9.「再会、東京の街で」
*
戦闘時間は午前九時から午後五時までと定められ、時間外の敵領域への侵攻及び奇襲は禁止されている。
ルールは幾つもあるが、時間に関しては殊に厳密だった。
斗亜の襲撃から六時間後、午後八時。
朝季たち北域部隊の役職付きは基地内の談話室に集まっていた。
「政府軍から要請があったんだ」
机に肘をつき、顔を伏せた茉理が言う。
「斗亜達の襲撃は個人が勝手にやったことで、政府軍の上の人たちは寝耳に水だった。戦いを止めてくれと警察隊に連絡したらしい」
「向こうに非があるじゃねーか、それ。ペナルティあるんだろうな?」
たすくが不服そうに言うと、茉理はため息をついて朝季のほうを見た。
「反乱軍の
「はぁ?」
たすくが椅子を蹴飛ばし、茉理に摑みかかる。
「なんで朝季が田舎に行ったことと、斗亜の奇襲が五分なんだよ」
「政府軍との交渉時、決定権を持つのは参謀の冬那だから。いつもの感じで軽くオッケーしてた」
「上層部のくそ共が。つーか朝季、お前なにした?」
「…………ちょっと」
視線を逸らして苦笑いする朝季。
その時、入り口のドアが開いて冬那が入ってきた。
「うんうん、了解。気をつけてね」
手には田舎でポピュラーに使用されている携帯端末。
陽気に喋っていた冬那だが、部屋中の視線を集めていることに気付いて電話を切る。
「なになに、どうしたの?」
「どうしたじゃねーよ、てめぇ……なんだ、それ。携帯?」
「東京でいう通電機ね。田舎の人はこれ使って遠くの人と電話するの」
「んなこと知ってる! それより今日の説明しろよ!」
たすくが冬那に摑みかかる。
武器を生成した本気の攻撃に、周囲がたすくを取り抑え大騒動となった。
「……変わってないな」
喧騒を遠目で見ながら、朝季が呟いた。
傍にいた景子が朝季の肩に頭を乗せる。
「隊長は変わりましたね」
「変わった? 俺が?」
「田舎は楽しかったですか?」
「楽しかったというか、まぁ」
「……お帰りなさい、隊長」
景子の髪を撫でると、彼女がくすぐったそうに身を捩った。
窓の外を見つめると灯りが荒んだ街を照らしていて、田舎とは全然違うと思った。
「ただいま、景子……うん、楽しかった。また会いたいと思える程に、楽しかった」
頭上で聞こえる朝季の声。
誰に? とは聞き返さず、景子は目を閉じた。
*
翌日の正午過ぎ、朝季の通電機に連絡が入った。
田舎の携帯に代わる東京の通信機器だが、通話しかできない分、性能が悪い。
『おっはよーん、朝季』
通信の相手は冬那だった。
甲高い声が、鼓膜を刺激して痛い。
「寝ぼけてんなよ、冬那。もう昼過ぎてる」
『やだー、田舎にいたから時差ボケすごくて』
「時差ないだろ、田舎と東京に。用がないなら切るぞ?」
『用事ならあるよー、すごく大事な用事! 朝季って今日忙しい? 仕事ないから暇よね? 休戦伸びたしね!』
「……忙しい。すげー忙しい、今日」
『そっかー、よかった! じゃあ今すぐ中野駅集合!』
「そうだよな、俺の意見は無視が平常運転だよな、お前は!」
『きゃははは! ありがとう!』
「褒めてないだろ、今! それより中野って東京と田舎の境界線だろ、なんでそんな所に」
『田舎と雨の少年少女が来てるの』
「……は?」
『心配なら早く来たほうがいいかもね』
「田舎と雨ってまさか……切ったな!」
一方的に切れる通信。
叩くようにして再通信を試みるが、何度かけても応答はなかった。
「嘘だろ……凪と、三次?」
嫌な汗がこめかみを伝い、朝季は急いで基地を飛び出した。
*
朝季が中野駅に着いたのは午後一時過ぎ。
待合室のベンチに座る凪と三次の姿を見つけ、ため息を飲み込んで前髪を掻いた。
「あの、朝季……」
話しかけようとする凪を無視する形で、朝季は顔を背ける。
田舎にいた時の制服姿とは違う、凪の格好は緩いシフォンのシャツにフレアスカートというオシャレな、緩いものだった。
「とりあえず場所変えよっか! 向こうに応接室あるから」
ニコニコと場違いな笑みを見せる冬那について、朝季と凪、三次は駅舎内の部屋に入った。十畳の部屋、テーブルを囲んでソファが四つ。
朝季の向かい側に凪が座り、凪の隣には三次、その向かい側に冬那という配置で着席する。
全員が席に座ったところで、朝季が深いため息をついた。
「なにしに来た?」
だけどやはり、目は合わせようとしない。
凪は居住まいを正し、三次に目配せした。三次は「なんで俺が説明するんだよ」と言いながらも、口を開いた。
「この人が、あんたと話しがしたいって。なにも言わずに東京戻ったんだろ? ……話ししてやってくれ」
その言葉だけで、朝季は三次の言わんとすることを理解した。
朝季を追いかけて東京に行きたいと我儘を言いだした、田舎に帰るよう説得してくれ……そんな所だろうと。
「そうだな。なにも言わなかったのは、良くないな」
しかしどう説得したものかと悩み顔を上げた朝季を、凪が見つめていた。
ぱちっと目線がぶつかった途端、凪は耳を赤らめて俯く。
「朝季、今日は制服じゃないんだね。その白羽織もかっこいい……似合ってるね」
朝季、そして三次までも呆気にとられ、言葉を失う。
「そ、んなこと言いに来たわけじゃないだろ!」
思わず大声を出す朝季と、嘆息する三次。
冬那は「きゃははは」と声高らかに笑っていた。
「これ反乱軍の戦闘服なの。凪ちゃん華奢だから、特注サイズになりそうね」
ニコニコしながら語る冬那の言葉に、朝季が首を傾げる。
「なに言ってんだ、冬那」
「凪ちゃんのことよ。特別待遇にする? 配属は北域でいいでしょ?」
その言葉に立ち上がったのは三次だった。
身を乗り出し、冬那に詰め寄る。
「ここはまだ戦地じゃない、中野駅に来ただけじゃ、東京入りしたことにならないだろ」
三次の言葉は朝季の思ったことと同じだった。
田舎の人間が戦地に足を踏み入れた場合、二度と帰ることはできない。
しかしそれは、東京と田舎の境界線である中野駅を超えて東に進んだ場合。駅舎から出なければ戦地に足を踏み入れたことにならない。
「東京入りしてるわよ」
平然と、冬那が言い切る。
「凪ちゃんさっき、トイレ行ったわよね?」
「え? はい、冬那さんが朝季に連絡してる時に」
「場所わかんなかったのよね?」
「はい。三次くんも中野駅は知らないって言うから、冬那さんに聞きに」
「あんた、まさか……」
「女の子一人にしちゃダメよ、三次。それで凪ちゃん、戦地に足踏み入れちゃったんだから」
ガタッと朝季が椅子を蹴飛ばした。
今度は朝季が冬那に詰め寄る。
「今ならまだ間に合うだろ?」
「無理よ、駐在兵に見られたから上に報告いってる」
「……平常運転だな、あいかわらず」
朝季の言葉に、冬那はにこっと微笑む。
冬那を離し椅子に座り直すと、真っ青になって項垂れる三次の姿が見えた。
睨みつける朝季の視線に、三次は気づいていない。
「ところで、三次はどうするの? 凪ちゃん置いて一人で田舎に帰ったりしないわよね?」
「……計画通りか?」
「やだ、人聞きわるーい」
「相変わらずだな、上層部は……俺も東京に残る、これで満足か?」
「三次の東京入りに関しては、私はどっちでもよかったんだけどねー。おじさん達は喜ぶかもね」
「おじさん?」
首を傾げる凪の言葉に、返事をする者はいなかった。
しばらくの沈黙ののち、冬那が立ち上がって「解散!」と号令をかけたことで、まず朝季が部屋を出る。
ついで冬那、三次につられて凪も部屋を後にした。
*
「ごめん、俺が迂闊だった。連れてくるべきじゃなかった」
中野駅から列車で出発してしばらく経った時、三次が言った。隣に座る凪は顔を上げ、しかしすぐに視線を逸らした。
窓の外を見るとちょうど駅を通過するところだった。駅前の大通りには風に揺れる廃れた看板、灰が被った道路。
かつて、人が暮らす街だった場所。
「これで正解だよ。帰らないって決めてたから」
「俺はあんたを、田舎に戻すつもりだった」
唇を噛み、三次は窓の外を見る。
大きな住宅街が見えた。それを抜けると列車はビルのない、公園のような場所を通過した。
「戻らないつもりだったよ、私は」
「……馬鹿だよな、あんた」
「うん……でも、強くなろうと思うよ」
「は? ……はぁ?」
「私がんばるから。三次くんを守れるくらいに強くなる。だから、お互い守りあおうよ」
「なに言って……」
「守ってくれるって言ったでしょ、三次くん、私を」
「なに……あぁ、田舎で、最後の日……」
「強くなろうって思ったの。強くなりたい、誰かを守れるくらいにって。三次くんが私を守ってくれるって言ったから……私も三次くんを守る。だから戦場ではずっと、一緒にいようね」
「……なんだそれ、馬鹿だろ」
三次はそっぽを向き呟いた。
「馬鹿……ごめん」
謝罪の言葉は聞こえなかったことにして、凪は小さく笑みを浮かべた。
*
反乱軍の総本部参謀室前で、冬那は後頭部に銃口を突きつけられた。
「冗談になっていない冗談ね」
両手を掲げて背後を振り返るが、朝季は銃口の向きを変えなかった。
手にしているのは、景子の愛用している白の空気銃。
「冗談でやってるわけじゃない。お前、わざとだろ? 意図的に戦地を踏ませて凪を東京入りさせた……目的は?」
「可愛い女の子が東京の街にいれば、みんな生きることに必死になるかなぁって」
「……微妙な嘘つくなよ」
「ねぇ、その弾ってなにが入ってるの?」
「色見ればわかるだろ?」
「私、前線に行くこと滅多にないから。アレンジした武器なら尚更わからない」
「臭素とフッ化水素が二発ずつ、塩素に残り一つは匂い弾」
「匂い弾?」
「俺の優しさだな、六分の一の確率でお前は助かる」
「死ぬ確率のほうが高いわね。変に疑われても嫌だから正直に言うわ。南域の状態は知ってるでしょ? あれを改革できるのは七伊さんの息子しかいない」
「凪はそのために利用された、と?」
「うーん……逆ね」
「逆?」
「ていうか、朝季にとっても結果オーライじゃない? 凪ちゃん東京来て嬉しい……」
銃口がうなじに当たるが、冬那は表情を変えなかった。
「ここで私を殺したとして、なにか変わる?」
「俺のストレスが軽減される」
「なるほど、それは有意義ね。殺してみる?」
朝季は無言で銃を納め、腕を下ろした。
冬那は微笑み、踵を翻す朝季の背中を見送る。
「一つだけ覚えておいて。私は最終的に、あなたの味方だから」
朝季は振り向かず、歩みを進めた。
総本部から走って巣鴨駅に向かい、駅のホームに着くと既に凪と三次がいた。
無言で歩き出す朝季についていく凪と三次。
駅構内から出てすぐ、鶯色ジャケットを着た男性の姿があった。朝季が軽く会釈をしたので、凪も頭を下げる。駅周辺では整備されていた道路も、しばらく経つにつれアスファルトが剥がれ、壊滅状態になっていった。
北へ行けばいくほど、それは酷くなる。だが線路を一つ越えたあたりで、街の破損状況は穏やかになった。
歩き始めて三十分ほど経った頃、図書館のような建物の前で朝季が立ち止まった。花壇に挟まれた小道の先にある白い建物の入口には、『反乱軍北基地』と書かれた木の看板。
腕組みをして宙を睨んでいた朝季だが、「ごめん」と三次に振り返った。
「二度手間になった」
「二度手間?」
「なんだ、そのチャラチャラした格好」
背後からの声に、凪は履いていたフレアスカートの裾を掴む。
振り返ると、朝季と同じ白羽織を着た青年が立っていた。短髪にきつめのつり目、タイトなズボンが栄える細身の男。
「ちょうど良かった。お前に用事があったんだ、たすく」
「へぇー、なに?」
「こいつさ、南基地に連れてってくれないか?」
朝季は顎をしゃくり、三次を差した。
たすくは眉間にしわを寄せ、睨むように三次の姿を確認する。
「なんだ、お前。会ったことある……っけ?」
「たすく?」
三次が黒縁眼鏡を外すと、瞬時にたすくの表情が変わった。
「ミツギ? ……あの三次か! デカくなったな! いや、え? なんで?」
「久しぶり。たすくは変わらないな」
「うるせーよ、どうせ背伸びてねぇ……じゃなくて、なにしてんだよ! 田舎に帰れただろ……え、なんで?」
たすくの視線は朝季に向いていた。
朝季は困ったように、苦笑いを浮かべる。
「あー、えっと、所属は南域部隊になると思うから……」
「はぐらかすな! 三次がここに居る理由聞いてんだよ!」
「自分の意思で戻ってきた。理由とか面倒なことはいいだろ。これからまたよろしく」
無愛想に言い切る三次。
たすくはわけがわからず、両手で頭を抱える。
「とにかく、三次を南基地につれていきゃいいんだろ。言われたことはやりますよ! 北域部隊隊長命令だしな!」
「ごめん、たすく。正式な内命は明日出るから」
「そんなの聞かなくても、三次がなにやらされるかは見当がつく。ところで」
たすくは腕組みをし、視線を落とす。
「この女、なに?」
自分のことだと気付いた凪が、深く頭を下げる。
「えっと、白川凪って言います。よろしくお願いします」
「……田舎くさ」
面倒臭そうに呟いたたすくを、三次の視線が睨みつけた。
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