第3章 それぞれの想い、そして恋情。
第10話 輪島編① ~私は3年前、風音ちゃんに憧れたの~
「父ちゃん父ちゃん! 俺、全日本優勝したよ!」
「拳弥、お前は本当にすごいやつだよ。もう日本一の小学生ボクサーだ」
「へへ…」
試合会場の控室。
坊主で髭の濃い父ちゃんが、俺の頭をわしゃわしゃと撫でる。
たった今、小学生全日本チャンピオンになった体で、父ちゃんに強く抱き着いた。
「父ちゃん、俺、本気でボクシングで世界一になりたい」
「いつかそう言うと思ってな……父ちゃん、お前がもっと強くなれるところを用意したんだ」
「もっと強くなれるところ……?」
「そうだ。拳弥、アメリカで修行しないか?」
父ちゃんの目は輝いている。
きっと、俺の目をそれよりもっと輝いていたと思う。
「アメ……リカ……?」
「アメリカのラスベガスってところには、拳弥が世界一になるための人や環境がある」
「俺が世界を獲った時に、教えてくれていた人がそこにはいるんだ」
俺は、想像したこともなかったアメリカに行くという選択肢に、心が躍った。
正直、海外に行くということはよく分からないけど、とにかくもっと強くなれる。
「俺……強くなりたいっ……!」
「拳弥、来年からはラスベガスでボクシングをやろう」
「うんっ……!」
既に小学生では日本一だった俺が、これを機に「天才」と呼ばれるようになった。
何度も何度も、世界チャンピオンになる瞬間を脳内で再生した。
どんどん強くなっていく自分自身に、期待が膨らんでいた。
まだまだ強くなれる気がした。
だから、さらに「強くなりたい」と思った。
死にそうになるくらい、心が躍った。
――――――――――――
――――――
―――
―
「残念ながら……足の状態は、さほど回復していませんね……」
白衣姿の年配な医師が、困ったような顔で俺に告げた。
「そうですか……」
右足を見つめる。
インターハイを目指すと豪語した約1週間後、5月5日。
今日は6回目の通院だった。
たかが右足1本のせいで、人生がすべて変わっちまうとはな。
ここに来ると、毎度毎度改めて実感させられる。
医師はくるっと椅子を回転させると、モニターに映し出されるレントゲン写真を見つめる。
俺もつられてモニターに目を向ける。
「回復の見込みはまったくないわけではないが……うーん……」
その医師の言葉が気を遣っているだけなのか、本当に回復の可能性があるのかは分からない。
自分自身、もう諦めている。そうは言ってみるものの。
毎月、健気に通院している俺も、わずかな可能性を心の底では期待しているのだろう。
「ありがとうございました」
もうこの医師とも顔馴染みだな。
俺は、礼を告げてクリニックを後にした。
クリニック近くの公園にて、俺はベンチでうなだれていた。
ここはなかなか大規模であり名の知られている公園で、
日曜日ということもあり子供から大人まで多くの人が賑わっている。
大きな木の下に備えられたベンチに座ると、
心地よい微風と、上からは木漏れ日が差す。
去年の11月に怪我をして帰国してからは、
通院の度にこの公園に訪れるのがルーティンとなっていた。
毎回のごとく、同じベンチに座り、自販機で買ったコカ・コーラの缶を開ける。
プシュ、と弾ける音と共に、白い泡が流れるように溢れ出す。
「この光景ももう6回目か」
特に何をするわけでもない。
ただ、呆然と、遊ぶ子供や揺れる木々を眺めてコカ・コーラを喉に流し込む。
2人の子供が、サッカーボールを追って走っている。
男の子。どちらも小学校低学年くらいだろうか。
やがて、1人の男の子が蹴りだしたボールが、俺の足元へコロコロと転がってくる。
「…………」
「おーい! 投げるぞー!」
「おねがいしまーす!」
俺はボールを拾い上げ、その子供たちに――
「わー! ウチの弟たちがごめんなさい!ご迷惑おかけしました!」
どこから出てきたのか、黒髪の女性が頭を下げながら現れた。
「あ、全然大丈夫ですよ」
「すみません、ありがとうございます……!」
女性は、振り下ろした艶やかな黒髪と共に頭を上げた。
……え?
「輪島さん……?」
「お、大橋くん……!?」
「おにいちゃーん!早くボール投げてよー!」
ボールを抱えたまま、俺は呆然と立ち尽くしていた。
「おらっ! 俺にボール取られっぱなしでいいのか!?」
「おにいちゃんズルい! おりゃ!」
「ぐおぉっ!? おいコラ、カンチョーは反則だろ!?」
「ギャハハハハ!」
気付くと、俺は子供たちと遊んでいた。
端では、輪島さんが微笑みながらサッカーに興じる俺たちを眺めている。
子供たち――輪島さんの弟2人に、何故かは分からないが非常に懐かれていた。
俺が気まぐれでちょっとサッカーに付き合ってあげたら、
どうやら弟2人はものすごく俺のことが気に入ったらしい。
かれこれ2時間ほどは遊んでいるだろう。
子供とサッカーをするくらいであれば、本気で走ることもないし足は大丈夫なのだが。
「ちょ、ちょっとさすがに疲れた……」
子供と遊ぶというのはこれほど体力を使うのか。
俺、全国のパパやママのこと尊敬しちゃう……。
「ごめん……おにいちゃんちょっと休む……」
「おにいちゃん体力ないなー! それじゃ強くなれないよ!」
「おにいちゃん、これでも一応アメリカのチャンピオンなんだ……」
俺は、よろけながら元々いたベンチにへたり込む。
「ふぅ……」
「大橋くんごめんね~、本当にありがとう」
輪島さんが苦笑いを浮かべながら隣に座った。
私服姿は初めて見る。
ジーンズ地のショートパンツに、少しオーバーサイズなベージュのパーカー。
意外とカジュアル系の格好なんだな。
こうしてみると、スタイルもよくて美人であることを再認識させられる。
「全然いいですよ、俺も気晴らしになりました」
「そう言ってくれると嬉しいな……弟たち、大橋くんのことすごく気に入っちゃったみたい」
俺にもあんな無邪気な頃があったな。
「輪島さん、お母さんみたいですね」
「前にも少し話したけど、私の家庭ってシングルマザーでさ……」
「は、はい……」
輪島さんが、遊ぶ子供たちを見つめながら言葉を紡ぎ始める。
「実は弟があともう1人いて、私と弟3人の4人姉弟なんだよね、だから」
「私くらいしか弟たちに構ってあげられる人がいなくて……」
「弟たちは、大橋くんみたいな年上のお兄ちゃんが遊んでくれてすごく嬉しいんだよね、きっと」
「そうですか……」
輪島さんは笑ってはいるものの、目はどこか切なげだった。
目の奥に暗さを感じた。
前に、親が忙しくて代わりに病気の弟を迎えに行っていたな。
そりゃ、子供4人育ててたら仕事も忙しくなるわな。
「じゃあ、休日はこうしてよく遊びに連れて行ってるんですか?」
「そうなの。全然イヤじゃないけどね」
弟3人の世話も見て、学校も行ってボクシングもしてたら負担はかなり大きいだろう。
ん、そういえば3人目の弟は……?
「もう1人弟がいるんですよね?」
「うん……」
輪島さんの顔から笑顔が消えた。
「いるんだけど……部屋から出てきてくれなくて」
「いくつなんですか?」
「その弟は高1。大橋くんと同い年だよ……でも」
「ずっと不登校で、ご飯を渡す時しかドアを開けてくれないの」
気苦労の多い生活だ……。
輪島さんのちょっと天然ながら包容力のある性格は、そういう生活から育まれたのだろうか。
「不登校、ですか」
「うん……中1の時いじめを受けてて、そのまま病んじゃってもう3年……」
「でもね!」
下を俯いていた輪島さんが、突然大きな声で言った。
その顔には笑顔が戻っていた。
「……?」
「昔ね、弟を助けてくれたヒーローがいて……」
「ヒ、ヒーロー?」
何の話だ?
「そう、ヒーロー」
「私がまだ中2で弟が中1のとき……この公園で弟はクラスメイトに苛められてた」
「ここで……」
「うん。殴られて、脱がされて、もう色々。それである日ね、私は下校中にその現場に出くわしたの」
輪島さんは、雲一つない空に目線を合わせた。
「私、弟が酷いことされてるのに……怖くて止めに入れなかった」
頭に手を添えながら、ハハ……と苦笑いを浮かべる。
無理して笑わないでくれ。
さすがに俺でも分かるぐらい、ぎこちなかった。
「公園の前で、足が震えて立ち尽くすことしかできなくて……」
「でも、そこでヒーローが現れたの」
「…………?」
「金髪のちょっとヤンチャそうな背の低い中学生の女の子が、それを見るなり猛ダッシュで飛んできてね」
「その場でイジメをしてる子たち、5人くらいいたのに全員やっつけちゃったの」
「それはなんて無双なんだ……」
「それで、その女の子は弟に何も言わず、どっかに行っちゃった」
「おとぎ話みたいなことがあるんですね」
「笑っちゃうよね……でも、その女の子に勇気を教わったんだ」
「それでもって、私が強くならなきゃ! って気付かせてくれたんだよね」
輪島さんが、グッと腕を上へ伸ばす。
そして、静かに微笑んだ。
「今でも色々その子には教わっちゃってるけどね」
「今でも……?」
それ以来、友達になったって話か?
しかし、その後の輪島さんの発言で俺は目を丸くした。
「風音ちゃん。私は3年前のあの日からずっと、あの子に憧れてる」
「い、五十嵐……!?」
俺は驚愕の表情を隠せなかった。
輪島さんがそれを見て、クスッと笑いながら手を口に当てる。
「まさか高校で再会するなんて思わなくて、ボクシング部に見学に来てくれた時、思わず言っちゃったの」
「そしたらなんて……?」
「風音ちゃん、そのこと全然覚えてなかった……ハハ、風音ちゃんらしいよね」
「それは……照れ隠しかもしれませんけどね」
「私は、誰よりも勇気があって、男の子よりも強い風音ちゃんにあの日憧れて……」
「もう弱さは見せられない。弟たちを守れる私になろうって思ったんだ」
「だから……」
「ボクシングを始めた」
輪島さんの目は真剣だった。
今まで、見たことないくらいに――。
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