4.「雨」



 それは、朝季と凪が出会って四日目のことだった。寝坊した凪はいつもより遅い時間に学校の最寄り駅に着いた。駅舎を出る直前で足を止める。

 前を歩く人が、傘を差していた。

 降り注ぐ細い雨にため息をつく。急いでいたせいで天気予報を見ておらず、傘を持ってきていなかった。

 コンビニで買おうか、この程度の雨なら打たれても大丈夫かなど悩んでいた時、凪の背後でコツっと足音が鳴った。


「傘、ないの?」


 振り返ると、青色の傘を持った少年が立っていた。黒縁眼鏡をかけた彼の制服は凪の高校に隣接する男子高校のもの。

 ネクタイの緑色は一年生、凪の同級生だ。


「傘がないなら送るけど?」

「ふわっ! え、私ですか?」

「なにあんた、驚きすぎ」

「え、だって……えぇっと」

「あぁ、一緒に入るの嫌か。じゃあ一人で使っていいよ」


 少年が持っている傘を凪の手に押しやる。

 惚けていた凪だが、少年が雨の中へ飛び込もうとしているのを見て慌てて彼の手を掴んだ。


「い、一緒に……あ、えっと、傘に入れてください」

「……最初からそう言って欲しかったな」


 揶揄うように微笑み、傘を広げる少年。凪は遠慮がちに、その中へ入り込んだ。

 彼は臼井うすい三次みつぎと名乗った。ミツギと漢字そのままの名前。

「いい名前だね」と凪が言うと、三次は困ったような笑みを浮かべた。

「親がつけた名前だからね」

「あ、そっか……そうだね……いい名前だね」

「それ、さっきも言われた」

「え、あ、ごめ……」

「あんた、会話下手だな。無理に話しなくていいよ、俺も静かなほうが好きだし」

「……うん」


 同じ傘の下、黙々と歩みを進めた。時折肩がぶつかってささっと身体を離す凪だが、申し訳ないと思ってすぐにまた距離を詰める。

 中学を女子校で過ごし高校に入ってからも人付き合いが上達しなかった凪にとって、男女の距離感がこれで正しいのかよくわからなかった。



 凪が学校に着いたのは授業が始まる五分前。

 自席につくと同時に、朝季に腕を掴まれた。


「それ、どうした?」


 大勢の生徒がいる中で朝季は凪に詰め寄る。

 不可解な言動を象徴するかのように、朝季の目からは焦りの色が見えた。

「かさ」と呟く朝季の視線を追うと、三次に借りた傘があった。


「あっ、これね、借りたの。私のほうが遠いから、持って行っていいよって」

「誰に? それ、貸してくれたの誰?」

「えっと、隣の学校の……どうしたの、朝季」

「その傘、生成したやつだろ?」

「生成?」

「だから、人間兵器アテンダーの……」


 言葉の途中で、朝季は思い出したように周囲を見た。

 クラス中の視線が二人に集まっていた。


「あとで。いつでもいい、話したいことがある」


 小声で囁き、朝季は自分の席に戻った。だがそんな日に限って、二人きりになる機会に恵まれなかった。

 雨上がりの放課後、朝季のいない教室を背に凪は学校を後にする。



 隣の高校に行くと、門のところに立っていた三次が片手を振って凪を出迎えた。ぺこりと頭を下げて駆け寄る凪だが、とんでもない失態に気づいて足を止める。

 凪の手元に傘はない、学校に置き忘れて来たのだ。


「あの……傘……貸してくれた、人ですよね?」

「? なに言ってんの? ……ていうか、傘は?」

「いや、えっと……」

「もしかして忘れた」

「ふわぁぁっ……ごめ、ん……なさい」

「タメ語でいいって。そっか、傘忘れたか……いいや、デートでもする?」

「はい……でーと? え?」

「なに食べたい?」

「え? ……えっ?」


 有無を言わさず、三次は凪の手を取って歩き出す。

 駅前の喫茶店に入ったがほとんど無言で、三次は窓の外を見ていた。客は少なく、凪たち以外はみな一人の時間を楽しんでいた。

 静かに流れる音楽、窓の外を横切る車のエンジン音。

 会話下手を自覚している凪にとって、三次と過ごす静かな時間は心地よいものだった。

 

「明日は絶対、傘持ってくるから」


 別れ際、凪の言葉に三次はふっと微笑む。


「じゃあ、明日もデートだな」

「え? あ、いや、そういうつもりじゃ……」

「なんだ、違うのか」

「違! うことはないけど、違うけどそんなことは……ふわぁぁぁ!」

「あんたさ、時々妙な声出すよな」

「あっ、うるさいよね。ごめ……」

「謝らなくていい。また明日、同じ時間に」


 だけど約束をしたにも関わらず。

 次の日、凪は再び傘を忘れた。


「馬鹿だろ? そっちの高校偏差値高いはずだけど、学力と生活力は別物なのか?」


 結局、その日もまたデートという名のお出かけをすることになった。

 朝季とも話をする時間がなくて、なにをしているんだと自己嫌悪した凪は髪を乾かすことも忘れて眠りについた。



 次の日の放課後、一旦席を外した凪が教室に戻ると朝季が待っていた。

 他に生徒はいない、二人きりの室内。


「傘のことなんだけど……まさか、そいつと会ったりしてないよな?」


 鋭い眼光に、凪は畏怖して身を縮めた。

 その態度が答えと察した朝季が凪の腕を掴む。


「凪が借りたっていうあの傘は普通の物じゃない、融合生成されたものだ」

「融合生成?」

人間兵器アテンダーが武器を作るときにやる方法だよ。材料を一度、身体に取り込んでそれを武器として作り出す。それを持ってたやつは……」

「朝季、痛い」


 凪の声に、朝季ははっとして手を離す。


「ごめん」

「ううん、私も」


 顔を上げる凪、その時、時計の針が五時前を指していることに気が付いた。


「今日約束があって」

「誰?」

「友だちが……」

「友達? 傘のやつじゃないよな?」

「違……う、ことはないけどとにかく! 今日はこっちに迎えに来てくれるの。ごめん!」


 目も合わせず、凪は背中を向けて走り出した。

 突然のことに茫然と立ち尽くす朝季。しばらくして、机の上に凪の鞄と傘があることに気が付いた。

 ため息をつき、窓の外を見下ろす。

 正門に駆け寄る凪、その視線の先に、銀色の光が見えた。



 三次のいる正門へと走る凪だが、近くまで寄った時、三次の鞄についている銀色の鎖が見えた。

 朝季のしているものと同じ銀のプレートがついたネックレス、その鎖。


「お前、そのネームプレート」


 声を発したのは朝季だった。

 突然過ぎて状況が把握出来ない凪の目の前に、朝季が立っていた。三次との間に割入り、まるで守るかのように。

 朝季が現れたことで表情を消した三次だが、しばらくしてふっと口角を上げた


「東京にいたとき支給された。気付くの遅いんだよ、北域部隊隊長、白河朝季」


 三次がそう言うと同時、朝季の姿が凪の視界から消えた。


「……えっ?」


 背後の爆音に凪が振り返ると、校舎の一階部分が崩れ落ちていた。

 三次に向き直った凪だが、彼の姿もなくなっていた。



 油断していた、という表現が正しい、

 咄嗟だったせいで、朝季は避けることが出来なかった。頭上から足元までの長さの鉄壁を作り、瓦礫を防いでいた。

 立ち上がろうとしたが、人の気配がして反射的に鉄の盾を作り顔の前に掲げる。


「へぇ、さすが戦闘慣れしてるな」


 三次の手には日本刀が握られていて、切っ先が朝季の盾を刺していた。しかし盾の強度が勝っていたようで、貫通はしていない。

 三次は日本刀を身体の中に収め、校舎の二階へと走り出した。後を追う朝季に、すれ違う人々が悲鳴を上げ、侮蔑ぶべつの視線を送る。

 階段を抜けて廊下へ、手前から三つ目の部屋[化学室]に三次は逃げ込んだ。薬品や動物の剥製で囲まれた部屋の奥、キャビネットの前に三次の姿。


「そのネックレス、ネームプレートだよな? 戦場に出る人間兵器アテンダーに支給される、遺体確認のための身分証明書」


 朝季が言うと、三次は自嘲気味に笑い、手元にあった薬品瓶を床に投げつけた。

 ラベルを目視した朝季は喉の粘膜を変え、さらに皮膚を保護する。横目を向けると、黒板を横走りし近付いてくる三次の姿が見えた。

 次の瞬間、なにかが朝季の左足を掴んだ。慌てて足を振るい、正面から来る日本刀を避ける。

 朝季の左足には、無数の糸が散らばっていた。糸の発生場所は三次の右手。彼は左手で手刀を作り、もう片方の手で糸を出す攻撃をしかけていた。

 素人が出来る技じゃない。三次はどこかで訓練を受けたことのある、戦闘用の人間兵器アテンダーだ。


人間兵器アテンダーの差って、どこで生まれると思う?」


 唐突な三次の質問に、朝季は首を傾げる。


「差?」

「強いやつと弱いやつ。まずは融合できる武器の数、才能。そして二つ目、頭の良さ、知恵」


 三次が薬品瓶を床に投げつけると、中にあった液体が弾け飛んだ。

 朝季はラベルを目視し再び皮膚と喉を作り変えて毒を凌ぐ。

 つもりだったが、身体の力が抜け床に座り込んでしまった。


「……っ、んだこれ、中身が」


 目視したラベルと、実際に吸い込んだ気体は別物だった。

 喉を押さえ息を整える朝季に、三次が歩み寄る。


「田舎では臼井姓を名乗ってるけど、東京では雨月うづきだったんだよね。あそこはファーストネームかあだ名で呼ぶのが通例だから、苗字なんて意味ないけど」


 三次が朝季の頭を掴み、顔を付き合わせた。

 反対の手で黒縁眼鏡を外す。


「見覚えあるだろ、俺の顔。母親そっくりだから」

「ミツギ……反乱軍、南域部隊前隊長、雨月七伊うづきなないの息子」


 さっきまで曇りだったのに急に、雨が降り始めた。



『七伊さんが泣く日はいつも……雨が降るんだ』


 朝季の耳に、五年前の義兄の声が聞こえた。

 東京、戦場。

 前線に行こうとする朝季の義兄、夕季が空を見てつぶやいた言葉。

 後を追う朝季の鼻にポタッと、雨が落ちた。


『部隊編成どうなってたっけ……朝季おまえ、今日……留守番してろ』


 なぜ、と聞く前に夕季の掌が伸びて来て。

 目を覚ますと同時、朝季はその日の戦死者の報告、雨月七伊の訃報を聞いた。

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