3.
「入っている部が違うし、美術部に仲の良い知り合いはいないよ。それでいいなら。」
彼女は頷く。
「なら案内するよ。行こう。」
美術室はこの校舎の最上階の4階にある。現在2年生の僕らは校舎の3階の教室にあるクラスに所属している。階段を上り、僕の後ろを彼女がついてくる。上りきると、そのまま階段から左手の廊下の奥にある美術室へと向かう。部室の前に着き深呼吸をした後にドアをノックして入る。僕が嫌いな視線が集まる感覚を味わう。
「部長の佐藤さんはいますか?」
とドアの近くにいる眼鏡をかけたセミロングの髪の女子に聞いた。
「いますよ。今は準備室にいるので呼んできましょうか?」
「お願いします。」
おそらく1年生の彼女は先輩のカンヴァスや画用紙、足元の画材道具にぶつからないように細心の注意を払ってふらふら準備室へと歩いていく。その後ろ姿から視線を外し、改めてこの部屋を見回すと空間の雑多さに気付く。何かを生み出すためには物がそれくらい必要なのだろう。ふと加藤さんを見やると少し離れたところで興味深そうに自然を題材とした絵画を眺めている。
「絵が好きなんだね。」
彼女は目を離さないまま強く頷いた。そういえば彼女は前の学校だと美術部に所属していたのだった。今更、朝のホームルームで教員が言っていたことを思い出す。やがて先ほどの彼女が佐藤さんを連れて準備室のある方角から戻ってくる。
「おう、檜ヶ谷じゃないか。」
「こんにちは。」
佐藤さんは僕と同じ中学校の出身で、3年生の先輩だ。僕は中学生の時、美術部へ所属していた。彼はその時の先輩で高校進学後も何かとお世話になってきた。
彼は自分を連れてきた女子に「ありがとう。」と言って作業に戻らせた。僕も続けて感謝を述べて、1年生の彼女が去る様子を見送った。
「それで、今回はどうしたんだ?」
「部活動見学をしたいというクラスメイトがいます。」
「おう、どの子?」
「あの子です。」
僕らに背を向けて高価な馬毛筆のような明るさと潤いのある髪を肩甲骨まで垂らす彼女を僕は指し示した。しかし絵に集中しているのだろう、この会話は耳まで届いていないようだ。この隙に詳しく言っておこう。
「加藤久美子という名前です。今年うちに転校してきました。彼女は声がでないみたいなので筆談の形をとるか、はいかいいえで答えられる内容でお話をしてくださいね。」
「声がでない…それは病気のせいでかな?」
佐藤さんは声を潜めて僕に聞く。
「平たく言えばそうです。」
失声症。彼女はそれに罹っていると朝のホームルームで教員は言った。自分のことではないのに、多くの人が気にしてしまいそうなことを伝えることは大変居心地が悪い。気まずくなり会話を終わらせるために少し大きめな声で「加藤さん。」と彼女の左肩に目掛けて呼んだ。
気付いた彼女は少し急ぎながらこちらに来る。佐藤さんに向かって頭を下げる。
「おおよその話は檜ヶ谷くんから聞いたよ。よろしくね、加藤さん。」
彼女は頷いて“よろしくお願いします”と口を動かした。
「じゃあ、部室を案内するよ。檜ヶ谷もくるか?」
「いえ、僕の役割はここで終わりです。」
「そうか、仕方ないな。」
「それでは、加藤さんのことをよろしくお願いします。」
「分かったよ。」
「それじゃあ、またね。加藤さん。」
彼女は少し微笑んで僕に頭を下げた。僕はここに用はなくなったので去ろうとする。足元の画材に気を付けようとふと床を見たら失敗作らしき作品が無造作に散らばっていた。
直後、僕は昔のことを思いだした。
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