第五章 その中で生きるということ

19.「鳥籠の中、その更に中」




 凪が南域に行ってから五日目のことだった。

 いつもより早く目が覚めた朝季は空を見上げ、南方を見つめていた。

 連絡が入ったのはその時。


『南域が奇襲を受けた。救助要請が来ている』


 言葉の意味がよくわからなかった朝季は、再び空を見上げた。

 南方の空に、黒い雲。


「救助要請……南域が、奇襲?」


 はっとして、すぐに部屋を飛び出した。

 誰かに喋ったのか? いや、だって景子が警告したはずだし凪は終始傍観者で楽しそうに過ごしていて……それにきっと三次は、気付いている側の人間だ。

 だから大丈夫だと、凪を守ってくれると思ったから行かせたのに。

 いや違う、凪じゃない? じゃあ誰だ?



 今日は誰が、殺される?



 走りながら考えて、そして後悔した。

 なぜ手放したんだろう、手元に置いておけばよかった。

 鳥籠に閉じ込めておけばよかったのに、と。


 昔、猫を飼っていた。

 放し飼いで自由に遊ばせて、そしてある日突然、帰って来なくなった真っ白な猫。

 昔、義兄がいた。

 俺を育ててくれて大事にしてくれて、そしてある日、突然いなくなった人。

 どちらも今はもうこの世にいない、俺の手の届かない場所で死んだ。

 手放しちゃいけなかったのに。

 手元に置いて鳥籠に……守りたいのに。


 南域の瓦礫の中で凪を見つけた時、ため息と共に涙を飲み込んだ。

 北基地に帰って、自分の部屋に戻って空を見上げて再度、ため息をついた。


 涙が出た。


 それは二年ぶり、夕季の死を確信した日以来だった。

 あの日も一人、夜空を見上げて泣いた。



「お疲れですか、隊長」


 回想していた朝季だが、頭上から降る声にはっとして顔を上げた。

 目の前に景子がいた。

 場所は北基地の北域部隊隊長室、椅子に座っている朝季と、机を挟んで反対側に立つ景子。


「ごめん、考え事してて……気付かなかった」

「少し寝ますか? 最近休んでないでしょう?」

「それは、平気なんだけど……」


 朝季が言葉を止めたことで、会話が途切れた。

 悩んだ景子だが、「お疲れのところ申し訳ないですが」と声かけをして、二枚の書類を朝季に突き出す。


「少しだけ、目を貸してください」

「目を貸すって言い方おかしいだろ。なに? 緊急?」


 書類を受け取った朝季が、紙面に目を落とす。一枚は明日の部隊編制。毎日更新されるもので、どのポイントにどの人員が配置されるか示したもの。

 景子の名前は、[待機]欄に書かれていた。つまり明日は休み、戦闘に参加しなくていい。昨晩作成されたであろう、本日の戦死者リストには入っていない。

 紙をめくって二枚目に目を通す……その瞬間、朝季は立ち上がって景子に目をやった。


「……っ」


 しかし人差し指を唇に当てる景子の仕草をみて、言葉を止めた。椅子に座り直し、もう一度、二枚目に目を落とす。

 二枚目は景子個人への指示書。[単身で政府軍域へ乗り込め]という、一人で無防備に敵陣地乗り込んで殺されてこい。というような内容のもの。

 北域部隊隊長の地位に就いて二年経つ朝季だが、このような書類を見るのは初めてだった。


「なんだこれ……嘘だろ、こんなあからさまに」

「あ、これ極秘扱いなので、他言無用でお願いします」

「今までのやつらも、こんなの渡されてたのか? 死ぬってわかってて……」

「どうでしょう? 私みたいなパターンは稀なんじゃないですか? 気付いてない人もいるし、これで逃げ出されたら困るし」

「景子は……」

「私は一度死んだ身なので、命は惜しくないです。それで隊長や、他の人たちの楽しい時間が確保できるなら」

「……喋るな、景子。いや、いまさらか……でも、なんで……」

「喋らないでください、隊長。貴方はまだ生きれる……あっ、お喋りは私でしたね、すみません」

「俺は……たしかに、黙ってたら殺されないだろうけど……」

「隊長」

 

 頭を抱える朝季に、景子が声をかける。


「私、本当は、私だけじゃなくてきっとずっと、後悔してたんです」

「後悔?」

「だから隊長に、会いに来ました。凪って可愛いですよね」

「凪? ……あぁ」

「最初は隊長のためと思ってお世話してましたが、今では、私にとっても大切な子です」

「……ありがとう、凪のこと、守ってくれて」

「守っていたのは隊長でしょう? 凪がこの街に来てからずっと過保護な程に。それと、お礼を言うのは私のほうです。ありがとうございました」


 今まで、という言葉は、声を発さずに口の動きだけで景子は伝えた。

 監視カメラや盗聴器が、この部屋にないなんてことあり得ない。


「私のネームプレートは、隊長に拾って欲しいです」

「……無理だ」

「そんなことはないでしょう。今まで何人も拾って来たじゃないですか」

「意味わかってんのか! ネームプレートを拾うって……」

「私を延命させてくれたのは隊長と夕季隊長です。お二人がいなかったら私はとっくの昔に死んでいた。だから隊長、私の命を繋いだ責任をとって、私の最期を一番最初に弔ってください」

「……どうしよう、景子。俺、嫌だと思ってる。だけどこの街で暮らしていくにはそれは、仕方ないことで」

「生きてください、隊長は」

「……疲れた」

「だけど生きないといけない。今の貴方にはその理由があるでしょう?」

「理由?」

「守りたいんでしょう、凪を。それならば貴方は、傍観者でないといけない」


 ポタッと、朝季の唇から落ちた血が机の上に滴った。

 声が出ない、なにを言えばいいかわからない。

 黙っている朝季に、景子が最後の言葉をかける。


「私は凪に感謝しています。隊長と出会ってくれてありがとうと、伝えておいてください」


 パタンと扉の閉まる音。

 景子の姿が見えなくなったところで、ようやく声が出た。


「そんなこと自分で、言いに行けよ……」


 溢れそうになる涙を堪えて、朝季は項垂れた。

 助けに行きたい、行動したい声をあげたい。

 だけどそれをすれば自分が殺される。


「夕季……俺、どうしたらいいかな?」


 答えてくれる人はいない。ネームプレートなんて何度も拾って来た。死体を漁って、そいつらに対する弔いとして遺品として。

 そうやって何度も他人の死を見てきた。わかっていて無視を、見えない気づかないふりをして逃げてきたのに……。

 大切な人が、自分が傷つく番になって涙を流すなんて、なんて自分勝手なんだろう。


『まさか自分が』


 なんて生きてる限りいつかは、自分にその番が回ってくるのに。

 義兄、唯一の家族である夕季がそうであったように。


「……考えるな」


 深く息を吐き出した朝季が、ぽそりと呟いた。

 見るな、聞くな、喋るな。それがこの街、偽りの戦場だ。傍観者として真実に気付いていないふりをして、他人の死を安易に受け入れないといけない。

 そうでないと次は自分の番、生きるためには通達通り従順に戦って強い兵器になって……傍観者であり続けなければならない。

 そしてふと気が付いた。どうして景子に処分命令が下されたのだろう。


「俺のせいだ……」


 随分前だが、政府軍域の侵入に付き合わせた。それで目をつけられた?

 なにかをやらかした?


「だから考えるなって……もう巻き込まない」


 もう二度と誰も巻き込まない、誰にも頼らない。

 そう誓って、朝季は再び目を閉じた。

 次の日は普通に目が覚めたけどやはり、朝日は見えなかった。



 政府軍の南域襲撃が起きたあと、凪は終日茫然としていた。

 周りの者は声をかけることが出来ず、淡々と日々が過ぎていったある日、冬那が南基地にやってきた。


「久しぶり、凪ちゃん」


 談話室。凪は会釈し、冬那の向かい側に腰を下ろす。

 冬那は凪の胸元にある二枚のプレートを見て、微笑んだ。


「三次のネームプレート、凪ちゃんが受け継いだんだね。ちょっと見せてもらっていい?」


 冬那は身を乗り出し、抱きつくような姿勢で凪に近寄った。

 頬が触れる距離、耳元でそっと、冬那が囁く。


「明日の午前九時、中野駅」


 その後すぐ、ぱっと冬那が凪の身体を解放する。


「本当は報告いるんだけどね、凪ちゃんは特別! 一人っ子だしね」

「はい……」

「あ、今のこと人に言わないでね。バレたら私もやばいから」


 いつも通りの笑みを浮かべながら、陽気に部屋を出て行く冬那。

 扉が閉まったところで、凪は冬那の言葉を解読する。


『明日の朝、中野駅集合。他言無用、一人で来い』


 その解釈で間違っていないと思う。

 だけど中野駅……行きたくないという言い訳は通用しないだろう。


「どうせ暇だし……今の私、本当に役立たずだな」


 きゅっと掌を握りしめ、立ち上がった。

 夜は早めに眠りにつき、朝早く電車に乗って出かけた。

 車窓から見える風景、荒れた東京の街を眺めながら、凪は初めてこの街に来た時のことを思い出した。

 互いに守りあおうと約束した人は、あのとき言葉を交わした彼はもう、ここに居ない。

 電車を降りて駅のホームに降りた途端、凪は立ち止まった。

 同じホームに立つ人影。向こうも凪に気が付いたようで、目線がぶつかる。


「朝季……」

「……凪?」


 風が止まって一瞬、互いに見つめあった。

 海辺の港街でもないのに、ここは東京の街なのに。

 今ならわかる、偽りの戦場の意味が。


 三次が、この街にいるたくさんの人たちが、死んでいった理由が。

 

「……久しぶり」


 そんなことを思っていたせいか、凪は、朝季の言葉に返事をせずただ頷いた。

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