26.
彼女と会ってからは僕がまだ回っていない出店を一緒に回った。
まるで自分が当たり前のように普通の人間になって、普通の学生になって、普通の人生を送っているように感じられた。
僕たちはもう一度、美術室まで来た。そこでは美術部員と僕の作品が展示されている。多くの作品を壁掛けで展示できるように室内は大きめのベニヤ板で仕切られていて、迷路のようになっている。
「この人はすごく努力してこれを描いたんだね。」
「この色を作れるなんてすごいな。」
「なんでこの色を使ったんだろう。この主題にしたんだろう。」
一つ一つ作品を見てあらためて感想を口に出していく。
彼女に袖を引かれる。この作品が彼女の作品であることに気付く。初めに来たときは流し見でいたため、気付かなかったがこれが加藤さんの絵か。
崩れかけの廃校で、剥き出しの基礎の底で花が中心に一つあるという絵だ。
構図としては僕の絵に近い。花を中心に据えていて、違いは周りが人であるか、無生物であるかのそれだけだ。
キャンプの時の絵はきっと別に出展を控えているのだろう。
「いいね。静謐で僕は好きだ。」
つまらない蘊蓄を言うつもりはなかった。
僕の絵の前に立ち止まった。前から男子の3人組が近づいて来る。聞き覚えのある声がある。竹下だ。彼らの会話が聞こえる。
「お前の彼女じゃん。」
「やめろ。今はちげーよ。」
彼らと目が合う。
「檜ヶ谷。お前がこの絵を描いたのか。」
当たり前の話だ。僕の名前は作品の下に書いている。だから、この質問の意図は他にあるはずだ。
「そうだよ。」
「そうか。すごい絵だな。やっぱりお前には才能があったんだな。」
「そうなんだろうか。正直、僕にはどんな絵が素晴らしいのか分かっていないんだ。
だけど少なくとも僕が描いたものはすごいと思って生きてるよ。」
「これは、タイトルには書いていなかったけど久美子を描きたかったんだろう?」
なぜ疑問なんだろう。絵で伝わらなかったのだろうか?
「そうだ。”加藤さん”を描いたつもりだよ。花を持った、ね。」
「ならなんで”顔”がないんだ?」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味さ。自分の絵をよく見ていないのか?」
竹下の言っている意味が分からなかった。
僕は僕の絵を観た。僕は僕の絵を見た。僕は僕の絵を診た。
果たして、僕の絵には”顔”がなかった。正確に言えば、僕の絵の中の加藤さんには”顔”がなかった。そこにあるのは顔の様にみえるひっかき跡だけだった。ベクシンスキーが描いた絵画の中の化物のような何かが描かれていた。
僕は茫然とした。
「これは彼女と言えないだろう?」
僕は加藤さんを描いたはずだ。目の前の事実は悪夢のような脈絡のない嫌なことで、僕の理解を通り越していた。
「檜ヶ谷は人を見ていないもんな。それじゃ。」
竹下たちは去った。僕は加藤さんの方を振り向けなかった。こんな絵を描かれて加藤さんはどんな気持ちだっただろうか。こんな顔に見られているのだと傷ついただろうか。
そもそも僕は加藤さんの顔をこのように見ていたのだろうか。加藤さんが本当にこんな使い古したマネキンのような顔をしていたらどうしようか。
「ごめん、加藤さん。」
僕はそう呟いて一人で美術室を出た。
出る時に佐藤部長とすれ違った。気にする余裕はなかった。
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