17.「南域戦闘領域・再戦前」




「もっと荒れてると思った」


 清掃された南基地の建物、整頓された資料室、ベッドの上の真っ白なシーツを見てたすくが呟いた。三次の母、雨月七伊の頃から変わらないだけあって平均年齢が高い、二十歳を超えた人間兵器アテンダーたち。

 最初の数日は基地案内と軽く模擬戦を行った。現役のたすくの能力が圧倒的に高いが、それ以上に三次は強かった。

 たすく曰く「随分変わったけど、元通りになってる」とのこと。



 北域の兵が南に来て三日目の夜、凪はうっすらと明かりの灯る談話室で資料を眺めていた。

 他に誰もいない、黙々と本を読みノートに記録する。


「なにしてんだ、日付変わるぞ」


 声に顔を上げると、入口にたすくが立っていた。


「勉強しておかないと、咄嗟に対応できないから」


 疲れたように笑う凪。

 たすくはドアを閉め、凪の向かいの椅子に座った。


「ちょっとは休めよ、お前の頭は休憩なしでフル活動できるほど立派なのか?」

「たすく君、言い方」


 凪は苦笑いし、資料を閉じる。


「北にいた時は、こうやってみんなで話ししてたね」

「あそこはガキばっかだからな」

「楽しかったね」


 凪達が南域に来て三日経つが、夜に談話室に来る人はほとんどいなかった。

 北基地のそれと似たような作りの談話室で、凪はついこの間のことを思い出していた。


「豚汁また食べたいね、年が明けたらお餅作って」

「だから、豚汁には餅いれねーよ」

「元気かな、みんな」


 下を向いて微笑みながら言う凪。それを横目で見るたすくだが、すぐに視線を外した。


「死んだ」

「え? ……ごめん、今なんて?」

「だから死んだ、一重とハジの二人。今日の昼過ぎ、時間と殺し方からして斗亜が来たんだろうって」

「……死んだの?」

「だから、そう言ってんだろうが。朝季が着いた時には姿形もない血肉の塊になってて、プレート一枚になって帰って来たって」

「……いや、たすく君、なに言ってるの?」

「は?」


 パチンと目線がぶつかるが、たすくの表情は変わらない。

 凪はいい知れぬ不安を覚えて、胸元のネームプレートを握りしめた。


「それは、帰って来たって、言わないんじゃないかな? おかしいよね?」


 気付けば、声に出してしまっていた。

 はっとして、景子に忠告されたことを思い出したが、凪は唇を噛んで話を続ける。

 

「プレート一枚になったら……死んだなら、帰って来たって言葉は、使わないんじゃないかな?」

「いや、だって普通……この街では、それが普通だけど」

「じゃあ、この街っておかしくない?」

「は?」

「私がEMPで後方待機だったっていうのもあるんだろうけど、この内戦って意味あるの? 二つの勢力って、この街って本当に争ってるの?」

「馬鹿か、負傷者出てるだろ」

「そうだね、うん……たすく君って、なんで戦ってるの?」

「なんでって……」

 

 ぱっと、たすくが顔を背ける。

 凪はたすくを見つめたまま、尋問を続けた。


「答えれない?」

「そういうわけじゃ」

「たすく君、どうして東京内戦が起きたか……反乱軍と政府軍が争ってる理由って知ってる?」

「……俺らは下っ端だから、戦えって言われてるから戦ってるだけで」

 

 その言葉で凪は確信した、この街の違和感を。うまく言い表せないが、これは……

 東京の街で行われているのは戦争ではない。


「戦えって言われたから戦って。そんなことで自分の命をかけてるの? そんなことで、誰かの命を奪ってるの?」

「俺ら反乱軍はあんま殺すことはないけど……凪お前、なにかあったか?」

「朝季も景子ちゃんも修二先輩もきっと気付いてて……嘘をついてる。たすく君は、どっち?」


 目を見開くたすく。言葉を返そうと思ったが、声が出なかった。

 しばらくして、沈黙を破るようにカタンと部屋の出入り口で物音がした。


「なんの話?」


 振り返ると、ドアのすぐ前に三次が立っていた。貼り付けたような笑顔で、凪とたすくを見比べる。

 途端、凪は背筋に悪寒を感じた。喋ってはいけないと言われていた。約束を、破ってしまった。

『君だって危ないんだから』とあの日以来姿を消した、講師が言っていたこと。

 景子にも忠告された、気付いても知らないふりをしろ、喋るなと。


「夜更かしはよくないよ、早く寝たほうがいい」


 カツンと、わざとらしく足音を鳴らして歩み寄る三次。

 凪は俯き、震える指を押さえつけた。


「悪かったな、うるさくして」


 たすくは大袈裟に舌を鳴らし、三次の横を通り抜けて部屋を出て行った。

 じっとその背中を見送ったあとで、三次が呟く。


「たすくは大丈夫だな。本当馬鹿みたいに、正直だ」


 言葉の意味が気になったが、凪は顔を上げることが出来なかった。

 三次は椅子にかけてあった毛布を手に取り、それを凪の肩にかける。


「東京の冬は寒いから。凪のいた町よりも、ずっと」

「え? あ、うん」

「凪……」


 耳元で名前を呼ばれ、凪は身体を硬らせた。

 しかし思っていたものとは違う、三次の声はとても優しくて。


「俺はね、凪が幸せになればいいと思ってる」

「うん……えっと、ありがとう」

「だから絶対、生きていて欲しい。俺がいてもいなくても、凪の生きる未来は、幸せなものであって欲しい」


 きゅっと握られた肩が痛くて、言葉を返すことが出来なかった。

 やがて三次の手が離れ、足音が遠ざかる。


「暖かくして寝なよ? おやすみ」

「……おやすみなさい」


 声が出せたのはしばらくしてからで、既に三次の姿はなかった。

 東京の冬は寒いから……自分の身体が、三次の手が、震えていた理由はそれではないと思う。

 だけど肩に触れた三次の手が、衣服の上からでもわかるほど冷たくて。

 頭が痛くて、それ以上考えることが出来なかった。



 南域は宿舎が用意されていたが、凪は女性ということで、共同住宅から少し離れた二階建てアパートを居住地として与えられていた。

 三次と会話をした日の夜、凪は寒気を感じて布団に潜り込んだ。しかし既に手遅れだったらしく、翌朝、起き上がることも困難なほど体調を崩した。


「起きた?」


 眠りから覚めた凪が目を開けると、部屋の隅の椅子に三次が座っていた。読んでいた本を閉じ、凪のいるベッドに歩み寄る。

 時刻は午後八時、日はとうに暮れていた。


「さっきまで、たすく君がいてくれたんだけど」

「あぁ、随分前だよ。途中変わってもらったから」

「? そっか……ごめんね」

「謝ることじゃない……たすくになにか言われた?」

「EMPが風邪ひいてんじゃねー、ミイラ取りがミイラになってんじゃねーか」


 口調を真似しながら、凪はたすくにもらった栄養剤を三次に見せる。

 本人はなにも言わなかったが、瓶のラベルに東基地のマークがある。わざわざ東基地に行って、凪のために調達したものだ。


「たすくは面倒見がいいから」

「……三次くんは、いつからそこにいた?」


 三次は答えず、穏やかに笑った。

 自分の仕事があるのに、それを放棄してまで看病してくれていたのだろうかと、熱い頭でぼうっと凪は考えた。


「三次くんは最初からずっと、私の側にいてくれたね。田舎の学校で知り合って、東京に来る時も、北と南に分かれてからも三日に一回は会いに来てくれて」

「総じて暇だからな、俺は」

「暇ではないでしょ? 忙しいのに、わざわざ……」

「懐かしいな、海辺の港街」


 言葉を遮るように、三次が言った。

 凪は熱で頭が回らなくて、「うん」と話を合わせて頷く。


「水平線の見えない海があれほどまでに綺麗とは。海面が空と島の緑を反射して、色を変えるとは思わなかった」

「三次くん、転校生なの?」

「転校生?」

「あ、えっと……生まれは別のとこで、途中からあの街に来たの?」

「生まれは北陸、九歳の時に東京に連れて行かれて、十三歳の時にあの街に行った」

「あ、そっか……ごめん」

「凪はその、謝る癖やめたほうがいいよ」

「え?」

「すぐにその言葉使われると、本心じゃなくてただ言ってるだけだろうなって感じる」

「あ、ごめ」

「謝らない」

「……はい」


 しゅん、と目尻を垂らす凪の頬に三次が掌を押し当てる。

 熱で高くなっている凪の体温に、三次のひんやりとした指は心地いい。


「凪さ、学校の近くに神社あるの知ってる? 長い階段登っていく、山の上にある神社」

「あぁ、あの神社……知ってる」

「あそこでキツネ見た気がするんだよな」

「うそ、いないよキツネは。野良犬じゃない? 学校裏の道路で見かけたことあるから」

「マジか、犬かぁ……あと海が好きだったな、水平線の見えない海」

「海は私も好き、よく見に行ってた。そういえば昔、巨大カニを捕まえたことあるんだよ」

「巨大カニ?」

「大人の手よりも大きくてね、足がうようよして気持ち悪かったぁ。かなり前だけど、まだ元気かなぁ、あのカニ」

「……もしそのまま学校に残ってたら、看護師になってた?」


 その質問に凪は首を横に振る。


「もしもの話はよくわからない。でも田舎に帰ったら、看護師になりたい」

「……なれるよ、凪なら」

「EMP二種持ってるから、田舎の国家試験免除にならないかな?」

「普通に受け直しだろ、畑違いだ」

「あはは、やっぱりかぁ」


 笑うと喉が痛くて、少し咳き込んでしまった。

 三次の手が額に移動して、そっと頭を撫で始める。

 その感触がとても優しくて、凪は目を閉じた。


「あのね、三次くん。傘、ありがとう」

「傘?」

「出会った日、田舎の駅で、傘の中入れてくれて。返すの遅れてごめん」

「いいよ、凪に近づくためにやったことだから」

「お互いに守りあおうって約束したよね?」

「約束? ああ、東京に入った日のことか。どうした凪、走馬灯でも見えてる?」

「三次くん、私、EMPになったよ」


 目を伏せて微笑む凪。

 くすくすと、大声にならないよう静かに笑うと、三次が同じような笑顔を見せた。


「ありがとう、凪……おやすみ」


 やはりまだ体調が悪いみたいだ。眠気に勝てそうもなくて、自然と瞼が落ちた。

 薄れゆく意識の中で、凪は三次の声を聞いた。


「俺は自分の命をかけてでも、凪を守るよ。凪の生きる未来が、幸せなものでありますように」


 雨が降っていた、十二月中旬のある日のこと。

 ふとなぜか、北基地にいた時のことを思い出した。

 EMPになると決めた日、食堂から漏れる淡い光と笑声を通り抜けて向かった公園への夜道。

『月が綺麗だ』と三次に言われた時に感じた微かな温かさ、肌寒い初夏の匂い。


 凪の耳に届いた三次の声がなぜか、その時のそれと重なった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る