14.「師弟を結ぶ瞬間」
*
「馬鹿か、お前。ひと気のない公園で熟睡しやがって」
翌朝、たすくの元へ向かった凪に発せられた一言。部屋に入った瞬間に睨みつけられ、そして説教が始まった。
議題は昨晩のこと。
ベンチで寝入ってしまった凪が目を開けると、朝季がいた。夢かと思って再び瞼を下ろす凪の耳に少し大きな声、肩を強く掴まれた。
『心配するから……こういうのやめて、本当に』
部屋に戻って来ないことを不審に思った景子が朝季に連絡して、探し回っていたらしい。三次とはその場で別れ、凪は朝季の後を追って景子と共に暮らすタワーマンションに戻った。
終始無言で歩く朝季だが、背後に意識をやって常に凪を気にしていた。別れ際に『ごめん』と凪が言ったが、朝季は『うん』とだけ返事してタワーマンションを後にした。
「基地に戻ったんだ……私のためにわざわざ、仕事を中断して……」
罪悪感を胸に建物の中に入った凪は、そこで待っていた景子に頭を叩かれた。
それが昨晩の出来事。
項垂れて言葉を発さない凪に、たすくは「もういい、それより行くぞ」と部屋を出た。
凪は慌てて、小走りでたすくの後を追う。
「行くってどこへ?」
「EMPになるんだろ、お前は」
「あ、うん……私、返事したっけ?」
「顔見ればわかる」
「たすく君、すごいね。そういえば、私が公園で寝てたってのは」
「朝季から聞いた」
「え? 昨日? あの後話ししたの? 夜遅かったよね?」
「お前なぁ、無知すぎんだろ。自分のためにどれだけの人間が動き回ってるか考えろよ」
「ごめ……」
「謝んな。悪りぃと思ってんなら、戦場で返せ」
話を打ち切るように、たすくはある部屋の前で足を止めた。
ドアの表札には、[北域部隊EMP待機所]の文字。
「今日からお前の指導係変わるから」
「え?」
「当たり前だろ、俺は戦用だから専門分野が違う。安心しろ、今から紹介するやつは俺が知ってる中で一番有能なEMPだ」
「そんなすごい人が……」
「つーかお前、昨日会ったけどな」
「……え?」
「先に話つけてくるから、ここで待ってろ」
乱暴にドアを開け、たすくは部屋に入った。
ドアは開けっぱなし、会話が凪に聞こえるようにして。
「相変わらず朝早いな、修二」
部屋の中には修二しか居なかった。ピンク羽織、肩と背中にはでかでかと[EMP]の文字。
戦場医療班、攻撃対象外を示す色だ。
椅子に座って本を読んでいた修二が顔を上げるが、すぐにまた視線を落とした。
「ノックぐらいしろよ……昨日の傷は?」
「だからたいした怪我じゃねーって」
「たすく、お前、昨日風呂入ったか?」
「入ったけど」
「嘘つけ。風呂入ったんなら傷口痛んだだろ」
「俺シャワーだけだし」
「はぁ? んなもん風呂入ったって言わねーよ、身体洗うのだってな、石鹸泡だててこう、丁寧に」
「あー、そういう説教いらねーから、面倒くせ」
「面倒くさいだと? 湯船に浸かってるやつと浸らねーやつで体臭の差が」
「それよりお前に紹介したい女がいるんだけど」
「あぁ、そうだ。女は嗅覚が鋭いからな、風呂に……女を紹介したい⁉︎」
ガタガタっと、修二が椅子を飛ばして立ち上がる。
大きな音に、聞き耳を立てていた凪の身体が大きく跳ねる。
「女を、女の子を紹介するだと! 俺に!」
「んだよ、声でけーな」
「いや、まて、たすく。落ち着け」
「てめーが落ち着け」
「そうか、女の子か……実は俺、彼女いてさ」
「はぁ? マジで? いや、馬鹿か、お前。彼女なんか作っても」
「大丈夫、向こうも俺の事情は知ってる。いわゆるガールフレンドだ」
「一緒だろーが」
「でも、紹介したい女の子はどんな子? その子が俺のこと好きなら会ってみないとな!」
「お前、なにか勘違いしてないか? まぁ、いいや。凪、入ってこい」
名前を呼ばれた凪は、先ほどより大きく肩を跳ねさせた。
このタイミング? え、待って……このタイミングは嘘でしょ? と呟いた声は、たすくに届いていない。
「おい、なにしてんだよ。さっさと入れ」
「やめろたすく、女の子には優しくだ」
「んだよ、修二。お前そんなキモいやつだったか? つーか凪! 寝てんのか!」
苛立ったようなたすくの声に、凪は恐る恐る部屋に入った。
目を輝かせていた修二だが、凪の顔を確認すると表情が固まり、次いでたすくを見た。
「たすく……たすくさん? 俺、こいつ知ってる気がするんだけど?」
「お前が昨日、特別待遇って馬鹿にしてたやつだな」
「あ、ははっ。そうだよねー……で、紹介したい女の子ってのは?」
「こいつ、EMPの試験受けるから」
「うわぁー、いいなぁ特別待遇は。そうやってすぐ安全職に……え、で?」
「今日からお前の弟子になる、凪だ」
「あ、よろしくお願いします」
たすくに背中を押され、頭を下げる凪。
呆然としていた修二だが、凪が顔を上げたところで、ガッと両手で頭を抱えて仰け反った。
「待て、理解が追いつかない! なんだこれ、なんていう状況?」
「お前が初弟子を迎える瞬間」
「わかりやすい! いや、待て、違う! 俺は弟子をとらない、そもそもEMPに師弟という制度は存在しない。つーか師弟という言葉は男の子じゃない女の子にも当てはまるけど、あえてそれっぽく言うなら師女……エロい言葉だな、シジョ!」
「落ち着けよ、修二」
呆れ顔のたすくと、その横で困惑する凪。
修二は息を整えたあと、椅子に座り直した。
「そうか、EMPになりたいのか。頑張れ、特別待遇」
「いや、だから、お前が指導しろよ?」
「なんで俺なんだよ! つーか紹介するって女の子は⁉︎」
「ここにいるだろ?」
「あ、白川凪です」
「言い方! 馬鹿か、お前ら! 妙な言い方しやがって! それよりなんで俺が指導役なんだよ」
「お前がこの街で一番有能なEMPだから」
「ありがとう!」
「ちなみにこれ、朝季からの指示だから」
「北域部隊隊長! 上司命令! 相談する間も無く決定事項! コンプライアンスとはなんぞや!」
「法令遵守のことですね」
「なんだ凪、英語喋れんのか?」
「学校で習ったし、あと日常会話くらいは普通に」
「日常会話だと! くっそ、エロい言葉使いやがって!」
「修二……」
「待てたすく、落ち着け! まずあれだ、女を指導するってことは……」
慌ただしい修二の視線が、チラッと凪の顔を捉えた。
びくっと一歩ひく凪を、修二の目線が追う。
「お前、歳は?」
「十五です」
「ふーん……その歳なら七十五」
「七十五?」
「おい修二、何の数字だよ」
「顔面偏差値」
「「……顔面偏差値?」」
はぁ? と首を傾げるたすくと凪。
修二は立ち上がり、凪を見下ろした。正面で対峙して気が付いた、思ったより背が高い。朝季より体格が良いかもしれないと。
修二の目線が凪の首、鎖骨、そして胸元でピタッと止まった。
「んだよ、洗濯板じゃねーか」
ぽつりと呟いた修二の言葉、目線は胸元。
凪に対する興味を失ったかのように、ふいっと視線をそらす。
洗濯板……はっ、とその意味を理解した凪は顔を上げて修二を睨んだ。
「私、まだ十五歳です」
「そうか、成長期は終わったか」
「終わってません!」
「おい、凪。どうした?」
状況を理解していないたすくが肩を掴むが、凪は修二を睨んだまま、言葉を続けた。
「時々痛くなります、成長痛!」
「脂肪がでかくなるのに成長痛なんかあるかよ。つーかお前、痩せすぎじゃね? だからじゃね?」
「じゃあ太ります!」
「デブの巨乳かよ、ウケる」
「おい、修二、なに言って……」
「プロテイン飲めばいいんでしょ?」
「それじゃ筋肉になるだろ、胸筋鍛えたいのか?」
「この際どうでもいいです、洗濯板よりマシだから!」
「凪、お前もなにムキになってんだ?」
「おっまえ、馬鹿な女だな! 脂肪と筋肉は違うもんなんだよ、知らねーのか⁉︎」
「じゃあ太ればいいんですか⁉︎」
「デブの巨乳は巨乳じゃねーって言ってんだろうが!」
「その心は⁉︎」
「トップマイナスアンダーだからだよ!」
「……え?」
「馬鹿おまえ、なんで知らねーんだよ! サイズの測り方だよ! その歳でスポーツタイプかよ!」
「スポ……いや、だって、そういうのはお母さんが……」
「自分で測れよ! だからお前は洗濯板なんだよ!」
「お前ら……なんの話してんだ?」
「おい、たすく、よくもこんな馬鹿な女連れてきたな。いや、連れて来たのは朝季か」
「朝季の悪口言わないで! 私が追いかけて来たんです!」
「今の言葉のどこが悪口なんだよ! つーかオイカケタだと? くっそ、エロ……」
「くないです! 普通の言葉です!」
「ふざけんなよ、洗濯板! 初日から俺に楯突くのか? よし、わかった、今晩俺の部屋に来い!」
「行ったら師匠になってくれるんですか⁉︎」
「はぁ? んなわけねーだろ、馬鹿! 普通に面倒見てやるよ! 二種でいいんだよな?」
「はい! EMPになりたいです!」
「よしわかった。育ててやるよ、その洗濯板!」
「よろしくお願いしま……いや、洗濯板は自分でなんとかするので、EMPの技術教えてください!」
「上等だ! 二ヶ月でピンク羽織着せてやる!」
「よろしくお願いします!」
パシイッと掌を合わせる凪と修二だが、はっとした凪が慌てて手を離した。
「なんだお前、初々し過ぎんだろ! 洗濯板のくせに!」
などと再び言い合う修二と凪を唖然と見つめていたたすくだが、しばらくしたところで首を傾げた。
「……え? 解決した、のか?」
惚けるたすくをよそに、師弟関係を結ぶ修二と凪。
腰を九十度に追って辞儀をする凪に、修二は「もう少し顔を上げて斜めに、そうだ、その辺! はぁ? お前の洗濯板なんか見てねーよ!」と、お辞儀の角度を指導していた。
「……よろしく頼む」
なにはともあれ解決したと、たすくは二人のやり取りを見守った。
二人の会話の内容に気が付いたのはその日の夜で、翌日に凪が「やっぱりあの人嫌だ」と愚痴を零してきたが、たすくは取り合わなかった。
「手出すなよ、変なこと教えんなよ」と修二に忠告して動向を見守り、朝季と三次には適当な報告書を送った。
[問題ない、順調だ。バストだの脂肪だの楽しそうにやってる]
そんな内容のふざけた報告書。
即座に、まずは朝季から通信が入る。
『ふざけるな、たすく! なんだあのわけわからない報告書! 指導者ランキング落ちるぞ、死にたいのか? 真面目にやれ! 俺、お前の上司に当たる権限持ってるからな!」
二十分に渡る長い朝季の説教のあとすぐ、たすくの通電機に三次から連絡が入った。
『誰と通話してた? いや、そんなことよりもふざけるな! あんたのこと信用した俺が馬鹿だった! 南域に帰って来たら覚えとけよ。それまで絶対、凪に手を出すな!』
三次の話もまた、二十分程度続いた。
北域部隊隊長である朝季と、南域部隊の隊長になる予定の三次。
この街でいま一番忙しいはずの二人の説教を聞き流し、たすくは通電機を切った。
「……待ってこれ。凪が来てから一番仕事増えたの、俺じゃね?」
ようやく気が付き一人呟いたたすくの声は、誰にも届かなかった。
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