27.
思えば僕が絵を描く理由はなんだったのだろう。気が付いた時には、絵が好きで、身近に画材道具があって、絵を描いていた。求めれば好きなだけ道具や画集は買ってくれたし、展覧会にも連れて行ってくれた。ではなぜ絵を描きたいと思ったのだろうか。
僕はトイレに篭り、手で顔を覆いしばらく考えた。
しばらくの間、そうしていたが答えらしい答えは出なかった。
ひどく混乱していると僕は感じている。仕方ないのでトイレを出て、僕は偶然通りかかった担任の先生へ体調不良で早退すると伝え帰宅した。
自室のベッドにもぐりこみ、頭まで毛布をかぶった。
とにかく視界に何か映り込むのを防ぎたかった。目をつぶり考えることを止めた。
まだ午後3時ころだというのに部屋を閉め切り、今日の出来事が夢であることを願った。
こんなことならば絵の賞賛よりも、痛罵を得て自分の下手さを呪うだけのほうがよかった。自分が自分の絵を理解できないことは今までなかった。自分が描いていたものが自分が想像していたものと違うことはあり得なかった。調子に乗った自分がたまらなく恥ずかしくなった。まるで気持ちよく歌ったあとに低い点数を突き付けられるカラオケボックスのようだ。
あるいは僕にあった絵を描く能力などとうに失われていてしまっていたのかも知れない。それはきっと才能のある人が絶えず描き続ける努力を続けてやっと得られるもので、途中でやめてしまった僕には都合よくもう宿ることはないのかも知れない。
僕はもうなにもかもがどうでもよくなった。絵を描かなくなってから、あまりそう考えることはなくなっていたが、あらためて絵を描けなくなった自分のことを思うと、人生に価値がないと感じた。また描こうと思ったこと自体が間違いだったのだ。
たしかに、僕は人を見ていないのかもしれない。目を合わせて、心を通じ合わせようとすると、自分の心の奥にある人に言えないものを見透かされるような気がして、怖くて仕方がなかったのだ。
だが違和感がある。そんなもので僕の才能は失われてしまったのだろうか。中3の最後に描くのをやめてしまったのは別の理由だ。
そうだ。僕はいつからか自分のために描くことをしなくなっていた。より良い絵を描いて世間に自分を認めさせるために躍起になっていた。そんな終わりのない競争に身を投じてしまった時点で僕の絵を描く意欲や才能は段々と損なわれてしまった。
そして無意識のうちにまた僕は加藤さんのために描くことができればまた自分は変われるのではないかと思い、描くことを自分に許してしまった。それこそが間違いだった。加藤さんのために描いた絵を加藤さんが好きになることができても、僕が好きになることができなかったのだ。自らが好きになれない作品にどれだけの価値があるだろうか。僕はまた間違いを犯してしまった。
今のところ僕に後戻りできる術は残されていない。
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