10.「三つの組織」
*
北基地で三次と別れ、凪は基地内にある健診所で身体検査を受けることになった。検査は学校の健康診断の様な簡単なもので、一時間もかからなかった。
その後、朝季は基地を案内すると言った。しかし案内役は朝季ではなく、彼が親しくしているという女性の
「
「あっ、どうも。白川凪です。今十五で、来年の二月で十六歳になります。えっと、隊長?」
「朝季隊長のことです。私、北域部隊所属なので。それと敬語使わなくていいですよ、私のは癖なんで」
くるんと踵を返す景子。
美脚が映える綺麗な女性だった。
最初に連れて行かれたのは山手線沿い。線路から両幅二十五メートルまで中立領域、戦闘禁止の区域になる。
「山手線沿いの中立領域を管理するのは反乱軍でも政府軍でもないもう一つの組織、警察隊です」
巣鴨駅からやや西、山手線の線路上で景子が言った。
「彼らの仕事は両軍の仲介、例えば今回みたいな休戦の場合、警察隊が間に入って話し合いが進みます。違反的に戦闘を行う者や中立領域で武器を使う者を見つけたら注意喚起、処分します」
流すように話し、景子は拳銃を作り出した。
ドラマなどでよく見かける、凪にも少し馴染みのある銀色の小型銃。
「百聞は一見にしかず、ですね」
景子は銃を掲げ、もう片方の手で耳を押さえ発砲した。咄嗟に耳を塞ぎ、目を閉じた凪。
まぶたを開けると、目の前を鶯色が横切った。
「またお前か、反乱軍の問題児! 中立領域で武器使うなって言っただろ!」
景子の片腕を掴み怒声を上げたのは、鶯色ジャケットに灰色のズボンを履いた男。
胸にルドベキアを模した金色バッジ、腕には同じ花が描かれた鶯色の腕章。
「この人が警察隊の現場リーダー、
「誰がおじさんだ、誰が!」
「そういえば、
「ちょ、え? それマジで?」
「はい、なので早く現場から退いてください」
「お前なぁ……悪いがまだまだ現役だ」
「ベルトの上に贅肉乗ってますよ?」
「え、マジで……乗ってねぇだろ!」
「貴方、なにこんな所で脱いでるんですか。凪は穢れを知らない純白少女なので、そういう変態行為は控えてもらえます?」
「ナギ?」
ぱっと視線を逸らすと、景子の背後に顔を赤らめた少女がいた。
「あ、いえ……見てません! 見てません! あ、いや、別にお腹とか、腹筋とかは別に、プールとかでも……男の人のあれは、見たことないけど……ふぁぁぁあ!」
ぶつぶつと呟いたのち、凪は耳を押さえて蹲った。
新鮮というより初々し過ぎる反応に、恭吾は呆気に取られる。
「なんだ、新しい子か?」
「可愛いでしょう? 隊長のお気に入りで……貴方、オッサンですからね? 年齢を弁えて、凪には手出さないでくださいね?」
「出すわけねーだろ、アホか!」
「ところで、そろそろ腕離してくれません? 撃ちますよ?」
「やってみろ、そのまま連行だからな?」
「……今日はこのへんにしといてやります」
「お前、そんな台詞どこで覚えた?」
「基地の談話室でラブコメ映画が見れるので」
「ラブコメにそんな台詞ないだろ! なに見てんだよ!」
騒ぎ立てる恭吾の拘束を解き、景子は凪を引っ張って中立領域を出た。
「戻ってこい!」と怒鳴る恭吾だが、追いかけては来なかった。
「警察隊は原則、有事の際にしか外に出れないので」
「有事?」
「仲介に入る時ですね。その時だけ中立領域を出て、山手線の外に行くことができます」
次に向かったのは駅舎。
駅窓口の警察隊員にお辞儀しながらホームに入ると、列車はすぐに到着した。
「鉄道を利用する人はほとんどいません、走るほうが速いので」
誰もいない車両の一番後ろの席に座る景子に倣い、凪も腰を下ろす。
「そういえば、凪は隊長が好きなんですか?」
「え? 好きって…………え?」
「隊長を追いかけてここに来たんですよね? 好きですよね?」
「いや、好きっていうか、格好いいし優しいし大人っぽい、格好いいし……え、なんで急に?」
「それはラブオアライク、どちらですか? ラブのほうですよね? 両想いですよね?」
「ふぁぁああ! ちょっと待って、なんのはなし⁉︎」
「……貴女、叫び声が妙ですよね。隊長の義兄の話は聞きました?」
「えっと、ラブかライクと言われると……ギケイ?」
「
「お兄さんがいるっていうのは、田舎で聞いて。大事に育ててくれたって」
「いる、ではなくていた、ですね。そして兄ではなく義兄です、前北域部隊隊長白河夕季。二年前、
凪は耳を押さえていた両手を外し、身を乗り出して会話を続ける。
「中央って政府軍の本基地だっけ? 山手線の真ん中辺りにあるっていう」
「あの夜、予兆もなく夕季隊長は中央を目指し、引き連れていた仲間と共にそこで死にました」
「夜? でも、日中以外は戦っちゃいけないって」
「奇襲ですね。だから中央まで辿り着けたんだと思います。その時、朝季隊長は寝てました」
「寝てた?」
「夕季隊長はなにも言わなかったんです。奇襲を仕掛けることはもちろん、別れの言葉も告げずに朝季隊長の元を去った」
景子の目が鋭くなり、南方面をじっと見つめた。
凪も同じように目線を向ける。
線路の向こう、少し行けば政府軍の領土。
「隊長は夕季隊長が大好きで、本当の兄のように慕っていました。だけど最後の最後で裏切った、自分にはなにも、サヨナラの言葉一つさえ残してくれなかったと。あの日からずっと、隊長は朝日を見てません」
「朝日? 夜を彷徨っているってこと?」
返事はなかった。
目を閉じる景子に倣い、凪も目を閉じる。酷く揺れる車体。田舎の電車より乗り心地が悪いことは明らかだった。
秋葉原駅に着くと地下鉄に乗り換えた。急拵えのような駅舎、隅に瓦礫が積まれたホーム。
山手線より乗客は多い。
「山手線は警察隊管理だけど、こっちは反乱軍が所有する鉄道です」
同じ車両には様々な年齢の男性が乗っていた。地上列車のような揺れもなく、静かにトンネルを走り抜ける。
駅を一つ飛ばし、次の駅が終着だった。二キロ程度しかない距離を、ピストン輸送しているらしい。
地上に出てすぐ目についた緑色の三角屋根の建物の脇を抜け、プレハブ小屋のような場所で手続きを済ませたあとはまた別の建物へと入った。
人の気配がないビル内、銀色のドアノブがついたドアは全て閉じている。
その一室、[診察室]の前で景子が立ち止まり、凪に振り返る。
「
「学者であり医者でもある、両方の資格を持った人、だっけ?」
「正解です。学医ですが、
ノックもなしに、景子が部屋のドアを開ける。
六畳の小さな部屋の隅に置かれた簡素なベッド、壁に敷き詰められたシャウカステンには、多数のレントゲンが貼り付けられていた。
机に付随する丸椅子に座るのは、二十代前半の若い男。
「あぁ、なんだ。もう着いたのか」
突然の来客に驚いた男だが、凪の姿を認めると優しく微笑んだ。
「初めまして、北域司令長及び戦用
茉理に促され、凪は彼と向かい合う椅子に座る。
それを見届けてから、景子は静かに部屋を出て行った。
「見学は済んだかな? 景子の案内下手だったろ?」
「あ、いえ、楽しかったです」
「……楽しかった、か。まぁいいや、始めよう。手術は明日の朝だから」
「手術?」
「身体を作り変える手術。
「え? えーっと」
「融合されていない物質からの傷害を受けにくいよう、皮膚の細胞をいじって硬くする」
茉理が机上にあったハサミを手の甲に押し付けるが、皮膚はへこみもしなかった。
「やり過ぎなければ便利なんだよね、怪我しにくくなるし。強さは手術段階で調整可能で、術式や執刀医によっても変わってくる。下手な学医に当たれば林檎も潰せない虚弱になるし、それ以前に手術中に命を落とすことのほうが多い」
「え……」
「
微笑む茉理に、凪はぎこちない笑顔を返しておいた。
手術は明日の朝、今晩から絶食と言われ、凪は診察室を後にした。
*
その日の夜、凪は景子の部屋で一晩を過ごした。ガラス張りの壁に大理石の廊下、ところどころ傷があり、埃や蜘蛛の巣は多数あった。
エレベーターはあるが機能しないと、景子の部屋がある七階まで階段を登った。
706の表札があるドアを開け中に入ると、廊下や階段からは想像もできない綺麗な部屋が広がった。ピカピカの床、靴は一つも入っていないが埃もない下駄箱、向かって右側の鏡は綺麗に手入れされ輝いていた。
「高級住宅だね」
「掃除はしてますから」
「えっと、そういうことじゃなくて……」
「ちなみにここの二階には隊長がいます」
「朝季が?」
「みんな一階か二階で寝てますね。高層階は階段が面倒なので。高いとこに寝泊まりするのは私ぐらいです」
廊下を歩きながら景子の後を追いかける凪。奥へ進むたび、自動でライトが付く。
エレベーターは動かないのに電気は通ってるんだ、と思った。
「お風呂どうします?」
「景子ちゃん先に入っていいよ。私、居候だし」
「私に気を使わなくていいですよ。隊長に頼まれてお世話してるだけですから」
「朝季に?」
「……パジャマどうします?」
「今、なにかをはぐらかしたよね?」
「いらないんですね。では、今日は裸で寝てください。隊長にも報告しておきます、凪は全裸が好きだと」
「ちょ、ちょっと待って! 変な誤解与えないで!」
「お風呂、お先にどうぞ」
促され、凪はそそくさとバスルームに向かう。シャンプーとボディーソープは景子と同じ匂いだった。
浴室を出ると足元に白いワンピースが置かれていたが、着ていいものかわからずバスタオルで身体を隠してリビングに戻る。
「……なんの冗談ですか?」
珍しく表情を変えた、目を丸くした景子がぽつりと呟いた。
「そのままがいいなら構いませんが、隊長には伝えておきます。凪はタオル一枚で寝るのが……」
「違っ! 服借りていいのかわからなくて!」
「それでその格好ですか? 冗談でしょう?」
誤解を解き、景子が風呂から上がるのを待って、一緒のベッドに寝転んだ。
「大丈夫ですよ、茉理は天才なので」
微妙に距離が近づいてしまうダブルベッド。
顔を突き合わせた状態で景子が言う。
「彼の手術で命を落とした人はいませんし、私や隊長の主治医も茉理です」
「そう、なんだ……」
「不安ですか?」
すっと、景子が凪の左胸に手を当てる。
「ドキドキ言ってます」
「え、あ……うん」
この状態が恥ずかしいとは言えなかった。ペタッと、景子は凪の右胸に手を重ねる。
本当にペタ、と掌に収まるどころでは無い小さな胸に。
「凪の胸はいいですね、走りやすそう」
「え? あ、うん。ありがとう」
「凪、今ここには、私たち二人しかいません。だから貴女に一つ、大切なことを伝えておきます」
「大切なこと?」
目が合うと、景子は凪に顔を近づけた。
額同士がぶつかり、吐息を感じ取ることが出来る距離。
「傍観者でいてください」
「……え?」
「この街で暮らしていく上で、最も重要なことです。もし気付いても誰にも、なにも言わないでください。もちろん私にもです」
「え、なに? なんの話?」
「貴女は正義感が強そうだから、心配です。聞かないで、知ろうとしないで、忘れてください全て」
「傍観者……」
「見たこと聞いたこと、疑問に思ったことは全て、お風呂で洗い流して、昨日と同じ朝を迎えてください。絶対になにも喋らないで。貴女が死ねばきっと、隊長はもう二度と朝日を見ることが出来ないから」
「朝日? 朝季が? え?」
「話は以上です。この布団の中で起きたことは今後一切、誰にも言わないでください」
「……布団の中で起きたことか。意味深だね」
「貴女、ムードって言葉知ってます?」
すっと、景子の顔から表情が消えた。
凪は「ごめんなさい」と叫び、慌てて布団で顔を隠す。
その数秒後にすぅーと小さな寝息が聞こえ、凪はそっと、眠っている景子の胸に手を当てた。
掌に収まるどころではなく大きな、押し返されそうな弾力。
「ふぁっ」と妙な声が出てしまった。
しかし同時、先ほどの景子の言葉の意味を理解し、布団に潜り込んだ。
景子の胸元には、朝季がしていたのと同じ銀のネックレスがあった。
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