4. 

 僕は昔、絵を描くことが好きだった。得意な題材は四季であり、作品は賞を得たこともあった。だから自信があった。そうであったのに中学3年のある秋の日を境として僕は絵を描かなくなってしまう。


 その日は地元で手に入らない画材を買いに都市部まで足を運んだ。そしてなんとか買い終えたのはいいが高校受験のことをぼんやり考えていた僕は帰りのバスを間違えてしまう。都市部を外れて僕の地元とは反対側の田舎へ来てしまったようだ。


途中で気付いてバスから降り地元行きのバス停まで僕は歩く。その途中、僕は視界の隅の燃える紅色に気付く。思わず左方を見上げると、山が一枚の秋椛になったかのように朱色を宿していた。手元にスケッチブックと筆がないことを憎みつつ、ひとしきり携帯で写真を撮った後に僕は紅葉を1時間だけ具に眺めた。葉の朱にもばらつきがある。よく見ればまだ青い葉もある。しかし言語化できない朱色の統一感は違和感を寸のうちになくしてしまう。僕の色覚が懸命に山をなぞる。峰々の稜線を切り取り線にして青空の青と紅葉の朱が別れる。僕はそれを完全に覚える。この次の賞の応募には、この題材の絵を描こうと決める。

 

その後、帰りのバスに揺られながらその記憶を写真のフィルムの扱いと同じように大切に記憶へ留めた。


 家に着くと僕はすぐに自分の部屋に行き机に向かう。一人で居ることのできる空間でそれをそっと思い出す。映写機は好んでフィルムを食べるが、案外繊細に咀嚼をしている。そうでなければフィルムは割れたせんべいのように傷つき一回限りの上映となってしまうだろう。同じく僕も安易に記憶の雑踏の中からそれを引っ張りだして傷物にされるのを防ぎたかった。そのため、まず僕は記憶の中で、稜線から紅葉の山の外郭を一点一画なぞる。構図が決まる。


 次は色を付けていく。山一峰はどんな赤だったのか、葉一枚はどんな紅だったのか、樹木の群集はどんな朱や青だったのか。思い出していく。僕は色の名前を覚えない人間だ。だから市販の赤の絵具と他の色のそれとの混色具合で色を想像する。それぞれを担当する赤を検索していく。大方、僕の色彩感覚はそれを教えてくれた。最後に紅葉の写真を携帯で少し眺めて自分の記憶との答え合わせをする。


 なるほど、正しいようだ。これならば水彩画で描こう。次は部屋の画材道具をかき集める。ほんの数畳一間に散らかる絵具セットと画用紙を物の海から掬いあげる。少し上端が日焼けしているが元は真白の画用紙と潰され尽くした絵具を机に置き、筆洗い用のバケツに水を入れる。

筆だけは僕のこだわりで机の上に整頓されてある。5本ある筆のうち右端の小ぶりな1本を手に持って僕はまた机に向かう。空気を一飲みした後、描き始める。鉛筆で下書きはしない。青空から描こうと思う。あの空は水分が多い空だった。だから青に水を多く含ませて水色にする。気に入らなければ油彩画のように重ね塗りすればいい。あまり紙に良くはないが、僕はそれほど気にしない。

塗り終える。さあ次は赤色だ、色は理解できている。課題は描き方だ。あの赤は燃えるように動く朱であった、しかし少し時間を置いた林檎のような静かな赤も持っていた。赤色一つで表現すべき課題が多くある。時間をかけ、一つずつ課題を解決をして描いていく。


 やがて絵が出来上がる。満足のいく出来であると思うし、これくらいであれば応募して申し分ないだろう。なのになぜか僕はふと”もう描かなくていいな”と思ってしまった。そしてその日から僕は絵を止めてしまったのだ。


 そんなことをなぜか僕は思い出していた。


「檜ヶ谷? どうした?」


佐藤さんの声で僕は現実に引き戻され、眩暈がした。決まりが悪くなったので、


「いえ。失礼します。」


そういって僕は美術室を出た。


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