5.「家族がいた、昔のことだけど」



 義兄がいた。

 俺を拾ったとき、兄は十八歳だった。


 初期の前線メンバーの隊長に選ばれた白河しらかわ夕季ゆうきはその権力と人脈を利用して、出生も身元もわからない俺を義弟として手元に置いてくれた。

 朝季、という名前を与えてくれた。

 家族だった、俺の、唯一の。

 血の繋がりのない、たった一人の家族。




 三次と顔を合わせたことはないが、名前は以前から知っていた。

 南域部隊の隊長を務めているという雨月七伊の口から「息子がいるの」と何度も、宝物を自慢するように彼女は語った。


「朝季くんってかっこいいよね」


 それは朝季の十一歳の誕生日が過ぎてすぐの頃、北基地をふらふらしていた時、会議室から出てきた七伊に捕まった。

 慌てて逃げようとしたが、目を光らせた七伊に腕を掴まれて叶わなかった。


「今何歳だっけ?」

「十一になった、らしいです。たぶん……」

「それでその顔? 整いすぎじゃない?」

「別に……」


 拘束を逃れようと顔を背けるが、彼女はそれを許さなかった。

 か細い身体からは想像できないほど強い力で手首を掴んでくる。


「ほんと、夕季くんにそっくりよね」

「義兄です」

「なに食べたらそんなに綺麗な顔になるの?」

「普通に、食堂の……」

「自分で言うけど、私って美人だと思うの。夫もね、ものすっごいイケメンだったの」

「そうですか……」


 今のような状況は時々あった。

 義兄の不在時に七伊に捕まり、そして延々と、


「うちの子も朝季くんみたいにかっこよくなるかなぁ? 朝季くんより二つ年下なんだけどね、幼さが抜けないというか可愛いの、すっごく。三次って名前なのは教えたっけ? それでね、名前の由来はね……」


 彼女の息子の話を聞かされる。故に、顔を合わせたことがなくても七伊が家族を大切にしているのはよくわかった。

 だけど当時の朝季は十一歳、つまり人付き合いというものを学び始めてまだ一年。

 まだ幼い朝季にとって、彼女の積極性は困惑するものだった。突き放すことも出来ないし、うまい言葉も見つからない。

 だからいつも、義兄の後ろにぴったりくっついて歩いていた。


「朝季くんって人見知りよね。うちの子もなんだけどね」

「それは朝季がどうこうじゃなくて、七伊さんの押しが強いからですよ」


 爽やかな、晴れた空のような声。

 振り返ると、朝季の義兄である夕季が立っていた。

 七伊に向けていた穏やかな視線を、朝季へと移す。


「いいよ、朝季。向こう行ってな」

「ちょっと夕季くん、その言い方だと私が厄介者みたいじゃない?」

「厄介ですよ、実際、七伊さんは」

「言い方! ねぇ、朝季くん、あなたのお兄さんひどくない?」

「あー、はいはい。話なら俺が聞きますから。で、三次がどうしました? また身長伸びました?」

「そうなの! 聞いて! 昨日より二ミリ高かったと思う!」

「目の錯覚ですね、完全に。朝と晩で背の高さが変わること知ってます?」


 同じようなことを繰り返す七伊の話を、適当に聞き流す夕季。

 頃合いを見計らって、朝季は二人のそばを離れた。



 大事にされている自覚はあった。

 夕季も七伊さんも、たった一人の家族にこれ以上ない愛情を注いで、守ろうとして。

 綺麗な女性だった。聡明で優しくて美しく、そして老いを知らないまま、二十六歳という若さでこの世を去った。

 夕季も七伊さんも、家族を残していなくなって。

 その人しか家族がいなかった俺たちは、その時、一人ぼっちになった。





 薬品の臭いが立ち込める化学室。

 三次は朝季の頭を離し、立ち上がる。


「覚えてたんだな、母さんのこと。そりゃそうか、自分が殺した人だもんな」

「殺した? 俺が?」

「五年前、母さんはあんたを庇って死んだ。あんたを守るために、銃弾を受けて」

「お前それ、七伊さんが俺を庇って死んだって、誰から聞いた?」

「母さんの部下だった人から。当時の新聞にもそう載ってた」

「なに言ってる? 俺を庇って死んだって」

「あんたのせいで俺は家族を失って、俺はあの日からずっと……一人ぼっちだ」


 その言葉が、義兄を失った時の自分と重なった。蘇る記憶を封じるように、朝季は頭を押さえつける。そのせいで、一時戦線離脱してしまった。

 三次は日本刀を大きく振り上げ、刃を朝季に振りかざす。


「まって……待って!」


 しかし刃が触れる直前、化学室の出入り口にいた凪が叫んだ。

 唖然とする朝季と三次に駆け寄り、日本刀を素手で押し除ける。凪の掌から血が滴っていることに気付いた朝季が、立ち上がって凪の腕を掴んだ。

 朝季と凪の目線がぶつかる。


「あんた、馬鹿なのか?」


 しかし三次が言葉を発したことにより、凪は三次へと向き直った。


「なんで、こんな、危ないってわかってる場所に」

「傘を、返しに来たの」


 三次の言葉を遮り、凪は水色の傘を差し出した。


「借りっぱなしだったから。今度こそちゃんと、返しにきた」

「馬鹿、だろ。そんなことのために」

「三次くんはね、悪い人じゃないよ」

「はぁ?」


 三次が顔を歪めるが凪はそれ以上の言葉が見つからず、静かに彼を見つめていた。


「大丈夫だよ、凪」


 声とともに、朝季が凪と三次の間に入り込む。

 

「こいつが悪いやつじゃないってのは、俺もわかってる。二人で話がしたいんだけど、いいかな?」


 掌を簡易に止血したあと、朝季が凪の背中を押した。凪は無言で頷き、素直に部屋を出る。

 凪の姿が消えて十秒経ったところで、朝季は三次に向き直った。


「怪我させたことへの罪悪感は?」

「……俺が悪いわけじゃない」


 顔を背ける三次を見て、朝季は嘆息した。


「まず、話をしようか……」

「話?」

「七伊さんの死に関してだけど、少年を庇ったというのは間違っていない。だけど、その少年は俺じゃない」

「言い訳するどころか、自分じゃないなんて」

「表向き、メディアに対しては俺を庇ったと報道した。七伊さんがいた頃は外野がうるさかったからな」

「知ってる。田舎で過去のデータを漁ったら、様々なメディアが母さんを持ち上げてた。戦場の華だとか、馬鹿みたいな記事ばかり。母さんの死因もそこで知った」

「そうか……いつから日本は、傍観者の町になったんだろうな」

「話をそらすな! 今は母さんについて話してる。だから俺は、復讐しようと」

「俺も又聞きなんだけど、上層部は息子の存在を隠したかったらしい。彼女が子持ちなんて知られたら、世間はどう思うだろうって。それで真実を隠そうとした」


 朝季は目を閉じ、体内ストックと周囲の物質を確認した。

 幸い此処は化学室。

 融合できそうな、武器生成に可能な材料はたくさんある。


「五年前のあの日、俺は北域の基地にいた。気付いた時には全て終わってて……お前が聞いた話は、息子の存在を世間に知られることを恐れた上層部がついた嘘だ」

「嘘? そんなわけない、俺は見たんだ。母さんがあんたを守るのを」

「へぇー、見たのか。お前、その時どこにいた?」

「どこ?」

「七伊さんはその時、どうなってた? なにか言ってたか? 覚えてるよな?」

「当たり前だろ! 忘れるわけない、母さんの血が、掌が真っ赤になって、耳元で声が……耳元?」


 自分の言葉にはっとし、三次は掌を見つめた。


「血が、手に……身体を、抱きしめられて」

「そう、お前を抱きしめてた。七伊さんが庇ったのは、命をかけて守ったのは三次、お前だ」

「俺? いや、違……え、だって、みんなが」

「気を使って嘘をついたんだろ。でも、お前が忘れちゃダメだろ。七伊さんは最期なんて言ってた、どうやって人生を終えた? 聞いたのはお前だろ? 忘れんなよ、そんな大切なこと」


 歩み寄る朝季に、三次は「来るな!」と短刀を投げつけた。

 掌でそれを受け取り、自身のストックとして融合する朝季。


「……っ」


 三次が長刀を振り下ろすが、朝季が生成した短刀に押し返される。

 再度刀を突きつけるが短刀を捨てた朝季が素手でその刃を掴み、刃が消えた。


「あんたもしかして、無制限なのか?」

「七伊さんがいた頃から、ていうか最初から俺は無制限だったけど。知らなかったか?」


 朝季は掌に白色の銃を生成し、トリガーガードに指をかけた。

 くるくると銃を回すと、透ける弾倉にカラフルな色の弾丸が追加されていく。


「空気銃⁉︎」


 銃口を向けられ、三次は銀の板を生成して眼前に掲げた。

 しかし顔を上げたところで、うなじに銃口を突きつけられた。


「訂正してほしいことがあるんだ」


 三次の背後から響く朝季の声。

 動きが見えなかったとか、そんなレベルじゃない。

 なにが起こったかわからない。

 どうして朝季が、目の前にいたやつが一秒も経たないうちに、背後に回っている?


「怪我させたことへの罪悪感、あるよな?」

「は? なんのこと」

「お前のせいで、怪我しただろうが」


 朝季が銃口を三次の掌に押し付ける。

 チリっと痛みを感じた三次が下を向くと、右の掌が裂けて血が出ていた。

 同時に思い出した。

 凪の右掌から血が出ていた、傷つけた、その罪悪感だ。


「後で謝っとけ、お前が悪い」


 耳元で囁いたあと、朝季は三次の両手を掴んで拘束した。

 うつ伏せになって床に倒れる三次の背中に朝季は馬乗りになる。

 手には黒光する実弾銃。

 やはり一瞬で、朝季は白銃を別のものに作り替えていた。見せつけるように朝季は銃口を床に突き立て、今度はそれを三次の耳元に持っていく。


「思い出せ、三次。大切な人の最期の言葉を。受け入れろ、真実を」


 朝季の声の後に、三次は銃声を聞いた。

 大きな音が一発、次いで何発も連射。

 じーんと耳鳴りが続き、その後に現実味のない、ラジオから漏れているような喧騒、銃声、連射。

 それが止むと、次は女性の声が聞こえた。


『ごめん。ごめんね、三次』


 覚えのある、大好きな人の声。

 泣きじゃくった後のような、掠れた言葉。


 三次が思い出したのは、蘇った記憶は五年前のことだった。


 母が死んだ、あの日のこと。


「ごめんね、三次」


 五年前、十一歳の三次を抱く七伊の腕に力が入る。

 その身体の下に、真っ赤な血が滴る。


「こんな場所に来ることになってごめんね。でもだってお父さんが……親子三人で暮らしたいって思ったけど、三次のこと不幸にしちゃったかなぁ?」


 傷の痛みで声が掠れているのか、それとも泣いているからなのか、わからなくなっていた。


「ごめんね、三次」と同じ言葉を繰り返す。「大好きだからね、ごめんね」と。


 声が無くなるまで言い続け最期に、夫の名前を呟いて心臓が止まった。

 自分の命よりも大切な、息子を胸に抱いて。




 父が、消えたという話を聞いたのは七年前、三次が九歳の時。

 正義感の強い人で、『東京が戦地になるのは何故か、そこに暮らしていた人々は?』など声を荒げていた。

 同じ組織に属する人々ごと、三次の父は消えた。

 死因として告げられたことは、集会所でテロがあっただの、団体バスが転落しただの、とにかく事故が起きたと。

 泣き崩れていた三次の母、七伊の目から涙が落ちなくなったのは葬儀の後。


『お父さんのところ、行きたい?』


 七伊の言葉に、三次は無言で頷いた。

 正直どっちでもよかった。

 母が好きで、そして母は父が好きで。だからよくわからないまま返事をして、よくわからないまま東京の街へ来た。

 再会できたのは一時間だけで、三次は母と二人、東京の街で父の二度目の葬儀を行った。


 お父さんは正しかった、真に人間だったよ。


 誰もいない場所、耳元でこっそりと、上品なスーツに身を包んだ痩せ型中年期の男が三次に言った。

 それからすぐ、夫の後を継いだ七伊が南域部隊隊長になった。

 後悔があったのだろう、七伊は陰でよく泣いていた。それをやめたのは、戦場に来て半年経ったころ。


『いいですよ、晒し者になっても。だけど一つだけ、約束してください。私は大切な人のために死ねる……三次を守ってこの戦場で命を落とすだろうから』


 七伊が上層部、戦場を支配している者達と交わした約束を三次が聞いたのは彼女の死後。

 特例として東京を出れる、田舎地域に帰る時だった。



「……俺だったんだな」


 朝季が手を離すと、三次は自由になった手で目元を隠した。朝季が撃ったのは、銃声が鳴るだけの玩具だった。

 所謂ショック療法というやつだ。母の死と同時に戦場を離れたため、あの日以来、三次は銃声を聞いていなかった。


「母さんが守ってくれたのは俺で……名前を、呼んでくれていたのに」


 声を殺して泣く三次を横目に朝季は部屋を出た。廊下に出た途端、朝季は隣の教室の前に立っていた人物を見て目を丸くする。

 戦闘中だった、意識をとられていたとはいえどうして、この子に対しては鈍感になってしまうのだろう……と、朝季がため息を漏らす。


「心配だった? 三次のこと」


 朝季の問いに、凪は目を見つめたまま軽く頷く。


「朝季のことも、心配してたよ」

「俺よりも……」


 朝季は目線を落とし、凪の右手に自分の掌を添えた。

 血は滲み出ていない、そこまで酷い怪我ではないが。


「ごめん」


 凪は首を傾げ、朝季の手を握り返した。


「朝季が謝ることじゃないよ?」

「守れなかった……いや、巻き込んだから」

「巻き込まれたなんて思ってない……私には、関係ないことなの?」


 朝季と凪の掌が重なり、自然と指が絡まった。

 目線はお互いの瞳に向けたまま。


「田舎は傍観者の町って聞いてたし、俺も最初はそう思ってた」

「傍観者だよ、私は。今だって、なにも出来なかった」

「追いかけて来てくれただろ? それだけで十分だ、凪はすごく優しい」

「優しいのは朝季だよ。だから、泣かないで?」

「え?」

「あ、いや、違う……泣いてもいいんだよ。だからそんな、泣きそうな顔しないで?」


 面食らった朝季だが、ややあって笑みを溢した。

 胸中騒つく。

 この感情をどう表現すればいいんだろう、初めて芽生える気持ちを隠すように、朝季は凪の目元に手を当てた。

 初めて会った時から、彼女には声が届いていた。

 傍観者の町で、無関心に通り過ぎる人々の中で、凪一人が振り返った。


「守りたいと、そう思う」


 胸の中にある初めての感情、愛おしいという気持ちを、朝季は別の言葉で凪に伝える。


「凪が生きてるこの世界を、笑ってる未来を。今度は俺が凪のために、凪を守りたい。だからもう、東京に戻るよ」


 ぴくっと瞬きする凪の瞳に、朝季が掌を更に押し付ける。

 反対の手は、繋いだままで。


「ありがとう。平和な町の、田舎の少女。俺と出会ってくれて、ありがとう」


 そこで凪の意識は途切れた。カクンと崩れる凪の身体を支え、朝季は空を見上げた。

 雨模様に灰色の空。

 太陽が見えないことが少し悔しくて、化学室に目を向ける。

 どうか幸せに、彼女が楽しく生きれますように。

 そのための自分たちなら……その行為が、彼女の町を守る盾となるなら。

 

「染まってるな、俺も……偽りの戦場、あの街に」


 声が誰かに聴かれていることはない。

 盗聴器とかカメラとか、そんな物はこの場所にあるはずがない。どこを切りとっても平和しかない町、飛行機雲の浮かぶ空。

 夕色から視線を外し、朝季は凪と繋いだ掌を離した。

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