5. 

加藤さんとは挨拶を交わす中になった。

音声の言葉ではないが、僕らは互いの姿を認めると挨拶の仕草を交えるようになった。控えめなお辞儀をし合う日もあれば、声のない”おはよう”を加藤さんの口から聞くこともあった。いつも通りの日常だ。

幸い僕のクラスメイトは彼女に理解のある人たちであった。

目立っていじめられている様子もない。もちろん陰口も聞いたことはない。

日常の些細な不便はもちろん僕が支援しているし大丈夫だろう。


 他人に頭を悩ますより、僕はまず高校2年生として自分の人生について考えなければならない。しかし、将来の夢もなければやりたいこともない。どうすればいいのだろうか。

そもそも、やりたいことがあれば救われるような人生ではないのかもしれない。


 加藤さんを美術部に誘ってから数週間が経った後、僕は放課後に教室で一人惚けていた。

勿論、掃除の邪魔にならないように図書室で少しの時間を潰したあとでの話だが。

初めは目下に控えた試験の勉強をしていたが、いつからか思考が脱線を始めていた。

僕が通うこの学校は丘の上にある。教室の窓の外には住宅街が広がっている。僕は景色を眺望できる窓側の他人の席に座って、自分の薄い過去について考えていた。

これから僕が歩むであろう人生は全てを勘案しても、その伝記の文章量は一つの冊子にまとめられる程だろう。

瞬く間に時間が過ぎて午後5時に差し掛かる。このまま夕暮れを見届けてから帰ろうと思い始めていた。


右肩のほんの一部を気付くかどうか分からないほどの力で触れられた。

このような遠慮した触り方をする人を加藤さん以外に僕は知らない。

そう思いながら右を向くと、果たして、彼女であった。


”どうしたの?” 

生物学の用語で埋め尽くされているノートの一番上に彼女はそのように書いた。

遠慮がちな彼女にしては大胆なことをするなと思う。


「家だと集中できないから、学校で今度のテストの勉強していたんだ。」


目を広げて、そうなんだね!という顔をして頷いた。

だから僕も少し愛想を混ぜて同じく頷いた。

簡単な会話だとなんとか僕らはジェスチャーで分かり合えた。

これはもちろん僕以外にも彼女とその友人ならできるのだろうが。


”来週から部活動がお休みになるので、一緒にここで勉強しませんか?”


彼女はメモ帳を差し出した。恐らくその文言は予め書かれていたのだろう。

もしそれが使いまわしなら、その勉強会は賑やかになりそうだ。遠慮しようと思ったが、今まで彼女を支援する立場を取ってきた僕はこれからの関係にひびを入れたくなかった。


「いいよ。じゃあ明日は来週何から勉強するのか話そう。」

彼女は薄く笑みを浮かべて頷く。ほんの少しお辞儀をしてから僕のもとを去った。


僕ももう少しだけ勉強をしたら帰ろうと思う。

夕焼けは好きだが、暗闇は好きじゃない。

夜はただ寒いだけだ。


帰りのバスの時刻にあわせて校舎を出た。


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