1.「田舎の少女と人間兵器」




 白川しらかわなぎが暮らす田舎は平和な町だと言われている。非戦闘地域を示す言葉だが、戦地となっている東京及び関東以外は全て『田舎』と呼ばれている。

 そこにある私立高校で、凪は階段の先を歩く男子生徒を追いかけていた。


「白河くん!」


 必死に足を進めるがなかなか追いつくことができず、凪は男子生徒の名前を呼んだ。

 そこでようやく目的の人物、白河しらかわ朝季あさきが振り返る。


「あれ? 後ろにいるとは思ったけど……俺を追いかけてた?」


 朝季が歩みを止めたことで、凪は彼と向き合うことになった。凪よりも随分高い身長、すらっとした体躯に整った顔立ち。

 今朝、転校生として紹介を受けた朝季が教室に入った瞬間に騒めきが起こったが、凪はようやくその意味を理解した。

 惚けて言葉を発さない凪を見て、朝季が首を傾げる。


「あのさ、朝会ったよな?」

「え?」

「朝、白いカーディガン羽織ってた? 歩道橋の上で」

「歩道橋……あ! 朝の!」


 記憶をたどり、凪は今朝のことを思い出した。

 通学路、巨大スクリーンがある歩道橋の上。

 天気予報を見て呟いていた、その人。


「あれって白河くんだったんだ!」

「気付いてなかった? 俺は教室で顔見た時から、今朝の子かなと思ってたけど」

「あっ……私、人の顔覚えるの苦手で。ごめん」

「謝ることじゃない。それで、用事ってなに?」

「そうだった! あのね、言いにくいんだけど……私の話じゃないよ? 先生が言ってたことでね?」

「? ごめん、言ってることの意味がわからない」

「あ、えっと……先生から、白河くんに注意して来いっ言われて」

「注意? 先生から?」

「うちの学校、アクセサリー禁止だから……それで」


 ちらっと、凪が朝季の胸元に視線を向ける。

 第二ボタンまで外している朝季のシャツの中には、銀色のネックレスがあった。横二㎝、縦一㎝の長方形のプレートと、同じ色の鎖が二つずつ。

 銀のプレートにはアルファベットが刻まれていたが、凪の位置からは文字が読み取れない。


「あぁ。いや、これ、アクセサリーじゃなくて身分証だから」

「身分証?」

「東京ではこれがないと遺体確認の時とか」

「東京? え、いた?」

「……それより、なんで凪が注意しにきたの?」


 誤魔化すように視線を外し、話を逸らす朝季。

 不審に思った凪だが、それよりも。


「名前……」

「名前? あぁ、凪と俺は同じ苗字だな。俺はサンズイの白河だけど、凪は三本線の白川で」

「そこ……そこじゃないです」

「そこじゃない? ……もしかして下の名前で呼んでるのが気になる?」


 目線を送りながら頷く凪。

 朝季は宙を睨み、「なるほど」と呟いた。


「田舎の男女は苗字で呼び合うんだったな。ごめん、白川さんって呼ぶから」

「えっ? あ、そういうわけじゃなくて……」

「名前で呼ばれるの嫌なんだろ?」

「嫌じゃない! そうじゃなくて! 凪でいいよ!」

「声大きい」


 口元に手を当ててくすくすと笑う朝季。

 恥ずかしくなって俯く凪の頭にぽんっと、朝季の掌が乗る。


「凪って猫みたいだよな」

「ネコ……猫? え、獣の?」

「ケモノって、なにその表現」

「あっ、違……変なこと言ってごめんなさい」

「謝ることじゃない。褒めてるから、逆に、面白いと思って」


 やはり上品に、本当に愉快そうに朝季が笑う。

 嫌味ではない、その笑い方はきっと、誰が見ても好印象だろう。


「白河くんてすごい人だね」

「すごい人?」

「大人っぽいというか高校生らしくないというか」

「その言葉、人によってはすげー失礼になるからな?」

「ふわっ! あ、ごめん……私、会話が極端に下手で」

「会話が極端に下手? それこそなに言ってんの?」


 再び微笑する朝季の仕草がとても上品で、閑雅かんがな笑みに凪は目を奪われた。


「白河くん、友だちになろうよ」


 そして無意識に、そう呟いていた。


「友だち?」

「あ、いや。ごめん、また変なこと言ったかも」

「変じゃないよ。いいよ、じゃあ俺のことも朝季って……」


 言葉の途中で、朝季が表情を消した。朝季の視線を追って振り返った凪の背後に、銀色の自動拳銃を持った男が立っていた。

 しわのついたシャツに紺のスラックス。背が高く肉付きの良い男で、袖に挟まれた二の腕が窮屈そうだった。

 鋭い目つきと目が合ったその時、銃口が凪に向いた。

 発砲。

 それと同時、朝季の左手が凪の眼前に翳され視界を遮った。


「どこ狙った? 当たってたら目潰れてたぞ」


 朝季が手を開くと、中には銅色の弾丸が二つあった。まるで手品のように、朝季の掌に鉛玉が二つ吸い込まれる。

 次の瞬間、凪の目の前にいた朝季が二メートル以上離れた場所にいる男の腕を押さえつけていた。

 うつ伏せに床に押しつけられる男、拳銃が床に落ちる。


人間兵器アテンダーがいるって噂、本当だったのか」


 呟いた男の声に、朝季は表情を消した。


「なんだ、その噂……どこから……」


 次の瞬間、顔を上げた朝季が辺りを見渡した。朝季や凪の周り、踊り場を挟んだ階段の上下を多数の生徒が取り囲んでいた。

 怯えるような眼差しは男よりむしろ、朝季に向けられている。


「……やっべ、やらかした」


 唇を噛んで、朝季は後悔を押し殺した。人間の身体能力を超えた動きをしてしまったことを。

 能力は使うな、普通の人間として生活しろ––––関東地区を抜ける時、そう忠告されていたのに。

 だが思慮する間もなく、男が腕を振り上げた。朝季は手慣れた動作で、男が持つガターナイフを素手で受け止める。

 鋭利な刃にも関わらず、朝季の掌から血は滴ってこなかった。


「お前、人傷つけたことあるだろ? ……慣れすぎてる」


 冷めた目で男を見下ろす朝季が、ぐっと刃を握りしめる。その後一秒にも満たない間に、男の頬すれすれにナイフの刃が突き刺さった。


「正解だ。東京に行くんだ、俺は」


 ポタッと、床に血が滴り落ちた。

 頬に切り傷の入った男が、ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべ朝季を見上げる。


「護送中に、少しだけ逃してもらえた」

「逃してもらえた?」

「なぁ、あんた人間兵器アテンダーだろ? 俺、どうかな?」

「……どう、とは?」

「東京で役に立つかな? 俺もお前らみたいな、兵器になれるか? 俺、気付いたんだ、東京でやってる戦闘って本当は……」


 咄嗟に、朝季は男の口元を押さえる。


「喋るな、それ以上。巻き込むことになる……」


 悲痛な朝季の表情を、男は不思議そうに見上げる。それを見て理解した、『こいつ、わかってない』と。

 なにを気付いたんだろう、なにを知ったんだろう。


 見るな聞くな喋るな、隣人は他人。

 そう思えない人間は死ぬ。


 その言葉の意味を、真実を知る者は多くない。

 情報操作されている可能性を疑いもせず、偏見と噂話に惑わされて真実を知ろうともしない傍観者の人々。


「でも、興味を持って調べたんだな、自分なりに。考えることをやめてないって点ではお前を評価してやる。万が一、俺の部隊に来ることになったら、性格改変ごと面倒見てやる」


 話終えると同時、朝季の生成した麻酔で男が意識を失った。

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