29.「僕らが立つべき戦場へ」
*
伝言を託した夕季の声は、朝季への言葉を告げて終わった。
ヒュウと、止んでいた風が動き出した。冬の、頬を濡らす冷たい風。それに吹かれて、地面に小さな雫がポタッと落ちる。
その時になってようやく、凪は自分が泣いていることに気が付いた。
プレートを汚してはいけないと目を擦るが、キリがなかった。
「……うぅ、っ」
今度は声が泣き出した、感情全てが涙を流す。
銀色のプレートが太陽の光を浴びて輝いた。
「斗亜さん。通電機、貸してもらっていいですか?」
斗亜はなにも言わなかった。
ただ淡々と、凪に通電機を差し出す。
「茉理さん、これ、田舎のテレビに繋がるんですよね?」
『え? ああ、ボタンを押せば……凪ちゃん?』
「演説、してみます」
凪がベルト裏のボタンを指の腹で押すと、先ほどと同じように小さな出っ張りがプチッと中に入り込んだ。
モニターに映し出される、涙でぐちゃぐちゃになった少女の顔。
「こんにちは」
あ、思ったより声が出る。
そんなことを思って、それが少しおかしくて、顔を上げた凪の長い髪が風に揺れてなびいた。
「白川凪って言います、三本線のシラカワの……私は今、中央と呼ばれる場所、戦地の奥にいます」
ワンテンポ遅れて聞こえる自分の声。
凪はかぶりを振ってモニターを見つめ直す。
泣いてる場合じゃないと、自分に言い聞かせる。
だって泣きたいのは私じゃない。
生きるため。
殺されないためにみんな、戦ってる。
田舎の町で朝季が言っていたこと。
なにと戦っているの?
そう聞き返せばよかった。
いや、聞かなくてよかった。
今ならわかる、その言葉の意味が。
彼らが立っている、偽りの戦場の真実が。
虚偽の街、東京戦線。
誰かの傷に涙を流すことすら許されない街で。
みんなずっと、生きるために我慢してきた。
「半年前、私の通っていた田舎の学校に
凪が腕を下ろしたせいで、モニターの画像は山積みになっている死体を映し出した。
斗亜が凪の腕を持ち上げ、顔を上げさせる。目配せをし、再びモニターに向き直る。
「それまでの私は、東京で起きていることは自分に関係ない。東京に近寄らなければ大丈夫って、無関心に生きてきた。傘を差してくれた人がいます」
「傘?」
「ここでの生活は楽しかった。楽しくて、考えることをやめて、そうしたら人の傷も気にならなくなって。誰かの死も、他人事って思うようになって……傍観者を辞めるために来たこの街で、また、私は傍観者のままで……」
「なに言ってんの、オマエ」
斗亜が凪の腕を掴み、引っ張り上げる。
いつもの笑顔はなかった、じっと凪の目を見つめる。
「喋るのへったくそだな。要点言えばいいんだよ、ヨウテン。田舎のヤツらになにを伝えたい? なにを求めてる?」
「……伝えたい、求めてること」
手を離され、凪は再び地面に座り込んだ。
空を映し出しているモニター。
飛行機雲が見えない街。
同じ日本なのに、平和な街では見られない空の色。
俯くとポタッと涙が地面に落ちた。
アフルァルトの無機質な色、かつて日本の首都だった街、人工物のあふれる日本経済発展の象徴。
街の至る所に、人の気配が溢れてる。
「それでも私は、この街が好きです」
空を見るとやはり雲は一つも見えなくて、雨は降りそうにもなくて。
彼はもういないけど。
困った時に絶対側にいて、寄り添ってくれていた三次くんはもういないけど、私は大丈夫。
一人で……違う、一人じゃない。
朝季を一人ぼっちになんてしない。
ずっとそばにいて、寄り添うから。
だから、それなら、
私
「東京内戦が始まって八年……もうすぐ九年になります。私たちは、田舎の人も東京の街も、日本全てが傍観者になった。自分には関係ないから知らない、他人のことなんか知らない……学校で、隣の人が不登校になってさえ人は、自分が害を被らないと知らないふりをする。かつて日本は、お醤油が無くなったとき、隣のお家にもらいに行っていたらしいです」
『……凪ちゃん?』
最後の言葉に引っかかりを覚えたらしい。不思議そうな声を出す茉理と、ケラケラと腹を抱えて笑う斗亜。
凪は耳を赤くしながら、再びモニターに向き直った。
自分の顔はそこになかった、空を映し出しているモニターに向かって、再び声を上げる。
「えぇっと、つまり、考えることをやめたらそれはもう、人間じゃないんです」
「ふはっ、なに言ってんの、オマエ」
「だから、えっと…… 全国の天気ニュースに、東京、関東の街が載っていないことを知っていますか?」
それは朝季と最初に出会った日。
歩道橋の上で聞いた言葉だった。
『どうして関東、東京は載ってないんだろう』
あの日、彼の声を聞いていなければ。
振り返って目を合わせなければ。
私が『本当だ』と喋り返さなければ。
考えて、自分の足で朝季を追いかけていなければ。
私は未だ、傍観者のままだった。
「自分じゃない誰かの痛みを、共感することができますか? 人の傷に涙を流すことができますか? 本当に心から、知らない誰かのために泣ける人っていますか? かつて日本は災害があった時、全国からたくさんのボランティアや寄付が募ったそうです。今の日本は……私が暮らしていた田舎は傍観者の町で、
「ナギ、また微妙に話しそれてる」
斗亜の言葉に、凪は目元を拭って顔を上げた。
腕組みをして空を見上げていた斗亜が、ため息混じりに通電機を手に取った。
「つまり、オマエが言いたいことを一言で表すと?」
「……助けてください」
「誰を?」
「東京の街で暮らす
「なにから?」
「上層部、東京内戦を支配する偉い人たちから」
「どうやって?」
「それは、自分で考えてください!」
ふはっと、斗亜が吹き出した。
凪はかまわず、話を続ける。
「だって私たちだけじゃ、わからないから。戦場の外にいる、客観的な目で、終戦になにが必要か考えて、別の視点から助けてほしい」
「一億人集まれば文殊の知恵だな」
「三人寄れば、です。とにかく、だから、私たちは内側から頑張るから、田舎の人たちは外から、考えてみんなで、東京内戦を終わらせてほしい、です」
凪が言葉を切ったことで、静寂が訪れた。
配信は一方通行で、田舎の人々がどう捉えているかは凪にはわからない。
「よく頑張った、僕がもう一押ししてやろう」
ポンっと、凪の頭に斗亜の掌が乗る。
くしゃくしゃと髪を掻き乱したあと、斗亜は通電機を自分のほうへ向けた。
「どうも、こんにちは。ハジメマシテのヤツが大半かな?」
モニターに映し出される斗亜の顔。
凪はわけがわからず、座り込んだまま斗亜を見上げていた。
「僕は政府軍所属、[殺される街]で生きてる。そしてさっき演説してたのが反乱軍、[生きれる街]で暮らしてるヤツ。その対比はまぁ、後でゆっくり調べろ。さて本題だが、オマエら、声を上げろ」
斗亜は通電機を地面に置いて空に向けた。
凪の顔を引き寄せて頬を合わせると、モニターに凪と斗亜の顔が映し出された。
「田舎者のオマエらが声をあげなければ、今日この東京内戦が終わらなければ、僕らは死ぬ。いや、殺される、反逆者として。考えて、調べて、共感してみろ。誰かの死に無関心にならなきゃいけない街に、人を殺さないと生きれない街、そこで窮屈な生活をして、最後には結局殺される僕らはとてもかわいそうだろう? 同情していい、むしろそうしろ。自分がもしその立場だったらとイメージして、それを怖い嫌だと思えたなら、僕らの立場になって考えれたなら、やめようと声を上げろ。それが世論となり、秩序となり法律になる。声をあげろ……以上」
ケラケラっと笑った斗亜が、凪の腕を引っ張って立ち上がった。
「行け、ナギ。自分の戦場へ」
「え?」
「僕には家族愛というものがわからない。だけどそんなものが世界を救うなら、この戦いを終わらせる鍵はやっぱりオマエだ」
「……はい」
「なにより追いつきたいんだろ、アサキに。待ちくたびれてるぞ」
「……はいっ!」
躓きそうになるのを堪え、凪は中央に向けて走り出した。
身体が重い、いや、軽い……あぁ、もう、わからない!
だけど一つ確実な事は、足は動いて前に進んでいた。
朝季のいる場所へ。
彼の立つ戦場の、その傍へ。
「見えるか、田舎者ども」
通電機片手に、斗亜が呟いた。それを凪に向けてかざし、彼女の背中を映し出す。
パタパタとはためく白羽織の裾、長い髪が風に揺れてなびく。
「アイツが今回の東京内戦、偽りの戦場を終わらせる鍵となる少女だ。さぁ、オマエら、
その時、どれ程の声が上がったかは現場にいた
しかしモニターを管制していた司令員や、リアルタイム視聴していた田舎の人間が言うことには、
涙が出た。
*
凪の背中を見送ったあと、斗亜は東京案内を始めた。
まずはすぐそばに積まれている死体の山、ビルの側面に張り付いた
ぐるっと回ってまた
わざと残酷なものを写していると批判が来ている、と茉理に注意され、今度は
「あれが
やはり批判が来たらしいが、斗亜はケラケラ笑って解説を続けた。
「だってこれが今の東京、日本の現状だから。目を背けるな、考えろ、人間ならば」
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