19. 

「加藤さんとは仲良くできているの?檜ヶ谷。」


「ええ、先月は遊びにも行きましたし、仲良くできていると思います。」


「そっか。聞いたよ、加藤さんは今彼氏ができたんだって?しかもその彼氏・・・竹下くんって最近美術部によく来る子だよね?」


「そうです。」


「いいじゃないの。彼、逞しそうだし。」


「そうですね。」


佐藤部長は手を止めずに僕と雑談をしながら、制作に取り組んでいる。

僕は佐藤部長の指示のもと、顔料を練っていく。


「これ、何を描いているんですか?」


「まだ秘密だよ。」


「別にいいじゃないですか。教えてくださいよ。」


「自ずとわかるよ。」


佐藤部長は手を止めない。今日はたまたま他の部員が誰もいない日であった。僕と佐藤部長の会話だけがこの空間を支配している。そのため会話が途切れるたび沈黙が訪れる。


「俺さ。」


「はい。」


「美大を受けようと思うんだ。」


「いいじゃないですか。」


「まだ誰にも言うなよ。もし落ちたら恥ずかしいからさ。自分に才能があると勘違いした奴みたいで。」


「それも別にいいじゃないですか。僕、佐藤部長には才能あると思ってますし。」


また沈黙が訪れる。楽しげな生徒たちの会話が部室の外の廊下を定期的に通過する。

カラスが3回ほど鳴いたのが聞こえた。


「なあ、檜ヶ谷。」


「なんです?」


「なんで絵を描くのを辞めたんだ?」


なんでだろう?僕は分からない。分からないつもりだった。


「さっき、お前はこれが何を描いているのか俺に聞いたよな。もう本当は分かっているんじゃないのか?俺はまだバーミリオンの色まで作れとは言わなかった。なのに多分お前は無意識に作ったんだよ。つまり、この絵が何を描いた絵か分かっている。これが曼珠沙華を捧えた女性の絵だということが分かっている。そうだろ。」


「いや・・・。」僕はたじろいだ。きっとこれはただの作り間違いだ。でも考えてみるとそうなのかもしれない。いつも通り僕は勘で動いている。無意識にはじき出した自分の答えにしたがって動いている。


「やっぱりそうかもです。」


「何かあったのか?」


「いえ。何も・・・。ただこの表現が適切であるか分かりませんが、佐藤部長の絵を見て思ったことがあります。多分、僕はずっと自分のなかにそういった芸術をするための世界がないことに気付いてしまったのかもしれません。」


「自分のなかの芸術の世界か。」


「はい。僕が描いてきたものはただの現実の物真似でしかなくて、芸術と呼べるものなんて一つもなかったんだと思います。だとしたらそんなものは写真で撮れば事が足りてしまいます。」


そうだったのか。これが本当に自分の言葉であるのか疑いたくなるほどに思いもよらぬことを僕は言い出している。話してみて、初めて思考が具体化されている。僕の言葉を聞きながらも、佐藤部長は一瞥もくれぬまま手を動かしている。


「傲慢だな。」


「はい?」


「檜ヶ谷。それでもお前は認められていたのだから、それでよかったんじゃないのか?お前の言う”自分のなかのそういった芸術をするための世界”ってやつがなければお前は芸術が作れないのか?そんなものが無くたってお前は絵を描いてきたはずだ。」


「はい。でもふと孤独になったんです。」そうだ、あの絵を描いた時だ。


「なんで?」


「僕の絵を見て、その精巧さや単純な上手さを評価する人たちは確かにいましたが、でも僕を見る人はいなかったんです。自分という存在を絵を通して残すにはやっぱり芸術を作る必要があるんです。」


「その芸術とやらを作って、永遠にでもなりたいの?」


「・・・」言葉に詰まる。


「永遠になれないのなら、何も描きたくないと?子どもみたいなことを言うんだな。檜ヶ谷は。」


そうかもしれない。僕は子どものように駄々をこねている。







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