第八章 偽りの戦場と傍観者の国

28.「もし君が、これを聴いているのなら」




 十数分前。

 白河夕季のプレートを握りしめた凪は、裏側のボタンを指でなぞった。


『夕季さんの遺言が残されている』


 茉理の言葉に、凪は深く頷く。


「でも、再生するのは本人じゃないって……」

「あ、僕わかった。アサキだろ? アサキがボタン押せばサイセーされる?」

『そんなわけないだろ。朝季がボタンに気付かなかったとは思えない』

「でも、ボタンを押さなければ」

『違うよ、凪ちゃん。違うんだ、朝季じゃない……あの日、あの時、冬那はプレートと一緒に二人分の指紋データを持ってきた。録音者と再生者、この二人以外は操作無効にしてって。その時の指紋データ、思い出した』

「え、二年前のですか?」

『記憶力には自信あるから。冬那が持ってきたデータは子どものものだった。変わった形って思ってたんだ。そして半年前、同じ感想を抱いた。凪ちゃん、君の指紋を見たときに』

「……え?」

『大きさは違うけど、パターンは変わってない。凪ちゃんの指紋とぴったり重なる。その中にある音声の再生条件は、白川凪がボタンを押すこと』


 言葉が出なかった。

 凪はプレートに握りしめ、再び地面に膝をつく。


「なになに? どーゆーこと? なんでナギなの?」

「私がお父さんの、娘だから」

『冬那か夕季さんか、どっちの案かは知らないけど……凪ちゃん、そのネームプレート受け取った時、朝季なにか言ってなかった? 命を預けるとかなんとか』

「言ってましたけど……どうして……」

『昨日、冬那が同じようなことを朝季に言ってた。だから願掛けというか、命を賭けるようなことをする時は、夕季さんのネームプレートは誰かに預けておいたほうがいいって』


 ひゅっと、凪は息を呑んだ。

 同時に感心もした。

 そこまで……冬那は考えていたのだろう。

 どこから?

 今朝の、朝季との再会は当然、冬那が仕組んだことだ。凪の東京入りに関しては、計画通りと言っていた。逆だと、三次はそのために、凪を東京入りさせるために利用されたのだと。

 その三次はなぜ、あの街を生活拠点とし凪の隣の高校に通っていたのか。

 田舎の学校で男が凪に銃口を向けた理由は?

 そもそもなぜ、管理が徹底された田舎の町であんな事件が起きた?


[転校生にアクセサリー禁止だって注意してきてくれないか? 一言、声かけるだけでいいから]


 田舎の学校で、教師に言われたこと。

 同じ名前だからってどうして私に、生徒に言わせるのとは思ったけど。

 考えることをそこで放棄した。

 待って、気づかなかった……あの先生、なんの教科の先生だっけ? 人の顔を覚えるのが苦手だけど、それ以前の問題だ。

 知らない人だ。


「馬鹿だ、私……いつもそうだ」


 他人の顔なんて見ていない。


 どこから?


 いつから?


 二年前のあの、深夜の中央突破事件の前日?


「違う……それ以上前から、きっと」


 まさか自分がなんてレベルじゃない。

 他人の傷を傍観していた横で、自分自身もその輪の中に。


 最初から私は、当事者だった。


『あいつ、なんで俺にまで秘密にしてるんだよ……凪ちゃん、大丈夫?』

「はい……あぁ、だから私は、この街に来たんですね」

『終戦時の鍵となるために』

「他人事だと思って傍観していた私が一番、渦中にいたのに」


 目頭に熱を感じた凪だが、泣いている場合ではないと顔を上げる。


「茉理さん、これ私、聞いていいんですよね?」

『……うん』

「遺言が、入っていると思いますか?」

『その中には、凪ちゃんに向けての言葉が入ってる。東京内戦の首謀者であり、いずれ自分の命を奪うであろう白川洋の娘に向けての遺言を。夕季さんのことだから、そんな酷いことは……いや、ごめん、検討がつかない』

「……私は、傍観者じゃない」


 プレートの裏側に親指を当て力を込めると、小さな出っ張りが中に入り込んだ。

 ジ、ジジっと、壊れたラジオのようなノイズ。

 それが小さくなると、ヒュウと流れるような風が吹いた。


『こんばんは』


 次に聞こえたのは、初めて聞くはずなのに何故か懐かしい優しい声だった。柔らくて上品で大人びた、朝季に似た澄んだ空のような声。

 張り詰めていた緊張が、途端に解ける。


『白河夕季です、君と同じシラカワの。俺はさんずいの白河で、君は三本線の白川だよね?』


 突如、声を残すことを思いついたのだろう。纏まりのない話から始まり『いま中央に来てます』と彼は続けた。

 連れてきた仲間はなくなり今は自分一人だと。

 そして義弟の話を始める。


『これを聞いているってことは、もう内戦は終わったかな? お疲れさま……朝季は元気かな? 背は伸びた? 海には行けた? わからない言葉はもうないかな? 朝季、今はもう、本当の意味で楽しく生きれてる?』


 罵詈雑言が入っていることを、凪は覚悟していた。

 無意味な死闘、偽りの戦場を作り上げた首謀者の娘に向けての恨みを、殺されることの辛さ、失うことへの悲しみを。

 怒声と共にぶつけてくるのだと。

 だけど声を聞いてわかった。

 これは遺言だ。

 朝季への、義弟に贈る最期の言葉。


『あ、ごめん。これ、凪ちゃんが聞く音声だよね。えぇっとまず、過去を振り返っていいかな? あ、過去って朝季との過去なんだけど……そんなことはわかってるか』


 慌ただしい……彼の今の状況がそうさせるのだろうが。

 朝季の義兄とは思えないほど取り乱す彼のさまがとても、人間らしかった。


『朝季と出会ったのは俺が北域に配属されてすぐのこと。東京奇襲で家族は死んだ。帰ろうと思ったんだ、家に。そこで死のうと思った。だけど玄関を開けた時、白い布を纏った少年がいて、そいつがオカエリって言ったんだ。外音がうるさくて声は聞こえなかったんだけど、口の動きがそう言った気がして』


 くしゃっと衣服の擦れる音が入った。

 次に聴こえてきた夕季の声は少し擦れていて、話が進むにつれそれは酷くなり、泣いているような声色になった。


『朝季、俺はあのときあの場所で死のうとしたんだ。お前がいなかったら死んでたんだよ? おかえりなんて言うから。全然知らないお前が、まだ名前も知らない他人のお前がそう言うから。平和な東京の街に住んでた俺はその時に死んだ。代わりに戦場と化した街で人間兵器アテンダーとして生きる俺が生まれた。その日から俺の家族は朝季になった、もしかしたらあれはオカエリじゃなくてタスケテだったのかもしれない。だったら尚更、俺が守らないとって。一人ぼっちになっていた俺の命を繋いでくれたのはお前だから。全部ぜんぶ、お前が、俺に全てを与えてくれたんだよ、朝季。なのに……』


 鼻をすするような音のあとに、『自分に殺処分がかかっている』と夕季は言った。

 だけどその時、隣に朝季がいたら?

 自分を庇って朝季が死んだら? 

 それ以前に自然に死ねたらいいが、朝季が[殺処分]の真実に気が付いたら。きっと、黙っていられない。復讐を、上層部に歯向かうだろう。

 死んで欲しくない、生きていてほしい。

 それは自分の生死問わず、朝季の未来はずっと続いていて欲しい。

 だからなにも、言葉一つ残さずに自ら命を絶った。


『だけど今、すげー後悔してる。会いたい、話がしたい帰りたい。一緒に海に山に日本の四季を見に、旅行に行きたかった。いつもお前に言ってたのにな、突発的に行動するのはよくない、時間が許す限り考えろって……説教する立場じゃなかったな、本当』

 

 その台詞に、凪は聞き覚えがあった。

 以前、朝季に言われたことだ。


 突発的に行動するのはよくない、時間が許す限り考えろと。


 伝わってる……その言葉はちゃんと、朝季に届いてたよ、夕季さん。

 心の中で呟き、凪は再び、夕季の声に耳を傾ける。


『やっべ、だからこの録音、凪ちゃんに向けてのやつだって……そうだ、君にお願いがあるんだ。ここに来る前の遺言を冬那に託してるんだけど、それは朝季に見せないでって伝えてくれる? あれ? この音声とそれ、どっちが先に再生されるだろ。終戦後に、朝季が人間として生きる未来を手に入れてから見せてくれって頼んだんだけど……まぁ、もし君のほうが早かったら、差し止めて置いて。あっちは見栄を張った、俺の本当の言葉じゃないから。かっこつけて取り繕って、逆にかっこ悪い』


 くすくすと、穏やかな笑声が響いた。

 想像だけでわかる、朝季によく似た彼の義兄。その笑顔が、閑雅な笑みが好きだと思った。

 泣かないで、無理して笑わないで……泣きそうな声を出さないでと伝えたくて、東京の街に来た。


『お願いはあと二つあるんだ。俺たちは朝季を生かしたい、自由に生きる未来を与えたい。だから最善の方法でこの東京内戦を止める。病まなくてもいいけど、その代わり考えろ。考えて、たくさんの犠牲の上に成り立った自分の未来を精一杯生きろ。お前は人間だから、大切な人を守るだけの能力があるんだから……ってやっぱ、朝季に向けて喋っちゃうなぁ。えぇっと、俺はもう朝季の側にいることはできないから、どうか、義弟を一人ぼっちにしないで、あいつが生きる未来に寄り添って側にいてあげて欲しい。お願いばかりでごめんね、重荷にならなければでいいんだけど』


 嘘をつかないで。


 そう言おうとした凪だが、言葉は飲み込んだ。

 だって今、もし声を発してももう、彼には届かなくて。

 そんな一方的なお願い、聞き入れるしかなくて。


「ずるいよ、夕季さん……重荷になんてなるわけない」


 小さな声で呟いた凪の声。

 次の台詞は、心の中で続けた。


 一人ぼっちになんてさせない、私が。

 もう二度と、

 朝季を一人ぼっちになんてさせない。

 

『長くなってごめんね。まだ聞いてくれてるかな? 途中で脱落してないかなぁ』


 ふっと漏らした笑声、その色がやはり朝季によく似ていて。

 凪は少しだけ、顔を綻ばせた。

 顔を見なくても、声だけでわかる。

 彼は朝季の義兄だ、家族だ。


『だけど未だもし、君が……』


 すんっと鼻を啜る音、泣きそうな。

 意を決したように声色を変えた、夕季の声。


 ノイズになっていた、耳をくすぐっていた、


 風が、一瞬、



 その動きを止めた。



『もし、君がこれを聴いているのなら、義弟にこの言葉を伝えて欲しい。

 俺はあと数分で、死んでしまうから』



 あのね、朝季––––


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