第3話 追放と凶刃
それから、マリアンヌは聖女の力を取り戻すための修行と称して、国境スレスレの場所にある修道院へと送られていた。
マリアンヌが何の罪も犯していないのは明白であったが、それでも新しい聖女がいるにもかかわらず、元・聖女であるマリアンヌが王都にいては示しがつかないからだ。
妹のメアリーに対して良からぬことをするのではないかと、レイフェルトにはあらぬ疑いまでかけられている。
「私はどこで私は間違えたのでしょうか、女神様・・・。私が何をしたというのですか?」
マリアンヌは毎日のように女神への祈りをささげており、生活の中でもその教えを守り続けていた。
それなのに、こんな仕打ちはあんまりではないか。
女神はときに人間に試練を与えて信仰を試すときもあるが、マリアンヌの固い信仰もこの状況では揺らぎつつあった。
「ヒヒーーーン!」
「あら、どうしたのでしょうか?」
やがて、馬車が止まって前方で馬がいななく声が上がった。辺境の修道院まではまだ数時間ほどかかるはずだ。
休憩でもとるのかとマリアンヌが首を傾げたとき、馬車の扉が外から開けられて鎧を身に着けた騎士が顔を出した。
「ここで降りろ」
「はあ、何かあったのですか?」
「いいから、黙って降りろ」
犯罪者のような扱いに眉をひそめるマリアンヌであったが、ここで抵抗してもどうにもならないと思い直して、騎士の言葉に従う。
マリアンヌが馬車から降りると、そこは国境沿いにある山道だった。
上空では見慣れない鳥が旋回するように飛んでいて、遠くで獣の遠吠えのような声まで聞こえてくる。
「あ、あの・・・ここでいったい・・・?」
「・・・・・・」
ただならぬ気配を敏感に感じ取って、マリアンヌは震える声で尋ねた。
周りには王家から派遣された数人の騎士がいて、無言でマリアンヌを取り囲んでいる。
王都にいた頃であれば自分達を守ってくれる頼もしい存在であった彼らだったが、この状況では恐怖の対象にしかならなかった。
騎士の中から、壮年の男が進み出てきてマリアンヌの前に立つ。
「お初にお目にかかります、マリアンヌ・カーティス嬢。私は王宮近衛騎士団の部隊長をしております、ガイウス・クライアと申します。突然ですが、貴女にはここで馬車を下りていただきます」
「え・・・?」
すでに馬車から降りているが・・・そういう意味ではないだろう。
騎士達は、マリアンヌをこの山中で置き去りにすると言っているのだ。
「こんな場所で下ろされて、どうしろというのですか! 私に野垂れ死ねとでもいうのですか!?」
「我々としてもこんなことはしたくありません。しかし・・・これは王太子殿下の命令です」
「そんな! レイフェルト様が!?」
マリアンヌが悲痛な叫びをあげた。
いくら婚約破棄をしたとはいえ、慕っていた男性が自分の命を奪う指示を出していたのだから当然の反応である。
「そんなにっ・・・そんなに私が憎いというのですか!? 私と貴方が過ごした日々は、そんなに簡単に捨て去れるものだというのですか!」
ドレスが汚れるのも構わず、マリアンヌは地面に崩れ落ちた。
滂沱の涙を流す少女の姿を痛ましげに見ながら、ガイウスが口を開く。
「この森には人を襲う魔物も多く生息しています。街道からは外れていますから、商隊が通ることもないでしょう・・・。ここで貴女を置き去りにすれば、まず助かることはないでしょう」
「・・・・・・」
「ですが・・・さすがに貴女を魔物のエサにするのは忍びない」
「え・・・」
騎士が剣を抜いて、マリアンヌへと向けた。
「なっ、何をするのですか!?」
「苦しまぬよう、一太刀にてお送りいたします。どうかお覚悟を!」
「いやああああああっ!」
マリアンヌはかつてない恐怖を感じて、ドレスの裾を翻して逃げだした。
鈍い銀色の刃が、マリアンヌの背中に向けて振り下ろされる。
「きゃあっ!」
振り下ろされた凶刃はギリギリのところでマリアンヌの首を外したものの、代わりにプラチナ色の長い髪が肩のあたりで切断される。
生まれて初めての衝撃に、マリアンヌは足をもつれさせて地面を転がった。
「くっ・・・外したか」
ガイウスが苦々しい声でつぶやいた。
相手が王族を狙う国賊であれば外すことのない剣撃も、罪のない少女が相手であれば鈍ってしまう。
ガイウスは痛ましそうに目を細めながら、地面に転がる少女を見下ろす。
「・・・手元が狂ってしまいます。おとなしくしていただきたい」
「で、出来るはずがないでしょう!?」
自分の命がかかっているマリアンヌも必死に声を張った。
「こんなことをして、貴方達の誇りは傷つかないのですか!? 名誉ある王国の近衛騎士ともあろう方々がよってたかって丸腰の娘に剣を向けるなど恥を知りなさい!」
「なんだとっ! 俺達を侮辱するのか!」
「よい・・・言わせておけ!」
若い騎士がいきり立ってマリアンヌに詰め寄ろうとするが、ガイウスが手で制する。
「マリアンヌ様。貴女のおっしゃりようはごもっともでございます。しかし、我々は王家に忠誠を誓う者。次期国王である王太子殿下の命とあらば、この身の名誉など#
「くっ・・・」
説得は不可能。それを悟ったマリアンヌは、痛む足に鞭を打って逃げ出そうとした。
しかし、周囲は騎士に囲まれており、唯一騎士がいないのは背後に広がる崖だけだった。
「もう諦めてください。これも王国の未来のためなのです」
「何が国の未来ですか! これはレイフェルト様の個人的な暴走でしょう!? 主君の過ちを諫めることもできない者達が、偉そうに忠臣を気取らないでください!」
マリアンヌの言葉を受けて、ガイウスは痛い所を突かれたとばかりにグニャリと顔を歪める。
騎士達の所業は明らかに国王の命を受けてのものではない。
マリアンヌが姦通をしたと信じるレイフェルトが、自分の憎しみとメアリーへの愛情から引き起こした暴走である。
本来であれば騎士達は王へと報告をして、レイフェルトの暴走を止めなければならないはずだ。
「貴方達は次期国王であるレイフェルト様に取り入りたいだけなのでしょう!? だから忠義という便利な言葉で、自分達の悪行を誤魔化しているだけではないですか!?」
「言わせておけば・・・何という無礼を!」
騎士達が顔を真っ赤にして声を荒げた。
「追放される聖女が偉そうなことを言うな!」
「そうだ! 王家にも神殿にも見捨てられた分際で!」
「神に見放された汚れた聖女にそんなこと言われる筋合いなどない! 我らは誇りある近衛騎士ぞ!」
騎士達はマリアンヌを囲んだまま、口々に汚い言葉で罵った。
「・・・・・・」
唯一、先頭に立つガイウスだけはマリアンヌの言葉を重く受け止めていて、沈痛な表情で黙り込んでいる。
やがて、他の騎士がマリアンヌにつかみかかろうとしたところで、ようやくガイウスが言葉を発した。
「それでも・・・我らは王太子殿下の命令に背くわけにはいきません」
迷いのあった先ほどまでとは違い、その瞳には決意の炎が浮かんでいた。
「ご無礼を・・・!」
「あっ・・・!」
ガイウスはたったの一歩でマリアンヌの懐へと飛び込み、白刃を振った。
不可避の死を確信して、マリアンヌはかつてない恐怖と絶望に襲われる。
「いやっ!」
剣が細い身体を捉える寸前、マリアンヌは自分を庇うように右手をかざしていた。
「うっ・・・馬鹿なっ!?」
マリアンヌの右手から青白い火花が弾けて、自分の命を奪おうとする騎士の身体を吹き飛ばす。
それはこの数ヵ月間、どれだけ使いたくても使うことができなかった、『雷』の魔法であった。
しかし・・・
「あ・・・ああっ・・・!」
二度と使うことができないと思っていた魔法を撃ったことと引き換えに、マリアンヌ自身も衝撃で後方に飛ばされてしまった。
哀れな侯爵令嬢の細い身体は蹴られたボールのように大きく跳ねて、奈落のごとき崖下へと消えていった。
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