第四章 一方的な愛は人に快楽を与えない

15.「北域戦闘領域・平常時」



 五ヶ月が経って冬になった。

 内戦は続いているが死者の数は減っていた。


「死ぬくらいなら逃げろって方針が変わったんだ」


 公園のベンチに腰掛ける修二が言った。

 どう返事していいかわからず、凪は曖昧に頷き南方に目をやる。


「ホウシンか……凪、お前、女がさ」

「いや、ちょっと……先輩の下ネタには慣れてきたんですけど、生々しいのは、さすがにちょっと」

「そうか。洗濯板の×–女にこのネタはきついか」

「……先輩は私のなにを知ってるんですか?」

「え? スリーサイズ。上から順に言ってやろうか? ななじゅう……」

「え、ちょ……なんで? 馬鹿なんですか、なんで⁉︎」


 触られたことも、ましてや彼の前で脱いだことなど一度もない。

 耳を赤くした凪が詰め寄るが、修二は興味なさげに南方を見つめていた。


「華奢過ぎんだよなぁ、小学生かよ」

「ランドセル背負ってるように見えますか、私?」

「ランドセルのほうが大きいな」

「……そこまでは貧乳じゃないです」

「身長も平均だしな」

「ど真ん中です、百五十八」

「ど真ん中か、エロ……」

「くないです。普通の言葉です」

「言っとくけど、ないよりあったほうがいいからな?」

「ウエストがですか?」

「ウケる。つーかお前、バストよりヒップのほうがでけーよな?」

「……だからなんで知ってるんですか⁉︎」

「見ればわかるだろ」

「わかりませんよ、普通は!」

「うるせーなぁ、静かにしろよ洗濯板」


 と、これくらいの冗談をいえる程には、凪は東京の街に馴染んでいた。

 街というか、この妙な師弟関係に。


「あれから五ヶ月かぁ。結局洗濯板のままだな」


 修二の嫌味を無視し、凪は彼に弟子入りしてからのことを思い返した。

『女指導したことねーから、厳しくても泣くなよ?』の言葉とは真逆に、修二の指導は丁寧で優しかった。

 時折凪の胸元を見つめては、「成長期始まらねぇな」とため息まじりに呟くことと、休憩時間に下ネタ満載トークを繰り広げてくること以外は頼りになる先輩で、戦場医療班としての修二は本当に優秀だった。

 二ヶ月経たないうちにEMP試験をクリアし、背中に[EMP]と描かれたピンク羽織を纏って修二と共に戦場入りしたが、凪が前線に行くことはなかった。

『巻き添え食らって死ぬぞ』と修二が言った。

 一度、勝手に前線に行こうとしたら、修二に頭を叩かれた。

『行くな、まじで! 今日は行くな!』と。

 後にも先にも叩かれ怒鳴られたのはその時だけだった。その日、政府軍のエースである斗亜が現れて反乱軍兵二十名が亡くなった。



 後方待機。

 この街でも変わらず傍観者を続け、そして今も、なにも出来ないでいる。


「先輩、わたし……役に立ってますか?」

「馬鹿か、役に立つ女ってのはな、夜の」

「あ、やっぱいいです。先輩に聞いた私が馬鹿でした」

「……よくやってるよ、お前。資格的には二種だが、一種持ってる俺よりよっぽど戦場医療班の顔してる」

「いや、そこまでは」


 謙遜ではなく本気で、修二には敵わないと思っていた。


「五ヶ月間そばで見てきたけど、先輩はすごいですよ。手先が器用で、必死で」

「器用な手先で必死にか……まぁな」

「……私、いま、EMPとしての、処理中の話してましたからね?」

「処理中かぁ……」

「違っ、先輩が思ってるのと私の思ってるのは違いますからね!」

「え? お前、今なんの話してたの? 俺はEMPの、手術とか救命処置の話してたんだけど? そういやお前、処理って言ったよな?」

「……違、間違えただけで!」

「あれー? もしかして、アッチ系のこと考えてた? アッチのアをエに変えたやつ」

「考えてません! だから、どうしてそうやって……」


 その時、遠くで爆発音が響いた。

 凪と修二が同時に南方に目を向けると、太く厚みのある白煙が目測五百メートル先で立ち上がっていた。


「凪てめぇ! くだらねぇ下ネタ話してたせいで反応遅れたじゃねぇか!」

「先に話し始めたのは先輩ですよね!」

「処理中なんてエロい言葉使ったのはそっちだろうが!」

「そんな話してないです!」

「とにかく行くぞ! あの辺だとたすくのポイントだ」

「あぁ、もう、先輩のくだらない下ネタのせいで」

「お前だろうが! 俺のこと手先が器用でエッ……」

「言わないで! 最低!」


 地面を蹴る修二と凪。

 しかし近づくにつれ血の匂いが風に流れてきて、それ以降無言で現場に向かった。



 凪たちがいた場所より南に五百メートル、ポイント4縦位置3。

 瓦礫を払いのけ、そこから這い出したたすくが舌打ちしながら辺りを見渡す。

 別の瓦礫の山にいた白羽織の男がたすくを見て生存の合図を送った。


「一人生存、もう一人……」


 たすくがさらに首を回すと、白羽織の少年が床にうつ伏せていた。

 右腕から大量の出血、なにかに齧られたように抉り取れ、皮一枚でかろうじて腕が繋がっているような状態。


「おい、大丈夫……」

「大丈夫だよ、任せて」


 ふわっと春の花のような香り、たすくの横をピンク色が横切った。


「あぁ、任せた……凪」


 凪は振り返らず、倒れている少年の元へ駆け寄る。

 そのすぐ後に、凪の背中を追って修二が負傷兵の側に腰を落とした。


「足はえーな、洗濯板のくせに! どこまでやった?」

「患部を冷却固定しました、意識もあります」

「充分だ、こっからは任せろ」


 腰ベルトから手術道具を取り出した修二が、少年の腕を突き刺す。痛みに悲鳴を上げる少年だが、その声はすぐに消えた。

 肩から上を凪の膝に落とし、息を立てて眠り始める。


「よく思いついたな、正解」


 傷口に目を当てたまま、修二が言った。

 少年の口元に麻酔を当てた凪は、ゆっくりとその手を離して修二のサポートに回る。


「事前処置も、今の対応も完璧。EMPとしてよくやってるよ、凪」

「……ありがとうございます」

「他に怪我人は?」

「私がここにいることが答えです」

「面倒くせぇ言い方しやがって……役立たずじゃねーからな? ナイロン糸」


 単語を聞くだけで反射的に、瞬きするよりも早く凪は指定された物を生成して修二に渡した。

 東基地の訓練校で言われた。


 人間兵器アテンダーに最も重要なのは脳だ、と。


 その思考力、回転の速さが強さを決める。必要な物質を計算して集めて融合して、形ある武器として生成する。

 その作業が早ければ早いほど、種類が多ければ多いほど、人間兵器アテンダーとして有能とされる。

 南方に目をやった凪は、朝季のことを思った。

 一瞬で、人の目で追えないほどの速さで生成を行い、適性に縛られない故に生成できる武器の種類も多い。

 朝季がどれだけ有能な人間兵器アテンダーかということが、今ではわかる。



 凪が一瞥した場所、縦位置マイナス5、政府軍の敷地内。

 以前は学校として使用されていた建物内で、パスンと渇いた発砲音が響いた。その後にどさっと、校舎の廊下に倒れ込む黒い軍服をきた政府軍兵。

 別の黒兵が倒れた仲間を踏み台に飛び上がるが、再度の発砲音と共に後ろに弾けとんだ。

 白銃を掲げた景子はトリガーガードに指を絡め、銃をくるくると回転させた。

 ぽんぽんと、空になっていた弾倉にカラフルな色の空気弾が追加される。


「……今撃ったの、匂い弾かもしれません」

「だから、なんでそんなの入れてんだよ」


 景子の肩に手をかけて黒兵の中へ元へ飛び込んだ朝季が言った。


「すみません、隊長」


 朝季は答えず、景子と同じ白銃を両手に掲げ発砲する。

 十いた黒兵の七人が朝季の麻酔弾によって意識を失い、残りの三人が平気な顔をして襲いかかってきた。


「耐性のあるやつ増えたな」


 朝季は銃を納め、入れ違いで左手にナイロン糸を生成した。

 敵の足を拘束すると同時に景子が発砲。透明な水色弾が鼻にぶつかると、黒兵は涎を出して項垂れた。


「……援護はいい、警備を」


 朝季の指示に、景子は廊下の先そして校舎の外を見つめた。

 十秒数えて再び朝季に視線を戻すと、残りの黒兵が全て床に倒れていた。


「お疲れさまです」


 近寄る景子に、朝季は掌を差し出して制する。


「足音、聞こえるか?」


 朝季の言葉に、景子は耳を澄ませた。

 遠くでたしかに、階段を登る靴音が聞こえる。


「十人くらいですかね、戦いますか?」

「普通に聞いたら、複数人いるように聞こえるよな」

「?」

「あいつがエースと、化け物と言われる所以……避けとけ、景子。相手は一人だ」


 床を蹴って廊下を駆ける朝季。

 呆気にとられた景子だが、彼が動きを止めたことでその行為の意味を理解した。


「あれー、ガチの刀生成してんじゃん。僕が来るってわかってた?」


 朝季の掲げる刀を、脇差の鞘で受け止めた斗亜が後ろに飛び退いた。


「足音変えたんだけどなー。相変わらずすごいな、アサキは」

「……そっちも、相変わらずだな」


 互いに見つめ合い、やがて斗亜がニヤリと笑った。


「なー、なんでオマエ、最近死に急いでんの?」

「死に急ぐ?」

「最近やたら政府軍域に入って来てるよな、そうしろって言われたのか?」

「いや……」

「ふーん、やっぱり勝手に行動してんのか。オマエ、死にたいの?」

「そっちは? どうして今ここにいる? 上からの指示か?」

「いや、僕も自分の意思でここに来てる。今日はケーコ来てるって聞いて」


 顔を傾け、斗亜は朝季の背後にいる景子を覗き込む。


「綺麗だよなぁ、オマエ。僕はオマエが好きだ」

「……私には、そういう趣味はありません」

「ソクタンだな、ウケる」

「……即断のこと言ってんのか?」

「あぁ、それそれ。アサキは物知りだなぁ。まぁ、だから、ケーコのことは殺したくないから、遊びに来た」


 タンッと床を蹴る音。壁を伝って走る斗亜に、朝季が回転式拳銃を発砲する。

 八発連射された弾のうち一発が、斗亜の頬を掠めた。


「……悪いけど、僕に麻酔の類は効かない」


 ツーと血が流れる頬を指で拭い、斗亜は大鉈を振りかざした。

 鉄の板を生成してガードする朝季だが、表面にヒビが入り即座にそれを手放した。

 鉄板を突き破って迫る大鉈を、朝季は長刀の刃で受け止める。力任せに押し返すと、斗亜が大鉈を朝季と同じ形の長刀に作り替えて振りかざして来た。

 金属の擦れる音、刃が何回か交わったとこで、朝季はキリがないことに気が付いて身を引いた。

 十メートルの距離をとって、互いに向き合う。


「相変わらずあまっちょろいなー、アサキ」


 ケラケラ笑いながら、斗亜はしゃがみ込んでズボンの裾を上げた。

 ちょうどすねのあたり、継ぎ接ぎの手術跡が残る傷跡。


「この傷つけた時もオマエ、手加減しただろ?」

「……綺麗に繋がってよかったな」

「今も手加減してる。ほんと殺さないなー」

「殺す必要がないから、そうしてるだけだ」

「へぇ……羨ましいな、ソレ」


 笑みを浮かべる斗亜に目を向けながら、朝季は左腕を背中に回し、背後にいる景子に合図を送った。

 景子は無言で、動作を見せないまま頷く。


「僕らは殺さないと、この街では生きていけないから」


 斗亜が左の爪先を床に突き立てる。

 走り出す直前、


「景子!」


 朝季の合図とともに、景子が両手に掲げた白銃の引き金を引いた。渇いた音と共に放たれる透明カラフルな弾丸の群れ。

 朝季は弾が触れる直前でそれを避け、十六ある弾は全て斗亜に向かっていった。 


「……ヤッベ」


 斗亜は靴底を地面に押しつけ、ガラスの板を作って弾を防ぐ。

 十発はそれで防げたが、四発はガラスを溶かし、残りの二発は弾けると同時に異臭を放ち始めた。


「毒素に耐性は?」


 斗亜が顔を上げると、煙幕で視界が遮られていた。


「成分がわからないヤツはさすがに、僕でも死ぬ」


 斗亜は外に飛び出そうと窓のサッシに手をかける。その時になって気が付いた。

 アイツらは殺さない、有害な物質じゃない。

 煙幕を消すと、廊下に寝転んでいる黒兵たちの姿があった。

 全員目を閉じているが、肩や胸は上下していて、寝息を立てている者までいる。


「やっぱ強いなー、アサキ……殺す必要がない、か。羨ましいな」


 ケラケラと笑う目線の先に、朝季と景子の姿はなかった。



 景子を肩に担いで校舎を飛び出した朝季は北に向かって走った。背後から迫ってくる黒兵十人の足は遅く、すぐに振り切れた。

 一キロ走ったところで鶯服が見えて、地面に敷かれた緑色のラインを超えようやく足を止める。

 中立領域、戦闘禁止の区域だ。

 項垂れて息を整える朝季に、景子がそっと声をかける。


「すみません、隊長」

「いや、謝るのはこっちだから。連れて行ってごめん」

「いえ、それは……」

「次からはまた、俺、一人で行くから」

「…………」


 最近になって、朝季は単身で政府軍域に乗り込むことが多かった。

 上からの指示があったわけではない、自分の意思で。

 無意味だ、やめろと周囲に言われたが、朝季はそれを繰り返した。

『景子、今日、一緒に来るか?』

 そう言われて断れるはずもなく、景子は朝季と共に政府軍域に乗り込んだ。

 行動を共にしてもやはり、彼の真意はわからなかった。


「隊長、あの……」


 話しかけようとした景子だが、朝季が顔を上げたことでその目線を追って振り返った。


「世間話は基地に帰ってからにしろ。あと二分三十秒」


 景子の背後にいたのは警察隊のリーダー、恭吾。

 鶯色のトップスにグレーのズボンという格好の彼は、手元の時計に目を落としていた。

 その目線を、朝季たちに向ける。


「そこまで疲弊してるなんて珍しいな。どうした?」

「……斗亜が来た」

「はぁ? 政府軍の? よく生きて帰れたな、景子」

「私を狙ってたわけじゃありません、遊びに来たと言ってました」

「あぁー……相変わらず自由だよな、あいつは。それより、あと二分……中立領域に留まれるのは三分ってルールは知ってるよな?」

「知ってる、すぐ出る」

「……おい、北の隊長。おまえ、無謀なことすんなよ」

「なにが?」

「最近よく政府軍域に入ってるだろ?」

「敵の領域に踏み込んでなにが悪い? 争ってんだろ、この街は。反乱軍と政府軍、そういう風に対立する二つの勢力が」

「…………」

「八年間一度も、領土が変わったことはないけどな」

「おい、いい加減にしろよ?」

「……優しいな」


 膝に顔を埋めて深く息を吐き出す朝季を見て、恭吾はため息をついた。

 チラッと景子に目線を送り、再び朝季に目を向ける。


「死んで欲しくないやつってのはいるんだよ。こんな街に住んでても、田舎にいた頃の感情は残ってる。一分切った、さっさと行け」


 恭吾は目線を下に向けたまま、手をヒラヒラさせてこの場から去るように促す。


「田舎の感情か。羨ましいよ、俺は二週間しか過ごしたことないから。だから、わからないのかも知れない」


 北に向かって走り出す朝季。

 景子は恭吾を睨みつけ、朝季の後を追った。


「優しいのはお前だろうが……まだだ、まだ、死に急ぐな」


 声に出してしまっていたことにはっとした恭吾だが、すぐに取り繕うように姿勢を正し、駐在所に戻った。

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