17.「南域戦闘領域・再戦前」
*
「もっと荒れてると思った」
清掃された南基地の建物、整頓された資料室、ベッドの上の真っ白なシーツを見てたすくが呟いた。三次の母、雨月七伊の頃から変わらないだけあって平均年齢が高い、二十歳を超えた
最初の数日は基地案内と軽く模擬戦を行った。現役のたすくの能力が圧倒的に高いが、それ以上に三次は強かった。
たすく曰く「随分変わったけど、元通りになってる」とのこと。
北域の兵が南に来て三日目の夜、凪はうっすらと明かりの灯る談話室で資料を眺めていた。
他に誰もいない、黙々と本を読みノートに記録する。
「なにしてんだ、日付変わるぞ」
声に顔を上げると、入口にたすくが立っていた。
「勉強しておかないと、咄嗟に対応できないから」
疲れたように笑う凪。
たすくはドアを閉め、凪の向かいの椅子に座った。
「ちょっとは休めよ、お前の頭は休憩なしでフル活動できるほど立派なのか?」
「たすく君、言い方」
凪は苦笑いし、資料を閉じる。
「北にいた時は、こうやってみんなで話ししてたね」
「あそこはガキばっかだからな」
「楽しかったね」
凪達が南域に来て三日経つが、夜に談話室に来る人はほとんどいなかった。
北基地のそれと似たような作りの談話室で、凪はついこの間のことを思い出していた。
「豚汁また食べたいね、年が明けたらお餅作って」
「だから、豚汁には餅いれねーよ」
「元気かな、みんな」
下を向いて微笑みながら言う凪。それを横目で見るたすくだが、すぐに視線を外した。
「死んだ」
「え? ……ごめん、今なんて?」
「だから死んだ、一重とハジの二人。今日の昼過ぎ、時間と殺し方からして斗亜が来たんだろうって」
「……死んだの?」
「だから、そう言ってんだろうが。朝季が着いた時には姿形もない血肉の塊になってて、プレート一枚になって帰って来たって」
「……いや、たすく君、なに言ってるの?」
「は?」
パチンと目線がぶつかるが、たすくの表情は変わらない。
凪はいい知れぬ不安を覚えて、胸元のネームプレートを握りしめた。
「それは、帰って来たって、言わないんじゃないかな? おかしいよね?」
気付けば、声に出してしまっていた。
はっとして、景子に忠告されたことを思い出したが、凪は唇を噛んで話を続ける。
「プレート一枚になったら……死んだなら、帰って来たって言葉は、使わないんじゃないかな?」
「いや、だって普通……この街では、それが普通だけど」
「じゃあ、この街っておかしくない?」
「は?」
「私がEMPで後方待機だったっていうのもあるんだろうけど、この内戦って意味あるの? 二つの勢力って、この街って本当に争ってるの?」
「馬鹿か、負傷者出てるだろ」
「そうだね、うん……たすく君って、なんで戦ってるの?」
「なんでって……」
ぱっと、たすくが顔を背ける。
凪はたすくを見つめたまま、尋問を続けた。
「答えれない?」
「そういうわけじゃ」
「たすく君、どうして東京内戦が起きたか……反乱軍と政府軍が争ってる理由って知ってる?」
「……俺らは下っ端だから、戦えって言われてるから戦ってるだけで」
その言葉で凪は確信した、この街の違和感を。うまく言い表せないが、これは……
東京の街で行われているのは戦争ではない。
「戦えって言われたから戦って。そんなことで自分の命をかけてるの? そんなことで、誰かの命を奪ってるの?」
「俺ら反乱軍はあんま殺すことはないけど……凪お前、なにかあったか?」
「朝季も景子ちゃんも修二先輩もきっと気付いてて……嘘をついてる。たすく君は、どっち?」
目を見開くたすく。言葉を返そうと思ったが、声が出なかった。
しばらくして、沈黙を破るようにカタンと部屋の出入り口で物音がした。
「なんの話?」
振り返ると、ドアのすぐ前に三次が立っていた。貼り付けたような笑顔で、凪とたすくを見比べる。
途端、凪は背筋に悪寒を感じた。喋ってはいけないと言われていた。約束を、破ってしまった。
『君だって危ないんだから』とあの日以来姿を消した、講師が言っていたこと。
景子にも忠告された、気付いても知らないふりをしろ、喋るなと。
「夜更かしはよくないよ、早く寝たほうがいい」
カツンと、わざとらしく足音を鳴らして歩み寄る三次。
凪は俯き、震える指を押さえつけた。
「悪かったな、うるさくして」
たすくは大袈裟に舌を鳴らし、三次の横を通り抜けて部屋を出て行った。
じっとその背中を見送ったあとで、三次が呟く。
「たすくは大丈夫だな。本当馬鹿みたいに、正直だ」
言葉の意味が気になったが、凪は顔を上げることが出来なかった。
三次は椅子にかけてあった毛布を手に取り、それを凪の肩にかける。
「東京の冬は寒いから。凪のいた町よりも、ずっと」
「え? あ、うん」
「凪……」
耳元で名前を呼ばれ、凪は身体を硬らせた。
しかし思っていたものとは違う、三次の声はとても優しくて。
「俺はね、凪が幸せになればいいと思ってる」
「うん……えっと、ありがとう」
「だから絶対、生きていて欲しい。俺がいてもいなくても、凪の生きる未来は、幸せなものであって欲しい」
きゅっと握られた肩が痛くて、言葉を返すことが出来なかった。
やがて三次の手が離れ、足音が遠ざかる。
「暖かくして寝なよ? おやすみ」
「……おやすみなさい」
声が出せたのはしばらくしてからで、既に三次の姿はなかった。
東京の冬は寒いから……自分の身体が、三次の手が、震えていた理由はそれではないと思う。
だけど肩に触れた三次の手が、衣服の上からでもわかるほど冷たくて。
頭が痛くて、それ以上考えることが出来なかった。
*
南域は宿舎が用意されていたが、凪は女性ということで、共同住宅から少し離れた二階建てアパートを居住地として与えられていた。
三次と会話をした日の夜、凪は寒気を感じて布団に潜り込んだ。しかし既に手遅れだったらしく、翌朝、起き上がることも困難なほど体調を崩した。
「起きた?」
眠りから覚めた凪が目を開けると、部屋の隅の椅子に三次が座っていた。読んでいた本を閉じ、凪のいるベッドに歩み寄る。
時刻は午後八時、日はとうに暮れていた。
「さっきまで、たすく君がいてくれたんだけど」
「あぁ、随分前だよ。途中変わってもらったから」
「? そっか……ごめんね」
「謝ることじゃない……たすくになにか言われた?」
「EMPが風邪ひいてんじゃねー、ミイラ取りがミイラになってんじゃねーか」
口調を真似しながら、凪はたすくにもらった栄養剤を三次に見せる。
本人はなにも言わなかったが、瓶のラベルに東基地のマークがある。わざわざ東基地に行って、凪のために調達したものだ。
「たすくは面倒見がいいから」
「……三次くんは、いつからそこにいた?」
三次は答えず、穏やかに笑った。
自分の仕事があるのに、それを放棄してまで看病してくれていたのだろうかと、熱い頭でぼうっと凪は考えた。
「三次くんは最初からずっと、私の側にいてくれたね。田舎の学校で知り合って、東京に来る時も、北と南に分かれてからも三日に一回は会いに来てくれて」
「総じて暇だからな、俺は」
「暇ではないでしょ? 忙しいのに、わざわざ……」
「懐かしいな、海辺の港街」
言葉を遮るように、三次が言った。
凪は熱で頭が回らなくて、「うん」と話を合わせて頷く。
「水平線の見えない海があれほどまでに綺麗とは。海面が空と島の緑を反射して、色を変えるとは思わなかった」
「三次くん、転校生なの?」
「転校生?」
「あ、えっと……生まれは別のとこで、途中からあの街に来たの?」
「生まれは北陸、九歳の時に東京に連れて行かれて、十三歳の時にあの街に行った」
「あ、そっか……ごめん」
「凪はその、謝る癖やめたほうがいいよ」
「え?」
「すぐにその言葉使われると、本心じゃなくてただ言ってるだけだろうなって感じる」
「あ、ごめ」
「謝らない」
「……はい」
しゅん、と目尻を垂らす凪の頬に三次が掌を押し当てる。
熱で高くなっている凪の体温に、三次のひんやりとした指は心地いい。
「凪さ、学校の近くに神社あるの知ってる? 長い階段登っていく、山の上にある神社」
「あぁ、あの神社……知ってる」
「あそこでキツネ見た気がするんだよな」
「うそ、いないよキツネは。野良犬じゃない? 学校裏の道路で見かけたことあるから」
「マジか、犬かぁ……あと海が好きだったな、水平線の見えない海」
「海は私も好き、よく見に行ってた。そういえば昔、巨大カニを捕まえたことあるんだよ」
「巨大カニ?」
「大人の手よりも大きくてね、足がうようよして気持ち悪かったぁ。かなり前だけど、まだ元気かなぁ、あのカニ」
「……もしそのまま学校に残ってたら、看護師になってた?」
その質問に凪は首を横に振る。
「もしもの話はよくわからない。でも田舎に帰ったら、看護師になりたい」
「……なれるよ、凪なら」
「EMP二種持ってるから、田舎の国家試験免除にならないかな?」
「普通に受け直しだろ、畑違いだ」
「あはは、やっぱりかぁ」
笑うと喉が痛くて、少し咳き込んでしまった。
三次の手が額に移動して、そっと頭を撫で始める。
その感触がとても優しくて、凪は目を閉じた。
「あのね、三次くん。傘、ありがとう」
「傘?」
「出会った日、田舎の駅で、傘の中入れてくれて。返すの遅れてごめん」
「いいよ、凪に近づくためにやったことだから」
「お互いに守りあおうって約束したよね?」
「約束? ああ、東京に入った日のことか。どうした凪、走馬灯でも見えてる?」
「三次くん、私、EMPになったよ」
目を伏せて微笑む凪。
くすくすと、大声にならないよう静かに笑うと、三次が同じような笑顔を見せた。
「ありがとう、凪……おやすみ」
やはりまだ体調が悪いみたいだ。眠気に勝てそうもなくて、自然と瞼が落ちた。
薄れゆく意識の中で、凪は三次の声を聞いた。
「俺は自分の命をかけてでも、凪を守るよ。凪の生きる未来が、幸せなものでありますように」
雨が降っていた、十二月中旬のある日のこと。
ふとなぜか、北基地にいた時のことを思い出した。
EMPになると決めた日、食堂から漏れる淡い光と笑声を通り抜けて向かった公園への夜道。
『月が綺麗だ』と三次に言われた時に感じた微かな温かさ、肌寒い初夏の匂い。
凪の耳に届いた三次の声がなぜか、その時のそれと重なった。
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