29.「僕らが立つべき戦場へ」




 伝言を託した夕季の声は、朝季への言葉を告げて終わった。

 ヒュウと、止んでいた風が動き出した。冬の、頬を濡らす冷たい風。それに吹かれて、地面に小さな雫がポタッと落ちる。

 その時になってようやく、凪は自分が泣いていることに気が付いた。

 プレートを汚してはいけないと目を擦るが、キリがなかった。


「……うぅ、っ」


 今度は声が泣き出した、感情全てが涙を流す。

 銀色のプレートが太陽の光を浴びて輝いた。


「斗亜さん。通電機、貸してもらっていいですか?」


 斗亜はなにも言わなかった。

 ただ淡々と、凪に通電機を差し出す。


「茉理さん、これ、田舎のテレビに繋がるんですよね?」

『え? ああ、ボタンを押せば……凪ちゃん?』

「演説、してみます」


 凪がベルト裏のボタンを指の腹で押すと、先ほどと同じように小さな出っ張りがプチッと中に入り込んだ。

 モニターに映し出される、涙でぐちゃぐちゃになった少女の顔。


「こんにちは」


 あ、思ったより声が出る。

 そんなことを思って、それが少しおかしくて、顔を上げた凪の長い髪が風に揺れてなびいた。


「白川凪って言います、三本線のシラカワの……私は今、中央と呼ばれる場所、戦地の奥にいます」


 ワンテンポ遅れて聞こえる自分の声。

 凪はかぶりを振ってモニターを見つめ直す。

 泣いてる場合じゃないと、自分に言い聞かせる。

 だって泣きたいのは私じゃない。


 生きるため。

 殺されないためにみんな、戦ってる。


 田舎の町で朝季が言っていたこと。


 なにと戦っているの?


 そう聞き返せばよかった。

 いや、聞かなくてよかった。


 今ならわかる、その言葉の意味が。

 彼らが立っている、偽りの戦場の真実が。


 虚偽の街、東京戦線。


 誰かの傷に涙を流すことすら許されない街で。



 みんなずっと、生きるために我慢してきた。



「半年前、私の通っていた田舎の学校に人間兵器アテンダーの男子が転入してきました。生徒たちや、教師までも彼を嫌忌しました。なにも知らない、理解しようともしないくせに」


 凪が腕を下ろしたせいで、モニターの画像は山積みになっている死体を映し出した。

 斗亜が凪の腕を持ち上げ、顔を上げさせる。目配せをし、再びモニターに向き直る。


「それまでの私は、東京で起きていることは自分に関係ない。東京に近寄らなければ大丈夫って、無関心に生きてきた。傘を差してくれた人がいます」

「傘?」

「ここでの生活は楽しかった。楽しくて、考えることをやめて、そうしたら人の傷も気にならなくなって。誰かの死も、他人事って思うようになって……傍観者を辞めるために来たこの街で、また、私は傍観者のままで……」

「なに言ってんの、オマエ」


 斗亜が凪の腕を掴み、引っ張り上げる。

 いつもの笑顔はなかった、じっと凪の目を見つめる。


「喋るのへったくそだな。要点言えばいいんだよ、ヨウテン。田舎のヤツらになにを伝えたい? なにを求めてる?」

「……伝えたい、求めてること」


 手を離され、凪は再び地面に座り込んだ。

 空を映し出しているモニター。

 飛行機雲が見えない街。

 同じ日本なのに、平和な街では見られない空の色。

 俯くとポタッと涙が地面に落ちた。

 アフルァルトの無機質な色、かつて日本の首都だった街、人工物のあふれる日本経済発展の象徴。

 街の至る所に、人の気配が溢れてる。


「それでも私は、この街が好きです」


 空を見るとやはり雲は一つも見えなくて、雨は降りそうにもなくて。

 彼はもういないけど。

 困った時に絶対側にいて、寄り添ってくれていた三次くんはもういないけど、私は大丈夫。

 一人で……違う、一人じゃない。


 朝季を一人ぼっちになんてしない。

 ずっとそばにいて、寄り添うから。


 だから、それなら、


 私一人じゃない。



「東京内戦が始まって八年……もうすぐ九年になります。私たちは、田舎の人も東京の街も、日本全てが傍観者になった。自分には関係ないから知らない、他人のことなんか知らない……学校で、隣の人が不登校になってさえ人は、自分が害を被らないと知らないふりをする。かつて日本は、お醤油が無くなったとき、隣のお家にもらいに行っていたらしいです」

『……凪ちゃん?』


 最後の言葉に引っかかりを覚えたらしい。不思議そうな声を出す茉理と、ケラケラと腹を抱えて笑う斗亜。

 凪は耳を赤くしながら、再びモニターに向き直った。

 自分の顔はそこになかった、空を映し出しているモニターに向かって、再び声を上げる。


「えぇっと、つまり、考えることをやめたらそれはもう、人間じゃないんです」

「ふはっ、なに言ってんの、オマエ」

「だから、えっと…… 全国の天気ニュースに、東京、関東の街が載っていないことを知っていますか?」


 それは朝季と最初に出会った日。

 歩道橋の上で聞いた言葉だった。




『どうして関東、東京は載ってないんだろう』




 あの日、彼の声を聞いていなければ。



 振り返って目を合わせなければ。



 私が『本当だ』と喋り返さなければ。 



 考えて、自分の足で朝季を追いかけていなければ。




 私は未だ、傍観者のままだった。




「自分じゃない誰かの痛みを、共感することができますか? 人の傷に涙を流すことができますか? 本当に心から、知らない誰かのために泣ける人っていますか? かつて日本は災害があった時、全国からたくさんのボランティアや寄付が募ったそうです。今の日本は……私が暮らしていた田舎は傍観者の町で、人間兵器アテンダーの彼を蔑んで、同じ人間として接してもらえなかった。知らないから怖くて、自分と違うからってすぐに悪口を言って、それでまた遠ざけて。いつまで経っても知らないから、怖いままで。考えて、もし自分がその立場になったら、そんな扱いを受けても仕方ないと諦めるの? どうして人は、自分の番にならないと痛みがわからないの? 考えて、もっと、人の気持ちを」

「ナギ、また微妙に話しそれてる」


 斗亜の言葉に、凪は目元を拭って顔を上げた。

 腕組みをして空を見上げていた斗亜が、ため息混じりに通電機を手に取った。


「つまり、オマエが言いたいことを一言で表すと?」

「……助けてください」

「誰を?」

「東京の街で暮らす人間兵器アテンダーたちを」

「なにから?」

「上層部、東京内戦を支配する偉い人たちから」

「どうやって?」

「それは、自分で考えてください!」


 ふはっと、斗亜が吹き出した。

 凪はかまわず、話を続ける。


「だって私たちだけじゃ、わからないから。戦場の外にいる、客観的な目で、終戦になにが必要か考えて、別の視点から助けてほしい」

「一億人集まれば文殊の知恵だな」

「三人寄れば、です。とにかく、だから、私たちは内側から頑張るから、田舎の人たちは外から、考えてみんなで、東京内戦を終わらせてほしい、です」


 凪が言葉を切ったことで、静寂が訪れた。

 配信は一方通行で、田舎の人々がどう捉えているかは凪にはわからない。


「よく頑張った、僕がもう一押ししてやろう」


 ポンっと、凪の頭に斗亜の掌が乗る。

 くしゃくしゃと髪を掻き乱したあと、斗亜は通電機を自分のほうへ向けた。


「どうも、こんにちは。ハジメマシテのヤツが大半かな?」


 モニターに映し出される斗亜の顔。

 凪はわけがわからず、座り込んだまま斗亜を見上げていた。


「僕は政府軍所属、[殺される街]で生きてる。そしてさっき演説してたのが反乱軍、[生きれる街]で暮らしてるヤツ。その対比はまぁ、後でゆっくり調べろ。さて本題だが、オマエら、声を上げろ」


 斗亜は通電機を地面に置いて空に向けた。

 凪の顔を引き寄せて頬を合わせると、モニターに凪と斗亜の顔が映し出された。


「田舎者のオマエらが声をあげなければ、今日この東京内戦が終わらなければ、僕らは死ぬ。いや、殺される、反逆者として。考えて、調べて、共感してみろ。誰かの死に無関心にならなきゃいけない街に、人を殺さないと生きれない街、そこで窮屈な生活をして、最後には結局殺される僕らはとてもかわいそうだろう? 同情していい、むしろそうしろ。自分がもしその立場だったらとイメージして、それを怖い嫌だと思えたなら、僕らの立場になって考えれたなら、やめようと声を上げろ。それが世論となり、秩序となり法律になる。声をあげろ……以上」


 ケラケラっと笑った斗亜が、凪の腕を引っ張って立ち上がった。


「行け、ナギ。自分の戦場へ」

「え?」

「僕には家族愛というものがわからない。だけどそんなものが世界を救うなら、この戦いを終わらせる鍵はやっぱりオマエだ」

「……はい」

「なにより追いつきたいんだろ、アサキに。待ちくたびれてるぞ」

「……はいっ!」


 躓きそうになるのを堪え、凪は中央に向けて走り出した。

 身体が重い、いや、軽い……あぁ、もう、わからない!

 だけど一つ確実な事は、足は動いて前に進んでいた。



 朝季のいる場所へ。



 彼の立つ戦場の、その傍へ。





「見えるか、田舎者ども」


 通電機片手に、斗亜が呟いた。それを凪に向けてかざし、彼女の背中を映し出す。

 パタパタとはためく白羽織の裾、長い髪が風に揺れてなびく。


「アイツが今回の東京内戦、偽りの戦場を終わらせる鍵となる少女だ。さぁ、オマエら、声援エールを」



 その時、どれ程の声が上がったかは現場にいた人間兵器アテンダーたちの知るところではない。

 しかしモニターを管制していた司令員や、リアルタイム視聴していた田舎の人間が言うことには、




 涙が出た。






 凪の背中を見送ったあと、斗亜は東京案内を始めた。

 まずはすぐそばに積まれている死体の山、ビルの側面に張り付いた人造人間兵器アーティフィシャルアテンダーのぺちゃんこになった身体。

 ぐるっと回ってまた人間兵器アテンダーの身体が分断された物を、部品一つ一つ集めて人の形に戻したり。

 わざと残酷なものを写していると批判が来ている、と茉理に注意され、今度は人間兵器アテンダー人造人間兵器アーティフィシャルアテンダーの戦闘を捉えた。


「あれが人間兵器アテンダーだ。怖いか、オマエら……東京奇襲や報復戦争はもっと怖かった。アイツらがいなかったら日本人はみんな、ぺちゃんこやバラバラの死体になってたかもな」


 やはり批判が来たらしいが、斗亜はケラケラ笑って解説を続けた。


「だってこれが今の東京、日本の現状だから。目を背けるな、考えろ、人間ならば」

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