第六章 真実へ

22.「終戦の日」



 巣鴨駅付近、山手線よりやや北の中立領域で、恭吾は南方を見つめていた。

 景子の姿はあっと言う間に見えなくなった。音のない、静かな廃墟の街。

 ふと背後に足音を感じ、振り返るとピンク羽織が見えた。


「景子ちゃん、来ませんでしたか?」


 背後にいた、衣服の上からでもわかる華奢な体躯の少女。

 胸元には三つのネームプレート。


「ここ、景子ちゃん通りましたよね?」

「あ、……ああ」


 瞬時に、恭吾はこの少女の存在を理解した。

 白川凪だ。終戦を迎えるための、鍵となる少女。

 凪の姿を凝視している恭吾の視界に、今度は白羽織が飛び込む。


「なにしてんだよ、凪」

「たすく君?」


 たすくは境目の線を気にしながらも、中立領域に入る。


「今日は西に……冬那からなにか聞いたのか?」

「たすく君も? よかった、一人で政府軍域に行くの不安だったから」

「いやいやいや、お前は無理だろ。足手まといだ」

「EMPは足手まといなのか?」


 またまた口を挟む声。

 今度は修二が中立領域に入り、凪とたすくの背後に立った。


「怪我したとき、ろくな処置できないくせに」

「修二まで……つーか、今回の件にEMPいらねーだろ?」

「……たすく、お前、景子にサルって呼ばれてるよな?」

「はぁ? なんで今そんな……」

「考えることをやめたらもう、それは人間じゃない。お前、いつからそうなった?」


 修二の言葉に息を飲んだのは凪だった。

 もう何度も聞いた、その言葉。


「行こう、たすく君」

「わけわかんねーけど……わかったよ! 凪、修二の後についとけ。こう見えてこいつ、元特攻隊だから」

「特攻隊?」

「政府軍域内に侵攻する特殊部隊だ、悲惨すぎて解散したんだがよ」

「必死こいて勉強してEMPになったんだが、まさかまた前線に出るとは」

「つか、なんで修二まで来るんだよ?」

「……俺はな、女の子に好かれたいんだ」

「……は?」


 惚けた声を出すたすくと、いつものことだと顔を背ける凪。

 修二が話を続ける。


「かっこいいとこ見せたらほら、修二さんステキーってなるだろ?」

「なに言ってんだ、お前」

「でもよく考えたら、前線に女ってほとんどいねーんだよな、目の前の馬鹿弟子は洗濯板だし」

「洗濯板って……凪には手を出すなよ? マジで」

「出さねーよ、洗濯板は女じゃねーしな」

「大丈夫です、私も修二先輩のこと男と思ってませんから」

「あ、言い切ったなてめぇ! そんなこと言うなら今ここで、俺が男だって証明してやる!」

「ちょ、なにベルト外してんですか。やめて、キモい!」

「じゃあお前が脱げよ!」

「わかりました、脱ぎ……ませんよ!」

「くそっ、惜しいな!」

「……修二、マジで、凪には手出さないほうがいいからな?」

「出すわけねーだろ、こんな洗濯板!」

「私だって嫌ですよ、自分大事にしたいんで!」

「変なことで純情ぶりやがって! 知識だけ豊富になった処×–が!」

「先輩が下ネタ挟んでくるからですよ! そっちこそ、口だけ達者な×–貞のくせに!」

「なんで俺が童×–って知ってんだ! 見たのか、てめぇ!」

「見てません! 言ってみただけです!」

「カマカケタだと? くっそ、エロ……」

「くないです、普通の言葉です! ていうか言ってないです!」

「ふざけんなよ、洗濯板! お前、今晩俺の部屋に……」

「行きませんよ!」

「お前ら、なんて会話してんだ……修二、俺はEMPの技術を学ばせるために凪を預けたんだからな、これ以上拗らせるなよ?」

「たすくには関係ねぇだろうが! これは俺と凪の桃色部隊の」

「なんですか、桃色部隊って!」

「EMPはピンク羽織だろうが!」

「桃色って言わないで! 先輩が言うとイントネーションが卑猥な感じになるから!」

「イントネーションだと! くっそ、エロ……」

「くないです、普通の言葉です! むしろその後の」

「ひわ……」

「言わないで! 最低!」


 言い争う凪と修二。間に挟まれたたすくは、「え? なにこれ? つーか伏字にしなくてよくね?」と頭に疑問符を浮かべていた。

 呆れた顔で三人を見ていた恭吾だが、腕に巻いた時計のタイマーが三分を超えているのを見て、凪たちに歩み寄る。


「おい、お前ら。中立領域に留まれるのは三分って知ってるよな?」

「あ、すみません」

「……白川凪。落とすなよ、そのネームプレート」

「え?」

「時間だ、行け」


 返事も許さず、恭吾は凪の背中を押した。振り返りながらも前に進む凪。

 その姿が見えなくなったところで、恭吾はポケットから小粒のイヤリングを取り出し、耳に付けた。


「聞こえてるか、クソ上司」


 独り言のように呟くと、ジジッと鼓膜にノイズが流れ込んだ。


「今日が、終戦の日なんだな」


 呟いてから少しの時間を置いて、甲高い声が返って来る。


『おっはよーん、恭吾。凪ちゃんはもうそっち行った? ちゃんと送り出せた?』


 緊張感のない呑気な女性の声。

 現状をなにも知らされていなかった恭吾は舌を鳴らし、再び声を発した。


「お前のルーズさに関してはもう気にしない。だがこれだけは言っておく……今までありがとう、冬那。景子は、俺の家族はまだ、死なないよな?」


 恭吾の頬を涙が伝っていた。

 それを知ってから知らずか、冬那は愉快そうに頷いた。





 景子を探し、朝季はポイント4上を走っていた。

 北西から斜めにポイント4縦マイナス6までたどり着いたが彼女の姿はなかったので、そのまま北上。

 配置されている政府軍兵の数が少ないことを不審に思いながらふと目を向けた学校のような建物。

 その中に白い影を見つけ、朝季は中に入り込んだ。

 階段を駆け登った先、四階の廊下の端に景子の姿を見つけ駆け寄ろうとしたが、教室に隠れていた斗亜が朝季の腕にナイフを突き刺した。


「……っ、斗亜!」

「あれ、アサキじゃん。久しぶり」


 クルンと一回転して着地した斗亜は、朝季の前に立ちヘラヘラと笑う。


「普通のヤツなら頭ぶっ刺されて死んでるよ。さっすが」


 対抗しようとナイフを生成する朝季だが、「あ、待ってください」という声に動きを止めた。


「すみません隊長、殺す攻撃はするなと言ったんですが」


 背後から歩み寄った景子が、朝季の傷口を見る。

 じっと見つめたあと、どう処置していいかわからなかったのかパチンと腕の傷口を叩いた。


「痛っ……は? 景子、なにして……」

「すみません、私はEMPではないので傷を治す方法がわかりません」

「いや、これくらいの傷、EMPじゃなくても……ていうかそこじゃなくて……」

「あ、斗亜ですか? 大丈夫です、先ほど話は済みました。この人は敵ではありません」

「敵じゃない?」

「はい、信じてください」

「……戦うより先に、話をしたほうがいいか?」

「そうですね。これからはもう、それが可能です。話を、考えることを始めて……人間に戻りましょう、隊長」

「……今、どういう状況だ?」


 景子は手を離し、隣に立つ斗亜に目をやる。


「なに? 僕が話していいの?」

「先ほど私に話した内容を、そのまま隊長に伝えればいいです」

「ふーん」


 斗亜は宙を睨んで考えたあと、笑みを浮かべ朝季に飛びかかった。

 しかし手首を掴もうとする斗亜の手は払いのけられ、蹴り上げた片足は朝季の手に掴まれた。


「オマエの時と同じ状況はムリだぁ。アサキは拘束できない」

「誰が同じ状況を作れと言ったんですか。同じ話をしろと言ったんです」

「景子! こいつ信用していいのか⁉︎」

「信用できるかはわかりませんが、敵ではないです」

「どういうことだよ!」

「なあ、アサキ。一緒に反旗を翻さないか?」

「は?」

「気付いてるんだろ、この街の仕組みに。一部の大人の都合で人間兵器アテンダーは使い捨てにされる。不要者を殺すのが仕事の僕でさえ、使用価値がなくなったら殺される」

「……お前はもう、価値のない要らない人間兵器なのか?」

「オマエのせいだぞ、足なんてぶった斬るから」


 斗亜はニィっと微笑み、ズボンを捲り上げて右足の傷を露わにした。

 傷口から、血が滴る。


「たぶんもう治らない、使えないから処分される。それでもいいと思ってたんだ、昔の僕は。でも実際に殺されるとなるとゾクゾクした。ヤツらは僕に時間を与えるべきじゃなかった。怖いと思ってしまったんだ、死を。だから殺される前にこの街のシステムをぶっ壊す」


 ズボンを元に戻し、斗亜が顔を上げる。


「なぁ、アサキ、一緒にやらないか? 高みの見物してるジジイたちを引きずり降ろしに行かないか?」


 朝季は答えず、隣に立つ景子に目をやった。


斗亜こいつが信用できると思った根拠は?」

「隊長が西の会議をサボってこっちに向かってると言われました。半信半疑でしたが本当に隊長が現れたので」

「俺がこっちに? そんな情報どこから……冬那か。でもどうやって連絡受けた? 通電機は同じ地区内しか通じないだろ?」

「通じるよ」


 斗亜が右手首に巻いている通電機を朝季に見せつける。


「オマエらの学医は賢い。政府軍域を含んだ、全エリア対応のやつなんか簡単に作れる」

「学医……茉理か」

「ケーコに関しては、綺麗だから声かけた」

「お前ほんと、景子のこと好きだな」

「私はそういう趣味ありませんけど。どうしても女性をというなら凪がいいですが、隊長を差し置いて手を出す気はないので安心してください」


 声をかけられたことで、朝季は首を傾げる。

 同じように顔を傾けた斗亜だが、「なるほどー」と呟きニヤニヤしながら朝季の側に寄った。


「アサキ、オマエ、僕のこと勘違いしてるだろ?」


 斗亜は胸元まで服を捲り上げ、反対の手で太ももまでズボンを下ろした。

 胸元に巻かれている包帯状の白い布。


「僕とオマエの違い、どーこだ? あ、サラシ巻いてた」


 胸が露わになるとそこには大きな膨らみが二つあった。

 斗亜はぐいっと、それを朝季の前に突き出す。

 下半身はするりとして少女の様。


「上にあるか、下にあるか」


 平然と答える景子に、斗亜は「せいかーい」と愉快そうに笑う。

 朝季は顔を背け、表情を隠すように口元を手で覆った。


「上、下……いや、そこじゃなくて……斗亜、お前……女なのか?」

「見ればわかるだろ? そのために脱いだんだ。コーフンしてんのか、耳赤いぞ」

「ふざけんな、いいから、もういいから! しまえ、隠せ!」


 ズボンを上げサラシを巻き直す斗亜に背を向け、朝季は景子に詰め寄る。


「景子、知ってたのか、こいつが女だって」

「? 隊長はこの人のこと男だと思ってたんですか?」

「え? いや、ほとんどのやつがそう思ってると思うぞ。仕草とか一人称とか」

「どこをどう見ても女性でしょう?」

「いや、男だろ! どこをどう見て……改めて見ると女だと思えなくも……いや……」

「女でしょう?」


 朝季と景子の会話をケラケラ笑いながら聞いていた斗亜が、服を整えて二人に向き直る。


「てことはアサキ、無制限の条件も知らないよな?」

「無制限の条件?」

「ケーコ、オマエ出来るよな?」


 景子は目を伏せ、掌に白銃を作り出した。それを床に捨てたのを皮切りにライターなどの火力系、水系、岩土で出来ている粘度など、様々な種類の物を多数作り出した。


「勉強嫌いなので簡易な物しか作れませんが、素材と組成理解したらほぼ全ての物質を融合生成出来ると思います」

「景子が無制限……でも……」

「公表されてないだけで、私と同じ時期に開発された女性はみんなそうですよ。まぁ、気付かずに死んでいった方が大半でしょうけど」

「女性……」

「せいかーい。僕とケーコの共通点、無制限の条件は、オンナの体を持ってること」

「でも、凪とかそうじゃないやつらも……前線に女ってほとんどいないから、あまり知らないけど」

「最近のヤツらは手術時に能力の数値を抑えてるんだ。リミッター手術が成功し始めたのは、僕が東京来るちょっと前かららしい」

「リミッター手術?」

「能力値を変えれるんだ、最初の手術の時に。まぁ、それを実現するために、最初の成功体が出るまで何人も死んだけど」


 斗亜の言葉に、朝季は息を呑んだ。

 反乱軍と政府軍では環境が違うと思っていた。だけどこれ程までに知識の差があるとは思わなかった。


人間兵器アテンダーを開発した学者はさぁ、戦争とか内戦とか、そんなことをする気はなかったんだ」


 斗亜が、話を続ける。


「力の無い女性と幼い子供たちを守りたい。その願いで人間兵器アテンダーの基礎を作った」

「だから無制限の条件が、女性……」

「二十超えたオッサンが能力弱まっていくのに雨月七伊は衰えず無制限であり続けた、それがその所以。まぁ結局、年齢制限越えて能力あるのはおかしいって理由で処分対象になって殺されたけどな」

「だからお前は、斗亜は無制限なのか」

「オマエだって無制限だろ、アサキ。オマエ頭いいから、理由くらいわかってるだろ?」

「……お前はどうして、俺のこと知ってる」

「上の偉いヤツらが話してた。どんな才能ある人間だって敵わない最強のアテンダー、それは人間じゃない。最初の学者が作った唯一の成功体、最初で最後の人造人間兵器アーティフィシャルアテンダー、アサキ」

「……冬那と茉理、他には?」

「反乱軍のヤツらはたぶんついてくるだろうって。警察隊と政府軍は精鋭だけ声かけた。まあでも、人間兵器アテンダーの半数以上はこの祭りに参加するだろうな」

「……ちょうどよかった」


 朝季の言葉に、斗亜は首を傾げる。


「俺も終わらせたいと思ってたんだ、無意味なこの死闘……虚偽の街、偽りの戦場を全て」


 朝季の顔には、笑みが浮かんでいた。

 ケラケラと笑う斗亜が、政府軍の黒ジャケットを脱いでタンクトップ一枚になる。少し緩めのタンクトップの下に身体に張り付いたインナー、胸元は閉じられているので体型で女性とはわからない。


「反旗を翻そう、アサキ」


 斗亜はふっと、やはり少年にしか見えない不敵な笑みを見せた。

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