6.「選べるということ、決意すること」



 事件から一週間後、三次は凪と出会った駅にいた。

 空は雨模様、傘は持ってきていない。制服を着た少年少女の姿がなくなった。この時間じゃ、もう遅刻だろう。

 馬鹿みたいな話だと、三次は朝季と戦った日のことを振り返る。

 朝季と戦った後に外に出ると、凪が壁にもたれかかって眠っていた。外にいた救急隊員に彼女を預けて、そこで自分も意識を手放した。

 目覚めてまず、三次は搬送された病院で取り巻きの大人たちに頭を下げた。戦場の華としてメディアに取り上げられていた七伊だが、露出の条件として『自分が死んだら息子を田舎に帰して欲しい』と上層部と約束を交わした。

 一部の者はそれを反故にするつもりだったが、他の一部の者の働きにより三次は田舎へと帰還した。

 その際、監視を兼ねて三次と共に田舎に戻ってきた上層部の大人たちに、三次はただ頭を下げて謝罪した。


『いつかはこうなると思っていた』と、彼らは口々にそう言った。『それで、どうする? 東京に戻るか、田舎に留まるか』


 未だ、自分が特例扱いを受けている事に三次は驚いた。

 選べるのか、この状況で……犯罪者は否応なしに東京送りにされると、そう思っていたのに。

 返事は決まっていた。

 犯罪者は、社会不適合者は田舎で暮らせない。東京送りになるのだから。


 田舎を去るにあたり、身の回りの物はほぼ奪われた。

 取り巻きの大人たちは、三次が持っていたネームプレートや東京内戦に関する記事が載っている雑誌を見て、顔を歪ませた。

『最初に没収しておくべきだったな』などの声が聞こえてきて、心の中で嘲笑った。

 火消しに……情報操作に必死な、日本国を支配する人々。三次の父だけじゃない、いつの間にか東京に連れて行かれた人はたくさんいる。

 騒いだらその都度、その人たちも。

 日本の人口が一億三千……それが正確な数字だと、誰が明言できるだろう?

 数えることも出来ないのに。


 そうして今朝、三次は制服姿で駅に向かった。電車に乗る必要などない、三次が暮らしている場所から高校までは徒歩三分。

 駅舎で傘を差す必要など、本当はなかったのだ。

 ため息をついて項垂れる三次の頭上が突然、白色に変わった。


「……なにしてんだよ」


 謝るつもりだったのに、出てきたのはそんな言葉だった


「傘、ないの?」


 凪が三次の頭上に傘を差していた。

 模様のない、真っ白なだけの傘。


「関係ないだろ、あんたには」


 思いとは裏腹に、トゲのある言葉が出てくる。その時になってようやく、三次は自分の心情を理解した。

 後悔してるんだ、事件を起こしてしまったことを。

 何事もなければこうして普通に傘を差し出されて、高校生らしい会話をして、放課後にカフェなんか行ったりして。

 普通に、一緒に、登校していたかもしれないのに。


「謝らなきゃいけないことが、二つある」


 だけどもう、なにを省みても遅い。

 背を向けたまま、三次は言葉を続けた。


「怪我させて、ごめん」

「怪我? あぁ、全然。なんともないよ……全然、痛くもなかった」

「もう一つはあいつのこと。最初から、目的は朝季だった。俺はあいつが母さんを殺したと思ってたから、復讐するために利用した。ごめん」


 凪は答えなかった。

 目を伏せ、しばらくして「あの後」と口を開く。


「学校に行くと、みんな朝季の話してた。怖かったね、学校やめて良かったねって。だけど次の日には別の話題になってて。まるで存在していなかったかのように、誰も彼のことを語らない」

「それだけ消したかった、排除したかったんだろ、あいつを」

「田舎は平和な町だから? 自分とは関係ないから? あんな大事件があったのに?」

「悪いのは人間兵器バケモノだ。あいつさえいなければ田舎はまた平和な町になる」

「だから関わらないようにしよう、彼がいた事実を消そうって? そんなのおかしいよ」


 凪は頭を振り、唇を噛む。


「同じ日本なのに、どうして住む場所が、環境が違うだけで蔑むの? 同じ国の、すぐ近くで同世代の人が殺しあってるのに。自分達には関係ないなんて、おかしいよ」

「……自分と違うものをじるのは普通だと思う。それが未知なら、なおさら」

「じゃあ知ればいいじゃない。関係ないなんて言わないで、朝季たちのことを」

「関係ない。そう言ってるじゃないか、自分で。学校だってそうだろ、隣の席のやつが不登校になってさえ、自分が害を被らなかったら知らないふりをする。他人事なんだよ、知らない誰かの傷なんて。触れたせいで巻き込まれるなら、無関心を装ってたほうがいい」

「……朝季の痛みを、私が理解することは無理なのかな?」

「無理だろ。あんただって結局、傍観者だ。痛みなんて実際に体験した人にしかわからない」

「三次くん、私––––」


 ザァァっと、凪の声に雨の音が重なった。

 聞こえなかったかもしれない、それならそれでいいと思ったが運悪く、言葉は届いてしまった。


「なに言ってんの、あんた」


 振り返った三次を見つめ、凪はもう一度、同じ言葉を繰り返す。


「私、東京に行こうと思う」


 やはり聞き間違いではない、凪の言葉に三次は唇を噛む。


「東京って……戦場だぞ? 化け物同士が戦って、何人も死んでるんだ」

「そうかもしれないね。でも、私は知らないから。化け物がいる危険な場所だなんて、知りもしないのにそんなこと言えない」

「……ごめん」

「どうして謝るの?」

「あいつは、俺だって、人間兵器アテンダーは、化け物じゃない」

「……うん、そっか」


 凪は目を伏せ、ぎゅっと傘の柄を握った。


「やっぱり聞いただけじゃわからないや。だから私は、傍観者をやめたいから、東京に行く」


 雨の中へ飛び込む。

 だがその前に、三次が凪の腕を掴んだ。


「俺のせいだよな」

「三次くんのせいじゃない、むしろ気付かせてくれてありがとうって思ってる。遅刻しないようにね」


 それだけ言ってお別れするつもりだったのに、三次は腕を離さなかった。

 強い力に、凪の持っていた傘が地面に落ちる。


「俺も、東京に戻る」


 凪は振り返り、雨が滴る三次の前髪を見つめた。

 俯いているせいで表情は見えない。


「俺があんたを守るから」


 雨の音が大きくて、「ごめん」という三次の言葉は聞こえないふりをしておいた。




 朝季、私ね、今から東京せんじょうに行きます。


 知りたい。

 もう一度話がしたい。

 追いつきたいから。


 もしその背中に追い付いたら笑って、

 泣きそうな顔をやめてくれるだろうか。


 彼が立つ戦場の、その傍らに、

 一緒にいきたいと思った。

 

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