第12話 ソフィア編① ~わたし、ボクシング部やめます~


「ソフィ、そろそろマススパーに挑戦してみよう」


「マススパー?」


 今日は土曜練習。

 時刻は午前10時。


 ウォーミングアップを終え、各自縄跳びに励んでいるところで、

 俺はソフィだけをリング上に呼び出した。


 縄跳びや地道なステップ練習も、もちろん大事なトレーニングだ。


 しかし、ボクシングを始めて3週間くらいであればそろそろ実践的な練習をしないと飽きてしまう頃。


「そう。マススパーリングっていうんだが」

「本気では当てず、寸止めか軽く当てるくらいで流すスパーリングのことなんだ」

「なるほど」


 ソフィが小さな顔を頷かせる。


「だから、特にヘッドギアは付けずにやる」

「ガチガチに戦うってよりは、実践での動き方や雰囲気を掴んでもらうためのトレーニングだ」


 説明すると、俺は16オンスの厚いグローブを渡す。


 相変わらず真っ白な細い手足。

 まあ3週間前に比べたら1~2kgは増量したのかな。


 グローブを装着すると、ブルーの瞳が不安げに俺を見つめた。


「大丈夫。俺も当てるが、寸止めか死ぬほど軽くだ」

「ボディブローは思いっ切り打ってほしい」

「ボクシングを性欲処理に使うんじゃねぇ、殴るぞ」

「殴ってください」

「俺が間違えた」


 銀髪が伸びた頭を軽くペシッと叩く。

 心なしか、ソフィは嬉しそうである。


 扱いづれぇなコイツ。


「足を止めないように動くことを意識するんだぞ」

「うん」


 無機質な声音で返事をする。


「よし、じゃあスタートだ」


 俺の合図と同時に、スポーツタイマーがホイッスル音を響かせる。

 タイマーは「03:00」を表示した。


「ジャブは距離を掴むためにもある!最初はジャブを積極的に出してけん制しよう!」

「わ、わかった……シッ、シッ」


 小さい体から、左手が伸びてくる。


 ジャブのスピードはなかなか早い。

 陸上時代、短距離と走り幅跳びをやっていただけあって瞬発力も申し分ない。


 その身軽な体を駆使した身のこなし方は分かっている。


 だが。


「ソフィ!近づきすぎだ!距離を置いて、飛び込める時だけ飛び込め!」

「うんっ……!」


 瞬発力と軽快なフットワークを持っているのなら、立ち止まって乱打させるのは勿体ない。


 ソフィもまた、アウトボクサーとして足を使った戦いに向いているはずだ。

 距離を置いて、動き回りながら様子を見つつ、チャンスで飛び込み一気に攻撃する。


 接近して攻撃してすぐ離れる、その繰り返し。

 いわゆる"ヒットアンドアウェイ"という戦法だ。


「俺の隙を見極めろ!」


 ソフィのパンチに、俺も幾度かカウンターを返す。

 もちろん、本気で当てずにだが。


 俺がわざと立ち止まると、ソフィはしっかり飛び込んでくる。

 そして3発4発、と自分なりにフックやストレートを織り交ぜてくる。


「はぁっ、はぁ……!」


 マススパーとはいえ、リングを動き回るだけで人のカラダは疲労するものだ。

 体力がある方とはいえ、初心者であればマススパーでも1ラウンドで息切れすることはある。


「残り30秒!動き続けろソフィ!」

「了……解……ッ!」


 普段は無表情で無機質なソフィが、歯を食いしばる姿はボクシング中しか見れない。


 無理矢理連れてこられた彼女だが、

 もしかしたらボクシングを好きになってくれているのかもしれない。


 やる気があるなら、俺はソフィがボクシングを嫌いにならないように、

 強くしてみせたいと思っていた――。






「――ッ!?」


 マススパーの2ラウンド目終盤で、ソフィが突然リングに膝を付いた。


「ソフィ!大丈夫か!?」


 俺はグローブを外し、うずくまる彼女に駆け寄る。

 いつしかもこんな光景はあったような……。


「これは……」


 しかし、今回は違った。

 右足首が、赤黒く腫れている。


「ソフィ、痛いか?」

「痛い……」


 恍惚の表情は浮かべていない。

 額に汗を浮かべたまま、苦い表情を浮かべている。


 どうやら足をくじいてしまったようだ。


「これは捻挫の可能性が高いな……学校のすぐ隣に病院がある」


 この状態だと、1人で歩けそうにはないな。


「よし、俺の背中に乗れ」

「えっ」


 ソフィは足を押さえながら、困惑の表情。

 俺はソフィの腕を掴み、無理矢理背中に乗せた。


「仕方ない!すぐそこだから!」

「えっ、えっ」


 戸惑うソフィに構わず、俺はおんぶ状態で出口まで走る。


「みんな!ちょっとソフィを病院に連れて行く!後は頼んだ!」


「えっ、ソフィちゃん大丈夫!?」

「チビ大丈夫か?」

「あら、ミス・ソフィ……無事でしたらよいのですが」


 各々が手を止めて、出ていく俺らを見つめていた。





「オーハシ、ありがとう」


「気にすんな。3日くらいは部活休んで安静にしなきゃな」


 病院で処置を終え、俺はソフィをおんぶしたまま学校までの道を歩いていた。


 おんぶし続けているが、俺の足がまったく辛くないほどコイツの体は軽い。


「それに、背中におっぱいの感触が全然しない」


「オーハシ、心の声漏れてる」

「うおっ!?」


 顔は見えないが、恐らくジト目で俺を強く睨んでいるだろう。

 強い視線を感じ、俺はソフィに見えてもいないのに都合の悪そうな顔をした。


「迷惑をかけた」

「格闘技はやっぱケガが絶えないからな、こういう時もあるさ」


 家どこなんだろう。

 送り届けるにしても、遠ければソフィの親に迎えに来てもらうしか……。


「ソフィはどこに住んでるんだ?」

「自由が丘」

「電車だと横浜から30分くらいか……親に連絡しようか」

「いや。お、親は……」


 言葉の途中で、黒塗りのベンツが俺らを横切った。


「おっと危ない……」


 立ち止まり、ベンツが通り過ぎるのを待つ。


「ん?」


 ベンツは通り過ぎることはなく、俺らの目の前で停車した。


「あっ……!」


 後ろで、ソフィが珍しく慌てたように声を漏らす。

 やがて、ベンツの運転席と助手席のドアが開いた。


「ソフィア!こんなところで何をしているんだ!」

「家にいないと思ったらこんなところにいたのね……」


 降りてきたのは立派な髭を生やした大柄の男と、肌の白い外国人の女だった。

 どちらも、小綺麗な格好をしておりベンツが良く似合っている。


「パパ、ママ……!」

「え?」


 俺は思わず立ち尽くした。


 パパ? ママ?

 何が起きているというんだ。


 パパ、と呼ばれた大柄な男が俺の目の前にズン、と威圧感を放ちながら立つ。

 で、でけぇ……。


「ゴホン……君は誰だね?」

「お、俺はソフィの同級生で大橋といいます。同じボクシング部で――」

「オーハシ、言わないで!」


 後ろから、緊迫した声と共に口を手で覆われる。


「ボクシング部……だと……?」


 パパ、ママと呼ばれた2人が怪訝そうに目を合わせる。

 数秒の沈黙。


「なあ、ソフィ……この人たちは両親か?」

「うん……そうなんだけど……」


「大橋君」


 目の前にいた男が、更に一歩詰め寄ってくる。


「娘を、こちらに渡してくれないか」

「えっ……でも」


 思わず一歩後ずさる。

 男の後ろで怪訝そうに俺とソフィを見つめる外国人の女が、こちらに歩き出す。


「ねえパパ、ママ……」


 ソフィが俺の肩をぎゅっと掴む。

 しかし、その手は男に強く握られてしまう。


「ソフィア。高校では勉学に集中するよう言ったはずだ」

「わ、わかってます……」

「これでは陸上を辞めさせた意味がないじゃないか」

「そうよソフィア!お母さん悲しいわ……!」


 やがて、ソフィの体は男に引っ張られ、俺の背中には誰もいなくなった。


 背中は軽くなったはずなのに、その空気は体が押しつぶされるように重かった。


「あの……ソフィは今日足をくじいてしまって」


 俺は耐え切れず2人に言葉を投げた。

 2人は鋭い眼光で俺を睨む。


「ああ、安静にさせる。そしてその"ボクシング部"とやらには一生顔を出さないだろう」

「えっ……!?」


 立ち尽くす俺を一瞥し、二人はソフィの手を引っ張り車へと吸い込まれていく。


「ちょ、ちょっと待ってください!」

「オーハシ……ごめんなさい……」


 その会話を最後に、ソフィも車へと吸い込まれ、やがてどこかへと消えてしまった。


「…………」


 おい。

 ソフィ、俺は何も聞いてないぞ。


 お前は、ボディブローに発情してボクシングを好きになった変態ロリ女だろ。

 こんなところで突然いなくなるなんて……


 聞いてないぞ、俺は。






「ソフィ!」


 勢いよく1年6組教室のドアが開く。


 事件明けの月曜日の朝、俺は耐え切れずこの教室に飛んできた。

 教室の奥に小さな体の銀髪ツインテールが見える。


 不審そうにざわつく生徒たちを無視し、教室の窓際最後列に座っているソフィを目掛けて走る。


「オ、オーハシ……」


 机の前まで来ると、肩を落としているソフィが気まずそうに目を逸らした。

 学校には来ているようでひとまず安心ではあるが。


「土曜日のアレは一体なんなんだ……!」

「ごめん……」


 まだ目を合わせようとしない。


「ごめんじゃなくてさ……事情は言えないのか?」

「…………」


 長い沈黙のあと、周りの喧騒に掻き消されてしまいそうな声音で。


 俺を驚愕させる一言を言い放った。



「わたし、ボクシング部やめます」



 後から思えば。



 俺はソフィのことを、何も知らなかったのかもしれない――。



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