第三章 戦場医療班

11.「錬金術の要領」



 翌朝の手術は眠ってる間に全てが終わった。

 診察室の外には朝季と景子がいて、共に廊下を歩く。手術後とは思えないほど身体は軽く、普通に歩くことも出来た。


「配属先は北域になったから、俺や景子と同じ。三次は南域だけど」


 朝季の表情が申し訳なさそうで、凪は抗議することが出来なかった。

 反乱軍は政府軍を囲んで東西南北の部署に分かれている。東が開発研究部署、西が事務的作業を行う部署、南北が戦闘区域。

 対極にある部署に行くには政府軍の域を避けて大回りしなければならない。


「凪は、しばらく電車使っていいから」


 廊下を抜けて階段に差し掛かったところで朝季が足を止めた。

 つられて、凪と景子も立ち止まる。


人間兵器アテンダー見習いが電車使うなよ」


 階下にはたすくがいた。見上げる形で朝季を見て、その次に凪を睨む。


「俺のやり方でやるからな?」

「それはいいんだけど、できるだけ優しく」

「てめーが押し付けたんだろが」


 たすくが凪の腕をとり、階段を降りる。


「え? え?」

「説明し忘れてたけど、そいつが凪の上司というか指導役だから。基礎トレとか、融合生成能力はたすくから学んで」

「……え? えぇー?」


 立ち止まりたいが、腕を引くたすくの力が強い。


「つーわけだ、さっさと行くぞ」


 まるで看守と罪人、有無を言わさず連れ去る。

 背後には苦笑いの朝季と、無表情で片手を振っている景子。


「大丈夫なんですか、あれ」


 凪の姿が見えなくなったところで景子が言う。

 朝季は首元に手を当て、「まあ、これが最善だしな」と返した。


「指導に関してたすくは、俺よりレベルが高い」

「それには同意しますが」

「珍しいな、景子がたすくを褒めるって」

「……サルにしては、良い教官だと言うことです」

「素直に実力認めてやれよ。あと、俺はたすくのことは信頼してる。あいつはこの町で一番、正直なやつだから」

「その正直さが、裏目に出ないといいですけど」


 チラッと互いに目線を合わせて、しかしすぐに顔を背けた。


「景子って基本、無口だよな?」

「発声や、唇を動かすことすら面倒くさいので」

「……昨日は凪のこと、ありがとう」

「隊長からのお願いですから。あ、私の部屋で一緒に暮らすことになりました」

「……お前が? 他人と一緒の部屋に?」

「可愛いですよね、凪。昨日は私と一緒のベッドで寝ました、二人で」

「……後で俺のベッド、お前の部屋に運ぶ」

「いりません、一緒に寝るほうが温かいので……ヤキモキします?」


 無表情で見上げる景子の頭を、朝季がガッと押さえつけた。


「これから夏に、暑くなるぞ?」

「冷暖房完備なので」

「……楽しく過ごせるならそれでいい。今日からはまた、無口でいろよ?」

「わかってます」


 景子から手を離した朝季は、ため息をついて階段を降りた。

 内心もっといじりたくてウズウズしていた景子だが表情は変わらない。

 スンと澄ました顔で、朝季の後を追った。



「走れ、いや止まれ」

「全力で走れ」

「本気で走れってんだろが!」


 怒声に似たたすくの指示を受けながら、凪はひたすら川沿いを走った。

 そして二十分ほど経ったころ大きな瓦の門にぶつかった。

 赤い柱に触れて息を整える。以前観光名所だった建物、赤い提灯は見当たらない。


「ここを真っ直ぐ行けばこれと同じような建物がある。そこまで走れ」

「え?」

「手抜くんじゃねーぞ、はいスタート」


 たすくが手を叩くと同時、慌てて走り出す凪。

 商店街のような町並みは静かで、凪の息遣いだけがそこに響いた。


「おせぇ」


 突き当たりの建物の屋根の上で待っていたたすくがぶっきら棒に言う。


「途中で速度落としたろ、ふざけてんのか」

「いや、本気で……ていうか限界で」


 息を整えながら途切れ途切れに喋る凪。たすくは舌打ちをし、凪の所まで飛び降りた。

 ペットボトルに入った水を差し出す。


「飲んどけ。すぐ次行くぞ」


 凪は項垂れ、水を受け取った。

 飲む気力が起きなくて下を向いていたが、たすくはなにも言わなかった。

 しばらくして口をつけ、水分補給を終えた所でたすくがしゃがみ込む。


「まずは基本の身体作りだ。足伸ばしてそこ座れ」


 凪が足を前に伸ばすと、その背中にたすくが座りぐーっと押して長座体前屈を始めた。


「ちょ、痛い」

「朝季からはなに聞いた?」

「なに? えっと、なにも聞いてないんですけど」

「は? なにも聞いてない?」

「とりあえず、白川凪と申します」

「……? ああ、自己紹介か。綾音あやねたすくだ。所属は南域部隊だが、南はいま使い物にならねーから北にいる」

「使い物にならない?」

「そこも聞いてねーの? 五年前までは南も戦闘区域だったけど、七伊さんが亡くなってからあの人を慕ってた兵士たちが引きこもっちまって、南は非戦闘区域になった。今現在、戦闘が行われてんのは北だけだ」

「……へぇ」

「まぁ、三次帰って来たから、これからまた変わるだろうけど」

「三次くん? どうして三次くんの話?」

「おっまえ、マジで田舎もんだな! つかなんなんだ?」

「なにって」

「お前が朝季を追ってここに来たことは知ってる。んで、冬那に騙されて帰れねーからここで生きていけるようにしてくれって頼まれた。三次を連れてきた功績は認めるし特別待遇も俺は気にしねーけど。そもそもなにしにきたの、お前」


 凪は少し考えて、視線を外した。なにをしにきたか……答えはわかっているが、うまく言葉にできる気がしなかった。

 返事が来ないことに痺れを切らせたたすくが、再び凪の体を解し始める。


「い、いた、痛い痛い!」

「ヘロヘロだな。使えねー、いろんな意味で」


 一連のストレッチが終わり、今度は足を揃えて座る凪の足首をたすくが掴んだ。


「腹筋三百回な、そのあと背筋、側筋それぞれ三百、を三セット」

「さ……」

「あ、悪い。腕立てもあった。それを三セット」

「いや、え、むりむりむり。ゼロが一つ多いんですけど」

「これでも初心者の初心者コースだぞ。はい、はじめ」


 たすくが手を叩く音と共に、凪は慌てて状態を起こした。


「休み入れながらでいいから。そういえばお前、名前は?」

「え、さっき言った」

「悪い、聞いてなかった」

「……白川凪です」

「ナギか、そんな名前のやついなかったな、わかった。四、五、六」


 休みを入れながらひたすら身体を動かし、筋トレ三百回三セットを全て終えたのは日が落ちてからだった。その間、たすくは軍や人間兵器アテンダーに関する話を聞かせたが、凪が遅いことへの不満は言わなかった。

「敬語を使うな」とも言われたので、それに従っておいた。女性の敬語は景子と重なるから嫌、との理由だった。「好きなの?」と聞くと、盛大に頭を叩かれた。

 夕暮れを背に立ち上がろうとした時、たすくが白い布を凪に覆い被せた。


「合格」

「え?」

「戦場に出る時はそれ着とけ」


 それはたすくが着ているのと同じ白羽織だった。

 背中に赤色[N(orth)T(roop)]、朝季や景子と同じ印。


「白羽織は反乱軍の証、[NT]は北域部隊。あと、こっちが身分証明」


 たすくがシルバーのネックレスを凪に差し出す。

 先端に付いている銀色プレートには、[NAGI.S]の文字。


「これ、みんながつけてる……」

「東京ではそれが身分証になる。俺ら戦用人間兵器アテンダーは身体が散り散りになったときの遺体確認に使うけどな……死んだやつの形見として、二つ持ってるやつもいる」

「あ、ありがとう!」

「なんだよ、そんな嬉しいか?」

「だって、みんなとお揃いだから」

「……遺体確認に使うって言ってんだろーが」


 はぁーっとため息をつくたすくが、沈む夕日を見つめる。

 それに倣い、凪も太陽に向いた。所々残っている高いビルの連なり、一部破壊されたコンクリート。

 人の気配はない、人工的な街。


「んで明日だけど、午前中に筋トレ終わらせとけ」

「……えっ、また?」


 新たな課題を追加され、凪は深く項垂れた。

 掌に置いたシルバーのペンダントが夕陽を浴びてキラッと光った。



 次の日、早朝から筋トレを開始した凪だが午前中にはノルマを終えてしまった。

 筋肉痛もない。改めて自分の身体が変化したことを認識し、達成感とそして若干の不安を感じた。

 昼食前にたすくが戻り、今度は融合生成の方法を教わることになった。


「これ、なにで出来てる?」


 水の入ったペットボトルを掲げてすくが言う。


「プラスチック」

「ちげえ、中身のほうだ。水の化学式は?」

「あ! それ朝季に聞いた、元素記号が着眼点なんだよね? 一円玉がアルミニウムで!」

「? ……なにいってんだ、おまえ。馬鹿なのか?」


 表情を消すたすくに、凪は縮こまって静かに講義を受けた。

 田舎で朝季から聞いていた通り、人間兵器アテンダーは体内のストックと大気中の物質を扱って武器を作り出す。


「錬金術のようなものだよね?」と聞くと、再び「馬鹿か」と言われた。

「だから、水素(H)と酸素(O)を使って水(H²O)を作るってことだよ」

「……だから、錬金術だよね?」

「話の通じねーやつだな! つーかこれ、俺の専門じゃねーわ。昼から東基地の訓練校で座学の講義受けてこい」


 連れていかれたのは訓練校という、東京入りした人間兵器アテンダーが最初に連れて行かれる場所だった。

 前線にいる朝季や景子、たすく達とは違い訓練校の人間兵器アテンダー達はどこか陰鬱で。一部の者は凪を避け、別の者は鋭い視線を凪に向け、初日は居心地の悪さで勉強が頭に入らなかった。


「大丈夫、おまえ才能あるから」


 たすくにそう言われたが、才能というものがいまいち理解できなかった。だけど座学の勉強は田舎で習った化学の授業と大差なく、問題なく試験をクリアできた。

 五日経つ頃には周囲の目線も気にならなくなり、講師が気軽に話しかけてくるようになった。

 一部の生徒達の陰鬱な空気が変わることはなかったが。



 座学を始めて一週間、南域区域に行ったはずの三次が東基地にいた。

 久々の再開に凪は顔を綻ばせ、三次に駆け寄る。

 基地から少し離れた場所にある公園のベンチに並んで腰掛け、凪はたすくから学んだこと訓練所で教わったことを、復習するように三次に伝えた。


「そうだな、例えば」


 三次がパチンと指を鳴らすと、人差し指と中指の間に五円玉が握られていた。五円玉を掌に乗せ、反対の手でそれをなぞる。


「感覚もそうだけどまずイメージ、五円玉の素材である黄銅を亜鉛と銅に分解して体内に取り込む。これが融合」


 まるで手品のように、五円玉が茶色と銀色に分離して三次の掌に吸い込まれていった。


「そして次に、身体の中で弾丸を作る要素とイメージを形成」


 三次は一度拳を握り、再度手を開いた。掌から銅と亜鉛が絡み合いながら出てくる。ゆっくりと、凪に見せつけるように。

 やがてそれらは一つの色になり、弾丸の形を成して動きを止めた。


「物質を元素レベルまで分解して体内にあるストック、別の元素と融合させて新しい物質を作り出す……って、凪、今のわかった?」

「ふわっ、へ? あ、はい」


 寝ていたかのような惚けた声を出す凪。

 難しいというより、手品を見ているようで理論が頭に入って来なかった。


「手術してまだ日が浅いもんな。明日か明後日には、物質を感知できるようになってると思う」

「物質を感知?」

「融合生成できる能力が身についてるってこと。凪、化学は得意?」

「文系に進もうと思ってました」

「会話下手なのに?」

「文学部って、言葉の響きがかっこよくて……」

「あー、いるよな、そういうやつ。とりあえず大学行っとこう的な」

「三次くんは?」

「俺は……進路どうするか悩む時期になる前に、東京に戻ると思ってた」

「……ごめんね」

「凪の件があったせいじゃない。俺は最初から戻るつもりでいたから。でもそうだな、精神面ではずいぶん楽になった。朝季に復讐したいって真っ黒な感情を持ってたから誤解が解けて、素直な気持ちで東京の街に帰って来れた。だから逆に、凪には感謝してる」

「私のほうが感謝してるよ。三次くん優しいし、頭いいし」

「頭いいのは凪だろ。大丈夫、融合生成のやり方もすぐに理解できるし、使いこなせたら面白いから」


 そう言われてもやはり、不安と焦りしかなかった。

 だが翌日、凪は三次の言っていたことを理解することになる。

 物質を感知するを理解する能力を得て。簡易ながら融合生成も出来るようになった。


「三次くんのアドバイスのおかげなんだよ」


 東京入りして以来住居にしている部屋の宿主、景子にそう告げると、彼女は不機嫌な顔をして布団に潜った。


「私は隊長が好きですから」

「え? あ、うん……あ、そうなんだ。景子ちゃんと朝季ってやっぱり」

「……違います。誤解しないでください、ライクの好きです、近所のお兄ちゃん的な幼馴染みとして慕っているという。ラブのほうではありません」

「? うん……」


 珍しくよく喋り、顔を近づけている景子。

 凪は不思議に思いながらも深くは考えず、布団に潜りダブルベッドで景子と顔を突き合わせた。


「そういえば、サルの講義はどうですか?」

「サル? え? 東京って猿が出るの?」

「……綾音たすくという名がついた、乱暴なおサルさんです」

「……あぁっ、たすく君? え、いや、サルって……」

「あの人、鈍感阿呆だけど、だからこそ面倒見はいいので、頼りにするといいです」

「景子ちゃん、好きな人たすく君にしたら?」

「……なに色ボケてんですか?」


 今までの比じゃないくらい、景子の顔が強張った。


「ごめんなさいっ!」と布団をかぶって逃げる凪。

 その数秒後にはやはり、景子の寝息が聞こえてきた。

 景子の熟睡を確認してから、凪はそっと彼女の胸元に触れる。


「……羨ましい」


 願望が声に出てしまい恥ずかしくなって、凪は深く布団に潜り込む。

 鎖骨にネームプレートが引っかかってくすぐったかった。景子と同じ、朝季とお揃いの銀色のネックレス。

 それがなにを意味するかも忘れて、ぎゅっと、宝物のように握りしめた。


「そういえば、朝季……ネームプレート二つ持ってた」


 何故だろう、誰のだろうと考えているうちに、凪は眠りについた。





 訓練校での座学講義は三週間経たず終了した。

「頭いいね」と、講師を務めていた三十代の男性に言われた。


「生き延びて、こっちに来れるといいね」


 そう呟いた男が、突然顔色を変えて辺りを見渡した。

 挙動不審に近い形でキョロキョロと周りを警戒し、人の気配がないとわかると、安堵のため息を漏らす。


「今の言葉誰にも言わないでね。絶対、本当に。君だって危ないんだから、ね?」


 不審に思いながら凪はこくりと頷き、「また明日」と言って彼とは別れた。

 だけど翌日講師は別の人に変わっていて、その後二度と、彼の姿を見ることはなかった。

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