたあの日。

 俺もガキだったなぁ、あの日は夜までずっと泣きっぱなしだった。


 でも、強い人を認めることを学んで、あのあと負けた相手のジムに出稽古しに行ったりして。


 失敗して学ぶことは沢山ある。

 けど、失敗のすべてが、成功の元とは思わない。

 失敗は、そのままじゃただの人生の汚点か笑い話にしかならない。


 失敗をプロセスだと考えられる人は、きっと成功した今だからこそそれをプロセスと捉えられたんだ。

 実はもっと、単純な話だと思う。


 当事者からすれば、

 無我夢中で失敗しても突き進むか、1歩引いて俯瞰してしまうか。


 それだけの話だと、思う――。






「いかん、ボーッとしてた」


 昼下がり。

 俺は横浜駅近くのスポーツ用品店の通路で立ち尽くしていた。


 ええと、購入リストは……。


「新しいミットと……ソフィは顔が小さいからサイズの小さいヘッドギアもだな……」


 休日。

 俺は健気なことに、部で使う道具の調達を行っていた。


 狭い店内に、格闘技用品がズラリと押し込められている。

 棚を眺めていると、心なしかウキウキする反面、昔の記憶がフラッシュバックしてしまう。


 あらゆるところに貼ってあるポスターの1つには、元世界ランカーである父親も写っていた。


「ここに載る未来があったのかなぁ、俺も」


「あったんじゃない?まさかこんなところで出会えるとはね、ケンヤ君」

「!?」


 突如、背後から声。

 俺は驚愕しつつ、振り返った。


「あ……セイヤ君!?」

「久しぶりだね」


 俺の知っている顔だった。

 もっとも、俺の最後の記憶の中では彼は小学6年生の子供だが。


「セ、セイヤ君こそこんなところで……」

「それはこっちのセリフでもある。いつのまに帰国してたんだい?」


 昔とはえらく大人びた、背が高くガタイの良い"黒髪ハンサムお兄さん"がそこにはいた。


「半年前くらいに……すごい体つきだ……」

「ケンヤ君も、だいぶ大きくなったね。ボクシングはもうやってないと聞いたけど……」

「そうなんだ、怪我をしてしまって」

「そうか……あの頃は決勝で出会ってからよく一緒に練習したのにね」


 セイヤ君。

 実に5年ぶりの再会だろうか。


 小5の夏、全日本決勝戦にて、俺は彼に判定負けを喫した。

 同じ神奈川だってこともあり、その後は弟子入り気分でよく一緒に練習するようになった。


 俺が小6で優勝をして、ラスベガスに渡ってからは1度も連絡を取っていなかった。


「セイヤ君は、今なにしてるんだ?」

「ああ、僕は総合格闘技に転向したんだ。市内のジムに所属してるよ」

「へぇ、セイヤ君は空手もボクシングもやってたから、どうするのかなって思ってたけどMMAね」

「寝技もなかなか奥が深いんだぞ~、ケンヤ君は?」


「あー……俺は、高校のボクシング部でマネージャー、的な……」

「そうなのか、あ……そうだ!」


 セイヤ君は、何かを閃いたかのように指を立て、俺に顔を近づけた。


「ウチに来ないか!?一緒に昔の試合のビデオでも観て懐かしもうよ!」

「え、ええ……?」

「なぁに、遠慮する必要はないよ。共に高めあった仲じゃないか」


 昔も、彼は男前でグイグイ来るタイプで、よく分からなかった。

 なんとなく、この人からはアブない匂いがするというか、なんというか。


 まあ、でも……どうせこのあと暇だし。


「……いこう、久しぶりだしね」

「おし!それじゃあ行こうか!」


 まるでお持ち帰りされる女の子のように、俺はスムーズに外へ連れ出されたのだった。








「…………」


 俺は、この光景を一生忘れないだろう。

 忘れないと同時に、まだ目の前で何が起きているか理解できていなかった。


「抑えられない~この気持ち~♪」

「だってだって♪ 好きなんだもん~♪」


「…………」


 俺の精神は正常だろうか?

 夢を見ているのか、幻覚を見ているのか。


 俺の記憶が正しければ。

 セイヤ君に連れられて家にお邪魔した。

 玄関を通り抜け、リビングに入ろうとしているところだったはずだ。


 だが、そのリビングの真ん中で。


「ハイ!ハイ!この気持ち~♪」


 五十嵐風音が歌って踊っていた。


 ハミングとかのレベルじゃない。

 テレビに映し出される可憐なアイドルたちの動きに合わせて、本物さながらのテンションで。


「あの……」

「風音!帰ってきたよ」


「兄貴っ!?」


 ついに我に返った五十嵐が、動きを止め何事もなかったかのようにテレビを消しソファに腰掛けた。


「こ、こんなに早く帰ってくるとは思ってなかった……」


 顔を真っ赤にした五十嵐がソファで俯いていた。


「来客がいるから、お茶でも出してあげてくれないか?」

「ら、来客……?」


 振り返る五十嵐。

 一度は隠れてしまったが、恐る恐るリビングに顔を出す俺。


 目が合った。


「お、大橋……ッ!?」

「五十嵐……お前……」


「大橋てめぇ……なんでここに……!」

「俺は、お前がセイヤ君の妹だったってことに驚きしかないぞ」

「なんでセイヤと……え、まてよ、さっきの見てた……?」

「ああ、見た」

「~~~~~~~~~~~ッ!!」


 声にならない声が漏れていた。

 耳まで真っ赤にして、足をジタバタと揺らしている。


「てめぇ記憶消せやコラ!」

「口が悪くても、あんな可愛い曲歌って踊っちゃうんだな」

「うるせぇ!マジで殺すぞ!?」


「え、ええと、風音とケンヤ君って友達だったのかい……?」


 俺らの間に、セイヤ君が気まずそうに顔を出した。


「俺がマネージャーをしてる女子ボクシング部の部員なんだ、五十嵐は」

「しかも大橋の野郎とは同じクラスでよぉ……」

「なるほどね。まさか風音と同じクラスと部活になっていたとは……運命だね!」


 セイヤ君が爽やかな笑顔を浮かべた。

 五十嵐は相変わらず俺を威嚇するように睨んでいる。


「風音は昔から家で1人になるとアイドルの真似をしたり、恋愛ドラマを見てキャーキャー言っているんだ」

「なんで知ってんだよッ!?」

「いや、普通に今もバレてただろうが……」


 こいつ、完全に"女の子"じゃねぇか。

 なのに、なんでこんな荒っぽい性格してるんだよ。


 次々と謎のギャップを畳みかけるんじゃねぇ。


「ケ、ケンヤ君……まあ、とりあえず座ってよ」

「う、うん……」

「ガルルルルルルル……ッ!」


 鬼の形相で威嚇する五十嵐を横目に、俺は震える足でソファに腰を掛けた。






「兄貴のパンチは小学校の時から早いなー」


 テレビには、俺とセイヤ君が小学時代に戦った試合の映像が映し出されている。

 俺の顔面にセイヤ君の右フックが炸裂したところで、五十嵐が呟いた。


「この決勝で負けて、俺も頑張ろうって思ったんだよな」

「たしかに、この試合を経てケンヤ君は本当に強くなったよね」


「…………」


 俺らの何気ない会話に、五十嵐が眉を顰めた。


「んだよ……大橋てめーは熱血くんかよ?」

「あ?キッカケってだけだよ」

「ふーん……くだらな」

「は……?」


 なんだコイツ……?

 いつも噛みついてくるが、なんか今のはトゲがあったな。


「風音。そう言うのはあまりよくない」

「でもよぉ、大橋の野郎も才能があったから必然的に翌年優勝しただけだろ」

「いや、俺この日から練習量は何倍にも増やしたぞ」

「なに本気になっちゃってんの、バッカじゃねーの」

「は……? お前さっきから何なんだよ」


 不穏な空気が流れる。

 セイヤ君は苦笑いを浮かべながら、大きく咳払いをした。


 五十嵐、お前そんなこと言うやつだったか?

 口は悪いが、普段そんな人をイラつかせるようなことはしないだろ。


 五十嵐の眉間に皺が寄る。

 その小刻みな貧乏ゆすりにさえも、少しイライラしてくる。


 沸々と、俺の中に苛立ちが積もってくる。


「ウチは決勝で負けてその後も成長できなかった能無しだからよー、知らねーけど」

「風音!君が2年連続決勝で負けたのは……単純に相手が強かったからだよ」

「うるせぇなぁ……ウチはゆるーくやるって決めたんだよ」

「そもそも、大学進学のためにサガコー入ったからよ! ボクシング関係ねーし」

「五十嵐、お前……」


 こいつが、相楽高校にいる理由。

 そして、この女子ボクシング部にいる理由。


 それは"挫折"なんだ。


 俺と、同じなのかもしれない――。








「大橋くん!風音ちゃん見なかった?」

「五十嵐ですか?」


 放課後の練習場。

 五十嵐以外の全員が着替え終わり、ストレッチを始めていた。


 輪島さんが、例の如く元々丸い目をさらに丸くしていた。


「ミスター拳弥はクラスメイトでございますわね? 今日は会っていないのかしら?」


 ……え?


「いや、教室にはいましたけど……話してないし、放課後どこに行ったかも知りません」

「あのエセギャル……サボりだ、サボり」


 心配そうな長谷川さんを横目に、ソフィはジト目で冷たく言い放った。


 そろそろ本人に言おうと思っていたのだが、この頃、五十嵐は遅刻が多い。

 本来、時間を守る真面目な奴のはずなんだが。


「何かあったんですかね……輪島さんたちは気にせず昨日言ったメニューをこなしてください」

「承知だよ~」


 ギギギ……。


 輪島さんの返事の直後、鉄扉が開く。


「あ、風音ちゃん!」

「エセギャル、エセギャルが遅刻するようになったらそれはもうただのギャル」

「何か事情でもあったのでございますか? ミス風音」


 それぞれが口を開く。

 長谷川さんが、案外こういう時でも人を心配できるタイプの人間であることは、最近知った。


「あー、いや……別に」


 誰とも目線を合わせずに、頭を掻きながら更衣室へ向かう。


「おい待てよ、五十嵐」

「…………」


 俺は思わず、彼女の前に立ちはだかり静止した。

 足を止め、怪訝そうに俺を睨んだ。


「……んだよ」

「んだよじゃねぇよ。最近遅刻多いし、練習もちょっと適当じゃねーか?」

「うるせぇな……てめぇは先生かよ」

「俺はマネージャーだ。部員のことを考えるのが役目だ」

「ったく……どけよ」

「セイヤ君の時もそうだけど、お前その態度やめろよ」


 練習場内に、緊迫した空気が流れる。

 他の部員たちは、心配そうに俺らを見つめるも、声を出せずにいた。


 沸々と五十嵐に対する怒りが湧き上がってくる。


「五十嵐、お前そんなに捻くれてる奴だったか?」

「うるせぇって言ってんだよ!テメーにウチの気持ちがわかるかよ!」

「言わなきゃ分かんねーだろうが!勝てなかったの思い出して捻くれてんだろ!?」


「はぁ!?お前みてーな親の力で成り上がって勝手に自滅した奴に言われたくねーよ!」

「てめぇこの野郎……ッ!」


 ガンッ!


 俺は、気付くと怒りに身を任せ、五十嵐が寄りかかる壁に拳を強く打ち付けていた。

 訪れる沈黙。鈍い音を上げた拳を打ち付けたまま、五十嵐を睨みつけた。


 五十嵐は意外にも、肩を竦ませて目を見開きながら固まっていた。

 触れてしまうくらいに、顔は近かった。


「大橋……ごめん、今のは言い過ぎ――」

「ゆるくやるのは勝手だけど……時間守んねーのとか、嫌味を言うのは違うだろ」

「…………」

「今日は帰れ、五十嵐――」


「大橋……怖いよ……」

「…………ッ!」


 恐らく、ここにいる部員が誰1人みたことないような形相をしていたのだろうか。


 拳を壁にぶつけた俺の目の前にいる五十嵐は、怯えながら目に涙を溜めていた。

 今にも溢れ返ってしまいそうに。


 カラスの鳴き声が外から響く。

 俺はその音で、ふと我に返った。


 俺、なんでこんなに……!


「い、五十嵐――」

「わりぃ、今日は言う通り帰る……!」

「お、おい!」


 静止しようとする俺の腕をすり抜けて、彼女は走り去ってしまった。


「…………」


 誰しもが沈黙していた。


 たしかに五十嵐とはいつも荒い言葉で罵り合っていたかもしれない。

 けど、俺が今回やったのは暴力みたいなもんだ。


「みんな……こんなことになってすまない……」


「お、大橋くん……」


 彼女はもうボクシング部に戻ってこないかもしれない。

 俺のせいで。


 あいつにボクシングの面で教えるようなことは正直あまりない。

 だから、他の部員を教えることで手一杯になっていた。


 あいつのボクシングに対する思いとか、事情とか、何も知らない。


 真面目なくせにチンピラみたいな口調で罵ってくる金髪ヤンキー。

 そう。



 俺は、1人の女の子を傷つけてしまった――。



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