第05話 ~元天才ボクサー、大橋拳弥はド変態との共闘を決意した~

 ミットを打っていた輪島さんの足。

 ショートパンツが汗で張り付いてて何ともエロ……違う違う。


 あの人は右利きだったから、ストレートを打つ時は右足で踏ん張る。

 ただ、ミットを打っていた輪島さんの右足は、踏ん張り切れておらずどうも力が横方向に逃げていた。


 重力を右足に乗っけきれていない。しかもコンビネーションを打った後に必ずガードが下がる。


 パンチは、出す速さより引く速さが大事だ。


 強く前に出す意識だけすると、重心が前方に流れて、次のアクションを起こすのが僅かに遅れる。

 恰好の的、つまりカウンターの餌食だ。


 こりゃ初歩的なことだ。


 あの人、いつからボクシングやってたんだろう――




「あら、ミスター拳弥! ごきげんよう、昨日ぶりでございますわね」


 この人、いつから爆乳になったんだろう。


「ミスター拳弥? 聞いてますの?」

「どうして校門で呆然としていられますの?」


 この人、なんで朝の登校時ですら黒い袋をぶら下げているんだろう。


「ミスター拳弥っ!!!」

「ハッ!?」


 長谷川麗(はせがわれい)。

 この爆乳金髪プリンセスは、昨日出会ってその人間性がよく掴めぬままだった女だ。


 その甲高い声で我に返った。


「あ、ああ……長谷川さん、おはようございます」

「ごきげんよう。あなた校門で何を呆然をしていらっしゃるの?」

「ええと……考え事をしてまして……」

「もしかして恋煩い、ですとか」


 恋。

 そういえば、最近は悪友たちと女の子を狩りに行ってない気がする。


 まああんなの、暇つぶし以上でも以下でもなかったし。


「あらあらミスター拳弥……これは図星でございますね?」


 ニヤニヤしながら顔を近づけてくる。


「いや……」

「ですが……非童貞のヤリチンな殿方の恋愛話には、わたくし一切興味がございませんので!!」


 なぜか突然キレて下駄箱に向かって歩いて行った。

 相変わらず大きくカールした髪が、フリフリと揺れる。


「あー童貞バンザイ!」


 何か叫んでいる。


 本当に何なのこの人?

 どういう自己完結の仕方なの?


 置いてけぼりになった俺は、トボトボとその後ろを追ったのだった。






「え、あの人、学校長の娘なの?」

「って、ウチは聞いたぞ」


 昼休み。

 俺が教室でカレーパンを貪っていると、真面目ヤンキーこと五十嵐風音と目が合った。


 どちらからともなく、雑談をしていると思いもよらぬ情報が耳に入った。


 長谷川さんが学校長の娘……?


「まあ確かに、雰囲気はお嬢様だけどさ……」

「この学校ってさ、割と設備とかに金かけてるタイプだろ?」

「この学校すげー広いもんな、練習場も立派だし、綺麗な中庭もあるし」

「そそ、ウチも最近聞いたんだけどよ、その立派な学校法人様の娘だって」


 自分の娘が、自分の作った学校の校門で「童貞バンザイ!」と叫んでるのを知ったらきっと涙を流すだろう。


「へぇ、じゃあなんであの人がボクシング部なんかに?」

「ダイエット目的だと思う、まあ最近じゃジムもライトな女性会員が多いご時世だろ?」


「っていう五十嵐は何目的でボクシング部に入ったんだ?」

「え、ウチは……まあ、なんだ、格闘技くらいしかすることないし」

「昔からやってたんなら、名門のジムか高校ボクシング部に行けばよかったんじゃないのか?」

「うるせーな。乙女の心は難しいんだよボケ」


「お前の口から乙女って言葉が出てくるとは……」

「ローブローすんぞ」


 説明しよう!

 ローブローとは、ザックリ言うと"下半身への攻撃"である。

 すっごく痛いぞ。


「まあ、色々あったってわけか」

「大橋お前も、色々あったクチだろ?」

「色々……まあ1つしかないけど」

「…………」


「じゃ、俺は5限で提出する宿題に今から取り掛かるのでドロンするわ」

「は? まだやってねーのか?」

「俺はコーナーで差をつけるんだよ」

「あれ1時間は掛かるから絶対間に合わねーぞ」

「え、マジ?」

「大マジ。クソッ、しゃーねーな! 今回は見せてやっから、明日なんか奢れよ」

「神様仏様風音様。一生ついていきます!」


 大きく溜息を付いた五十嵐は、頭を掻きながら自分の机へと戻る。

 シルバーのリングピアスが2つ同時に揺れる。


 その見た目で宿題ちゃんとやってきてるんじゃねぇよ。


 再び大きく溜息を付いた五十嵐が、俺の前へと帰ってきて1冊のノートを机上に投げる。


「ほらよ、このノートの最初のページから12ページ目までが宿題の答えだ」

「お、おう……本当にありがとう……ええと、最初のページっと」


「………………」



 字、めちゃくちゃ可愛い。






「ねえ、大橋くん! ジュニアの米チャンピオンだったの!?」


 どうして知っている。


 放課後の練習場にて、スポーツウェア姿の輪島ひかりは唾を飛ばしながら俺に詰め寄った。


「どうしてそれを……?」

「顧問の先生から聞いたの!ねえなんで教えてくれなかったの!?」


 更に詰め寄る。もうキスする5秒前の距離。


「顧問なんかいるのか……?」

「全然来ないけど一応いるよ!ほら、竹原先生」

「竹原……あっ」


 ウチのクラスの担任じゃねーか。

 あいつ、女子ボクシング部の顧問だったの?


 そうだ、担任は俺が入学した経緯を知っている。

 ボクシングができなくなって、日本に帰ってきたことも。


「竹原先生にね、大橋くんのこと話したの! そしたら」

「そのことを聞いて……ラスベガスに留学してたから強いんだろうなとは思ってたけど!」

「まさか、そんな天才ボクサーだったなんて!感激!」


 この人は興奮すると俺に喋らせてくれなくなるな。

 余計な事を知ってしまったわけだ、この女は。


「でも、俺はもうボクシングはできないんだ」

「じゃあ、どうして私が呼んでるからとはいえ練習場に来てくれるの?」

「それは……」


 呪いだ。

 嫌いになったわけじゃないんだ、ボクシングを。


 もう踏ん張れない右足をいくら憎んでも、キャンバスマットの感触が好きな気持ちは変わらない。

 ボクシンググローブの汗臭さも。


 ――ゴングが鳴った時の、脳を支配するアドレナリンも。


「俺は、中3の秋に出た試合で、怪我をして目と右足に障害を持った」

「えっ……?」

「網膜剥離(もうまくはくり)と、右足に踏ん張りが効かなくなった」

「もう1度頭に大きな衝撃を受けたらきっと失明するし、まず右足を踏ん張れないからボクシングはできない」


 どれだけハードな練習をして、ボロボロの体で試合に出たって。

 強い自分の体が壊れることなんかない。


「俺は自分を過信しすぎた。このままプロになって、世界を獲るんだって確信してた」

「こんな体じゃ、もう本気で戦うことはできない。でも、ボクシングは嫌いになれないんだ」

「大橋くん……」

「でも可哀相な俺、って話じゃないんだ……だから練習場に来てしまうのかもな」

「…………」


 語りすぎたか。


 なんとなく分かってくれそうな人が目の前にいるとき、

 理性を無視して自分を開示してしまうのは人ならあることだ。


 だが、これじゃ輪島さんにとっては拍子抜け、か。


「大橋くん……!」


 輪島さんは、俺の手を強く握りしめた。


「輪島さん?」


 握る手を、さらにギュッと強く。

 押し潰されてしまうくらいに。


「大橋くんは、リングにいるべき人間だよ」

「…………?」

「あのね、この学校って今年から共学になって、男女混合の部活を増やすんだけど……」


 何の話を始めてるんだ……?


「女子だけの部活は、人数が少ない部から廃部にするんだって。今日、竹原先生から聞いたんだよね」

「は、はい……?」

「5人いないと、廃部って……ウチは今3人しかいないでしょ……?」

「廃部?」

「うん……だからね、大橋くん」




「マネージャーとして、セコンドとして、私たちと戦ってほしいの」




 俺は、相楽高校女子ボクシング部に「入部」した――。



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