16. 

 最初に感じたのは喉の奥の閉塞感だ。ある日、餅を喉に詰まらせたかのような感じがして、無理に吐き出そうとしたが何も出てこなかった。それからだ、私の声が出てこなくなったのは。もともと話好きな方ではなかったため、そこまで気にはならなかったが、やはり日常生活では不便を強いられる場面が多かった。筆談できるようにあらかじめメモをたくさん作ったが、これを逐一見せてコミュニケーションをとらなければならないことがとにかく面倒だった。そのため、段々とコミュニケーションを拒み、一人でいることが増えた。物静かな人が好みがちな、もっと悪く言えば人とコミュニケーションをとることが苦手な人にありがちな傾向だが、私が絵に興味を持つのも時間の問題だった気がする。


 遠くまで足を延ばして、一人で絵を観にいったことがある。ただの公募展だ。その時は画家の絵なんて全然分からなかったし、描かれた絵を見ることができたのなら何でも良くて、冷やかしのつもりで行ったのだ。そこで紅葉の絵を見つけた。女性の方が色彩感覚が優れているとよく言われるが、その絵はそのような生半可な尺度で測ることができないほど、細やかな赤色が使われていた。

 その絵はリアルであるから、写実的であるから綺麗だと思ったのではない。自分の想像の中にある美しい紅葉の風景と酷く合致していたのだ。

 とにかく初めて見るその絵に私は心を奪われた。こんな絵を描く奴はどうせ才能に恵まれ、栄光に包まれた人生を送っているような奴なんだろうと思いながら、作者を見てみると”檜ヶ谷透”と書かれていた。ほら、やはり生まれが良さそうな苗字と名前だ。


 それから私は絵を描き始めた。どうせならその”檜ヶ谷透”に負けないような風景画を描いてやろうと思っていた。絵を描くためにまず私は部屋を片付け始めた。無駄に大きい小学生用の学習机を捨て、暇さえあれば書いていた恥ずかしい詩集を捨て、もう使わなくなったピアノを捨てた。そしてスタンドを買い、筆を買い、絵具を買った。最初の3か月は自分の才能の無さに苦しんだが、慣れてきてからは時間がある限り、私は絵を描くことに熱中した。初めに入った高校には馴染めなかったが、それは幸か不幸か、私をここまで連れてきてしまったのだ。

  

 ”彼”と初めて会った時、随分私のなかの想像の”彼”と印象が違った。野心家でもなく、常に努力し続ける様子でもない”彼”はまるで昇華して消えるドライアイスのよう

に存在感が希薄であった。なので、同性同名の別人だと私は思った。しかし、それは違い、やはり”彼”は”彼”であった。


 ”檜ヶ谷透”は今、確かに私の隣にいる。隣に居て、私に海の色を教えてくれている。

 









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