29.

 それから僕は塾の帰りにそいつに絵を教えてもらうことになる。最初の1週間はそいつの子どもの振りをして、絵の売り子をさせられた。これでは何の練習にもなりやしない。騙された、酷いじゃないかと思った。


 意外と絵を買っていく人がいて、僕は驚いた。

白い髭を蓄えた老人は辛うじて聞き取れるかどうかという声で風景画を注文した。どうやらその景色に見覚えがあるらしい様子だった。


「どこの景色だい?」


「これはすべて想像の景色ですよ。」

当然僕は奥で本を読んでいるこの絵の作者ではないのだから、適当に答えて代金の3千円を受け取った。


「そうかい。ここは新婚旅行で行ったあの場所に似ているなあ。」と老人はぼそぼそ言いながら、僕が渡した絵を眺めながら歩いて行った。


制服を着て手を繋いでいるカップルは

「見て。子どもが絵を売ってる!かわいいー。」と言いながらこちらを指差しながら歩いて行った。


貧乏そうな大学生は並べられた絵と僕を見比べてふんふんと鼻を鳴らし、

「これを一枚。」と横を向いた女性が描かれた絵を買った。


子どもを連れた幸せそうな夫婦ははしゃぐ子どもと手を繋ぎながら、

「僕、今何年生?」と聞いてきた。


「今は5年生です。」と答えると、


「お店のお手伝い?偉いわね~。その紫陽花の絵を買っちゃおうかしら。」と絵を注文した。僕は代金を受け取り、絵を手渡すと、僕に手を振って歩いて行った。


そのような人の往来が断続的にあった。


「意外と売れるものなんですね。」


「いや、ほぼ売れないぞ。」


「いや、売れているじゃないですか。」


「お前が店番をしているからだぞ。俺が店頭に出ている時はこうはいかない。いつもは奇異の目で見られて、早く定職に就けと言わんばかりの視線を浴びているんだ。」


「そうなんですか。でも結局、現に売れているということはいい絵なんですよね。」


「いいや、それは違う。そもそもいい絵なんてものは存在しない。売れるのはその絵がたまたま見た人の見たいものだったからだ。」


それはつまりいい絵ということではないだろうか、と思ったが黙った。


「そろそろ僕に絵を教えてください。」


「分かった。売り子は引き続きさせるけど、絵を教えてやる。」


「お願いします。」


僕は絵を描き始めた。最初は落書きもいいところで、何度もそいつに絵を破り捨てられた。あれも違う、これも違う、じゃあ正解は何だと問うと正解はないと言われる。あまりに手詰まりで、ここに来ることをやめようとも思ったが、そいつが自分の身近にいない面白い人間であったため、面白がって僕は絵を習い続けた。


「いつも何を思って絵を描いているんですか?」


「この絵が売れて早く有名になりてえなって思ってるよ。」


「俗物的ですね。」


「お、難しい言葉知っているねえ。そうだよ。」


そんな会話を僕とそいつは繰り返していた。




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