21.「例えば、貧しい兄妹が……」



 北地域、山手線を囲む中立領域の手前で、景子は南方面を見つめていた。

 静かな日だった。五十メートル先に行けば政府軍領域、普段ならこんな場所に一人で佇むなんて行為、あり得ない。

 強い風が吹いて思わず目を閉じる。再び開かれた景子の視界の隅に、恭吾が映り込んだ。

 目が合ったのは一瞬だった。視線を外されたことを咎めることなく、恭吾は歩く速度を緩めて景子の斜め前に立った。


「なにしてる?」


 互いに南方面を向いたまま、恭吾が景子に語りかけた。

 景子はちらっと恭吾の背中を見つめたが、すぐにまた視線を遠方に向けた。


「マイナス6まで行きます」

「なんのために?」

「知りません。上からの命令ですから」

「お前んとこの隊長は?」

「西に呼び出されました」

「他の仲間は?」

「必要ありません」

「……そうか」


 嘆息とともに恭吾が振り返る。

 景子の表情は変わらない、いつもの無表情、何を考えているのかわからない顔で政府軍域を見つめていた。

 昔からそうだった、笑わない子だった。と、恭吾は以前の景子の姿を思い浮かべる。だけどあの頃はまだ、無表情の中にある微かな動きを読み取れていたのに。


「この街に来てからさぁ……いや、この街で過ごしてると俺は、お前のことがわからなくなっていく」

「……成長するものですからね、人は。いつまでも保護者が側をうろちょろしているのは良くありません」

「そういうことじゃなくて……お前、誰かに喋ったのか? それか変な気を起こして妙な行動したとか」

「……貴方、死にたいんですか?」

「お前がその任務を遂行するなら、俺にはもう生きる理由がなくなる」

「……二年前、夕季隊長の中央突破事件覚えてますか?」

「幾人かの部下を率いて真夜中に奇襲、政府軍の本拠地までたどり着いたって話だろ? 結局、逃げ場がなくなって殺されたって」

「あの時、夕季隊長が出て行った時、私、起きてたんです」


 思わず振り返る恭吾。

 景子はちらっと顔を上げただけで、すぐに視線を外した。


「気付いて、朝季隊長を起こそうとした私に夕季隊長は、この街の真実を教えてくれました」

「……マジかよ」

「寝耳に水、でしたね。夕季隊長がいなければ私、なにも知らないまま誰かに喋って、変な気を起こして妙な行動をして、早々に死んでたかもしれません」

「……前にお前らがここで休んでたとき、死んで欲しくないやつがいるって言ったよな? あれ、お前なんだけど」

「でしょうね」

「……俺のせいだよな」

「だから、どうしてそうなるんですか?」

「だって俺が、あのとき、勇気を出さなかったから」

「勇気出してたら、貴方まで捕まってましたよ」

「それでよかった、それが正解だったんだ。違う、景子はやってないって、声をあげるべきだった」

「まぁどうせ、私達の言葉なんて誰も聞いてくれなかったでしょうけどね。そんな後悔のせいで、犯罪者の妹を追って自ら、戦場の街に来ることなんてなかったのに」

「助けたかったんだよ、お前を! 周りのやつらは信用ならない、俺には景子しかいなかったから」

「不幸でしたよね、あの頃の、田舎にいた頃の私たち。だから狙われたんでしょうね。ろくでもない親に見捨てられた貧しい兄妹、やってもいない罪で吊し上げて、居場所を奪われて。私の名前、ニュースで流れました?」

「……地方新聞にも載らなかった」

「ろくでもない世界ですね」


 振り返った景子が右手を差し出す。

 恭吾は無言でそれを掴み、景子を自分の胸に抱き寄せた。


「……嘘だろ、景子……なんで?」

「さぁ?」

「あれか、政府軍域に入ったから……あいつに巻き込まれて」

「隊長の悪口やめてください、撃ちますよ?」

「撃てよ。先にいって、待っててやるから」

「……できれば貴方には、生きていて欲しかった」

「俺も、景子には生きていて欲しかった。だからこんな、狭苦しい部隊で頑張ってきたのに」


 ポタポタと、恭吾の涙が景子の髪を濡らす。

 景子は腕を回し、恭吾のうなじを指で撫でた。


「爆破装置、仕込まれてますよね? まだ大丈夫なんですか?」

「録音だからな。殺されんのは、早くて今日の夜だ……なんでそこまで知ってんだよ」

「言ったでしょう? 夕季隊長が全てを話してくれたと。ここは虚偽の街、偽りの戦場。東京内戦は、処刑場を兼ねた盛大な模擬戦です」


 うなじから指を外した景子が、その手を今度は頭に回してそっと恭吾の頭を撫でた。


「気付いた者から殺される、喋らなければ生きられる。ここはそういう街だと夕季隊長が言っていました。[支配者]が[社会的地位をなくした少年少女]を使い捨てる。富国強兵、東京内戦は終わらない。だって戦いをやめたら、兵器がなくなったら日本は弱い国になってしまうから。だから人間兵器アテンダーが本気で戦える舞台、戦場を作った。政府軍と反乱軍、争っているのはなにも知らない兵士たち、上層部に垣根はない」


 そこまで聞いて、恭吾は景子の身体を離した。

 信じられない、という表情で景子を見つめる。


「お前……そこまで詳しい話を……白河夕季から聞いてた? どこで?」

「あの夜、目が覚めた私を寝かしつけるために夕季隊長は同じベッドに寝転んでくれて……おでこをくっつけて、よく眠れるようにって大声で言いながら、小声で真実を教えてくれました」

「ベッドって……」

「妙な勘違いはやめてください。親が子を寝かしつける感じでしたから。まぁだから、至る所に盗聴器が仕掛けられているこの街でも、死角は存在するということです。あ、もし貴方が生きている間に隊長が来ても、この話は絶対にしないでくださいよ?」

「なんでだ?」

「隊長は本当に、あれだけ一緒にいたのに、死角はいくらでもあったのに……夕季隊長からなにも聞いていないから。サヨナラの一つでさえ、残してもらえなかった」


 ざあっと風が通りぬけた。

 ビルの合間を、冷たい風が。

 それがピタッと止んだところで、景子は立ち上がって恭吾の目を見つめる。


「中立領域を出たら、爆発するんですよね、貴方」

「俺だけじゃない、警察隊はほとんどそれだ。弱み握られて、事情を知った上で上層部に従ってる」

「悲惨ですね」

「下っ端はどこも悲惨だろ、この街は。むしろ俺はラッキーだったかもしれない」

「ラッキー?」

「警察隊は有事しか持ち場から出れねーし外部との通信も限られてるが、直属の上司がいいやつだったら、生きれる確率が高くなるし希望も見出せる」

「貴方の上司はいい人でしたか?」

「……緊張感のない呑気なやつだが、善人だ」

「それなら良かった」


 触れた手を、景子から離す。

 そして恭吾に頭を下げた。


「私より先に死なないで、見守っていてください。今までありがとう、お兄ちゃん。私たちは天国に行けると思うから……また、後で」


 踵を翻し、景子は恭吾に背を向けて走り出した。

 追うように足を踏み出した恭吾だが、二、三歩行ったところで足を止めて地面に膝をついた。



 恭吾と別れた景子は、巣鴨駅周辺から真っ直ぐに南下した。不思議なことに、政府軍の兵には出会わなかった。

 なにかがおかしい。

 そう思ってふと、学校のような建物の前で立ち止まる。以前、朝季と共に政府軍域を攻めに入ったときに逃げ込んだ建物。

 自然と、景子は建物の中に足を運んだ。三階まで登ると、窓ガラスは散乱し廊下には穴が開いて崩れていた。


「なんでここ入ったんだよ、オマエ。ウケる」


 声が聞こえ、横を向くと廊下の先に斗亜が立っていた。


「マイナス6まで行けって言われたろ? なに寄り道してんの?」


 ケラケラ笑う斗亜を、景子は掌を握り締めながら睨んだ。

 知っている……反乱軍内で通達された、景子自身しか知らないはずの指示書の内容を、知っている。


「執行人……この街のシステムに気付き探り始めている反逆の芽を潰す役。あなたがそれですよね?」

「そこまで知ってんの? ユルユルだなー、情報管理。正解、処分対象者の防衛ラインは手薄になるからな。反乱軍のシステムは面倒だよな、楽しい街を演出してある日突然、殺される。政府軍内は真反対、全て知ってて人を……時には仲間さえその手で命を奪う」

「……真実を知らなければ、気付かなければ反乱軍は、山手線外側は楽しい街でした」

「だろうな。実験してんだ、上層部のヤツら。対なる二つの環境で、どちらがより有能な兵器を生み出せるか」

「あなたは、人間ですか?」

「……人間という名前がついた生き物は、自分が大事だからって安易に人を傷つけたりしない」

「悲惨ですね、そちらの環境も。それで、私の罪はなんですか?」

「罪?」

「なにか理由があって私は、殺されるんですよね?」


 無表情だが淡々と語る、景子の顔は真剣だった。

 斗亜はふっと笑みを浮かべ、景子と向き合う。


「オマエはなんだと思う、理由……今まで殺されたヤツらはどうして、この街で生きていけなかった?」

「……東京の街に、馴染めなかったから」

「あぁ、ソレいいな。正解にしといてやる……この街を管理する上層部、その中で最も発言力のあるオッサンが一人いるんだけど、ソイツが全部決めてんだ、この街の仕組みも、ここで暮らしてる人間の命も。ピラミッドの底辺はいくらでもいるからな、頂点に立つヤツの機嫌を損ねれば、簡単に殺される」

「……三十文字以内でお願いします」

「『強者が自身の利益の為に弱者を食い潰す、それがこの街、虚偽の戦場、東京』、句読点省いた漢字有効の三十、字余り」

「……合格にしといてやります。で、その発言力の強いおじさんとはどのような方ですか?」

「ハゲかけててぽっちゃりしてる、というかほぼ肥満な態度も体もでかいオッサンだな」

「その方が、私に処分命令を下したと?」

「あー、違う違う。アレ、嘘」

「嘘?」

「僕は反対したんだけどな。演出なんていらないから、さっさと終戦にすればいいって」

「しゅう……終戦?」

「派手な祭りはこれから始まる、さしずめこれは前哨戦。だから言ったろ、オマエは殺したくない……処分命令も出てないのに無謀なことするな、反旗を翻すのはって」


 タンっと斗亜が地面を蹴る。

 景子は一歩後ろに引くが、動きが読めなかった。

 目の前に現れた斗亜が片足で景子の足を拘束し、右手で景子の両手を壁に押さえつける。

 左手で顎を掴み、顔を近づけると、景子は歯を食いしばって斗亜を睨んだ。


「ああ、やっぱり、綺麗だ」

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