20.「凪に、出会えてよかった」


 どちらからともなく並んで歩き、奥の部屋に入ると以前と変わらないテーブルとソファが四脚あった。

 凪と三次が東京に来た日、出迎えた朝季。その時と同じ部屋、同じインテリア。

 朝季が窓際に座ると、凪はその向かい側に腰を下ろした。


「返事、遅くなってごめん……久しぶり」


 凪の言葉に、朝季は首を傾げる。


「あぁ、さっきの……いや、別に……うん、久しぶり」

「助けてくれたお礼もまだ、言ってなくて……朝季が政府軍の人を倒してくれたおかげで、私も助かったって聞いた」

「あぁ……うん」

「みんな全然敵わなくて、朝季がいなかったらやばかったって言ってて……人が、たくさん、死んだって……三次くんもね、その中の一人なの」

「……うん」

「びっくりした、人って簡単にいなくなるんだね。私、なにしてるんだろうって思った。傍観者をやめたいからここに来たのになにも知ろうとしなくて、口を閉ざして……楽しいとまで、思ってしまった」

「……そういう街だから、ここは。そう思えないやつは、正義感の強いまともな人間は、この街では生きていけない」


 俯いたまま、朝季は組んだ掌を強く握った。

 目を閉じてゆっくりと言葉を続ける。


「傍観者は凪だけじゃない。むしろ俺のほうが、目の前で何人も死んでるのに自分は大丈夫だからって……傍観者を続けてきた」

「……朝季が?」

「俺、凪に出会えてよかった」


 自分の言葉に、朝季は目を見開いた。

 なに言ってるんだ、こんな時に……そうは思うが、言葉が止まらない。

 声が、喉をついて勝手に出てきた。


「最近よく、夕季と過ごした日のこと思い出してて……今の俺はもう目を閉じて、見ないふりして。耳を塞いで聞こえないふりして、声を殺して喋ることを、誰かの死に対して泣くことを、やめてたから」


 やめろ、なに言ってるんだ。そう思うのに、言葉が勝手に溢れてきて。

 血の味がする唇を軽く舐めて、朝季は息を飲み込んだ。


『泣いてもいいよ』


 以前、凪に言われたこと。

 それを今、彼女の目の前で……思い出してもいいか。

 少しだけ、泣いてもいいかな?

 そう思って気を緩めた途端、朝季の目に涙が溜まった。

 

「びっくりしたって気持ち、俺もわかるよ。夕季が死んだ時、そうだったから……目が覚めるといなくなってて、みんなが騒いで景子は全部知ってて……世界は俺の知らないところで、俺がいくら傍観者決め込んでも、考えるのをやめてもちゃんと回ってたみたいで……」

「泣いてもいいんだよ、朝季」


 握った拳に、凪の掌が重なっていた。

 顔を上げた朝季の瞳に、凪の姿が映る。


「大丈夫だよ、私がここにいるから泣いてもいい……もう我慢しないで、泣いていいんだよ」


 滲む朝季の視界。

 その瞳からポタッと、一滴の涙が溢れ落ちた。


「大切な人はもう誰も、死んで欲しくない……見殺しにしたくない」


 ポタポタと、朝季の目から涙が落ちる。

 凪の指が朝季の指に絡み、互いの体温が感じられた。凪と繋いでいるのと反対の手で、朝季は目元を押さえる。


「夕季が死んだ時に、もう嫌だって思った。だけどこの街では、誰かを救うことなんて出来ないから……それなら感情を捨てようって。人を好きになる気持ちをやめよう、人間として生きるのをやめようって、そう思って来たのに……」


 どうして今になって、死んで欲しくないなどの感情を思い出したのだろうと、朝季は声に出さず心の中で続けた。

 考えることをやめたら、傍観者のままでいられたのならとても、楽しく生きれたのに。


「凪、俺……どうしたらいいかな?」


 俯くと涙が零れ落ちて、指の隙間からポタポタと滴った。

 久しぶりだった、人前で涙を流すなんて。思い返せば、誰かの前で大泣きしたのは一度きり。

 家族が、義兄が生きていた頃、飼っていた猫が突然姿を消して、それが死を意味すると理解した日。

 夕季の前で顔を伏せながら、蹲って泣き崩れた。

 それが最初で最後だったのに。


「朝季はね、すごい人なんだよ」


 朝季の最後の記憶を塗り替えた、凪が顔を覗き込みながら語りかける。


「東京に来てからね、朝季がどれだけ頭いいかわかったし、みんなに慕われてて、すごい人だってわかった」

「いや、俺は……」

「誰かとすれ違うたびに声かけられてて、みんな朝季のこと大好きで、いろんや場所でたくさんの人からありがとうの言葉をもらって、三次くんも朝季には敵わないって言ってて。みんなの憧れで、すごくかっこいいんだよ、朝季は」

「そんなことない。俺は誰のことも助けない、守ろうとしないから。今日だって……」


 言い淀んで下を向く朝季を、凪が覗き込んだ。目をそらそうとした朝季だが、凪が微笑んだのでそれは叶わなかった。

 見つめあったあと、絡む指に力が入る。


「朝季はね、大事にされて……お兄さんに、守られて育ってきたんでしょ?」

「……わからない。夕季は俺に、なにも残してくれなかったから」

「そうかな? たくさんもらってると思うよ。優しさとか強さとか、今の朝季は全部、お兄さんが作ってくれたんじゃないかな?」

「似てるって、よく言われる。夕季を知ってる人から、昔の夕季にそっくりだって……でも俺は、夕季になにも出来なくて」

「そんなことない、返せてるよ。お兄さんにもらった大切を、この街で暮らす人に、優しくして頼られて相談に乗ってあげて、違う人にだけど、朝季はちゃんと返せてる。だからね、えっと……朝季は自分を信じたらいいよ?」

「自分を信じる?」

「朝季が自分で考えて選んだ道なら、どんな結末になってもそれは間違いじゃないと思う。だって朝季はこの街で、誰よりも優しく賢くて有能な人間兵器アテンダーだから。悩んで考えて決めればいいと思う。だって考えることをやめたらもう、それは人間じゃない……朝季は人間でしょ? だからちゃんと考えて」


 田舎で出会った日、朝季が凪に伝えた言葉。

 それをそのまま凪から返されて、朝季はふっと小さく笑みを浮かべた。


「それ、俺が言った言葉だよな? 南に移籍する前、北基地の廊下で」

「良い言葉だと思ったので、参考にさせてもらいました」

「参考どころか、丸々パクってる……ふっ、くくっ」


 失笑を堪えた朝季が、顔をあげる。

 涙は消えていた、互いの目を見つめ合う。


「凪に、出会えてよかった」


 朝季の言葉に、凪が頷く。

 しかし返事をする間も無く、朝季が言葉を続けた。


「景子がさ、俺のところに来たんだ」

「景子ちゃん?」

「ネームプレート拾ってくれって、伝言頼まれたけどやっぱり自分で言わせるから。後で聞いてやって」

「うん……うん?」


 意味がよくわからないが頷く凪を見て、朝季は笑った。

 僅かに視線を上げ、凪の胸元にあるネームプレートを見つめた。


「凪、俺の命も、一緒に預かっておいてくれないか?」


 朝季は自身の首からネックレスを一つ外して凪に差し出す。

 凪がそれを受け取ると、ネームプレートには[YUUKI.S]と刻まれていた。


「これって……」

「白河夕季。俺の義兄、夕季の形見だ。田舎にいた時の白河は夕季の本名からもらったんだ。俺、苗字がないから」

「苗字がない?」

「俺さ、夕季に出会う前、十歳までの記憶がないんだ。最初の記憶は戦場の民家で、闇が抜けたと思った目の前に夕季がいて……家族も名前も年齢も、なにも覚えてなくてなにもなかったから。朝季って名前も家族も、全ては夕季がくれた……今ではもう、プレート一枚しか残ってないけど」


 無理に笑おうとする朝季の顔が寂しそうで、凪は握りしめたプレートを首から下げた。

 三枚になった銀のネックレス、白河夕季のものが増えたことで、少しだけ重みが増した。


「私も、朝季に会えてよかった」


 凪の言葉に、朝季が微笑む。


「頑張ろうって思えたの、頑張って強くなりたいって」

「凪は強いよ、充分頑張ってる」

「ううん、全然、私は朝季に敵わない。だけど頑張るから。朝季の背中を追い続けて、いつか同じ戦場に立つことが出来たら、今度は私が、朝季を守る」

「うん……」

「ありがとう、朝季」

「ありがとう、凪」


 交わした言葉はシンプルで、だけどそれだけで十分で。重なる掌、指先から熱が伝わった。

 涙はもう止まっていた。





 朝季が言うには、九時半から西基地で会議があって、その前に中野駅のホームに来いと冬那に呼び出されたらしい。

 凪を呼んだのも冬那だが、彼女の姿は見えなかったし朝季の通電機にも連絡はなかった。


『時間が惜しいから、もう行く』


 そう言って中野駅を去る朝季の背中を見送って、凪は駅ホームのベンチに座っていた。

 冬那が現れたのは二十分後、九時五十五分。


「ごっめーん、遅れちゃった」


 わびる様子のカケラも見せず、冬那は凪が座っていたベンチの隣に腰掛ける。


「一時間の遅刻ですよ」

「まだ五分あるわよ? 五十五分の遅刻」

「……屁理屈」

「そういえば、朝季には会えた?」

「……仕組んでました?」

「感動的な再会ができた? ていうか、仲直りした?」

「喧嘩してたわけじゃ……」

「首元、賑やかになったわね」


 冬那の目線の先には、凪がぶら下げる三つのネームプレートがあった。

 凪はそれを手に握り、冬那を見つめる。


「あ、えっと、朝季のお兄さんの」

「夕季さんのネームプレートよね、わかってる」


 冬那がすっとベンチから立ち上がった。

 よく晴れた空、太陽を見て呟く。


「凪ちゃん、この戦いを終わらせる気ある?」

「…………え?」

「気付いたんでしょ、真実に。この街の違和感、東京内戦の本当の目的」

「……はい」

「でもたぶん、一番大事なところはまだ知らないんじゃないかな?」

「一番大事なところ?」

「凪ちゃんはどうして自分がまだ殺されてないと思う? 最初から散々、知りたいとか傍観者やめたいとか言ってたのに」

「あ、えっと……え?」

「教えてあげる、真実の裏の物語を。凪ちゃんにとってはきっと、残酷なものだろうけど。それでもあなたは、夕季さんが終戦の鍵として選んだ女の子なの」


 冬那が凪に手を差し出す。

 おずおずと手を握り返すと、冬那が凪の体を引っ張り上げた。


「自己紹介遅れました。東京内戦兵器管理事業、最年少幹部役員の、三上みかがみ冬那ふゆなです」

「東京内戦兵器管理……事業?」

「上層部って呼ばれてる、この街を管理支配しているお偉いさんの中の一人」

「上層部って……え?」

「だけど所詮最年少、他の人たちは私の言うこと聞いてくれなくてね。だから一緒に、偽りの戦場を終わらせない?」

「……はい」


 未だわけがわからなかったが、とりあえず頷いた。

 それを見た冬那が、意味深な笑みを浮かべる。


「上層部のおじさん達は三次を欲しがってたけど、私はあなたが欲しかったのよね、白川凪ちゃん」


 チカッと太陽の光を反射して、冬那の耳にある白いカーネーションのイヤリングが輝いた。

 白いカーネーションって珍しいな、なんて全く別のことをふと、凪は考えた。

 誰かからの、プレゼントかな? と。

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