27.「家族愛というものが」



 味方の護衛何人かを連れ添って中央に向かっていた凪だが、途中で上層部派の兵とぶつかり結局、斗亜と二人で中央を目指すことになった。

 足を止めたのは、白背景に黒丸が描かれた旗がある広場。


「白黒で塗り潰された、日本国旗」


 凪の呟きに、ふっと斗亜が微笑む。


「この街みたいだな」

「東京、かつて日本の首都だった……戦場の街」


 息を飲み込んで視線を落とす凪だが、地面に広がる惨状に再び息を飲む。

 多数の黒兵の死体。首のない身体、散り散りになった腕や脚、肉片と臓器。少なくとも五十、いや百はありそうな死体がその地に散らばっていた。


「派手にやってんなぁ。まあ、ザコ相手ならアイツ一人でもこれくらい余裕か」

「うそ、まさか朝季が」

「アサキ? アイツじゃないだろ、アサキは殺さない、むしろ生かすヤツだ」

「え?」

「アイツのせいで、政府軍の生存率が上がったんだよなぁ。なんでリーダーやってんだってくらい甘っちょろで、最近は傷つけることすら躊躇ってたな」

「……そう、なんだ」


 凪は服の上からネームプレートを握りしめ、辺りを見渡す。


「どした? ゲロりそう?」

「ゲロ……あ、いや、こんなに損傷が激しいの、見たことなかったから」

「最近は形残らないように殺せって命令されてたからな。そもそも、死ぬくらいなら逃げろって方針が変わったし」

「私が来てから」

「他にも対象者以外は不用意に殺すなとかイロイロ変わって……あぁ、そうか。オマエが来てから、だな」


 意味深に笑う斗亜の言葉を、凪はしっかりと理解していた。

 ネームプレートを握りしめる手を、より一層強くする。


「大事にされてるなぁ、箱入りムスメ」

「……ごめんなさい」


 謝罪は誰に向けた言葉かわからない。

 静寂が訪れたところでジジッと、機械音のようなものが辺りに響いた。


『凪ちゃん、着いた?』

「茉理さん?」


 音のほうに駆け寄ると、腕が落ちていた。持ち主のわからない、肘から下だけの状態の。

 手首に巻かれた通電機が音を発する。


『中央兵の通電機を終始オンにしてたんだ……これの持ち主、ずっと動かないんだけど』

「私には左腕しか見えません、肘から下の」

『……そっか』

「なぁなぁ、ここめっちゃヒト死んでんだけど、これやったのってアサキじゃないよな?」

『朝季はそんなことしない、って斗亜! 誰かに通電機借りていけって言ったろ!』

「忘れてた」

『合流できたから良かったものの。凪ちゃん、通電機手に取れる?』

「……え?」

『ごめん、無理だよね。斗亜、通電機のベルトの裏にボタンがあるから確認してみろ』

「りょーかい」


 斗亜は通電機に手を伸ばし、腕から千切って離す。

 あまりの荒っぽさに、凪は顔を背けた。


「ボタン? あるある。なにこれ、押せばいいの?」

『あ、馬鹿、まだ……』


 返事も待たず、ベルト裏のボタンを押す斗亜。その途端、通電機の上に顔より少し大きいサイズの長方形が現れた。

 ヴンッと音を立て、映像が映し出される。やや荒れた画素だが、はためく白黒丸旗がそこに映った。


「あ、これリアルタイムだ」


 斗亜は目の前にある白黒丸旗と、モニターの映像を見比べる。

 若干のタイムラグはあるが、同じものだった。


『もう一回、ボタン押せ』


 囁くように言う茉理の指示に、斗亜はボタンを押した。

 それと同時、辺りの風景を写していたモニターも消えて無くなる。


「すっげ、なに今の?」

『リアル配信て知ってるか? まぁ、配信先はネットじゃなく、田舎のテレビに繋がるけど』

「テレビ?」

『ボタンを押して電源を入れたら、こちらの映像、音声が田舎のテレビチャンネルに流れることになってる』

「へぇー、すげー。なんのために?」

『真実を暴くためと、世論を集めるため』

「せろん?」

『……冬那が言い出したことで、俺はこの案には反対だったんだ。顔晒すことになるし』

「どういうことですか?」

『田舎の人に東京の現状を知ってもらおうって。あと凪ちゃんが演説でもしたら、同情を集めれるんじゃないかって、冬那が』

「演説? え……なに言ってるんですか?」

『冬那がね、凪ちゃんが演説して田舎の声でも募れば、って。冬那が!』

「なに言ってるんですか!」

「なーるほど。この死体の山を映して、田舎にゲンジョーを伝えればいいんだな」

「それ放送事故ですから!」


 ボタンを押そうとする斗亜だったが、凪が慌てて通電機を取り上げた。

 通電機の裏のボタンを指でなぞる。

 直径二ミリもないであろう小さなボタン。


「これ、どこかで……あ!」


 思い出して、凪は服の内側に仕舞っていたネックレスの束を取り出した。


「うわっ、オマエ、それ三つもつけてんの?」

「朝季からお兄さんの……夕季さんのやつ預かってて」

『夕季さんの?』

「ネームプレートです。自分のと三次くんのと……あ、やっぱり同じだ。へんな出っ張りついてたから不思議に思ってたんだけど、ボタンだったんだ、これ」

『……プレートに、ボタン』


 通電機のボタンと夕季のネームプレート裏にあるボタンを見比べる凪。

「おんなじだ」と、斗亜も同意した。


『ボタ……あ、あああっ!』


 通電機から響く大声に、凪と斗亜は顔をしかめた。


『ちょっ……凪ちゃん、それ、夕季さんのプレートにボタンがついてる? ボタンてか、小さい出っ張りみたいなの?』

「はい」

『押した? それ押した?』

「いえ、押してません。ていうか、ボタンだと思ってなかったし」

「押してみようよ」


 斗亜がプレートに触れようとするが、『やめろ!』と茉理の怒声が響いたことで手を止める。


『あぁ、そっか……そういうことか。気付かなかった……』


 嘆息するような茉理から声に、凪は首を傾げる。


「茉理さん?」

『ごめん、うん。思い出した……二年前だ』

「二年前?」

『冬那がね、俺のところにネームプレートを持ってきたんだ。これに音声録音機能をつけてくれって……徹夜明けで意識が朦朧としてて、誰のかなんて気にしてなかったけど』

「そのネームプレートもしかして、いま私が持ってるのと……」

『同じものだろうね。録音できる条件は、プレートの持ち主がボタンを押すこと。一度目のプッシュで録音開始でもう一度押せば停止。本人なら何回でも上書き録音できる』

「サイセーはどーすんの? 押せばいいの?」


 凪の首ごとネックレスを引っ張り、斗亜が親指の腹でボタンを押す。

 しかし出っ張りは動かず、音も流れなかった。


『なにもなんないけど?』

「違いますよ、斗亜さん。これ、本人じゃないと再生できない……」

『違う、本人じゃない』


 茉理の言葉に凪は再度、そして斗亜も首を傾げる。

 はぁーっと息を吐き出した茉理が、話を続けた。


『前日だった、俺がそのプレートに音声機能をつけたの。夕季さんが亡くなる前の日』

「前日って……」

「シラカワユーキが死ぬ前日って、中央突破の前の日か」

『正解。録音機能をつけたネームプレートを持って、夕季さんは中央に向かった。冬那が必死で抗議してたんだ、ネームプレートだけでも朝季に返すべきだって』

「……じゃあ、この中って」

『うん、推測だけどね』


 首を傾げる斗亜をよそに、凪と茉理は同じ結論に行き着いた。

 通電機から聞こえた茉理の言葉に、凪は深く頷く。


『夕季さんの遺言が残されている』





 扉の前から動かない朝季に痺れを切らし、洋は小さく舌打ちした。


「お兄さんの真似かな、気にする必要はないのに」

「夕季は、最後なんて? 死ぬ前に、なんていってましたか?」

「……どうだったかな、随分前のことだから」

「二年前ですよ」

「正直に言うとね、興味がないんだ。だってそうだろう? 有能な人間兵器アテンダーが一人、命を落としただけだ」


 カチン、とティーカップを置く音。

 朝季は辺りを見渡した。窓のない部屋、正面には大きな額縁の絵画、逃げ道は後ろの扉だけ。


「武器を作らない、最終兵器……」


 先ほど斗亜から聞いた言葉を反芻したところで、朝季は再度、洋を見下ろす。


「さて、」


 洋の方も、肘をついたままだが、朝季を見上げた。


「次は私が質問してもいいかい? この騒動の主犯は冬那だね?」

「…………」

「無言が肯定かな? 残念だよ、彼女は忠実な部下だったからね。そしてもう一人、茉理が君をここに誘導した。斗亜と神谷景子がこちらへ向かっているのは聞いたが。まあ、ここへはたどり着かないだろう」

「……よく喋りますね」


 皮肉めいた言葉に、洋は目を細める。


「やはり似ている。夕季くんもそんな顔をしていたよ。馬鹿にしたような、呆れたような笑みを浮かべ……私の話を一通り聞いて、『よく喋る』と呟いて笑ったよ。虫酸が走った」


 ピリッと空気が張り詰める。

 洋はため息をついて腕を伸ばし、膝の上で手を組んだ。


「二年前、夕季くんが奇行に走った理由は知ってるかな?」

「いえ、夕季は俺に、なにも言いませんでしたから」

「やはりそうか、余りに無知だと思っていたんだ。殺処分がかかっていたんだよ、彼」

「……は?」

「深夜の中央突破事件の日にね、偶然を装って戦場で殺すはずだった。冬那が漏らしたのだろうが、それを知った彼は最後の足掻きにとここを目指したのだろう。当時の彼に反逆は無理だったしなにより、君を確実に生かしたかったんだろう」

「俺を?」

「もし、君のお兄さんが『明日、自分が殺される』と言えば、君はどうした?」

「……あなたたち上層部に、反旗を翻していたでしょうね。夕季と一緒に」

「だから、それがわかっていたから白河夕季は君になにも伝えなかった。奇行による自殺行為、そう処理されたことで、君はあの街で再び生きることになった。我々としても有り難かったよ、君のことはまだ処分したくなかったからね」

「夕季は俺に、傍観者でいて欲しかった?」

「聞かなければ見なければ喋らなければ、考えなければ、この街では生きていけるからね。お兄さんの死は君から考えることを奪った、生かすために」

「だけど俺はその日から、人間じゃなくなった」

「いいんだよ、それで。この街ではそれが正解だ」


 答え合わせをしよう、と洋は言った。

 貼りついたような微笑み。その表情が嘘なのか本心なのかわからなくて、朝季はじっと彼を見つめた。

 答え合わせ……虚偽の戦場、東京の街。


「盛大な模擬戦だよ。富国強兵、強い軍事力を持つ日本に、他国は容易に手が出せなくなった」

「田舎の、一部の人間の利益のために、罪のない人間をこの街に閉じ込めて、争わせて」

「この街にいる者のほとんどが犯罪者だが?」

「冤罪の者もいますよね? それに夕季やたすくや修二は、なにが悪くて戦場に閉じ込められたんですか? 景子だって、本人に罪はない」

「そうだね、彼らに罪はないよ。悪いのは世間だ」

「世間?」

「身寄りがいない者は大体において一般社会では生きづらい。田舎で蔑まれ、明日の衣食住も不安な生活をするよりこの街に来たほうが良いと思うんだがね」

「……それはあなたが、決めることではないですよね?」

「楽しかったろう、この街は」

「考えることをやめて、戦場に馴染めたのならば」

「ならいいじゃないか。犯罪者や社会不適合者を排除して誰が困る? 身寄りのない子どもがいなくなって誰が損をする? 彼らを東京に収集しておくことで日本は平和になった、我々は人間兵器アテンダー開発材料を豊富に入手することができる。ウィンウィンじゃないか、素晴らしいシステムだ」

「殺された者は? 戦場に出る前に、人体実験などで命を落とした者もいますよね?」

「そうだねぇ。だけど上層部の人間は彼らを同類だと思っていないからね」

「同類だと思っていない?」

「だって犯罪者は、社会不適合者はそれだけでもう、人間ではないだろう?」

「っ……」


 感情が抑えられなかった。

 朝季は拳銃を生成し、洋に向ける。


「……撃つかい?」


 洋は顔色ひとつ変えず、背もたれに身体を預けた。


「あの日、なぜ夕季くんが死んだかって? 撃たなかったからだよ、私を。彼は知っていたんだ、私を殺してもどうにもならないと。それでは戦場の街を抜け出すことは出来ない、君を守れない。わかっていたから、彼は撃たなかった」

「あなたが殺したのは白河夕季って人間だ。俺の兄で保護者で上司で、唯一の家族だった」

「……君にとっては、必要な存在だったと?」

「雨月三次は七伊さんの息子で、南域を立て直すだけの実力を持っていた。三次の父、七伊さんの夫だった人は正義感の強い人で人望もあって、彼だから動かせた人材もあるという。七伊さんも同様に……」

「なんだ? 殉職者全員の名前を出して説明するつもりかい? 日が暮れてしまうよ」

「あなたが殺した人間の中に、この世界全てから不要と烙印を押された者はいますか?」

「少なくとも、社会は彼らを必要としなかった」

「あなたが統べる社会にとっては、でしょう? 世界はあなたを中心に回っているわけじゃない。片隅にいるように見える人間だってきっと、別の人間から見ればその人は世界の中心にいて、必要な存在だった」

「君がそれを言うか? 仲間を散々見捨ててきた、傍観者だった君が。君は彼らを救わなかった、必要としていなかっただろう?」

「だから! もう、逃げることを……傍観者をやめるために俺はここに来た。今ならはっきり言えます、今なら助ける……死んでいった者が不要だとは思わない。例えば家族が、恋人が、友人が……たった一言挨拶を交わすだけの隣人でさえきっと、絶対に誰かが……まだ名前も知らない他人がその人の大切な存在になる、絶対に誰かがその人を必要としている」

「……変わったね、君も。随分と……わかった、それなら、君が支配すればいい」

「は?」

「そう思うのだったら、君がこの社会を変えればいい。どうすれば世界は変わると思う?」

「…………」

「答えることが出来ないかい?」

「いや……」

「答えがわからない、それが答えだ。君にこの社会は変えられない」

「っ……今、急に言われても」

「残念だよ、朝季くん。夕季くんが成しえなかった終戦を君ならやってくれると思ったんだが……残念だよ」


 呆れたようにため息をつく洋。

 はっとした朝季が、武器を生成しようと指を動かせた。

 その時……


「まって……待って!」


 声が。

 幼さの抜けていないような、少女の声が響いた。

 バンっと、朝季の背後の扉が開く音。

 振り返った朝季の目に映ったのは、倒れこむようにして部屋に入ってきた白羽織の少女。

 長い髪がふわっとなびいて、尻尾みたいだと思った。

 朝季が昔飼っていた、勝手に消えて勝手に死んだ、真っ白な子猫のようだと。

 なぜピンク羽織じゃないのか、そんな疑問はすぐに飲み込んだ。


「凪」


 なによりも先に、彼女の名前が口をついて出た。

 顔が自然と綻んだ。

 そして同時に思った。

 やはり俺は、この子に対して鈍感になってしまう。

 気付かなかった、すぐ後ろにいたなんて思わなかった。

 振り返ればよかった……会いたかった。

 その感情をどう表現していいかわからなくて、朝季はただ、笑みを浮かべていた。


「……凪」


 朝季の次に名前を呼んだのは洋だった。

 しかし疑問符は付いていない、目を見開いて信じられないという表情。

 愕然と椅子にもたれる洋を、床に座り込む凪が見上げる。

 見開いた凪の瞳は即座、悲痛な物に変わった。


「久しぶり……お父さん」


 絡み合う視線が、大きく揺れた。

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