第2章 強くなるために

第06話 ~初練習で、輪島ひかりの性癖の全容が明らかになった~

「今日からマネージャーになりました、改めてよろしくお願いします」


「マ、マネージャー?」


 五十嵐風音が眉を顰めて言った。


 輪島ひかりにボクシングを辞めた理由を打ち明けた翌日、俺は放課後すぐに練習場へ訪れた。


「そうなの、大橋くんは今日から女子ボクシング部の一員!」

「わたくしは、昨夜ひかりんから話を伺っておりましたのだけど」


 スポーツウェア姿で、腕を伸ばす2人。

 長谷川さんのスポーツウェアの胸部が、さらに山のように張る。


 何度見ても爆乳。

 何カップなんだろう。1人の健全男子としてそこは気になる。


「マネージャーとはいえ……女子ボクシング部って男子入れたんだな」


 呟きながら、五十嵐が他2人に倣って腕を伸ばす。


 正統派清楚系アイドル、グローブの臭いで発情する部長、輪島ひかり。

 見た目ヤンキー、リング上でオナニーをする性癖を持つ同級生、五十嵐風音。

 学校長の娘であり爆乳のプリンセス、童貞を愛してやまない副部長、長谷川麗。


 俺はこの3人と、共に戦っていくサポートをすると決意した。

 形は違うけれど、またボクシングと一緒に生きていける。


 少し、嬉しかった。


 って、ん?


「輪島さん」

「どうしたのー?大橋くんも練習着に着替えないの?練習始まっちゃうよー」

「一つ確認させてください」

「うん……?」


「5人以上集まらなきゃ、廃部ですよね?」

「そうだよー」

「始動!みたいな雰囲気だしてますけど、1人足りてないですよね?」

「うん」

「これ、いつまでに集まらなきゃ廃部なんですか?」

「4月中だよー」

「4月中。今日は4月12日金曜日ですよね」

「そうだね」

「てことは、あと2週間で部員をもう1人増やさないとこの部は潰れる」


 始動してません。

 なんならスタートラインにすら立っていません。


「大丈夫なんですか!?」

「チラシとかは配ってるけど……なかなか人が寄り付かなくて……」

「まあ……今時ボクシング好きな若い女の子なんてあまりいませんからね…」


 たしかに最近は、キックボクシングやMMA(総合格闘技)が人気だ。


 15~20年前くらいに魔裟斗やピーター・アーツ、ジェロム・レ・バンナ等が大活躍していたK-1が流行って、

 今でこそキックも多少人気が落ち目なものの、

 ボクシングよりもきっと人気や馴染みはあるであろう。


 近年のジムも、ライトな女性会員を受け入れる体制を整えているところばかりだし。


「なかなかピンチですね」

「ウチらで何とか新入生連れてくるしかねーだろ!存続のために!」


 五十嵐が唾を飛ばしながら拳を握りしめた。

 こいつ熱血系の人なん?キャラぶれてね?


「まあたしかに、俺らで同級生から当たって何とか引っ張ってくるしかないなぁ」

「大橋くん、風音ちゃん……助かるよ~」

「チェリーボーイをもう1人マネージャーに迎えるのもよろしいですわ!!」


 もう無視しよう。


「それも後でミーティングしよう!大橋くん、今は練習始めるから着替えちゃってね」

「あ、すいません、更衣室は……?」

「大橋、ここは女子更衣室しかねーよ!その辺で着替えろよ、男なんだからさ!」

「お、おう」


 俺は、練習場の隅で、こそこそとトレーニングウェアに着替えた。

 シューズを履いてキャンバスマットを踏むのは、もう半年ぶりか。






 シューズと床が摩擦する甲高い音、サンドバッグを打つ鈍い音。

 ミットが破裂音を立てて響く。そして熱気と蔓延する汗の臭い。


「輪島さん、下半身がブレてます。右足が踏み込み切れてない、これじゃあ強いストレートは打てません」

「う、うん……シッ! シッ!」


 パシン、パシン、と俺の持った黒いミットがリズムよく快音を響かせる。


「打った後カラダを前や横に流さない!急いで打たず、どっしりと重心を安定させてください」

「わ、わかった……!」


 体幹が鍛えられてないせいか、輪島さんのパンチは力が十分に伝わり切っていない。

 たしかにフィジカルトレーニングをしているところはあまり見たことがない。


 格闘技で1番大事なのは下半身、だと俺は思う。


「パンチは腰と背中で打つんです」

「腰と背中……シッ!」


 うーん、多分運動神経は良くないなこの人。

 体の動かし方、力の伝え方ががまだまだ素人だ。


 刹那、ホイッスル音がなる。

 ホイッスル音を響かせたスポーツタイマーが「00:00」から「00:30」に変わる。


「輪島さん、次のラウンドは今伝えたことを意識してシャドーをやってください」

「うん!」

「次! 長谷川さんミット打ちです!」

「承知ですわ!」


 リング上が汗で湿る。

 床から熱気が押し寄せ、さらに全身から汗が滴る。


 サンドバッグ前にいた長谷川さんが、

 グローブより大きな胸を揺らしながらリング上に駆け上がる。


 再び、ホイッスル音。

 スポーツタイマーが「03:00」を表示し、俺はミットを構える。


 対面してみると、身長、同じくらいだ……。

 170cm前後ってとこか。


「お、サウスポーですか」

「その通りですわ、昔から左利きですの」

「OKです……まずは実力を見ます。ダブルジャブ!」


 パン! パン! と鈍い音。


「避けて、もっかいジャブ!」


 動きがコンパクトじゃないな。

 ジャブは早さが命なんだから強く打とうとする意識は要らない。


「次はワンツー!」


 この不安定なフォームじゃ、基礎からやり直しだ。


 バシィィィィンン!!


「えっ……?」


 刹那、ミットを持つ左手に重く鋭い衝撃が走った。

 その想像以上の威力に、俺は思わずミットを引いた。


「いってぇ……!!」

「あら、ミスター拳弥。まだ終わっていませんわよ!」


 なんつー重いストレートだ……。

 正直、同い年の男でもこんな重いパンチはなかなか出せない。


「す、すみません…! えーと、ワンツー右フック!」


 よくも、このブレッブレのフォームで……。

 スピードはそこまでないし、ガードも甘いが、一発で相手をダウンさせるくらいのパワーはある。


 いわゆる、典型的なハードパンチャーってやつだ。


 手に痺れを感じつつ、間髪入れずパンチを撃ち込ませる。

 左フック、左アッパーも重くて堅い。


 そこで、ホイッスル音。


「長谷川さん、すげーいい左です。あとでフォームをチェックしましょう」

「はぁ……はぁっ……承知ですわ……!」


 息を切らして、激しく空気を吸う音を立てながら、リングを降りていく。

 ええと、次は。


「五十嵐!」

「おう!」


 勢いよく、スムーズな動きでローブを潜り、俺の目の前に立つ。

 既に汗で濡れたトレーニングシャツが肌に張り付いている。


 身長は155~160cmの間くらいか。

 肉付きはいいから、身長にしては少し重量の階級でやってきたのだろうか。


 ホイッスル音が鳴ると、例の如くミットを構える。


 俺の指示に従って、リズムよくパンチが撃ち込まれていく。

 カウンターを織り交ぜても、軽いフットワークで回避し、素早くコンビネーションが打ち返される。


 上手い。


「中学時代はどこまでいったんだ?」

「あ?一応、2位までだよ」

「全日本でか?」

「おう」


 そりゃレベルが違うわけだ。

 女子でこれだけ上手いコンビネーションとフットワークがあれば、

 高校でもきっと――


 ――なんでこいつはこんなところにいるんだろう?


 強豪のボクシング部から声が掛かるだろうに。

 色々あった……とか言ってたな、前に。


 こんな性格だから、きっと力任せの荒いボクシングをするのかと思いきや、

 無駄な動きがなく、教科書通りのなかなか基本に忠実なオーソドックス・スタイル。


 KOが少ないアマチュアボクシングにおいて、

 基本に忠実で手数が多いことはポイントを取る上で重要な要素だ。


「五十嵐、ラスト30秒はもっと動き回りながらスピード重視で行くぞ!はい左ボディからのフック!」

「シッ……! シッシッ……!!」



 ―――――――――

 ―――――

 ――


「あれ?これ誰の靴下?」


 休憩中、練習場の隅に落ちていた黒い靴下を、輪島さんが持ち上げた。


「あっ、すいません俺のです。脱ぎっぱなしにしてました」


 練習用のソックスに履き替えた際、片付けるのを忘れていた。

 輪島さんは靴下を片方ずつ両手に持ったまま、近づいてくる。


「あ、汚いんで持たなくて大丈夫ですよ!」


 今日、体育もあったし、その靴下は……。


「全然大丈夫だよ! くんくん」

「あ、ちょっと輪島さ――」

「はぁぁああぁあぁあん!!!」

「はぁ……はぁ……これが男子の靴下の臭い……くっさい……はぁはぁ」

「くっさいけど……すきィ……んぁっ、これしゅごい……っ!」


 汗の滴る太ももに、キュッと力が入った。

 激しく肩で息をしながら、顔を紅潮させ体を震わせる。


 靴下に顔を埋めながら。

 絶頂した。


「大橋くん、これ持ち帰って使ってもいい……?」

「ダメに決まってるでしょ」


 "使う"ってなんだよ、"使う"って。


「……ハッ!? ごめん、またクセが……!?」

「グローブの臭いが好きなんじゃなかったんですか?」

「い、いやぁ……元は男の子特有の汗とかの臭さが好きで……恥ずかしいっ」

「なるほど、納得しました。早く靴下返してください」


 納得してません。

 グローブの臭いが好きなんじゃなくて、その類の臭いであればオーガズムを感じることができる。


 新たな発見。

 いや発見したくもなかった。


 だからこの汗臭さLv.100みたいな練習場に延々といられるわけか。


「臭い嗅いでる場合じゃないですよ、ポカリ作っといたんで補給したら練習再開しましょう」

「う、うん……!」


 もはや、マネージャーっていうよりインストラクターだな。俺。



「じゃあ次は、ディフェンスを基礎からやります!水分補給した人から鏡の前で並んでください」




 変態たちとの青春……脳内にゴングの音が鳴り響いた――。




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