6.「選べるということ、決意すること」
*
事件から一週間後、三次は凪と出会った駅にいた。
空は雨模様、傘は持ってきていない。制服を着た少年少女の姿がなくなった。この時間じゃ、もう遅刻だろう。
馬鹿みたいな話だと、三次は朝季と戦った日のことを振り返る。
朝季と戦った後に外に出ると、凪が壁にもたれかかって眠っていた。外にいた救急隊員に彼女を預けて、そこで自分も意識を手放した。
目覚めてまず、三次は搬送された病院で取り巻きの大人たちに頭を下げた。戦場の華としてメディアに取り上げられていた七伊だが、露出の条件として『自分が死んだら息子を田舎に帰して欲しい』と上層部と約束を交わした。
一部の者はそれを反故にするつもりだったが、他の一部の者の働きにより三次は田舎へと帰還した。
その際、監視を兼ねて三次と共に田舎に戻ってきた上層部の大人たちに、三次はただ頭を下げて謝罪した。
『いつかはこうなると思っていた』と、彼らは口々にそう言った。『それで、どうする? 東京に戻るか、田舎に留まるか』
未だ、自分が特例扱いを受けている事に三次は驚いた。
選べるのか、この状況で……犯罪者は否応なしに東京送りにされると、そう思っていたのに。
返事は決まっていた。
犯罪者は、社会不適合者は田舎で暮らせない。東京送りになるのだから。
田舎を去るにあたり、身の回りの物はほぼ奪われた。
取り巻きの大人たちは、三次が持っていたネームプレートや東京内戦に関する記事が載っている雑誌を見て、顔を歪ませた。
『最初に没収しておくべきだったな』などの声が聞こえてきて、心の中で嘲笑った。
火消しに……情報操作に必死な、日本国を支配する人々。三次の父だけじゃない、いつの間にか東京に連れて行かれた人はたくさんいる。
騒いだらその都度、その人たちも。
日本の人口が一億三千……それが正確な数字だと、誰が明言できるだろう?
数えることも出来ないのに。
そうして今朝、三次は制服姿で駅に向かった。電車に乗る必要などない、三次が暮らしている場所から高校までは徒歩三分。
駅舎で傘を差す必要など、本当はなかったのだ。
ため息をついて項垂れる三次の頭上が突然、白色に変わった。
「……なにしてんだよ」
謝るつもりだったのに、出てきたのはそんな言葉だった
「傘、ないの?」
凪が三次の頭上に傘を差していた。
模様のない、真っ白なだけの傘。
「関係ないだろ、あんたには」
思いとは裏腹に、トゲのある言葉が出てくる。その時になってようやく、三次は自分の心情を理解した。
後悔してるんだ、事件を起こしてしまったことを。
何事もなければこうして普通に傘を差し出されて、高校生らしい会話をして、放課後にカフェなんか行ったりして。
普通に、一緒に、登校していたかもしれないのに。
「謝らなきゃいけないことが、二つある」
だけどもう、なにを省みても遅い。
背を向けたまま、三次は言葉を続けた。
「怪我させて、ごめん」
「怪我? あぁ、全然。なんともないよ……全然、痛くもなかった」
「もう一つはあいつのこと。最初から、目的は朝季だった。俺はあいつが母さんを殺したと思ってたから、復讐するために利用した。ごめん」
凪は答えなかった。
目を伏せ、しばらくして「あの後」と口を開く。
「学校に行くと、みんな朝季の話してた。怖かったね、学校やめて良かったねって。だけど次の日には別の話題になってて。まるで存在していなかったかのように、誰も彼のことを語らない」
「それだけ消したかった、排除したかったんだろ、あいつを」
「田舎は平和な町だから? 自分とは関係ないから? あんな大事件があったのに?」
「悪いのは
「だから関わらないようにしよう、彼がいた事実を消そうって? そんなのおかしいよ」
凪は頭を振り、唇を噛む。
「同じ日本なのに、どうして住む場所が、環境が違うだけで蔑むの? 同じ国の、すぐ近くで同世代の人が殺しあってるのに。自分達には関係ないなんて、おかしいよ」
「……自分と違うものを
「じゃあ知ればいいじゃない。関係ないなんて言わないで、朝季たちのことを」
「関係ない。そう言ってるじゃないか、自分で。学校だってそうだろ、隣の席のやつが不登校になってさえ、自分が害を被らなかったら知らないふりをする。他人事なんだよ、知らない誰かの傷なんて。触れたせいで巻き込まれるなら、無関心を装ってたほうがいい」
「……朝季の痛みを、私が理解することは無理なのかな?」
「無理だろ。あんただって結局、傍観者だ。痛みなんて実際に体験した人にしかわからない」
「三次くん、私––––」
ザァァっと、凪の声に雨の音が重なった。
聞こえなかったかもしれない、それならそれでいいと思ったが運悪く、言葉は届いてしまった。
「なに言ってんの、あんた」
振り返った三次を見つめ、凪はもう一度、同じ言葉を繰り返す。
「私、東京に行こうと思う」
やはり聞き間違いではない、凪の言葉に三次は唇を噛む。
「東京って……戦場だぞ? 化け物同士が戦って、何人も死んでるんだ」
「そうかもしれないね。でも、私は知らないから。化け物がいる危険な場所だなんて、知りもしないのにそんなこと言えない」
「……ごめん」
「どうして謝るの?」
「あいつは、俺だって、
「……うん、そっか」
凪は目を伏せ、ぎゅっと傘の柄を握った。
「やっぱり聞いただけじゃわからないや。だから私は、傍観者をやめたいから、東京に行く」
雨の中へ飛び込む。
だがその前に、三次が凪の腕を掴んだ。
「俺のせいだよな」
「三次くんのせいじゃない、むしろ気付かせてくれてありがとうって思ってる。遅刻しないようにね」
それだけ言ってお別れするつもりだったのに、三次は腕を離さなかった。
強い力に、凪の持っていた傘が地面に落ちる。
「俺も、東京に戻る」
凪は振り返り、雨が滴る三次の前髪を見つめた。
俯いているせいで表情は見えない。
「俺があんたを守るから」
雨の音が大きくて、「ごめん」という三次の言葉は聞こえないふりをしておいた。
朝季、私ね、今から
知りたい。
もう一度話がしたい。
追いつきたいから。
もしその背中に追い付いたら笑って、
泣きそうな顔をやめてくれるだろうか。
彼が立つ戦場の、その傍らに、
一緒にいきたいと思った。
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