14.「師弟を結ぶ瞬間」



「馬鹿か、お前。ひと気のない公園で熟睡しやがって」


 翌朝、たすくの元へ向かった凪に発せられた一言。部屋に入った瞬間に睨みつけられ、そして説教が始まった。

 議題は昨晩のこと。

 ベンチで寝入ってしまった凪が目を開けると、朝季がいた。夢かと思って再び瞼を下ろす凪の耳に少し大きな声、肩を強く掴まれた。

『心配するから……こういうのやめて、本当に』

 部屋に戻って来ないことを不審に思った景子が朝季に連絡して、探し回っていたらしい。三次とはその場で別れ、凪は朝季の後を追って景子と共に暮らすタワーマンションに戻った。

 終始無言で歩く朝季だが、背後に意識をやって常に凪を気にしていた。別れ際に『ごめん』と凪が言ったが、朝季は『うん』とだけ返事してタワーマンションを後にした。

「基地に戻ったんだ……私のためにわざわざ、仕事を中断して……」

 罪悪感を胸に建物の中に入った凪は、そこで待っていた景子に頭を叩かれた。


 それが昨晩の出来事。

 項垂れて言葉を発さない凪に、たすくは「もういい、それより行くぞ」と部屋を出た。

 凪は慌てて、小走りでたすくの後を追う。


「行くってどこへ?」

「EMPになるんだろ、お前は」

「あ、うん……私、返事したっけ?」

「顔見ればわかる」

「たすく君、すごいね。そういえば、私が公園で寝てたってのは」

「朝季から聞いた」

「え? 昨日? あの後話ししたの? 夜遅かったよね?」

「お前なぁ、無知すぎんだろ。自分のためにどれだけの人間が動き回ってるか考えろよ」

「ごめ……」

「謝んな。悪りぃと思ってんなら、戦場で返せ」


 話を打ち切るように、たすくはある部屋の前で足を止めた。

 ドアの表札には、[北域部隊EMP待機所]の文字。


「今日からお前の指導係変わるから」

「え?」

「当たり前だろ、俺は戦用だから専門分野が違う。安心しろ、今から紹介するやつは俺が知ってる中で一番有能なEMPだ」

「そんなすごい人が……」

「つーかお前、昨日会ったけどな」

「……え?」

「先に話つけてくるから、ここで待ってろ」


 乱暴にドアを開け、たすくは部屋に入った。

 ドアは開けっぱなし、会話が凪に聞こえるようにして。


「相変わらず朝早いな、修二」


 部屋の中には修二しか居なかった。ピンク羽織、肩と背中にはでかでかと[EMP]の文字。

 戦場医療班、攻撃対象外を示す色だ。

 椅子に座って本を読んでいた修二が顔を上げるが、すぐにまた視線を落とした。


「ノックぐらいしろよ……昨日の傷は?」

「だからたいした怪我じゃねーって」

「たすく、お前、昨日風呂入ったか?」

「入ったけど」

「嘘つけ。風呂入ったんなら傷口痛んだだろ」

「俺シャワーだけだし」

「はぁ? んなもん風呂入ったって言わねーよ、身体洗うのだってな、石鹸泡だててこう、丁寧に」

「あー、そういう説教いらねーから、面倒くせ」

「面倒くさいだと? 湯船に浸かってるやつと浸らねーやつで体臭の差が」

「それよりお前に紹介したい女がいるんだけど」

「あぁ、そうだ。女は嗅覚が鋭いからな、風呂に……女を紹介したい⁉︎」


 ガタガタっと、修二が椅子を飛ばして立ち上がる。

 大きな音に、聞き耳を立てていた凪の身体が大きく跳ねる。


「女を、女の子を紹介するだと! 俺に!」

「んだよ、声でけーな」

「いや、まて、たすく。落ち着け」

「てめーが落ち着け」

「そうか、女の子か……実は俺、彼女いてさ」

「はぁ? マジで? いや、馬鹿か、お前。彼女なんか作っても」

「大丈夫、向こうも俺の事情は知ってる。いわゆるガールフレンドだ」

「一緒だろーが」

「でも、紹介したい女の子はどんな子? その子が俺のこと好きなら会ってみないとな!」

「お前、なにか勘違いしてないか? まぁ、いいや。凪、入ってこい」


 名前を呼ばれた凪は、先ほどより大きく肩を跳ねさせた。

 このタイミング? え、待って……このタイミングは嘘でしょ? と呟いた声は、たすくに届いていない。


「おい、なにしてんだよ。さっさと入れ」

「やめろたすく、女の子には優しくだ」

「んだよ、修二。お前そんなキモいやつだったか? つーか凪! 寝てんのか!」


 苛立ったようなたすくの声に、凪は恐る恐る部屋に入った。

 目を輝かせていた修二だが、凪の顔を確認すると表情が固まり、次いでたすくを見た。


「たすく……たすくさん? 俺、こいつ知ってる気がするんだけど?」

「お前が昨日、特別待遇って馬鹿にしてたやつだな」

「あ、ははっ。そうだよねー……で、紹介したい女の子ってのは?」

「こいつ、EMPの試験受けるから」

「うわぁー、いいなぁ特別待遇は。そうやってすぐ安全職に……え、で?」

「今日からお前の弟子になる、凪だ」

「あ、よろしくお願いします」


 たすくに背中を押され、頭を下げる凪。

 呆然としていた修二だが、凪が顔を上げたところで、ガッと両手で頭を抱えて仰け反った。


「待て、理解が追いつかない! なんだこれ、なんていう状況?」

「お前が初弟子を迎える瞬間」

「わかりやすい! いや、待て、違う! 俺は弟子をとらない、そもそもEMPに師弟という制度は存在しない。つーか師弟という言葉は男の子じゃない女の子にも当てはまるけど、あえてそれっぽく言うなら師女……エロい言葉だな、シジョ!」

「落ち着けよ、修二」


 呆れ顔のたすくと、その横で困惑する凪。

 修二は息を整えたあと、椅子に座り直した。


「そうか、EMPになりたいのか。頑張れ、特別待遇」

「いや、だから、お前が指導しろよ?」

「なんで俺なんだよ! つーか紹介するって女の子は⁉︎」

「ここにいるだろ?」

「あ、白川凪です」

「言い方! 馬鹿か、お前ら! 妙な言い方しやがって! それよりなんで俺が指導役なんだよ」

「お前がこの街で一番有能なEMPだから」

「ありがとう!」

「ちなみにこれ、朝季からの指示だから」

「北域部隊隊長! 上司命令! 相談する間も無く決定事項! コンプライアンスとはなんぞや!」

「法令遵守のことですね」

「なんだ凪、英語喋れんのか?」

「学校で習ったし、あと日常会話くらいは普通に」

「日常会話だと! くっそ、エロい言葉使いやがって!」

「修二……」

「待てたすく、落ち着け! まずあれだ、女を指導するってことは……」


 慌ただしい修二の視線が、チラッと凪の顔を捉えた。

 びくっと一歩ひく凪を、修二の目線が追う。


「お前、歳は?」

「十五です」

「ふーん……その歳なら七十五」

「七十五?」

「おい修二、何の数字だよ」

「顔面偏差値」

「「……顔面偏差値?」」


 はぁ? と首を傾げるたすくと凪。

 修二は立ち上がり、凪を見下ろした。正面で対峙して気が付いた、思ったより背が高い。朝季より体格が良いかもしれないと。

 修二の目線が凪の首、鎖骨、そして胸元でピタッと止まった。


「んだよ、洗濯板じゃねーか」


 ぽつりと呟いた修二の言葉、目線は胸元。

 凪に対する興味を失ったかのように、ふいっと視線をそらす。

 洗濯板……はっ、とその意味を理解した凪は顔を上げて修二を睨んだ。


「私、まだ十五歳です」

「そうか、成長期は終わったか」

「終わってません!」

「おい、凪。どうした?」


 状況を理解していないたすくが肩を掴むが、凪は修二を睨んだまま、言葉を続けた。


「時々痛くなります、成長痛!」

「脂肪がでかくなるのに成長痛なんかあるかよ。つーかお前、痩せすぎじゃね? だからじゃね?」

「じゃあ太ります!」

「デブの巨乳かよ、ウケる」

「おい、修二、なに言って……」

「プロテイン飲めばいいんでしょ?」

「それじゃ筋肉になるだろ、胸筋鍛えたいのか?」

「この際どうでもいいです、洗濯板よりマシだから!」

「凪、お前もなにムキになってんだ?」

「おっまえ、馬鹿な女だな! 脂肪と筋肉は違うもんなんだよ、知らねーのか⁉︎」

「じゃあ太ればいいんですか⁉︎」

「デブの巨乳は巨乳じゃねーって言ってんだろうが!」

「その心は⁉︎」

「トップマイナスアンダーだからだよ!」

「……え?」

「馬鹿おまえ、なんで知らねーんだよ! サイズの測り方だよ! その歳でスポーツタイプかよ!」

「スポ……いや、だって、そういうのはお母さんが……」

「自分で測れよ! だからお前は洗濯板なんだよ!」

「お前ら……なんの話してんだ?」

「おい、たすく、よくもこんな馬鹿な女連れてきたな。いや、連れて来たのは朝季か」

「朝季の悪口言わないで! 私が追いかけて来たんです!」

「今の言葉のどこが悪口なんだよ! つーかオイカケタだと? くっそ、エロ……」

「くないです! 普通の言葉です!」

「ふざけんなよ、洗濯板! 初日から俺に楯突くのか? よし、わかった、今晩俺の部屋に来い!」

「行ったら師匠になってくれるんですか⁉︎」

「はぁ? んなわけねーだろ、馬鹿! 普通に面倒見てやるよ! 二種でいいんだよな?」

「はい! EMPになりたいです!」

「よしわかった。育ててやるよ、その洗濯板!」

「よろしくお願いしま……いや、洗濯板は自分でなんとかするので、EMPの技術教えてください!」

「上等だ! 二ヶ月でピンク羽織着せてやる!」

「よろしくお願いします!」


 パシイッと掌を合わせる凪と修二だが、はっとした凪が慌てて手を離した。


「なんだお前、初々し過ぎんだろ! 洗濯板のくせに!」


 などと再び言い合う修二と凪を唖然と見つめていたたすくだが、しばらくしたところで首を傾げた。


「……え? 解決した、のか?」


 惚けるたすくをよそに、師弟関係を結ぶ修二と凪。

 腰を九十度に追って辞儀をする凪に、修二は「もう少し顔を上げて斜めに、そうだ、その辺! はぁ? お前の洗濯板なんか見てねーよ!」と、お辞儀の角度を指導していた。


「……よろしく頼む」


 なにはともあれ解決したと、たすくは二人のやり取りを見守った。

 二人の会話の内容に気が付いたのはその日の夜で、翌日に凪が「やっぱりあの人嫌だ」と愚痴を零してきたが、たすくは取り合わなかった。

「手出すなよ、変なこと教えんなよ」と修二に忠告して動向を見守り、朝季と三次には適当な報告書を送った。


[問題ない、順調だ。バストだの脂肪だの楽しそうにやってる]


 そんな内容のふざけた報告書。

 即座に、まずは朝季から通信が入る。


『ふざけるな、たすく! なんだあのわけわからない報告書! 指導者ランキング落ちるぞ、死にたいのか? 真面目にやれ! 俺、お前の上司に当たる権限持ってるからな!」


 二十分に渡る長い朝季の説教のあとすぐ、たすくの通電機に三次から連絡が入った。


『誰と通話してた? いや、そんなことよりもふざけるな! あんたのこと信用した俺が馬鹿だった! 南域に帰って来たら覚えとけよ。それまで絶対、凪に手を出すな!』


 三次の話もまた、二十分程度続いた。

 北域部隊隊長である朝季と、南域部隊の隊長になる予定の三次。

 この街でいま一番忙しいはずの二人の説教を聞き流し、たすくは通電機を切った。


「……待ってこれ。凪が来てから一番仕事増えたの、俺じゃね?」


 ようやく気が付き一人呟いたたすくの声は、誰にも届かなかった。

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