18.「一方的な愛は人に快楽を与えない」



 ピチャンという、水の音が聞こえて凪は目を覚ました。

 雨が降っていることに気付いたのは、身体を起こしてすぐ。起き上がれる、昨日より随分体調がよかった。


「雨漏りでもしてるのかな……天井にぶつかる雨の音も激しい」


 外は結構な豪雨のようだった。

 今日も休もう、そう思って布団を被ったとき、バタンと物凄い音を立てて部屋のドアが開いた。


「三次くん?」


 ドアを開けた三次は、無遠慮に部屋に入り込んでくる。

 雨に打たれたようで、全身ずぶ濡れになっていた。


「三次くん、外にいたの? 傘は……」

「基地に戻る。走れる?」


 乱暴に凪の腕を掴んだ三次は、引きずるようにして凪を部屋の外に連れ出す。寝起きでよろける凪だがそれと同時、下から突き上げる地震のような揺れがあった。

 咄嗟に、三次が凪を抱えて外に飛び出す。地面に倒れ込むが、三次はすぐに身体を起こして脇差を二本生成した。

 次の瞬間、旋風が起こった。

 金属の擦れる音、三次が掲げる刀がパキッと半分に折れる。即座に、三次は弾け飛んだ刃を素手で掴み、風が起こったほうに投げた。

 血が滴る刃の破片が、空中にいた黒服の男の肩に突き刺さる。

 その時になって凪はようやく、敵の姿を認識した。


「政府軍の……黒兵?」


 衣装は見たことがあった。これが敵だよと教えられて、黒服が見えたらすぐに逃げろと言われて。だけど実際にそれ着ている人間は初めて見て……いや、あれは人間なのだろうか?

 腐ったようなオレンジ色の肌、爛れた皮膚からは黄色い液体が滲み出ていた。

 避けた口元、眼球は白目の割合がゼロに等しい、全てが黒に染まっていた。


「凪、捕まって!」


 促され、凪は三次にしがみつく。駆け出す三次の背中越しに黒兵の男を見ると、ピクピクと動いていた胴体がのそりと起き上がった。

 機械のように顔を回転させ、ぎこちなく微笑む。

 ゾクっと、凪の身体が大袈裟に跳ねた。指先だけじゃない、身体全身が震えて、カタカタと歯が鳴った。


「どうして、政府軍の人がいるの?」

「……大丈夫、凪は俺が守るから」


 凪の質問には答えず、三次は力の限り地面を蹴って走った。凪が居住としていた場所は山手線大崎駅から南に五キロ以上離れた縦二十超えの場所、安全地帯。

 政府軍がここまでの領域に食い込むなんてあり得ない。なにより、南域の戦闘再開は二日後と周知されていた。

 どうして、と疑問に思うがそれよりも先に、恐怖が凪の思考を支配していた。



 高層ビルの中に逃げ込んだ三次と凪。吹き抜けになっているロビー、ガラス張りのエレベーターに枯れ地になっている小庭。以前はマンションとして人が暮らしていた様子の建物。

[管理人室]と表記があるドアを突き破って中に入ると、ベッドが置かれているだけの簡素な部屋があった。

 息継ぎさえ苦しそうな三次が凪をベッドに下ろし、自身もそこに身体を倒す。


「ごめんね、三次くん。疲れたよね」

「だから、謝るのやめろって」

「あ……えっと、三次くん、通電機持ってる? 外部との連絡、私がするから」

「……自分のは?」

「私は下っ端だからもらってなくて」

「……どうかしてるな、この街は」


 ボタンを押すと南域司令と繋がったが、向こうの様子も慌ただしかった。


『そっちにも現れたのか、どういう状況だ』と、怒声に似た通信相手に現状とおおよその現在地、建物の特徴を伝えるが、しばらくは増援を送れないと言われた。


『朝季がこっちに来てるから、それまでなんとか……』


 そこで通話は途切れた。

 再通信を試みるが、電波が悪いのかその後何度やっても繋がらなくて、凪は諦めてベッドに腰かける。

 そこでようやく、三次の状態に気がついた。


「三次くん……この傷、どうしたの?」


 横たわる三次の背中、白羽織が赤く滲んでいた。慌てて衣服を剥ぎ取ると、三次の背中には切り傷が数本と、臀部に刃物が突き刺さっていた。

 止血を試みるが、流血は止まらない。


「腸……胃よりももっと下……こんな身体で走ってたの?」


 混乱と動揺で頭が回らない。

 どうしよう、どうしようと頭を抱える凪の手を、三次がそっと掴む。


「落ち着け、凪。前線に行きたいなら、こういう状況になることは今後、絶対にある」

「……うん」

「凪はどうして、EMPになった?」

「……守りたいと、そう思ったから」


 目元に滲む涙を拭い、凪は三次の掌に自分の掌を重ねた。


「なにがいる?」

「鉄と、銀があれば助かる。酸素と炭素は自分で融合できる、あとは……」


 凪の指定した物質を三次は掌を通して彼女に受け渡す。

 暖かい感触が心地良くて、能力を使うと途端に身体が辛くなって、麻酔が効くより先に三次は意識を失った。



 手当を始めて一時間過ぎた。

 EMPでも第二種しか持っていない凪には手術、人体を切る資格はない。経験もないが、修二の隣で技術を見てきた。

 大丈夫、出来る……そう言い聞かせて行った開腹手当は一応の成功をみせた。

 救命センターに搬送されるまでに瀕死にはならないだろうという状態まで。


「ありがとう、凪」


 目を覚ました三次が、凪の手をとって自分の胸に引き寄せた。反対の手で三次の額の汗を拭くと、「凪のほうが汗酷いから」と言って笑った。

 普通の人間なら耐えきれなかった。一般の人間兵器アテンダーでさえ、途中で絶命するか未だ目を覚さなかっただろう。


「凪……傘、ありがとう」

「傘?」

「学校いたとき、雨が降ってた日、白い傘を差し出してくれた。あの傘、汚してごめん」

「いいよ。どうせ三次くんと話するためにやったことだから」

「俺と?」

「東京に行く前に三次くんに会わなきゃって。会えなかったらそれでいいと思ってたんだけど運悪く、駅に三次くんがいた」

「運良く、だろ……よかった、見つけてくれて。あの日、駅に行ってよかった。凪に会えて本当によかった」


 無理に笑みを浮かべる三次の目尻に、涙が溜まった。

 力強く凪の手を握ったあと、その手を離して大きく息を吐き出す。


「凪、帰ったら一つ、約束してほしいことがある」

「なに?」

「もう二度と、喋るな」


 ピリッと、空気が張り詰めた。

 萎縮する凪の瞳を、三次の鋭い眼光が捉える。


「凪は優しいから、違和感には気付いていたと思う。だけど喋らなかった。誰かに口止めされてたろ?」

「……景子ちゃんに、東京入りした日の夜」

「あぁ、あいつは朝季の忠犬だからな……過保護すぎる、やっぱり敵わないな、俺は……朝季には、敵わない」

「敵わない?」


 言葉の意味を理解し兼ねて、凪が首を傾げる。

 しかし次の瞬間、突然、三次が身体を起こした。

 近い場所で起こった爆発の音。顔をあげようとした凪だが、三次の手に頭を押さえつけられて叶わなかった。

 やがてジワリと、背中が熱くなる。


「凪、俺、お礼言いたい」

「お礼?」

「少しでも長く生かしてくれてありがとう」


 惚ける凪だが、言葉の意味を理解して目を見開いた。


「み、つぎ、くん? なに言ってるの?」

「守るって約束した、俺が凪を助ける」

「無理だよ、そんな状態で」

「田舎帰ったら神社に行ってみて。あれ絶対、キツネだから」

「三次くん!」

「カニも海も見たかったな、あと、傘がほしい。凪の持ってた白い傘、あれ欲しいな、俺」

「あげる、あげるよ! いくらでもあげるから! 離して!」

「無理、身体痛くて動けない」

「嫌だ、私も戦うから!」

「凪はEMPだろ?」

「関係ない! 私だって誰かを守れる、三次くんを助けて……一緒にここを出て、たすく君たちと合流しよう。ずっと、一緒にいようって、約束したでしょ」

「……ありがとう、凪」


 三次は顔をあげ、燃え崩れる家具や窓ガラスやコンクリートの壁を眺めた。

 それ程かからない内に、この建物は崩れるだろう。


「凪、俺はね、一緒にいようって約束した覚えはないよ」

「え?」

「俺が守るとは言ったけど、一緒にいようとは言ってないし、頷いた覚えもない」

「じゃあ、今ここで約束してよ。一緒にいよう、ここを出てからも、田舎でもずっと……そうだ、田舎に帰ろうよ。こんな場所から逃げて、東京を出て……」

「凪」


 名前を呼ばれ、凪は言葉を止めた。

 喋るな、そういうことだろう。

 だけど今、この状況で……


 わからない、と凪は思った。

 どこまで、なにが嘘でなにが真実か。

 どうすれば良いのか、わからない。

 東京の街へ来て半年弱、なにをしていたんだろうと、今になって後悔の念を抱いた。

 見るな、聞くな、喋るな……考えるな。人間として生きることをやめたらとても、楽しく生きれたのかもしれない。

 だけど……だけど!


 凪の心情を読み取ったのか、三次がぎゅっと腕の力を強くした。

 声を出せなくなった凪の耳元で、三次が言葉を告げる。


「俺は、凪が幸せになればいいと思ってる。だから約束なんてできない、例えここを出れたとしてもずっと一緒にいようなんて言葉、俺は言わない……好きだよ、凪」


 凪の目に涙が溢れた、

 三次の目にも同じく、そこから溢れた涙が凪のつむじに落ちて、髪を濡らした。


「俺は凪のことが好きだから、命をかけて守りたい……自分の命なんかどうでもいいと思ってしまうんだ。凪のためなら簡単に命を手放せる……だから、幸せにすることはできない」


 母と同じで、大切な人のために死ねるから。

 大切な人に危険が迫ると周りが見えなくなる、自分の命をかけて相手を守ろうとするから、その人の過ごす未来に自分はいないと。


「好き……いや、それじゃ足りないな。愛してるよ、凪。愛してる」


 生まれて初めて、凪はその言葉を告げられた。

 漫画や映画で見てずっと憧れていた言葉。

 返事を、声を出そうと思ったが強く抱かれているせいで叶わなかった。

 だから一方的に告げられた、一方的な愛。

 そして最後に、三次は息を止めた。






 雨が止まない。

 あの日からずっと。


「食欲は?」


 ノックもなしに部屋に入ったたすくが尋ねると、ベッドに座っていた凪は首を横に振った。


「さっき冬那が来て、今回のこと説明された。聞くか?」


 凪が小さく頷く。


「南を襲った黒兵二人……いや、二体って言ってたな。あいつらは政府軍が開発してた人造人間兵器アーティフィシャルアテンダーらしい。死んだ細胞を使って人造人間を作り、無制限の人間兵器アテンダーを作り出す実験をしてたって」

「無制限……適正制限のない、無限にどの性質の武器も作り出せる最強の人間兵器アテンダー。それを作り出そうとしてた、人工的に」

「貴重だからな、無制限は。失敗作を廃棄場に輸送中、二体が脱走して南に侵入したって」

「……失敗作」

「失敗でも無制限だからな、武器の種類半端ねーし動きは速いし、俺や他のやつらじゃ敵わなかった……朝季に礼言っとけよ」


 同じタイミングで目を伏せる二人だが、思い浮かべる景色は違う。

 たすくが回想したのは、早朝「様子がおかしい」と騒ぎ出した宿舎の兵士たち。ふと異変を感じて空に飛んだたすくの足元に湧き上がる爆炎。瞬く間に焼けくずれ落ちる勘の悪い白兵たち。目を凝らすと遠くのビルに黒服を着た政府軍の兵が見えた。

 目の色が全て黒の男が二人。

 一人の姿が消えると同時、空撃のようにたすくの周りの兵達の身体が瞬時に弾けた。

 横目でそれを認めたたすくはすぐに踵を翻した。


 凪が考えたのは、三次の肩越しに見た黒兵の顔、崩れゆく建物の音。気を失って、目を覚ました時の絶望感、冷たくなって動かない三次の綺麗な顔。

 凪の瞳に溢れた涙が、頬を伝ってシーツを濡らした。

 涙の止め方がわからず泣き続ける凪を見て、たすくがぽつりと呟く。


「お前、すげー泣くんだな」

「え? あ、ごめ」

「んな泣いてるとこ、初めて見た」

「だって……あ、ちが……今までは実感なかったっていうか、後方待機で重症の人もいなくて、死……だ人、目の前で見たことなくて」

「それが普通だ……普通と思ってた。そっか、泣けばいいんだったな、こういう時は。目の前で仲間の身体がぶっ切れても、爆風で弾け飛んでも、それを横目に自分が死なない手段を考えてる。戦闘終わったら遺体漁ってプレート片手に基地に戻って飯食って寝て……朝起きたら、そいつらもういないのに。泣けばよかったんだな、忘れてた」


 たすくは両手で瞼を押さえ、大きく息を吐いた。

 片手で頭を押さえるようにして、扉から背を離す。


「行くか、三次のとこ」


 無言で頷いた凪が、たすくの後を追って部屋を出る。

 案内された部屋に入ると、仰向けに寝ている三次がいた。額に触れようとして途中で手を止め、ベッドに腰掛けた。

 コンクリートがむき出しの天井、無機質な壁、冷たくて寒い場所。


「傘ね、ちょっと待ってもらっていいかな?」


 返事はなかった、沈黙の時間。


「作り方がわからないの。能力使わずに自分の手で一から作りたいから。傘は武器じゃないもんね、だから、生成はしない」


 布団からはみ出ている三次の右手の指にそっと、凪が指を絡ませる。


「寒いね、三次くん……東京の冬は、寒くて手が冷えるね」


 いつの間にか涙が溢れていた。三次の顔を汚しちゃいけないと拭うけど、キリがなかった。

 しとしと、しとしと、雨が続く。


「三次くんとはいつもこうだよね。無言ばかりで……その沈黙の時間が心地よくて、私は本当に、救われてた」


 ぎゅっと握りしめた指を離し、凪は立ち上がる。


「ありがとう、三次くん」


 背中越しに告げた言葉が彼に届いたかわからなくて。

 頭が痛くて熱くて、ちゃんと届いたかわからないから、同じ言葉を三回繰り返した。


 ありがとう、と。


 そしてサヨナラを一回言った。



 部屋を出ると、出口からすぐの廊下にたすくがいた。 

 たすくは凪の胸元を見つめ、首を傾げる。


「お前、それ」


 たすくの視線の先、凪の胸元で光る銀色のネームプレート。二枚重なった銀の板、[NAGI.S]と[MITSUGI.U]


「ダメかな?」

「他に欲しいってやつがいねーんならいいと思うけど」

「うん、その時はその人と喧嘩しよう」

「……お前が持ってろよ」


 そう言いながら、たすくは踵を翻す。


「そいつの意思と、命を繋ぐやつが持ってるべきだ」

「……うん」


 目を閉じて一呼吸した凪は、たすくの後を追って一歩踏み出した。

 東京に来た日から十センチ近く伸びた、長い髪がふわりと揺れた。





 雨が上がったのは、涙が出なくなったのはその数時間後だった。

 


 もう、泣かないよな?



 そう言われている気がした。



『凪の生きる未来が、幸せなものでありますように』と。


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