第11話 輪島編② ~部長なんか、やる資格ない~
「大橋くん、遠慮せずいっぱい食べてね!」
「は、はい……」
生活感のあるリビング。
木造のダイニングテーブルに、大盛のカレーライスが置かれた。
俺は、輪島さんの家に来ていた。
弟たちの遊びに付き合ったお礼に、輪島さんが夕飯をご馳走してくれることになった。
椅子に腰かける俺を見て、輪島さんは優しく微笑んだ。
これはもう、お母さんの顔だな。
エプロン姿のまま、輪島さんも対面に腰掛ける。
あんまりまじまじ見られると、食べるのにも緊張するな……。
野菜と鶏肉がてんこ盛りの具沢山なカレーライス。
カレーライスに目線を落とすと、香ばしいスパイスの香りが鼻を突き刺した。
「輪島さん、わざわざありがとうございます」
「全然!むしろ付き合わせちゃってごめんねー」
「いえいえ……では、いただきます」
女の子の作った料理を食べるのなんて、もう何年ぶりだろうか。
満面の笑みで俺を見つめる輪島さんに緊張しつつも、俺はスプーンでカレーを掬い取り、口に放り込んだ。
「お、おいしいです……!」
「本当~!? やったぁ」
やばい。
めちゃくちゃ美味しい。
「輪島さん、さすが料理うまいんですね」
「いやぁ、カレーは簡単だからさ」
そう言いつつも、輪島さんは照れ臭そうに笑った。
輪島さんもカレーライスを食べ始める。
「こら!早く食べなさい~!」
輪島さんが奥の居間でゲームをしている弟2人に叫んだ。
弟2人はその言葉を聞くこともなく、ゲームに興じている。
「はぁ……」
「大変ですね」
苦笑を浮かべながら、カレーを2口、3口と頬張る。
あまりにも美味しい……。
俺は気付くとがっつくようにカレーライスを頬張っていた。
「ちょっと大橋くん、口の周りにご飯粒ついてるよ」
「えっ……すいません」
ふふっ、と無邪気に笑う。
俺は恥ずかしさで少し顔が熱くなった。
「もー、大橋くんも子供なんだね」
「い、いやそんなことは……」
「ボクシングしてる時は大人びてるのに……かわいいんだから」
――鼓動が高鳴るのを感じた。
輪島さんって、こんなにオトナの魅力あったっけ?
普段の何百倍も、妖艶に見えた。
「ほら、取ってあげるから」
輪島さんの長くて細い指が、俺の口元に伸びてくる。
「ちょ、輪島さ――」
「ん、取れた」
その指で、口元に付いた粒を掬い取る。
指についた粒を、自らの口の中へ入れた。
「わ、輪島さん……!」
「もしかして、照れちゃってる?」
「照れてるとかじゃなくて!」
「ふふっ、ちょっと興奮しちゃった……?」
顔と胸が熱い。
官能的な目つきで、俺を見つめた。
今の輪島さんからは、フェロモンが溢れ出ている。
「はーっ、バカにしてるでしょ俺のこと」
対照的に、俺は輪島さんをキッと睨んだ。
すると、輪島さんは不敵そうに笑ってカレーライスに目を落とした。
俺も、輪島さんから目線を逸らす。
カレーのスパイスのせいか、何のせいか、汗が額から流れるように垂れてきた。
少しの沈黙のあと、口火を切ったのは輪島さんだった。
「バカになんてしないよ。大橋くんが部に入ってくれて、私すっごく助けられてる」
「…………」
別に、ボクシング部の廃部を阻止するためだけに入ったわけではない。
そもそも、そこまで俺はお人好しじゃない。
俺も、好きでやっているだけだ。
「でも、輪島さんが俺に声をかけてくれなかったら俺はクズのままでした」
「え、そうなの……?」
「入学当時、やることがなくて……女遊びにしか脳がなかった俺を目覚めさせてくれました」
「大橋くん……」
「え、ヤリチンなの?」
一瞬で、心配そうな目がジト目に変わった。
「そういうわけでは……!」
「私たちを散々、性欲お化け扱いしておいて……悪いやつだね」
ムッとしながら食べ終わった2つのカレーライスの皿を、シンクへと運ぶ。
「輪島さん……ご馳走様でした」
「私ね、本当はボクシング部をこのまま終わりにしようかなって思ってたんだ」
「え、終わりに……?」
「うん、私には人を集める力もないし……まず私が弱いんだもん」
椅子に再び腰を掛け、目線を下に落とす。
「いつまでたっても弱いし、部長をやれるようなリーダーシップもないし……」
「部長なんか、やる資格ない」
小さな声音で、俯きながら呟く。
俺は、なんとなく。
輪島さんがもう涙を流してしまう直前であることを悟った。
「輪島さんの部屋に行ってもいいですか? 2人きりで話したいです」
「私の……部屋……?」
輪島さんが、キョトンとした。
「綺麗な部屋じゃないけど……どうぞ」
輪島さんが部屋の電気を付ける。
白を基調とした、多少生活感のある6畳の部屋だった。
輪島さんは気まずそうな顔でベッドに腰を掛ける。
「おじゃまします」
俺は輪島さんの隣に腰を掛けて、彼女の目を見つめた。
目が合うと、彼女は一度目を逸らす。
「いきなり部屋に行きたいなんて……私のこと襲うつもりかな?」
がおー、と両手を構える輪島さん。
俺は思わず吹き出してしまう。
「ははっ、そんなんじゃないですよ。ただ……」
「ただ……?」
「弟たちがいる前で、泣けないかなって思って」
「…………ッ!」
刹那、鼻を啜る音が隣から聞こえた。
「輪島さ――」
彼女の丸い目から、ぶわっと涙が溢れ出していた。
「うっ……大橋くん……うぅっ……大橋くん……っ!!」
輪島さんは、俺の胸に顔を埋めて、腰をギュッと強く握った。
俺は、その豆だらけの小さな手を、上から力強く握った。
「私……ッ! 強くなりたいのに……もっと強いお姉ちゃんになりたいのに……っ!」
「どうして……どうして神様は私に才能をくれなかったの……ッ!?」
涙で胸がズブ濡れになっているのを感じた。
震える彼女の黒い髪に、俺は手を置き、ゆっくりと撫でた。
「輪島さん……輪島さんは、もう強いお姉ちゃんです」
「強くない!ばか!神様のばか!大橋くんのばかぁっ……!」
「うっ……うああぁああんっ……!」
駄々を捏ねる子供のように、俺の膝を叩きながら嗚咽を漏らす。
違う。あなたは強い。
強いんだ。
だけど――
「技術とかの話じゃないんです。輪島さん、あなたは誰よりも強い心を持ってる」
「う、うぅっ……こころ……?」
次元の違う強さを誇る五十嵐とスパーリングをしても、彼女は臆することはなかった。
果敢に立ち向かって、その諦めない気持ちが逆転のカウンターを生む。
俺は気付かされた。
輪島ひかりは"当て勘"がいいのではないんだ。
その勇敢な気持ちが、相手の一瞬の隙を生んでくれるんだってことを。
「輪島さん、でも今日くらいは我慢せずたくさん泣いてください」
その言葉と同時に、輪島さんがさらに俺の胸を涙で濡らし始めた。
「なにが、大橋くんも子供なんだね、ですか。輪島さんだって子供みたいに泣いちゃって」
「うああんっ……う、うるさい、ばか!大橋くんのばか、ばかばかばか……!」
俺は、輪島さんが泣き止むまで、手を握り続けた。
「ぐすん……本当にごめん」
目を腫らせて充血させた輪島さんが、頭を下げた。
下げた髪も、もうくしゃくしゃになっていた。
「謝らなくていいですよ、気分は落ち着きましたか」
俺は、勝手にキッチンを借りて淹れたミルクティーを輪島さんに手渡す。
温かいマグカップを両手で持ちながら項垂れる。
「温かい……ありがとう」
「いえ……」
普段の大らかで明るい輪島さんはそこにはいなかった。
弱々しくて、しおらしい、17歳の女の子がいた。
「ねえ、大橋くん」
「どうしました?」
「もっかい、ぎゅーってしていい……?」
「…………今回だけですよ」
俺は、彼女が両手で支えているマグカップを取り上げた。
ボクシングの雑誌が乱雑に並べられた学習机にそれを置き――
「輪島さん、意外と甘えん坊なんですね」
「みんなに……言っちゃだめだからね」
細くて白い、輪島ひかりの身体を、静かに抱き締めた。
昼休みの中庭。
いつか一緒にご飯を食べたベンチに、俺と輪島さんは横並びで座っていた。
前に来たときより、少しだけ木漏れ日が熱く眩しく感じた。
「5月だけど、もう夏みたいだね」
「そうですねぇ」
輪島さんが、胸元をパタパタと小さく仰いだ。
太陽を見上げて、俺は眉間に皺を寄せた。
ピンク色の弁当箱には、以前と打って変わって白米や肉や魚、野菜が、
満員電車のように押し込められていた。
「食べるようになったんですね」
「今は、カラダを作らなきゃいけないって……大橋くんに教わったからね」
暑い日差しの間を、心地よい微風が走り抜けた。
「教えをしっかり守っているようで、大橋先生は大変嬉しいです」
「なにそれ、ふふ」
この人は、まだボクサーとしては弱い。
けれど、想いを背負って拳を握っている。
だから、もうボクシングができなくなった俺の使命はきっと。
「輪島さん」
「ん?」
「俺が、輪島ひかりを強い女にしてみせます」
1人の、悩ましき頑張り屋な女ボクサー。
彼女は、屈託のない笑顔で大きく頷いた――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます