28.  

 それからしばらく僕は学校を休んだ。たまに登校しても午後には早退し帰ってしまっていた。佐藤部長は僕の絵の好評を伝えてくれていたが、僕の抱えた問題はそうではないのだ。僕自身もうどうしようもなくなってしまったのだ。週に1回ほど加藤さんが溜まったプリントを届けてくれている。僕は不誠実にも鳴らしてくれたチャイムを無視している。メールも、文通さえも僕のせいで止まっている。我ながら最低だなと思う。


 今は、幸か不幸か親は僕のことをそっとしておいてくれている。しかし言葉にはされなかったが”なぜただ絵が描けないだけで落ち込んでいるのか”という懐疑心はある様子だった。それもそうだ。絵描きが一族にいるわけではないし、それを生業にもしていない。理解されるわけがないのだし、むしろ当の本人もこの絶望を理解していない。別に絵が描けなくても、普通に学校に行き、卒業し、真面目に働いて生きていけば良いではないか。そうやって徐々に忘れていけば、ただの思い出になり、何事もなかったことになる。頭ではそう思っていても、僕は一歩も動き出せなくなってしまった。


文通にそのことを書こうかと思った。何もかも吐き出してしまえば、僕の悩みの一切が具体化されて、陳腐になるのではないかと期待していた。でも僕が書きだしたことは、およそ僕の言葉とは思えなかった。深層心理のなかにしかないことばかりだった。こんなこと書かれても加藤さんを困らせてしまうことになるだろうが、もう止まらなかった。


これから書くことはその要約だ。



 僕は昔から俗に言う可愛くない子どもで、世間のあらゆることをひねくれて見ていた。学校生活は共同体というシステムに参加するための訓練、友達作りはその機能、授業を受けて勉強しテストで点数をとるのはその出来高の証明。そんな風に考えていた。

 

だがある日、小学生高学年の時分、通っていた塾の帰り道のこと。

川の上の橋に路上アーティストがいて、そいつは小さいA4サイズほどの紙に絵を描いて一律三千円で売っていた。僕は興味を持ってそいつの絵を見た。なんでもない風景画だ。つまらないなと思っていると、


「おう坊主、なんか買ってけよ。」とそいつは金も持ってなさそうな僕に言ってきた。

その時、僕は偶然親から渡された学習塾の月謝のお釣りを持っていたので、絵を買おうと思ったら買える立場にあった。確かにそんなに悪い風景画でもなかったが、僕は全く意図の異なるお願いを持ちかけた。


「いらないよ。でもその絵の描き方は教えてくれ。」


そう言うと、そいつは固そうな髭を撫でて笑いながら、

「いいぜ。ただし、高いぞ。」と言った。

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