第09話 ~俺は今年の夏、このド変態共とインターハイへ行く~


「ソフィ、今日は鏡の前でシャドーをやって、そのあと俺がミットを持つよ」


「わかった」


 放課後の練習場。

 突如連行されてきたロシアとのハーフ、1年生星野ソフィアの入部から3日。


 俺は、彼女のことをソフィと呼ぶようになっていた。

 周りもソフィと呼んでいる。


「おいチビー、昨日教えたけど構えた時に足が並行に揃うのはナシだぞ」

「うるさい。わかってる」


 五十嵐だけは、いまだに「チビ」と呼んでいるが。

 しかも、ソフィはまだ五十嵐を軽蔑している。


「五十嵐の言う通りではある。ボクシングにおいては、構えたときに……」

「肩幅くらいで足を開くことが基本だ」

「うん……」

「それより狭いと横からのパンチに踏ん張れないし、逆に広がりすぎても動きづらいんだ」


 俺が目の前で実際に構えてみせる。

 ソフィも俺を見ながら、そのコンパクトな体で構えを真似る。


「で、前の手はアゴより高い位置で構えよう。目の高さくらいかな」

「んっ」

「そうそう、後ろの手はアゴの横だ」

「こうかっ……」


 他の部員は基礎知識はあるものの、ソフィに関してはズブの素人だ。

 基礎中の基礎、本当の意味で1から教えている。


 俺はソフィの肩を掴み、キュッと半身に回転させる。


「これで、半身になる。体が正面を向きすぎてると、単純に相手が狙う面積が増える」

「ただ半身を意識しすぎると、足が肩幅より狭くなりがちだから注意だ」


「いち……に……さん……っ!」


 他の部員は練習場の中央で筋力トレーニングに励んでいる。

 部活らしくなってきたな。


 対して端っこ、鏡の前にいる俺は、

 この3日間、ひたすら構えやボクシングのルールをソフィに叩き込んでいた。


「マイクタイソンって知ってるか?」

「それは……素人のわたしでも分かる」

「あの選手は、両手を顔の前、目の下くらいの高さに構えて体が正面気味なんだ」

「さっき言ってたのと全然違う……」


 ソフィが構えた両腕を降ろし、首を傾げる。

 俺は言葉を続ける。


「そう。ありゃ防御は手薄だが接近戦が得意なインファイターは使うときもあるんだ」

「ピーカブースタイルっていうんだが、まあ、色んな試合をネットとかでも見た方が面白くなるぞ!」

「でも初心者は勿論やるべきじゃないし、まずはさっき教えた構えを遵守だ」


「そうなんだ。というか、オーハシって」

「ん?」


「練習中とか、ボクシングに関係あるときはすごい饒舌でハイテンションなんだ」

「そ、そうか……?」


 ソフィ特有の抑揚のないローテンションな声音で言われると、なんとなく核心を突かれたような気分になる。


 俺、やっぱここに来てから明るくなったのかな。

 自分ではわからんけど。


「余談をしちゃって悪いな。じゃあ、さっき教えた構えを意識してシャドーを3ラウンドやろう」

「了解した」


 常にジト目気味だし、テンションは低いし、この子は何考えてるか分からないな。







「お疲れ様でした!」


 時刻は20時。

 最後は軽いストレッチを済ませ、輪島さんが終了を知らせた。


「お疲れっしたー」


 五十嵐が額から垂れる汗をタオルで拭った。

 長谷川さん、ソフィは壁に寄りかかって水を飲んでいる。


「ふう……」


 俺はモップで床に散らばった汗を拭いて回っていた。

 ラスベガスにいた時は雑用とは無縁だったが、これもマネージャーの仕事だ。


「輪島さん」

「どうしたの、大橋くん」


 俺は、拭き終わったモップを壁に立てかけながら、輪島さんの名を呼んだ。


「部員も5人揃ってもう5月を迎えるってことで、今後のことを色々話しませんか」

「すーはぁ……はぁ……はぁっ、そうだね……」


 なんでこの人は会話の途中でグローブに鼻を突っ込むんだろう。

 もしかしてバカなのかな?


「発情中すいませんが、話を進めましょう。五十嵐とソフィ、長谷川さんも少し時間いいですか?」


「みんな先帰っててくれ!ウチちょっと練習場に残るわ!」

「みんな帰った後リングでオナニーしようとすんな」

「ミス・ソフィ、今日はこの筆下ろしAVを観てほしいのですわ」

「ロリっ娘を童貞好きに引き込もうとすんな、属性のブレが生じる」

「これは、男性が女性のケツを叩くシーンはありますか……?」

「自分の性癖を主張すんな。あと筆下ろしAVにSM要素は絶対ねーよ」


 なんだこの部活。


 息切れと共に怒りが込み上げてきた。


「お前ら整列しろ!ったく、どいつもこいつも性欲盛りやがって」


 珍しくブチ切れた俺を見て、さすがに全員が1列に並ぶ。

 全員を一瞥し、俺は口を開いた。


「ええと、部の存続はクリアしました」

「夏に向けてこれからも練習をしていくわけですが」

「輪島さん、これからはどんな方向性で行きますか?」


「んーと……去年の夏は、3年生が1人バンタム級でインターハイに出たんだよね」

「まあ1回戦で負けてしまったのでございますが……」

「やっぱり、高校ボクシングは強豪校が固まっているというか……」


 輪島さんと長谷川さんが目を合わせる。


「そうですか。とりあえずちょっと、みなさんの体重を教えてください」


 体重。

 普通だったら、こんなこと女子には聞かないし聞けない。


 だが、これは体重が最重要要素であるボクシングだ。仕方ない。


「ええと……私は今は53kg、かな」

「輪島さんは普段体重を少し増やして、試合前に軽く減量して調整次第バンタム級にでましょう」


「わたくしはお恥ずかしい話、今62kgありますわ」

「さすがばくにゅ……ゲフンゲフン。ではライトウェルター級か、少し絞ってライト級の出場を目指します」


「ウチは54kgだ」

「五十嵐は、そうだな……そのままでバンタムに出るか、少し絞ってフライ級か、どうしたい?」

「まあ、身長を考えるとなるたけ軽いフライ級に出てーな。数キロ絞るわ」


「それが賢明だ。ちなみに、ソフィは今何kgある……?」

「39kg……」


 全部員が凍り付く。


「かっる!?ソフィにまだ試合は早いが、1番軽いピン級でも46kg以下の階級だ。むしろ少し体を大きくしよう」

「わ、わかった」


 その隣では、爆乳プリンセスが涙目になっていた。

 みんながいる前で聞いちゃってごめんな、心の中でめちゃくちゃ謝るよ。


 俺は手を数回叩いた。


「よし、細かいことは個人的に今度2人で話す機会を作る」

「俺も指導経験は一切ないから、夏の県大会までに色々な練習を試す」

「合宿やら……出稽古やら……まあそれも竹原先生と相談してスケジュールを練る」

「俺と部長の輪島さんでその辺は進行していきましょう」


 輪島さんは汗だくで何やら熱心にメモを取っている。

 ソフィは棒立ちのまま、長谷川さんはその乳と頭を静かに頷かせた。


「大橋、お前本気だな」


 五十嵐が頭を掻きながら苦笑を浮かべる。


「五十嵐、お前が1番実力あるんだ。たのむぞ」

「へいへい」


「と、いうことで……」


 俺は全員と、1人1人順に目を合わせた。


 思えばすげークセ者揃いだな。

 実力もまちまちだし。だけど。



 このド変態共と俺は――



「インターハイに行くぞ、絶対」


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